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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
プロローグ レミーリアの何気ない一日
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レミーリアの朝の日課

 マーティン帝国北端に位置するスコルト男爵領にある町、スピリタスの朝は早い。この町の人々は、夜明け前の鶏鳴により目を覚まし、まだ月明かりしか頼れないような薄暗い時間から活動を始める。


 この物語の主人公である男爵家次女レミーリア・スコルトもまた、けたたましく鳴り響くニワトリの声により目を覚ました。

 彼女は自室のベッドから身を起こし、少しでも部屋の中を明るくするため窓のカーテンを開けた。

 窓の外からヒヤリとした空気が少し流れる。暦の上では春であるが、北国のここではまだまだ寒い。人が通らない野原には未だ雪が少しばかり残っているくらいだ。

 レミーリアは汲み置きの水で顔を洗い身支度を整える。水はすこぶる冷たく、彼女の意識を容赦なく覚醒させた。そして手早く寝巻きから訓練着に着替えると、セミロングの髪を後ろに束ね、刃引きした訓練用の剣を帯び、盾を持って屋敷を出た。


 薄暗闇の中、レミーリアは目的地である訓練場までの道を迷いなく進んでいく。幾度も通った道である、仮に道が更に暗くとも彼女が迷うことは無い。

 月明かりに照らされるレミーリアの容姿は、輝くような金髪に透き通った碧眼の、優しげな面立ちをした15歳の美しい少女である。周りの人を明るくするような雰囲気を持っており、笑顔になれば正に「花が咲くような」という形容が相応しいであろう。


「あっ、レミーリア様、おはようございます。今日も寒いですね」


 途中、同じく訓練場へと向かうスコルト男爵領の騎士たちと合流する。鍛えあげられた屈強な身体付きをしている騎士たちであるが、朝の寒さには敵わないらしく、ブルブルと身体を震わせながら小走り気味に歩いていた。

 レミーリアは「おはよう」と声をかけ、一緒に訓練場に向かった。


 レミーリアが整地された広々とした訓練場にたどり着くと、既に年若の騎士達が数十名程整列している。彼女もその列に加わり、早朝訓練が始まるのを待つのであった。




 ちょうど朝日が昇る時には参加者は全員揃っていた。町では日の出を告げる鐘が鳴り、それを合図に早朝訓練が始まる。


 訓練はまず訓練場の周回から始まる。

 白い息を弾ませ先頭を走るのは、レミーリアの兄である男爵家長男バルドだ。短く切り揃えた赤毛に大柄な身体を持つ、迫力ある男性である。今年で20歳。若く気力溢れる走りで集団を引っ張っていた。

 レミーリアも他の騎士たちに負けじと走り、冷え切った身体を温めた。


 走り込みが終わると、次はマーティン流騎士剣術の形稽古である。

 全員で一斉に同じ形を素振りし、指南役である熟練騎士がそれを確認していく。マーティン騎士は片手剣に片手盾が主兵装であるので、早朝訓練では一様にその装備で行われる。


 そして最後に熟練と若手数名に分かれての組み稽古が行われる。もちろんレミーリアは若手の方になる。

 彼女の相手を務めたのは、騎士団長であるサルート。鍛え上げられた肉体の壮年男性である。防御主体の堅実的な戦法を得意とした、領内でも指折りの騎士だ。

 レミーリアも領内では上位の実力と才能を持ち、並みの騎士二人がかりであっても難なく相手取ることができるが、まだまだ一日の長があるサルートには敵わない。数十合程打ち合ったところでレミーリアは彼の盾に強く弾かれ、地面に転がされてしまった。


「レミーリア様も腕を上げましたな。危うく一本取られかけました」


 サルートは満足そうにレミーリアへ声を掛けた。

 お世辞ではない。事実、何度もレミーリアの剣はサルートの体を捉えかけていた。


「ありがとうサルート。でも、まだまだ鍛錬しなければいけないわね。もしかしたら、あなたより強い酔っ払いに絡まれることがあるかもしれないわ」


 レミーリアは悪戯っぽく笑いながら地面から立ち上がり、背中に付いた土を払う。

 したたかに弾き飛ばされていたが、うまく威力を逃したのか、どこも痛めてないようである。訓練とはいえ、筋肉質な騎士団長の一撃を受けて無傷なのは、日頃の彼女の鍛錬あってのものであろう。


「はっはっは、なるほどなるほど! では、そんな輩がいたら私が加勢に参ります。我ら二人がかりでボコボコに打ちのめしてやりましょう」

 

 冗談めかしたレミーリアの言葉に大笑いするサルート。

 レミーリアも「そうね」と笑い、後ろに控える他の若手と交代した。


 その後、組み稽古を何巡かして早朝訓練は終了となる。

 全員が整列したのち、サルートより全体連絡事項が伝えられて解散となった。




 レミーリアは男爵邸に帰り、汗を拭って着替えると、朝食のためダイニングルームへと向かう。

 ダイニングには既に両親と二人の兄が揃っており、レミーリアが座って家族全員が揃うと直ぐに食事が運ばれた。今朝の献立はライ麦パンにハム、チーズ、エールといつも通りのものである。

