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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
プロローグ レミーリアの何気ない一日
3/101

嫁入り先(予定)

 朝のスピリタスは人々の活気に満ちている。

 忙しそうに仕事道具を片手に職場へ向かう者、朝食の材料を調達に市場へ向かう者など、往来には結構な数の人が朝早くから歩いていた。


 レミーリアも、そんな道ゆく住民たちの一人だ。丁寧に結った金髪を揺らしながら、足取り軽く職場へ向かっている。

 

「おっ、レミーリアちゃん! おはようさん」

「あらレミーリアちゃん、おはよう。今日も寒いねぇ」

「おはようございます、レミーリア様。今日はお仕事の日ですね」

「レミーリアお姉ちゃんだ! おはよー!」


 顔が広いレミーリアは、道を歩くとよく声を掛けられる。

 スピリタスの住人にとってレミーリアは、貴族令嬢である前に、昔からよく知っている明るくて元気な女の子だ。

 それというのも、レミーリアは幼い頃から街中を遊び場に走り回っていたからだ。毎日のように顔を合わせていたので、自然と距離感が近くなったのである。

 それに、幼い彼女はやんちゃ過ぎなところはあったが、捻くれたところのない真っ直ぐな性格なので大人からとても可愛がられた。

 レミーリアに声を掛ける住人たちは、揃って気さくな笑顔を彼女に向けている。心から彼女のことが好きなのだ。


 そんな町の住人たちと一人一人「おはよう」と挨拶を交わしながら歩くレミーリア。

 やがて彼女は木造の家が立ち並ぶ大通りを逸れ、一つ隣の通りに入った。そしてそのまま少し歩いた場所に、木造二階建ての赤い屋根をした飲食店がある。そこがレミーリアの目的地である『食事処エミール』であった。




 レミーリアが『食事処エミール』に入ると、厨房では、気弱そうな雰囲気をした線の細い少年が一人で食材の仕込みをしていた。彼がレミーリアの恋人であるイングである。

 レミーリアはイングに近づき、その背中に声を掛けた。


「おはようイング」


 イングはレミーリアの方を振り向き、微笑みながら挨拶を返した。柔和な顔つきで、いかにも争い事が苦手そうである。


「おはようレミィ」


 レミーリアはきょろきょろと厨房を見回し、不思議そうに首を傾げた。


「おじさんとおばさんは?」


 この店の店主はイングの父親だ。普段であればイングの両親も厨房に立ち、家族総出で料理の仕込みをしているはずである。

 その質問に、イングは苦笑まじりで答えた。


「さっき急な団体予約が入ってね。昼一番から貸切になったんだ。それで、今ある分じゃ食材が足りないから、追加を二人で仕入れに行ったんだよ。母さんカンカンだったなあ」


 前々から予約していたならともかく、朝早くにいきなり団体が来ると言われれば飲食店としてはたまったものではないだろう。イングの母親が怒るのも当然だ。

 今現在大量の食材と格闘する羽目になっているイングにとっても迷惑な話のはずだが、どうにも腹を立てている様子はないあたり、人が良い。


「あら、そうなの? なら私も着替えて仕込みを手伝うわね」


 合点がいったレミーリアは直ぐに恋人を手伝うことにする。イングの脇には切られていない食材がまだまだ山積みなのだ。


「お願い。今日もよろしくね」


 レミーリアはイングに「よろしく」と返事をして、仕事着へと着替えるために店の2階に登る。

 程なくして、丈の長い冬用のお仕着せに着替えたレミーリアが降りてきて、厨房のイングを手伝い始めた。




「へぇ〜、それじゃあ奥様とカール様は港に行っているんだ。それにしても、カール様も海藻を食べようとするなんて相変わらずだね。……美味しいのかな?」


 『エミール』の厨房で、レミーリアとイングの2人は、仲良く一緒に食材の仕込みをしながら雑談をしている。話題は、つい先程あった男爵邸での一幕である。

 どうやらイングは海藻を食べるという話に興味があるようだ。料理人としてのチャレンジ精神が刺激されたのかもしれない。

 レミーリアは露骨に嫌そうな顔をした。


「やめてよ、イングまでそんなこと! せめてカールお兄様に毒見させてからにしてちょうだい。それからでも遅くないわ」


 レミーリアはこの話は止めたいので別の話題に変えることにした。恋人が兄の悪癖に感化されるなんて勘弁してほしいようだ。


「ところでイング。団体さんてどこの? 知ってる人達かしら?」


 イングも、レミーリアが嫌がっているなら無理に海藻の話を続ける気はない。素直に話題転換に応じた。


「モルトガットさんたちだよ。昨日スピリタスに帰ってきたらしくてね。仕事の打ち上げをするみたい」


 このスコルト領では主に二つの民族が暮らしている。一つはこの国があるマース大陸の主要民族クルス人。男爵家やイング一家、騎士団員、スコルト住人の半数以上はこちらである。

