料理大会への推薦
トリスたちが帝都での貴族会議を終えてスコルトに帰ってきた。
国外に多数の問題が類発している昨今、非常に白熱した議論が交わされたようであるが、案の定スコルト男爵は蚊帳の外であったらしい。それどころか、キルト人勢力に寝返るのではないかと疑念を持たれているようである。
期間中、トリス男爵はあちこちの貴族に不審な目を向けられつづけ、だいぶ胃が痛かったという。
皇帝からも、「侵略軍が来たら帝国の為に戦うように」と釘を刺されたそうだ。
今年はとみに疲れたとトリスはボヤいている。
ともあれ、もうすぐ夏至が来る。色とりどりの花が咲き、季節はすっかり夏である。
トリスはスピリタスに帰ってきた次の日にレミーリアとイング、さらにブルーまで邸宅に呼んだ。
レミーリアはイングとブルーを男爵邸の玄関で出迎えると、一緒にトリスの執務室に向かう。
彼女もトリスが何の用事があって二人を呼んだか知らないらしい。尋ねたが「大事な話だから、みんな揃ったら言う」と教えてくれなかったそうだ。
「お父様ったら一体何の御用かしら? 私とイングだけでなくブルーおじさんまで呼び出すなんて」
ブルーは何かを疑うようにジトっとした目をイングに向け、もしやと口を開いた。
「……イング、もしかしてレミーリアちゃんに何かしたのか?」
それならば親ごと呼び出されるのも納得である。万一そうなら地に頭を着けて謝罪し、息子にはキッチリとケジメを取らせる所存であった。
「何も変なことはしてないよ!?」
が、イングは口から唾を飛ばしてそれ否定した。レミーリアとは清い交際を心がけているのだ。まるっきりの誤解である。
「おじさん、あまり滅多なことは言わないでください。使用人に聞かれたら、有る事無い事付け足されて、町中に間違った噂が流されてしまいます。そうなったら、私はイングに責任を取ってもらうしか……良いわね」
それならそれで構わないと気付き、レミーリアはちょっと心が揺れ動いた。
勘弁してくれと、イングの肩がガックリと落ちる。
「レミィ……それはお互い不名誉だからやめてね……」
「冗談よ」
やってもいない事で噂されるのは御免である。
それにもし流れたら、絶対、イヤらしくニヤついた男衆に「結婚前にお貴族様に手を出すとは、やるじゃねえかイング」とウザ絡みされる。そんな見え透いた未来は避けたかった。
「……しかし、二人に心当たりが無いとなると、いよいよ分からないな」
「ホント、何でしょうね?」
あとはもう男爵に直接聞くしかないだろう。
3人は首を捻りながらトリスの執務室に入った。
執務室の中、トリスは椅子に座ってニコニコしている。
どうやら深刻な話ではなさそうなのでレミーリアたちはホッとした。
「わざわざ呼び出してすまないね。まずは座ってくれ」
トリスに促され、レミーリアたちは用意された席に座る。
挨拶もそこそこに、早速レミーリアは本題に入った。
「お父様、本日はどのようなご用件でしょう?」
トリスは「実はね」と前置きすると、イングの方を向いた。
「今回呼んだのはイングくんに料理大会に出てみないか尋ねるためなんだ」
「料理大会ですか?」
トリスはにこやかに頷いた。
「隣のドロット伯爵領で毎年料理大会が開かれているのは知っているだろう? その大会の15歳から19歳までの新人の部に出てみないかな?」
「料理大会って、ドロットのあの料理大会ですか!?」
トリスの提案に、イングは驚きのあまり声を裏返した。
ドロット料理大会は、伯爵家が主催する歴史ある大会だ。参加者のレベルも高く、イングにとって雲の上の料理人たちが集う場である。
新人の部というのがあるのは初耳だが、料理人として自分の腕を試せる絶好の機会だ。是非とも挑戦したかった。
だが、どうしても気になる事があった。
「あの、参加できるならしたいですけど、どうして男爵様がその話を僕に?」
大会に参加するにはドロット伯爵に話を通せるほどの名士による推薦が必要なのである。失礼な話だが、田舎男爵のトリスにそれ程の力は無い。
「これだよ」
そう言ってトリスは執務机の引き出しから一枚の紙を取り出した。ドロット料理大会への推薦状らしく、推薦人の欄にはファーネス商会商会長ベッセンの名前があった。
「ベッセンさんがイングくんの推薦状を書いてくれてね。この間『エミール』でイングくんの料理を食べて決めたらしいよ。成人のお祝いも兼ねてだそうだ」
イングは深々と頭を下げた。普段から美食を食べ慣れているであろうベッセンに認められ、感動で胸が溢れんばかりである。
「光栄です! 精一杯頑張ります!」
感極まっているイング。
そんな彼に水を差すようで悪いと思っているのか、トリスは申し訳なさそうな口調でとある事を告げた。
「あー、ちょっと言いづらいんだけどね。確かにドロット料理大会は伝統ある大会で、各地から高名な料理人が集まるんだけど、それはあくまで20歳以上の部の話なんだ」
突然そんな事を言われ、イングはキョトンとするが、ブルーはすぐに「なるほど」と納得した。
