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北方辺境の看板姫  作者: 山野 水海
第一章 スコルトの人々

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スコルトの名物ニワトリ

 週に一度の『エミール』の定休日。

 レミーリアとイングは二人でスピリタス郊外の牧場に来ていた。

 二人にとっては残念なことだが今回はデートではない。実際、二人は着飾ることもなく、動きやすさを重視した地味な鍛錬用の服を着ていた。

 二人が今日ここに来た目的は、自分たちのペットの世話をしに来た。ただそれだけである。しかし、二人のペットはいささか規格外であった。


 広大な牧場の端っこに一軒の小屋が建っている。そこが二人のペットの寝床だ。

 レミーリアは小屋の前に立つと大きな声でペットの名前を呼んだ。


「ネーロ、出てきなさい!」


 すると小屋の中から何かが起き上がる音がし、入口のスイングドアを押し開けて、一匹の黒い雄鶏が出てきた。

 雄鶏といっても、ただの雄鶏ではない。

 サイズがあまりにも巨大なのである。なんとその体高は大人の背丈と同等。レミーリアたちよりも大きいのだ。ニワトリとしてあり得ない大きさである。


 「特異個体」と呼ばれるものがこの世界には生息している。

 理由は解明されていないが、ごく稀に野生の動物の中に一頭だけ異常な成長をする個体が現れることがあるのだ。その個体が特異個体と呼称されるものである。

 特異個体は個々によって異常成長する部位が違う。

 体の巨大化、体毛の硬質化、知能の増加などその発達部位は個体によって様々だ。

 ただ体が一回り大きくなるだけの個体もいれば、前述の全てが発達する個体もある。

 過去の例を挙げるならば、牛くらいの大きさの猫が現れたこともあれば、見かけは普通だが爪が鉄を切り裂くほど鋭かった猫だったなど、一口に「猫の特異個体」と括ってもその実態はまるで別物なのである。

 発生率は極めて低く、一つの大陸で10年に一度発見されるかされないかといった確率である。故に、大多数の人間は一生涯、特異個体を見ることがない。

 特異個体はその希少性や強さ、かつて存在したと言われる神話の生物を想起させる見た目もあり、一部地域では「神話返り」や「神の使い」などと呼ばれることもある生き物だ。

 なお、貴族や好事家にとっては特異個体の剥製(や一部)を所持していることが最大級のステータスだったりする。


 さて、このレミーリアたちのペットであるネーロも特異個体の内の一体である。

 レミーリアたちとネーロの出会いはかなり特殊だった。

 昔、町の外で遊んでいたレミーリアとイングは偶然ネーロと遭遇。成り行きでネーロを怒らせ襲われたのだ。

 当時二人はまだ子供だったが、その時のネーロも特異個体として成長を始めたばかりでそこまで大きくはなく、身体能力も未熟であった。

 そのお陰もあって、激突の果てに二人は紙一重でネーロに勝利する。以来ネーロは二人に服従し、ペットとしてスコルトで暮らしているのだ。

 なお、出会いこそ命懸けの死闘をしたが、今では固い信頼関係で結ばれた仲良し主従である。

 因みに、朝一番に鳴き、その体格にあった馬鹿でかい音量で町の住人を起こしているのもネーロである。小屋が牧場の端にあるのも、声があまりにも大きいため、なるべく遠ざけられた結果であった。


 


「ネーロ、おはよう。元気にしてたかい?」


 イングが見上げながら話し掛けると、ネーロは「コケコッコー!」と高らかに鳴いた。

 空気が少しビリビリと震える。


「体調も良いみたいだ。大丈夫そうだねレミィ」

「そうね、イング」


 レミーリアとイングは満足げに頷いた。

 今日はこれからネーロに騎士団と模擬戦をしてもらう予定だ。具合が悪そうなら日を改めなければならないとこだった。


「ネーロ、今日は騎士団と訓練するわよ。ついてきなさい」


 レミーリアがそう言うと、ネーロは「コケ」と返事をした。

 どうやら人間の言葉を理解しているようである。知能も高いようだ。

 二人は馬に乗り、ネーロを連れて訓練場へ向かう。まだ約束の時間まで十分ある。気持ちゆっくりした道のりだ。

 ネーロの小屋があるのは、牧場の中でも牛と普通の鶏が飼育されているエリアである。そのため、レミーリアたちの後ろをネーロが、ネーロの後ろを子牛たちが連れ立って牧場の出口まで進んだ。