 もう一つはスコルト領より更に北、海を渡った先にあるレフ大陸からの移民、キルト人である。

 移民とはいえ、スコルト領にキルト人が入ってきて既に150年程が経っており、今ではかなり混血が進んでいる。

 が、しかしスコルト領のキルト人は強固な氏族意識を現在でも持っており、宗教も価値観もクルス人とは異なる、独自のレフ系マーティン人コミュニティを形成していた。

 そのコミュニティのトップは氏族長と呼ばれ、代々その一族がキルト人たちを率いている。

 因みに、スコルト内においてクルス人とキルト人の間に軋轢は無い。両者はこの150年、良き隣人として関係を築いていた。……スコルト男爵領以外、マーティン帝国全体で見れば全くそうではないのだが……。


 話を戻すと、いま話に出たモルトガットとは、スコルト領を拠点としている傭兵団〈赤銅の大熊〉のリーダーの名である。〈赤銅の大熊〉はモルトガット以下全団員がスコルト領出身のキルト人で構成されており、国内有数の傭兵団として広く名が知られている。

 今回もまたどこかに雇われ戦ってきたのであろう。レミーリアとしてもしばらくぶりに聞いた名であった。


「モルトガットさんたちに会うのも久しぶりね。今度はどんな武勇伝が聞けるのかしら? 楽しみね」


 レミーリアは嬉しそうに微笑む。彼女は可憐な顔をしているが、血湧き肉躍る話を聞くのが昔から一番大好きであった。

 特にキルト人は自分の武勇伝を語るのが大好きなので、レミーリアは幼い頃より様々なキルト人に話を聞きに行っていた。熱心に話を聞いてくれる彼女は地元のキルト人に大人気である。


 イングは彼女が上機嫌なのを嬉しく思いながら、


「モルトガットさんたちは豪快だからね。きっとまたとんでもないことをしたと思うよ。でも、僕は面白い料理の話が聞けるのが一番嬉しいんだけどね」


 と彼女に同意しつつ自分にとっての一番を言った。

 国内あちこち、時には隣国まで遠征する傭兵たちは自然と各地の郷土料理に詳しくなる。

 スコルトから出た事のないイングにとって、自分が知らない料理の話を聞くことは好奇心もくすぐられる最大の娯楽であった。

 レミーリアはそんなイングに「相変わらずね」と笑いかけ、二人で仕事を続けるのであった。




「おーい、ただいま〜」


 二人が今ある食材の仕込みをほとんど終えると、買い出しに行っていたイングの父親であるブルーと母親のスミカが、大量の食材を背負って帰ってきた。

 イングは持っていた包丁を置き、厨房から出ながら声を掛ける。


「おかえり、父さん母さん」

「ただいま。いやあ、重たかった重たかった」

「あーもう嫌になるわ。慌てて駆けずり回ったから、もうクタクタよ」


 そう言って背負った食材を下ろす二人。

 ブルーはイングと同じような優しげな顔立ちをしているが、スミカはそれとは反対に勝気な瞳をした女性である。

 ブルーはレミーリアを見つけ、人好きのする笑顔を向けた。


「おはようレミーリアちゃん。ごめんね、二人だけで仕込みさせちゃって。団体さんの話はイングから聞いたかな?」


 レミーリアも笑顔で頷き、


「おはようございますブルーおじさん。ええ、聞きましたわ。モルトガットさんたちですってね。久しぶりに会えて嬉しいわ」


 と答えて、イングと一緒に二人が買ってきた食材を運ぶのを手伝った。

 スミカも食材を運びながら不満タラタラな様子で文句を言う。


「それにしても朝一番で予約はないわよね〜。こっちの段取りも考えて欲しいわ。お得意様じゃなきゃ脳天にフライパンを落としているところだったわ」


 過激である。

 レミーリアも同調するように「次はそうします?」と言っているので、イングとブルーは揃って震えた。

 なお、次回の遠征帰りも〈赤銅の大熊〉の団員は同じく朝一番で予約しにくる。命が心配である。


 


 ここ『エミール』は昼と夜の営業である。

 急な団体客のせいで仕込みの予定が狂い、昼の開店時刻まで決して余裕がある訳ではなかったが、4人とも手際よく追加食材を調理し、何とか定刻に間に合わせることができそうだ。

 頭の中で進捗状況を計算し、ブルーはひとまず胸を撫で下ろす。


「良かった良かった、なんとか昼前の開店には間に合いそうだね」


 因みに、この世界は日の出に鐘を鳴らし、それから鐘を季節に合わせて朝、昼前、正午、昼後、夕方と鳴鐘させ最後に日の入に鐘を鳴らして時間を区切っている。なので人々は鐘の音に合わせて仕事を始めたり休憩をしたりして一日を過ごしていた。

