元スコルト最強
朝、レミーリアは着替えやエプロンを詰めた鞄を背負って意気揚々と男爵邸を出た。
今日は出勤日でもデートの日でもない。以前レクティが話をしていた、彼女の曽祖父リシャールの誕生日である。
バースデイパーティで手料理を振舞うという約束だ。レミーリアはレクティの家に行く前に、食材を調達するためまず市場に向かった。
スピリタスの市場は朝早くから雑然とした賑わいを見せていた。
海もあれば山もあるスコルトだ。山海の幸に溢れた市場は、見ていて飽きない。肉、魚、野菜、これらの匂いが混然としていて、なんとも言えない独特の空気にどこか心が躍る。
段々と暖かくなってきて採りに行く人も増えたのであろう、春の山菜も数多く売られていた。
長かった冬がようやく終わり、いよいよ春本番である。
「おう、レミーリアちゃんじゃねえか! おはようさん。『エミール』の買い出しかい? 身が引き締まった活きのいい魚が入ってるが一桶どうだ? 安くしとくぞ?」
「おはよう。残念だけど今日は違うの。また今度お願いするわね」
「なんだ、そうなのかい?」
レミーリアは魚屋のオヤジと挨拶を交わしながら目的の店に向かう。申し訳ないが、今日の料理に魚は使わない。笑顔で通り過ぎた。
レミーリアが作る料理は一品。作るものも既に決まっている。
事前にレクティを通じて向こうの料理人にも伝えてあるので、メニューが被る心配もない。
自分に作れる最高のものを供せるよう、ここ最近はブルーに指導を仰ぎ、試作も重ねた。年に一度の記念すべき日、レミーリアに抜かりは何一つ無い。
(作るのはジャガイモのポタージュ。良い食材があるといいのだけど)
レミーリアは市場で食材と花束を買うと、レクティの家に向かった。望ましい食材が手に入れられたようで、上機嫌である。
レクティの家、つまり族長の屋敷には横に集会所が併設されている。スピリタス氏族の集会や、スコルトの行事で度々使用され、数百人が集まれるほどの規模がある。
本日の誕生日会もその集会所で行われるので、レミーリアは真っ直ぐそちらに入った。
中では大勢の女性が大忙しで会場のセッティングをしている。スピリタス氏族の女衆だ。今日はパーティなのでそれぞれしっかりとお洒落をしているが、今はその上にエプロンをつけて動き回っている。
レミーリアは、会場の真ん中で女衆に指示を出しているレクティの母親を見つけた。レミーリアは彼女のもとへ行き、親しげに声を掛ける。
「ルシャおばさん、おはようございます」
「まあまあレミーリアちゃん! いらっしゃい!」
レクティの母ルシャは、娘と同じ明るいベージュ色の髪をした、ややふくよかな女性である。氏族長の妻として女衆を束ねる立場もあり、そこらの女性には出せない貫禄も感じられる。
化粧をバッチリ決め、ナプキンを頭に巻いて、キビキビと采配を振るっている。
彼女はレミーリアに気づくと温かい笑顔で彼女を歓迎し、そしていきなり、堰を切ったように話し出した。
「今日はよく来てくれたわね、本当に嬉しいわ! リシャール様もお喜びになられるわね。あっそうだわ、お料理も作ってくれるですってね! ありがとうね、楽しみにしているわ。――ええ、そのテーブルはあっちにお願い。――あらごめんなさい。それでね、レクティもレミーリアちゃんみたいにお料理の一つも覚えて欲しいのに、うちの男共ときたら毎日毎日稽古稽古であの子を――中略――ということで、厨房にスペースは確保しているから、レミーリアちゃんの好きに使ってちょうだい」
ルシャは雨霰と矢継ぎ早に言葉を発した。挨拶、お礼、指示、愚痴、よもやま話、全部ごっちゃに話すので、聞いてる方も忙しい。
《嵐》のルシャという二つ名を持っている彼女だ。しっかりと踏ん張って立ち向かわないと言葉の暴風に吹き飛ばされてしまうだろう。
だが――
「ありがとうございます、ルシャおばさん。腕によりをかけて作ります」
レミーリアは笑顔でルシャの長話を乗り切った。生まれた時からの付き合いだ。いつものことなので慣れたものである。
(ルシャおばさんったら、話の最中でも周りの人に滞りなく指示を出していたわ。流石ね。さて、あとは……)
レミーリアはボルモスにも挨拶をしようと、キョロキョロと周りを見渡した。しかし、ボルモスどころか男は一人も見当たらなかった。
「ところでルシャおばさん。男性陣はどこに? ご挨拶したいのですけど」
ルシャは肩をすくめ、
「ああ、男衆はこういう時は役に立たないから、お小遣いを渡して、『前祝いしてこい』って言って酒場に行かせたわ。居ても邪魔にしかならないしね。リシャール様はお休み中だし、気にしなくても時間になったらみんな揃うわよ」