「新人とはいえドロット料理大会に出るなら一流店で修行しているんだろ? そういう店は上下関係が厳しいと聞いたことがある。20にもならないような年齢なら、どの店でもまだ見習い扱いされているはずだ。たぶん碌に料理もさせてもらってないと思うぞ」
トリスはうんうんと頷いている。ブルーの推測は当たっているようだ。
帝国は有名店ほど徒弟制度がしっかりしている。
いわゆる名店と呼ばれるレストランでは、料理人として才能がどれほどあろうとも、新人は5年は下働きに徹することが義務づけられていたりするのだ。
トリスが少し補足を付け加える。
「だから新人の部は本番前の余興みたいなものなんだ。参加資格は名士からの推薦だけだし、人数も少ない。予選も無くて、即本戦になる。でもイングくんには良い刺激になると思うんだ」
その言葉に、イングは真剣な表情で頷いた。
「はい、ぜひ参加させてください。ベッセンさんの顔を潰さないよう努力します」
万一イングが不味い料理を作ったら、マーティン中がベッセンの味覚を疑うことになる。それはあまりにも申し訳が立たない。
その気持ちが伝わったのだろう、トリスは嬉しそうに微笑んだ。
「ベッセンさんからは『私のことは気にしないでいいから気楽に参加して欲しい』と言われてるから、そんなに気負わなくてもいいよ。楽しんできなさい。ブルーさんもよろしいですか?」
「イングはもう成人です。本人の望む通りにさせてやりたいと思います。男爵様、今回は貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございます。ベッセンさんにも後ほどお礼の手紙をしたためさせていただきます」
ブルーは深々と頭を下げている。目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。
部が違うとはいえ、料理人として夢の舞台に息子が登るのが我が事のように嬉しいのであろう。
トリスは、「ええ、それが良いでしょう」と満足げに頷くと、今度は一転して真面目な顔つきになり、レミーリアの方を向いた。
「レミーリア、イングくんと一緒にドロットに行ってきなさい」
「私もですか?」
言われずともついて行く気であったが、父親の方から言及されるとは思わず、つい驚いてしまった。
トリスは当然だとばかりに言う。
「ああ、そうだ。ルールによると、大会は一人だけ助手をつけることが認められているそうなんだ。レミーリアはイング君のパートナーだろ? 二人で参加してきなさい」
その通りである。
レミーリアはハッキリと「はい!」と言った。
「慣れない土地だろうけど、二人で協力するんだよ。道中のことはファーネス商会が手配してくれるから安心しなさい。あとは……」
トリスは再度イングの方に向き直った。しかし、先程とは違い、えらく歯切れが悪い。
「その……だね、イングくん。僕もね、ブルーさんと同じように成人した娘のことに口を挟む気は無いんだ……。でも、娘を持つ一人の父親として複雑というか、何というか……。もちろんキミのことは信頼しているし、もしもの時は責任を取ってくれると確信している。でも、できれば紳士的であって欲しいと思うんだ。二人旅だとしてもね……」
「お父様!」
執務室に響く声。
レミーリアとイングの顔は赤く染まっていた。
「え〜、いーなー羨ましい〜」
その日、『エミール』に来店したレクティはレミーリアたちがドロット伯爵領に行くと聞き頬を膨らませた。
更にはイスに座ったまま足をバタバタさせ、まるで子供の駄々である。
「私も旅行に行きたいな〜。レミーたちだけズルいよー」
レクティの子供っぽい仕草にレミーリアは呆れ顔である。
「ズルいって言われても、遊びに行くわけじゃないのよ。イングにとっては真剣勝負なんだから」
戦いに行くのであって、あくまでも真面目な旅なのだと言うレミーリア。
それを聞いてレクティはニヤッと笑ったかと思うと、イスから立ち上がり顔を近づけてコソッと囁いた。
「でもレミー、楽しみでしょ? 二人旅。朝から夜までずーっと一緒なんだよ?」
「ちょっ!?」
レミーリアは図星を突かれ、ぽっと頬を染めた。
レクティは意地悪そうにニマニマ笑っている。
「じゃあ私がついて行くわけにはいかないよね。お邪魔虫はご遠慮いたしますよ」
「レクッ!」
レクティはやれやれといった様子で首を振る。
「はいはい、からかい過ぎたね。でも羨ましいのも、いつか一緒に旅行したいのも本当だからさ。今度は連れて行ってね」
「レク……」
寂しそうに告げられたレクティの思い。
レミーリアはしっかりと頷いて約束した。
「約束するわ。今度は一緒に旅行しましょう」
レクティは花が咲いたようにニカっと笑う。
「約束だね。それじゃあ今から父様を説得しよっと。レミーとの約束を破れないって言ったら、いつかは折れてくれるでしょ」
「……大丈夫かしら?」
因みに、以前レクティが特異個体と戦ったと聞いた時、ボルモスは文字通り卒倒した。
果たしてレクティに旅行の許可は降りるのであろうか?