 スコルト領の主要作物はライ麦と大麦であり、広大な酪農地もあるため、領主家も領民も大方の朝はこのようなメニューになる。


「それにしても暖かくなったね。ついこの間まで雪が降っていたのが嘘のようだ」


 食後、レミーリアの父であるトリス男爵は穏やかな口調で家族に話しかけた。

 ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべ、赤い髪を丁寧に整えた優しげな中年男性である。争い事とは無縁そうな、あまり威厳を感じさせない男性であるが、れっきとしたこのスコルトの領主である。


「そうね。もう雪はこのまま降らないで欲しいわ」


 トリスに返事をしたのは妻のアンネである。レミーリアと同じ金髪の女性で、顔立ちもレミーリアに似ているが、やや意思の強そうな目元をしていた。

 アンネは長い髪を指で軽く整え、夫のトリスに今日の予定を尋ねた。


「ねぇあなた、私今日出かけても良いかしら? 久々に体を動かしたいから馬で遠出したいの。そうね……海が見たいから港に行ってくるわ。確か予定は無かったわよね?」


 トリスは妻の言葉に快く頷く。


「ああ、構わないよ。行って来なさい」

「ありがとう。あなたも一緒に行かない?」


 アンネは夫を誘ったが、トリスは残念そうに首を横に振った。


「残念だけど、僕は午後から例の養殖について資料をまとめないといけなくてね。餌を変えたのが良かったみたいで、ようやく黒字になりそうなんだ」


 トリスは元々他領の貴族の三男であり、魚の研究者として活動していた。

 彼は若い時に北方の魚を研究するためにスコルト男爵領を訪れ、先代スコルト男爵の一人娘であるアンネに一目惚れし、婿入りしたのだ。

 トリスは最初、アンネに相手にされなかったが、必死の求婚の末に二人は結ばれる。当時を知る者に言わせれば半ば泣き落としであったそうだ。

 現在も研究を続けており、今は魚の養殖が彼の主研究である。


「アンネが港に行くなら、誰か一緒に行って欲しいな。僕は一日屋敷に居るし、レミーリアはいつも通りだろう? バルドには午前中領主業務を手伝ってもらうし、カールはどうするんだい? 出来ればアンネに付き合って欲しいのだけど」


 トリスが子供たちに尋ねると、次男のカールが頷いた。金髪を肩の所で切り揃えた、知的な印象を受ける17歳の男性である。大柄な兄と違い細身の身体つきをしており、あまり鍛えてはいないようである。


「いいですよ。ちょうど僕も港に行きたかったのでついでに付き合います」


 アンネは息子の物言いに少しムッとした様な口調で、


「あら、私の付き添いを“ついで”だなんて生意気な息子ね。まぁいいわ。カールは港に何の用事があるのかしら?」


 と尋ねる。

 カールは母の言葉に軽く笑いながら答えた。


「失礼いたしましたお母様。先日、遠い東の国では海藻を食べると聞いたので、採りに行きたかったのです。美味しいようでしたら皆で食べましょう」

「カールお兄様あれを食べるの? 本当に?」


 レミーリアは兄の目的に眉をひそめ、信じられない者を見る目で実の兄を見た。

 この国に海藻を食べる文化はない。漁の時に網に引っかかるゴミ扱いである。


「たぶん美味しく食べれる調理法があるんだよ。煮たり焼いたりすればいけるんじゃないかな? まあ、色々と試してみるさ」


 家族も使用人達も明らかに引いているが、カールだけは上機嫌である。

 カールも父と同じく学者肌であり、主に農業の効率化と高品質化をテーマに研究しているのだが、時折変わった食べ物へ挑戦をする悪癖がある。幸い味覚は正常なので、ハズレた場合は彼一人の犠牲ですむ。そのため、家族はゲテモノ食いを止めさせようとはしていないのである。

 とはいえ、聞いているだけで気持ちは悪くなる。トリスは気分を変えるように頭を振り、話を進めた。


「……ともかく、カールがアンネに付き添ってくれるなら安心だ。さて、私もそろそろ仕事を始めるとするか」


 そう言って彼は席から立ち上がる。海藻問題からは目を背け仕事を始めることにしたらしい。

 レミーリアもまた、兄の奇癖から目を逸らし、仕事場へ出勤するため席を立った。


「それでは私も働きに行ってきます。いつものように昼と夜はあちらで食べますので」


 トリスは娘の言葉に頷き、柔らかく微笑んだ。


「ああ分かったよ、いってらっしゃい。あんまりイングくんを困らせないようにね」

「私はそんなにイングを困らせてないはずです! ……多分」


 レミーリアは父の言葉にやや大声で反論するも、思い当たるフシがあるのか、最後は少し声を落とした。


「レミーリア、あなたねぇ――」

「それでは行って参ります! お母様もお気をつけて!」


 母にお小言を言われそうになったレミーリアは、恋人がいる職場である『食事処エミール』へと足早に向かうのであった。

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