 『エミール』は昼前から昼後が昼営業。夕方から日の入より2時間後までの夜営業の2部制である。日の入からの時間は砂時計を使って測ってる。


 そして今はまだ昼前までには多少の余裕があり、ブルーの言う通り問題なく間に合うはずであった。

 しかし全員が全員、鐘の音に合わせて生きているわけではない。特に大きな仕事を終えて一日中暇な人間は。


 店の扉が勢いよく開かれ、厳しくも愛嬌を感じる顔をした大柄な男がズカズカと入ってきた。

 男はブルーと目が合うと、なんの悪気もない豪快な笑顔を向け、軽く片手を上げた。


「おう、親父さん久しぶり。いや〜昼前の鐘が鳴ったら『エミール』に集合ってことで街をぶらぶらしてたんだけどな? なーんか早く着いちまったんだ。他のやつも後からくるけどさ、俺だけでも先に飲ませてもらっていいだろ?」


 男はあっけらかんと言うと、勝手知ったる様子で席についた。止める間もない、実に自然な動作であった。

 ブルーはなんだか頭が痛くなってきたが諦めることにした。


「……いらっしゃい、モルトガットさん。知っての通り開店前だから料理は出来てないけど酒ならだせるよ。それでいいだろ」

「親父さん悪いな。じゃあ、とりあえずエールを一杯頼むわ」


 大男モルトガットはにこやかに言った。


 レミーリアが厨房を見ると、フライパンを持ったスミカがイングに羽交締めにされていた。忙しさの原因がなんの悪びれもなくフライングしてきたことに怒り心頭なのだろう。瞬間的にフライパンを手にしたところで息子に取り押さえられたらしい。

 この様子では自分が行くのが一番穏便だと、レミーリアはそそくさとエールをグラスに注ぐのだった。




 レミーリアはガラスのジョッキに注いだエールをモルトガットの前に置いた。


「モルトガットさんお久しぶりです。はい、エール」

「おっ、ありがとうよ、レミーリアちゃん。ますます美人さんになったな、さすが《看板姫》。イングのやつが羨ましいね」


 モルトガットがそう持ち上げると、レミーリアは「そんな〜」と言って照れた。

 彼が言った《看板姫》とは、キルト人がレミーリアにつけた二つ名である。貴族のお姫様なのに飲食店の看板娘をしているという珍しさからこう言われるようになった。


 キルト人は武勇伝を語ることと、他人に二つ名をつけることが大好きである。

 変わった趣味だと感じるかもしれないが、それらは彼らの宗教観に由来した大事な習慣である。

 彼らの宗教は多神教である。キルトの神々は地上を見渡し、人々の声を聞き自分のお気に入りの人間を探していると考えられていた。

 そして神に気に入られた人間は、死後その神の園に招かれ、生前の功績に応じた永遠の歓待を受けると信じられているのである。

 神々に気に入って貰うためには武術、芸術、料理、珍奇なことなど、どの様なことであれ世に名が広く知れ渡る何かを成せばいいとされた。それ故にキルト人は名声を望み、神々の失望を何より恐れたのである。

 キルト人の神は大勢いるので何かしら特異なことを成せば必ずどの神の目にかは留まる。しかし、キルト人は神々が我々を見つけやすいようにこちらもアピールをするべきだと考えた。そして始まったのが自分の功績を声高に述べる武勇伝語りと、わかりやすくその人を表す二つ名つけである。

 対してクルス人は一神教であり、二つ名をつけるという風習もない。スコルト領のキルト人はそれをきちんと理解してはいるが、あって困ることはないし、むしろあった方が良いという親切心でクルス人に対しても二つ名をつけているのである。


 レミーリアは、イングの恋人ということもあってつけられたこの《看板姫》という二つ名を殊の外気に入っていた。

 お気に入りの二つ名である《看板姫》と呼ばれてすっかりご機嫌になったレミーリアは、いそいそと厨房に戻り、この後に来る団体の料理を作り始めるのであった。

補足


レミーリアの二つ名

《看板姫》《お転婆姫》《ニワトリの飼い主》


 本作の主人公。《お転婆姫》の由来はスコルト中でトラブルを起こしまくったから。15歳となり成人したことで少し分別がついたが、子供の頃はあちこちでイタズラに明け暮れていた。それら全てを加味して《お転婆姫》の二つ名が付いた。

 幼馴染のイングと共同でネーロというニワトリを飼っている。



イングの二つ名

《百投百中》《雪合戦の悪魔》《ニワトリの飼い主》


 レミーリアの幼馴染。小さい頃からレミーリアと仲が良く、彼女に無理矢理引き摺られて様々な騒動に巻き込まれた。なお、今後も巻き込まれる。

 特技は投擲。どんなものでも高い命中精度で投げれるので、毎年雪合戦で大暴れした。それにより《百投百中》と《雪合戦の悪魔》の二つ名が付けられた。

 子供の時にレミーリアのチャンバラごっこにも付き合わされたので、人並みに剣は振れるが、剣を投げた方が強い。

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