出発の前日、昼休憩中の『エミール』にトミン支店長がやって来た。レミーリアとイングに大会のことで伝えることがあるらしい。
「お忙しいところ誠に申し訳ございません。ドロット料理大会について取り急ぎお二人にお伝えすることができました」
トミンはいつも通りの眩しい笑顔で深々と頭を下げた。
レミーリアとイングも礼を述べる。
「僕たちのために御足労いただき、ありがとうございます」
「いえ、何分ついさっきスコルトに届いた情報ですので、出発前日にお伝えすることになり、恐縮するばかりです。さて、では早速。――先日の貴族会議でエストラ第三皇女殿下がドロット伯爵家に降嫁されることが決定したのはご存知でしょうか?」
レミーリアは不思議そうに頷いた。婚約の話は知っているが、料理大会と皇女の接点が思いつかないのだ。
「ベッセンおじさんがそのようなことを言ってました。それがどうかしたんですか?」
「ご存知でしたか。その皇女殿下が関わってくるのです」
ますますどうしてか分からなくなり、レミーリアとイングは小首を傾げた。
トミンは順を追って説明を始める。
「まず前提として、皇族の降嫁にあたり、婚約が決まったからといって即結婚とはなりません。形式というものがあります。最初に皇女殿下はドロット伯爵家のご長男様と顔合わせ、つまり、形ばかりのお見合いをなされます」
イングは、「はぁ〜」と驚いた声を漏らした。初めて聞いた帝室の習わしに大いに感じ入ったようだ。
「手順があるんですね。エストラ殿下って確か僕たちと同い年でしょう? 政略結婚しなきゃいけないなんて大変なんですね」
庶民であるイングにとって、本来ならば貴族であるレミーリアも雲の上の存在なのに、ましてや皇帝家となれば空のはるか向こう、まさに太陽のような偉大な存在である。その暮らしぶりなど、とても想像がつかなかった。
トミンは神妙な顔で頷く。
「責任あるお立場であるからでしょう。頭が下がるばかりです。――さて、ここからが本題です。お見合いをなされた後、お二人は親睦を深めます。有り体に言えばデートでございます。そのデート先にドロットの伝統行事である料理大会が選ばれました。つまり、今回の大会は台覧試合となったのです」
「「ええっ!?」」
いくら歴史ある大会とはいえ、地方の大会、それも料理大会を皇帝家が来賓として観覧するなど前代未聞だ。
レミーリアとイングは心の底から驚いた。
「皇女殿下がお見えになるのですか! ……何か日程やルールに変更でも?」
トミンは、「いえいえ」と首を横に振る。
「日程や大会進行に変更はございません。皇女殿下が料理を食されることも警護の関係上ありえないでしょう。ただ、参加者はくれぐれも無礼のないようにとのお達しが届いております。そのことをご承知下さい」
お二人なら問題ないでしょうが、とトミンは話を締めくくった。
「トミンさん、わざわざありがとうございます」
トミンは再度首を振った。
「いえいえ、お気になさらないで下さい。――私も応援しております。頑張ってください」
「はいっ! ありがとうございます!」
明るい返事をするイングを見て、トミンはいつものえびす顔ではない、若者を見守るような優しい笑みを浮かべた。
期せずして大ごとになった今大会。
このことがどのような結果を帝国にもたらすのか、この時は誰も知らなかった。
おまけ
後日、レミーリアはレクティに旅行の許可は降りたのか尋ねた。
「それでレク、ボルモスおじさんは何て?」
レクティは残念そうに肩を落としている。結果は芳しく無いようだ。
「無茶苦茶だよ。『旅行に行くなら護衛に傭兵を最低100人。それとレミーリアちゃんにネーロを借りなさい』だって」
レミーリアは唖然とする。
「傭兵100人にネーロって……。戦争でも始める気かしら? 大抵の町なら落とせそうよ」
レクティは憤慨した。
「も〜、父様のバカ! こうなったら稽古で負かして認めさせてやる!」
その日からレクティの攻撃に苛烈さが増した。レクティが旅行に行く日は遠そうである。