 のどかな光景である。


 牧場の出口。さすがに牧場の外に子牛は連れていけないので、ネーロだけを連れて二人は町に入る。すると、今度はネーロの後ろに町の子供たちがついてきた。


 町の住人たちは、ネーロを連れた二人に親しげに声を掛ける。


「おはようございますレミーリア様。それにイング君も。ネーロを連れてるってことは、また訓練ですか?」

「ええおはよう。そうよ。今日は騎士団に頼まれたの」


 レミーリアの言葉に街の住人は色めき立った。

 闘鶏という競技があるが、ネーロが相手にするのは人間、しかも完全武装の兵士だ。迫力は抜群だ。毎度多数の見物客が集まる、住民たちにとって人気のイベントなのである。


「おい、今日はネーロと騎士団の戦いだってよ! こりゃ見ものだぜ」

「よしッ、酒持って見物に行くか」


 食べ物の屋台を引いていた親父が、一緒にいた奥さんに尻を叩かれている。


「あんた、何ぐずぐずしてんだいッ! 急いで訓練場に行くよ! いい場所に陣取るんだよッ!」

「わかった……わかったってば! ……ったく、そう急かすなよ。せっかちなんだから」


 結局、子供のみならず大人たちもついてきた。




 訓練場には鎧姿の騎士たちが整列して待機していた。

 レミーリアたちが着くと、騎士団長のサルートが彼女たちを出迎える。


「レミーリア様、本日はご協力ありがとうございます。団員たちもネーロとの手合わせは普段とは違う訓練ができるので良い刺激になり、大変助かっております」


 騎士団が戦う相手はなにも人間ばかりではない。滅多に現れない特異個体は例外中の例外だが、熊だの虎だのが人里に降りてきて人を襲う事はままある。

 人間以外の動物と戦う経験を積むことは非常に大切であった。


「いいのよサルート。この子もいい運動になるわ」


 レミーリアは優しくネーロを撫でた。

 気持ちよさそうに目を細めるネーロ。戦闘前だがとてもリラックスしている。飼い主との絆の深さが見てとれた。


「……しかし、予想通り大観衆になりましたな」


 サルートが見渡すと、訓練場の周りには多数のヤジ馬が集っており、訓練開始を今か今かと待っていた。一部ではとっくに酒盛りを始めている。

 もちろん屋台も多数並んでおり、まるでお祭りのようである。


 呆れ顔のサルートは並んだ屋台の一角を指さした。


「あそこの辺りにいる屋台は、昨日騎士たちに訓練の話を聞いたらしく、朝一番で陣取っておりました。商売熱心なことです」


 あとで聞いたところ、屋台引きの間では朝一番で場所取り合戦が行われていたらしい。

 レミーリアを追いかけて後から来た屋台の親父は、奥さんに「アンタがすっとろいからッ!」と怒鳴られていたが、残念ながら勝負はそれ以前に決していたのである。


 レミーリアはさもありなんと何度も頷いた。


「同じ飲食店として気持ちはよく分かるわ」

「……屋台は出さないで下さいね」


 サルートは釘を指すように言った。

 もちろん、レミーリアにもその気は無い。今回はネーロの飼い主としてここに来ているのだ。ペットを放っておくような無責任なことはしない。

 サルートの言葉を、軽く手を振って否定した。


「そんなことはしないわ。見ているだけとはいえ訓練ですもの。そちらに集中するわ」


 サルートはホッと胸を撫で下ろした。

 レミーリアにはできれば訓練に集中していてほしかったのだ。


「助かります。お二人が見ていればネーロもやる気を出します。しかし、ネーロのテンションが上がり過ぎると重傷者が出るので、お二人の訓練参加はご遠慮していただきますが……」

