20年前 オリヴァとバルセロ
オリヴァは傭兵たちによって半ば無理矢理『エミール』へと連れ込まれた。
店内ではクルス人キルト人関係なく酒を飲み、賑わいを見せている。
そんな平和な光景であっても、凶悪そうな男たちに囲まれ、今まさに命の危険を感じているオリヴァには関係ない。すっかり血の気が引いて顔は真っ青だ。
「いらっしゃいませ! あれ? お連れさんは初めての方ですね?」
オリヴァたちの来店に気づいた若い男性店員が、元気な声で彼らを出迎える。若かりし日のブルーだ。
傭兵たちはニヤニヤ笑いながらオリヴァを紹介した。
「おう、ブルー。そうだぜ。こちら、新しくスコルトに赴任してきたオリヴァ神父さんだ。《素面知らず》のアンヴァーの旦那の後任だとよ。……な?」
「はい……」
肩に手を回し馴れ馴れしい態度でオリヴァをアンヴァーの後任だとブルーに説明する傭兵。
そうだよなと尋ねられたオリヴァはか細い声で返事をした。
「あー……その……よろしくお願いします、オリヴァ神父様……」
今にも倒れそうである。ブルーも見ていて気の毒だった。
できれば助けてあげたいくらいだ。
「おっとそうだ。今日、バルセロ来てるよな? どこだ?」
傭兵はそうと言うと店内を見渡す。広くはない店内だ。目的の人物はすぐに見つかった。
「おーいバルセロ! ちょっといいか?」
傭兵たちはオリヴァをバルセロの席まで連れて行く。残念ながらブルーが助け船を出す暇などなかった。
周りの客はオリヴァの服装を見て、この後何があるかを察し、ニタニタ笑ったり、趣味が悪いと辟易したりしていた。
「お前に紹介したい人がいるんだ」
傭兵たちはオリヴァを押し出すようにバルセロの前に立たせた。にやけ面でバルセロにオリヴァを紹介する。
「バルセロ、こちらの方はオリヴァ神父さん。何でも今日スピリタスに着いたらしく、アンヴァー神父の後任だそうだ」
バルセロは傭兵たちが自分に何をさせたいかを理解し、強面の髭面で愛想良くニヤッと笑って挨拶をした。
「はじめましてオリヴァ神父さん。俺はバルセロ。人呼んで《神の声を聞いた》バルセロだ。よろしくな」
「神の声を聞いた……?」
「おう。俺は昔、神様に話しかけられたことがあんだよ」
バルセロの自己紹介に、オリヴァは恐怖を忘れて呆気に取られた。
言うまでもなく「神」という存在は、それぞれ一神教と多神教の違いはあるが、クルス人キルト人関係なく恐れ多いものである。
その声を聞いたという類いの話は古今東西幾つも伝わっているが、目の前に現れたのは初めてだ。
それ以前に、そもそも彼が言っているのは本当の話なのだろうか? ただのホラ話なのではないだろうか?
とはいえ「神」の名を使い冗談を言うのは、キルト人の感性は知らないが、少なくともクルス人の常識ではかなり不謹慎だ。
となればバルセロという傭兵が神の声を聞いたというのは、嘘偽りない真実なのだろうか?
アルコー教では、真に神の声を聞いのであれば聖人に認定されるであろう。果たして目の前の恐ろしい傭兵はそれに等しい存在なのだろうか?