と身も蓋もないことを言った。
レミーリアも「あ〜そうですね」と同意して、男たちのことは気にしないことにした。
「それでは、ありがたく厨房をお借りします」
レミーリアはルシャにペコリと頭を下げて礼を告げると、集会所内にある厨房へ向かった。
レミーリアが厨房の入り口に行くと、ちょうどレクティが食材の搬入をしているところであった。
レクティは重たそうな木箱を持ち上げ、額に汗してキビキビと運んでいる。
力仕事をするからか動きやすい格好だ。上下ともにパーティ用とは思えない地味な色合いの、ごく普通のシャツにロングスカートである。後で着替えるのであろう。自慢の髪もスカーフでまとめているだけで結ってもいなかった。
レミーリアはレクティに声を掛ける。
「おはようレク、今日はよろしくね」
レミーリアに明るい声で呼ばれ、レクティも彼女に気が付いた。
「おはようレミー、いらっしゃい。あっ、レミーのスペースはあっちだから、ちょっと待ってて。これ置いたら案内するね」
そう言うと、レクティは急いで食材を運び、レミーリアを案内した。
各種行事には宴会がつきもの。大人数に対応できるよう集会所の厨房は結構なスペースが設けられている。
中に入るとあちこちでもう既に調理が始まっていて、かまどの熱で室内は少し暑い。
「ここ使って。あっ、お花は預かるよ。こっちで水につけとくね。じゃあまた後でー」
レミーリアを案内したかと思えば、レクティは花束を受け取ってすぐにバタバタと仕事に戻った。だいぶ忙しいようである。
(レクも忙しそうね。料理ができたら私も手伝おうかしら?)
料理をするのでレミーリアの服装もまだ普段着だ。手伝えることがあるなら手伝いたい。
ともあれレミーリアは調理を開始することにした。かまどに火を入れ、カバンから愛用の包丁を取り出し、ジャガイモの皮を剥き始める。
しばらくすると厨房に美味しそうな香りが一つ加わった。
外から正午の鐘が聞こえてきた。会場の準備もできたようである。
レミーリアもお化粧を整え、パーティ用のドレスに着替えている。準備はバッチリだ。
男衆も帰ってきたようなので、レミーリアはボルモス族長たちに挨拶しようと、彼らを探した。
分かりやすいことに、ボルモス族長はレクティの兄二人と一緒に会場のイスに座って、上機嫌で騒いでいた。酔っ払ってタガが外れているボルモスの大声は、集会所の端まで届いている。どこに居るか探すまでもなかった。
いつぞやレクティが真似したような眉毛の男性が3人。髪色も同じで、よく似た顔の親子である。朝から飲んでいたので口から吐く息も揃って酒臭く、顔も真っ赤だ。
レミーリアは彼らに近づきお辞儀をする。
「ボルモスおじさん! コフィ兄さんとヴァニ兄さんもこんにちは!」
彼らはレミーリアを見つけると相好を崩した。
「おお、レミーリアちゃん、いらっしゃい! 今日はよく来てくれたね!」
スピリタス氏族長ボルモスは鍛え上げられた大柄な男だ。その口から酒臭さと共に放たれた大音声はレミーリアを直撃する。
まるで戦場で檄を飛ばしているかのような音量だ。レミーリアは少し耳がキーンと痛くなった。
クラクラしているレミーリアにレクティの兄二人も話しかける。こちらは父親と違い普通の声量だ。
「いや〜大っきくなったね。いつもレクティと遊んでくれてありがとう。レミーリアちゃんが仲良くしてくれるから俺たちも安心だよ。あの甘えん坊の妹はいっつも『レミーレミー』って、レミーリアちゃんにべったりで迷惑かけてるでしょ? ゴメンね。まっ、これからも仲良くしてあげてよ」
「うんうん。何事もライバルがいると張り合いが違うからね。競い合えばお互いもっと強くなれるさ。頑張って! まぁそれはそうと、今日は楽しんでいってよ!」
前者の成人女性に向けたとは思えないセリフを言ったのが兄のコフィ。
後者のどこかズレたセリフを言ったのが弟のヴァニである。
顔は似ているが、体格はコフィの方ががっしりとしており、ヴァニは少し細めの体つきであった。
「ありがとうございます。レクとはこれからも仲良くさせていただきますね」
レミーリアは笑顔で返答した。ルシャと同様、いつものことなので、対応も慣れたものなのである。
近くにいたレクティは素面だったが、恥ずかしい身内に、顔が真っ赤になっていた。
ほどなくして集会所の扉が開き、ルシャに連れられて本日の主役が入ってきた。
杖こそ手に持っているが、確かな足取りで背筋をまっすぐに伸ばして歩く、白髪を丁寧に整えたクルス人の老人である。
一同は老人の方を向いて声を合わせ、老人を言祝いだ。
「「「リシャール様お誕生日おめでとうございます!」」」