「分かっているわ。昔、私たちと組んで張り切りすぎたこの子が、何人病院送りにしたか……」


 以前行われた訓練では、大好きなご主人たちとの共闘に奮起したネーロが大暴れをし、多数の怪我人を出してしまった。

 当時の見物人に今でも語り継がれるネーロの無双伝説である。

 ネーロは露骨に目を逸らしていた。




 訓練開始前、イングはネーロと共に訓練準備をしていた。ネーロのクチバシと足のツメに特製のカバーを付けているのである。

 ネーロのそれらはあまりにも鋭過ぎるので、そのままだと鉄の鎧を貫いて騎士たちに大怪我をさせてしまうのだ。万が一を防ぐための処置である。

 作業中のイングに、20代前半のクルス人女性が長い髪を風になびかせながら近づいてきた。肌寒いのかロングスカートを履き、ケープを羽織っている。知的で好奇心旺盛そうな女性だ。

 女性は手に紙束とペンを持ち、ニコニコと笑いながらイングに話しかけてきた。


「やあ、おはようイング君。今日のネーロの調子はどうかな?」


 イングは背後を振り向き、挨拶を返した。

 今日、背後の彼女がここに来ていることは予想していた。


「おはようございますキャティ先生。とっても元気ですよ」


 キャティはスピリタスで動物学者兼獣医をしている女性である。

 学者としてネーロに多大な学術的関心を抱いていて、その生態の記録に余念がない。今日もネーロの観察が目的で来たようだ。

 彼女は「それは何より」と言うと、手に持った紙に何かしらを書き留めた。


「先生、何を書いているんですか?」


 カバーをつけ終わったイングがキャティに尋ねた。

 キャティは怪しく笑う。粘着質で見ていて気持ち悪い笑顔だ。


「もちろんネーロの観察日記さ。私はこの貴重な資料を一つでも多く後世に残す使命があるからね。イング君には実感が無いかもしれないが、人間と共存する特異個体は史上例がないのだよ。これだけでも生物学の常識がひっくり返ったくらいさ。いやあ、私は幸運だよ。特異個体を間近で観察するのみならず、その成長過程をも記録できるなんて……フヒヒ。……おっと失礼、我ながら少々はしたない笑い声だったな」

「いえ、お疲れ様です」


 執心すら感じる熱のこもった語り口でそう返答するキャティ。途中気色の悪い笑い声が漏れたが、イングはそんな彼女に慣れているのかあっさりと流した。

 キャティは以前とある公爵領でお抱え獣医をしていた。だが、ネーロの研究をするために職を辞し、周囲の反対を押し切ってまでスコルトに来たのだ。

 しかもスコルト領に来る前、実家からは公爵家に失礼をしたという理由で勘当処分までされていたりする。

 それ程までに研究に人生をかけている彼女であるが、興奮している様子が気持ち悪いのであろう、当のネーロからは変態を見るような目で見られていた。


「よし、しっかり固定された。行っていいよネーロ。先生、失礼します」


 イングは最後に装着具合を確認すると、ネーロに騎士たちの所へ行くよう促し、自分もあとに続いた。

 ネーロはキャティから離れたいのか早足である。


「いやはや、特異個体相手に訓練だなんて、スコルトの騎士や傭兵は贅沢なものだ」


 キャティはネーロの背中を見送りながらポツリと呟いた。そして、ぐるっと観客たちを見回す。


(帝都の闘技場でもこんな興行は見られない。もし仮に開催されたとしたら、その観戦料は果たして一体いくらになるのか……。そう思えば私も充分贅沢者か)


 キャティは、自分も始まる前に何か買っとくかと、屋台の方へ向かうのだった。




 ネーロの準備ができたので、サルートは訓練開始の号令を掛けた。


「これより対特異個体戦を想定した特別訓練を開始する! 第一班前へ!」

 

 列の中から8名ほどの騎士が前に進み出た。彼らは各々装備を構え、ネーロに相対する。


「始めッ!」


 サルートの声が響き、本日の訓練が始まった。

おまけ


ネーロとキャティの初対面


ネーロ視点

(なんだこの女。ご主人たちが『我慢しろ』と言うから我慢するが、ハアハア息を荒げながら体中をまさぐられるのはかなり気色悪い。そうか! これが人間たちの言う“変態”というやつか!)

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