――と、そこまで考えたところでオリヴァはハッと我に返り、慌てて挨拶を返した。
「あっ、いや、失礼しました。はじめまして、オリヴァと申します」
発言を疑ったなどと因縁をつけられては堪ったものではない。オリヴァは取り繕うように深々と頭を下げた。
バルセロはその反応を予想していたのか、特に腹を立てる様子もなく、慣れた様子で話を続けた。
「おう。まっ、座れや。――さてと神父さん。言ったように俺は昔、神様の声を聞いたんだが、その時のことで、どーしても分からないことがあるんだ。良かったら話を聞いてくれよ」
「あっはい、私でよければ」
オリヴァは戸惑いながらも承諾した。逃げ難くなるので座りたくもないが、イスにも座る。
バルセロは「ありがとよ」と言うと、エールをグイッと飲んで喉を潤し、話し始めた。
「俺はその日もこの『エミール』で飲んでいたんだ。仲間と閉店まで飲んでな、いやー盛大に酔っ払ったぜ。そんで家に帰る途中、ああ、神父さんはまだ知らないか。あっちの方に雑貨屋があるんだよ」
バルセロは壁を指さし、話を続ける。
一応は相談らしいので、根が真面目なオリヴァはしっかりと話を聞いていた。
「そんでな、その雑貨屋で飼ってるワン公が俺の方をじっと見ているんだ。まあ、おかしな話じゃねえ。けど、その日に限ってそれが妙に気になってな。俺はなんだか様子が変だと思ってその犬に近づいたんだ。そしたら犬が突然パカって口を開いて、なんと人間の言葉を話し出したんだ!」
とてもではないが信じがたい話にオリヴァは仰天した。
「犬が人の言葉を!? 本当ですか!?」
「本当も本当だ。俺ははっきりと聞いたぜ。キルトの神々と先祖たちに誓ってな」
神々と先祖に誓いを立てることはキルト人にとって神聖なものである。嘘や冗談で口にするなど決して許されない。この時ばかりはバルセロも真面目な口調である。
オリヴァも、異教とはいえ神に誓われたら信じない訳にはいかない。ここまで半信半疑で聞いていたが、これは本当にあった話なんだと気持ちを入れ替えた。
「それで、その犬は何と言ったんですか?」
オリヴァが肝心なことを尋ねると、バルセロはそれだとばかりに続きを話し始めた。雰囲気を出すためか、やや前のめりになり、声のトーンが落ち着いたものになる。
「その犬はこう言った。『おお、勇敢なるバルセロよ。困難な戦いが其方を待っている。心せよ』ってな。俺は瞬時に悟ったね、これは神の言葉だとな」
オリヴァはバルセロの真剣な語り口に思わずゴクリと唾を飲む。
犬が人の言葉を喋るなどあり得ない事だ。ましてやそれ程しっかりした意味ある言葉を。
バルセロがそれを神の言葉だと考えるのも当然だと思えた。
「俺は酔いもすっかり覚めて、来るべき戦いに備えるために家に急いで帰った。いやー思い返しても、あの時の俺は人生で一番“戦士の覚悟”ってやつを決めてたな」
バルセロは腕を組み、懐かしそうにウンウンと頷いた。
オリヴァは真剣な面持ちで話の続きを促した。
「それでその“困難な戦い”というのは訪れたのですか?」
バルセロは待ってましたとばかりに続きを語った。
「おう、直ぐに訪れたぜ。家に帰るとカンカンに怒った俺のツレが待ってたんだ。その日は結婚記念日でな、俺がすっかりそれを忘れて夜遅くまで飲んでたんでアイツはブチギレてたんだわ。いや〜長く苦しい戦いだったぜ。許してもらうまで、ひたすら殴られながら謝り倒したんだからな」
オリヴァがマヌケ面で「へ?」と言うと、周囲の客は手を叩いて爆笑した。バルセロもヒーヒー笑いながら話を続ける。
「聞きたいのはそれなんだよ神父さん。あれは間違いなく神の言葉だった。だけどな、語り部の婆さんに聞いたら、キルトの神々が人に何かを告げる時は、必ず鳥の体を借りるって言うんだ。てことはだ、あの神様はクルスの神だったんじゃないかと思うんだが、神父さんはどう考える?」
バルセロはそう尋ねると、小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑い、オリヴァの様子を伺った。
周りの傭兵たちも同じ表情でオリヴァが何と言うかを待っていた。
確かにバルセロがかつて犬が喋るのを聞いたことは本当の話なのだろう。誓いまで立てているのだ。