リシャールは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。こうして今年もみんなに祝ってもらい、これ程嬉しいことはない。本当にありがとう」
よく通るはっきりした声だ。滑舌もしっかりしていて、とても老齢とは思えない。
60歳まで生きれば長生きと呼ばれるこの時代、89歳となった彼がこれほどまでしっかりしているのは、それだけで奇跡の様である。
花束は代表してレミーリアが渡すことになっている。彼女は一団から一人進み出て、笑顔でリシャールに花束を手渡した。
「リシャール様、おめでとうございます。みんなからの気持ちです」
リシャールは花束を受け取って、優しげな眼差しをレミーリアに向けるが、ほんの少し困った表情だ。
「ありがとうございます、レミーリア様。……前にもお願いいたしましたが、どうかわたくしのことはリシャールと呼び捨てにしていただけないでしょうか? あなた様に様を付けて呼ばれますと、どうにも落ち着かないのです」
リシャールは元々、レミーリアの曽祖母ミーリアに仕えたクルス人騎士である。
ミーリアは他領の貴族令嬢であり、スコルト男爵家に嫁いだ女性だ。リシャールはミーリアの実家の騎士であり、彼女に護衛として同行し、スコルトに移住したという経緯があった。
クルス人騎士であるリシャールが、スピリタス氏族長の祖父であることには理由がある。
リシャールはかつて、ミーリアとスコルト領を守るために強大な敵と戦った。そしてその力量を称えられ、リシャールは当時のスピリタス氏族長の妹と結婚し、子を成すことになったのである。
その後、本来であれば族長の子が氏族を継ぐのだが、族長には子がいなかったため、リシャールの子が継ぐことになった。
そういった奇縁の末に、リシャールはクルス人でありながらスピリタス氏族の長老として慕われるようになったのである。
レミーリアはミーリアに容姿が瓜二つらしく、リシャールは度々呼び捨てを希望している。
「そんな!? いくらリシャール様の頼みでも、その様に失礼なことはできませんわ」
だが、レミーリアは慌ててリシャールの願いを断った。彼女にとってリシャールは数々の偉業を成した伝説の騎士だ。恐れ多くて呼び捨てなどとてもできないのである。
「……残念です」
リシャールは少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうにした。
せっかくの誕生日なのにその様な顔をさせるのは申し訳ないと思ったレミーリアは、リシャールをイスに案内すると、もう一つのプレゼントを渡すことにした。
「リシャール様、今年もお料理をお作りいたしました。ぜひご賞味ください」
「ありがとうございます。レミーリア様お手ずからのお料理をいただけること、我が身に過ぎる果報にございます」
リシャールは顔を綻ばせ、主君にするが如く、レミーリアに恭しくお礼を述べた。
主役であるリシャールが席に着いたことにより全ての準備が整った。ボルモスが乾杯の音頭を取り、年に一度の祝宴が始まる。
リシャールはレミーリアの作ったポタージュを食べている。実に幸せそうな表情だ。
「ああ、何と美味しいポタージュだ。レミーリア様、また腕を上げましたな」
レミーリアも嬉しそうである。
「喜んでいただけて何よりです」
「このリシャール、喜びのあまり天にも昇る気持ちです」
いつお迎えが来てもおかしくない老人が言うとシャレにならないセリフである。レミーリアは泡を食った。
「おやめ下さいリシャール様!? せっかくの日に!」
リシャールはイタズラが成功した様な表情で朗らかに笑う。
「ご安心ください。わたくしはレミーリア様の花嫁姿を見るまでは死にません。もっとも、その日はどうやら近いようですがな」
どうやらレクティあたりから彼氏との仲睦まじさを聞いているらしい。
レミーリアは顔を真っ赤にして沈黙した。
その日のスコルトでは、リシャールの長寿を寿ぎ、各地で宴が開かれた。人々は天まで届けと彼を讃える歌を歌い、彼の偉業を語り合う。
この日の夜は長かった。
おまけ
誕生日会にはもちろん男爵家も呼ばれている。レクティはカールに料理を取ってきた。
「カール兄ぃ、レミーのポタージュ持ってきたよ」
「ありがとうレクティ。うん、レミーリアも更に料理上手になったね」
「……ねえ、カール兄ぃはお嫁さんが料理上手の方が嬉しい?」
「ん? 別にこだわりは無いけど? でもお嫁さんの手料理ってなんか憧れるね」
「そうなんだ……、私頑張るよ!」
「? うん、頑張って?」
ルシャは「よしっ!」と娘の決意に拳を握り喜んだ。