しかし、それを言ったのがクルス人の、つまりアルコー教の神ではないかと神父であるオリヴァに尋ねるのは明らかに侮辱目的だ。
傭兵たちはハナからオリヴァ――アルコー教の新人神父を小バカにして酒の肴にするつもりでこの店に連れてきたのだ。
「そうですね……」
が、ここにいるオリヴァは、バカはバカでも、バカ真面目である。答えを求められたら考えてしまうのだ。
流石にオリヴァも彼らの目論みに気づいているが、根っからの理屈屋として納得いく解釈を求めてしまう性分なのである。
オリヴァは目を閉じて少し思案したかと思うと、おもむろに口を開いた。
「私の知る限り、記録に残っている今までの事例では、我らが神が人々に何かをお告げになられる際は夢の中で行われるか、天使様をお遣わしになられます。また、夢の中でお声を聞いたという事例では、神の御姿は男性、または光り輝き直視出来なかったとあります。寡聞にして犬の体を借りた事例は存じません」
大真面目に答え始めたオリヴァ。
周囲の男たちは、先程までビクビク怯えていた若造が急に学者然とした態度でスラスラと話し出したので驚く。
「しかし、犬が人間の言葉を喋るとは、まさしく超常のことです。神にしか成し得ぬことでしょう。となると考えられるのは、我らが神が新しい方法として犬の体を借りたか、私たちの知らない土着の神がバルセロさんを助けたかのどちらかであると思います」
店内の客たちは想像とは違うオリヴァの答えに沈黙した。
もっと怒るとか喚くとか、そんなリアクションを期待していたのだ。まさかバルセロの話を肯定するなんてカケラも思ってなかった。
バルセロも戸惑っているが、何とか口を開いて言葉を発した。
「……それじゃあアンタは俺の言うことを信じるのか? クルスの神が俺を助けたかもとか、どっかの神様がいるかも、とか言うのか?」
とてもじゃないが信じられないといった口ぶりである。彼は仕事で帝国各地に行くたび、僧侶に絡んでは今の話をして揶揄っていた。だが、真摯に答えを返されたのは初めてである。
オリヴァはしっかりと頷いた。
「はい。貴方がお誓いになられたことですので疑ったりなどしません。正確なことは私の乏しい知識では分かりませんが、私なりにお話を解釈したらそのような結論になりました」
バルセロはしばらく黙っていたが、突然破顔してオリヴァの肩を何度も叩き始めた。
「そうかそうか、そういう答えか! アンタ良い奴だな! 俺があちこちで会ったクルス坊主に今の話をしたらなんて言ったと思う? 『我らの神が異教徒の前に現れるはずが無い』とか、『神が犬畜生の姿になるなど、何たる侮辱』とか言ってキレるんだぜ。終いには罵詈雑言どころか石まで投げてくるんだ」
周りの客たちもオリヴァの答えに微笑みを浮かべていた。
バルセロは面白くて仕方ないという顔をして、
「アイツらは、はなから異教徒の話なんて信じようとしないが、神父サン、アンタは違った。ククク、それにしても唯一神とか言ってるアルコー教の神父が“土着の神”とはね。教義に凝り固まってたら、そんなセリフは出てこねえ。アンタは話の分かる神父サンだ」
と言うと、店内を見回して大声で宣言した。
「よしッ、今日からこの神父サンは、《話の分かる》オリヴァだ! 神父サン、今日は俺の奢りだ好きなだけ飲んでくれ!」
この瞬間、オリヴァは二つ名持ちとなった。
つまり、語られるに値するだけの事をしたとバルセロが認めたということである。
「おお、《話のわかる》オリヴァか! いい二つ名だな!」
「おめでとう! 良かったな神父さん!」
「今日からよろしくな、《話のわかる》オリヴァ!」
店内に盛大な拍手が鳴り響く。
キルト人にとって二つ名は神々に認められる為の第一歩。言祝がれるべき慶事である。
客たちは口々にオリヴァを祝福し、我がことのように喜んだ。
「へッ!? 《話の分かる》? 一体何をおっしゃって?」
店内に歓声が上がるなか、オリヴァは話について行けず一人オロオロしていた。
その後はもう、どんちゃん騒ぎである。
オリヴァは「酒は飲まない」と言ったが、誰も話を聞かず、結局たらふく飲まされることになった。オリヴァは自身がザルどころかワクであることをこの時初めて知ったのである。
教会に戻ったオリヴァから酒の匂いがしたのでアンヴァーはニンマリと笑った。
堅物の若造と思ってたら、酒くらいは嗜むらしいと勘違いしたのだ。
自他共に認める酒好きとしては、これだけでオリヴァの評価が上がるというものだ。
「おっ何だ何だ、酒を飲んできたのか。スコルトの酒は美味いだろ?」
オリヴァは不本意な誤解をされていると気づき、ブスッとした顔で反論した。
「無理矢理飲まされたのです。確かに美味しかったですが」
「ほほう」
街に出たこの青年は何かしらの騒動にあったらしい。しかも羨ましいことに酒を飲まされている。
見たところ怪我はしていないようだが、さて何があったのか。
アンヴァーはクククと笑うと、「何があった?」と尋ねた。
オリヴァは不貞腐れながら教会を出たあとにあったことを説明するのであった。
「――最後には『今日からアンタは《話の分かる》オリヴァだ』だなんて言われて、それから散々に飲まされました。キルト人に二つ名をつける風習があるのは知ってましたが、まさか私にまでつけてくるなんて」
アンヴァーはオリヴァの話を聞くと嬉しそうに大笑いした。
嬉しい誤算である。まさかスコルトに来て初日で、キルト人から二つ名まで付けられるほど受け入れられるとは思いもしていなかった。
水が合うかもしれないとは言ったが、正直驚いている。
「ハッハッハ、いや〜安心した! お前さんはここで上手くやっていけそうじゃないか。よしっ、寝る前に飲み直すか!」
そう言ってアンヴァーが酒瓶を差し出すと、オリヴァは「もう結構です!」と憤慨して自分の部屋に帰っていった。
アンヴァーはその背中を見送り、フッと心から安堵したように笑うと一人で酒を飲んだ。
ーー現在の『エミール』店内
「――それが私のスコルトに来た日でした」
オリヴァは酒瓶を逆さにし、最後に残った分をグラスに落とした。
「あの時はスコルトで自分がやっていけるとは思っていませんでしたが……まぁ見ての通りです」
自嘲的に笑うオリヴァ。いつも冷静で落ち着いた彼にしては珍しい表情である。
レミーリアはふと疑問に思ったことをバルセロに尋ねた。
「バルセロさんはアンヴァー神父様にもその神様のお話をされたんですか?」
「ああ、したぜ。アンヴァー神父さんは俺の話を聞くと、『神にお会いするには酒を飲めば良いのか』って言って、ここでいつも以上に飲んで潰れたよ。俺が教会まで担いでやったんだ」
レミーリアは乾いた笑いを漏らした。少し話を聞いただけだが、いかにもそう言いそうである。
こちらも初めて聞いたのか、オリヴァは頭を抱えて、いい加減にしてほしいと文句を言っている。
「お酒なら何時でも飲んでらしたでしょうに。あの方は何時もそうだ。最後の遺言も『美味そうな酒があったら飲んで、墓前で味を教えてくれ』でしたし、最初から最後までお酒でした」
バルセロは懐かしむ様に頷いた。
「あれほどの酒好きだ。間違いなく神々の目に留まり、永遠の宴に興じているだろう」
「一応アレでもアルコー教の神父なのですが……。いえ本人はそちらの方が喜ぶでしょうけど……」
酒に釣られて喜んで改宗するアンヴァーの姿が目に浮かぶようで、オリヴァは複雑そうに口籠った。
オリヴァとバルセロは並んで夜道を歩いている。吐く息は白く、雑貨屋では3代目の犬が寝ていた。
「……久しぶりにアンヴァー神父の話をしました。今思えば、あの方は本当にスコルトに相応しい神父だったのですね」
オリヴァはボソっと呟いた。
とても尊敬できる相手ではないが、20年スコルトで過ごした今、心からそう思った。
バルセロもそれに同意する。
「ああそうだな。スコルトでやっていくにはあれくらい常識外れな方がちょうどいいんだろうさ」
そう言うと、バルセロはニヤっとオリヴァに笑いかけた。
「だがな、神父サンは《話の分かる》男だ。世の中に蔓延っている堕落しきった坊主や、自他ともに厳しい頑迷な坊主なんかと違って、アンタもスコルトにピッタリな神父だよ」
オリヴァはまるで誰かに語りかけるように一度空を見上げると、静かにバルセロの方へと顔を向けた。
「そう言っていただけるなら幸いです」
オリヴァは微笑んだ。
補足
雑貨屋の犬(初代)
バルセロの体験によって《神犬》クロと呼ばれることとなる。名前は毛色から。因みに3代目の名前はシロブチ。




