プロローグ
昼下がりの人通りまばらな街中を、二人の旅人が連れ立って歩いている。
二人とも歳の頃は20くらい。どちらも髭を無造作に伸ばしており、揃いも揃って人相は悪い男性だ。長旅のせいか、もしくは彼らがズボラなのか、ずいぶんと泥で汚れた旅装を身に纏っている。ただの旅行者にしてはどうもガラが悪く、まるでチンピラみたいな男たちであった。
「ずいぶんと子綺麗な町じゃねえか。ここが本当にあのスコルトなのかよ?」
「だな。てっきりスラムみてえに臭くて汚ねえ所だと思ってたぜ」
「まったくだ」
二人は辺りの街並みを物珍しそうにキョロキョロと見ながら驚いたように言った。初めて訪れる町に対して随分な物言いである。
スコルトとはこの地の名前だ。スコルト男爵領。大陸北方の端にあり、スコルト男爵家が治めている、マーティン帝国最北の地である。
「けどよ、どうやら間違いなさそうだ。おいゴッサン、アレ見ろよ」
「ん? 何かあったの……うげっ、マジか!?」
ゴッサンと呼ばれた男は、思わず引き攣った声を上げてしまった。
相方が視線で促した先には、大勢の取り巻きを従えた、いかにも荒ごとに慣れてそうな大柄の髭男がいた。距離が離れていたため声は聞こえていなかったようで、二人に目を向けることはなかった。
二人は髭男たちから逃げるようにそそくさとその場から離れる。
「ドージ山賊団首領の《悪鬼》ダン。手配書で見た通りのツラだ。一緒にいたのは手下か? けどよスモーキー。やつらは東にあるロジェ子爵領だかを根城にしてるんじゃ……?」
「何ヶ月か前だったか、アイツらを討伐しようとした地元の騎士団を返り討ちで皆殺しにしたって話があったろ? 懸賞金も跳ね上がってる。このスコルトでほとぼりを冷ましてるんだろうさ」
「なるほどな……。もしかして一緒に暴れたっていう用心棒の《血塗れ》ティンバーもあの中に……?」
「かもな。あんなヤベェ奴らが堂々と道を歩いてるんだ、やっぱりここは噂通りの町だぜ」
訳知り顔で自分の見立てを述べるスモーキーという名前の男。
相方のゴッサンは納得したように頷くと、薄汚れた髭面でふてぶてしくニヤリと笑った。
「……悪党共の巣窟、異端者と異民族の住処、無法者が支配する土地スコルトか。へへっ、俺たちにはピッタリじゃねえか!」
その言葉にスモーキーも同意し、大いに気炎を吐いた。
「おうよ! それに、この町でちょいと名を上げれば、どこぞの大親分の目に留まるかもしれねえ。そんでスカウトでもされれば、俺たちはあっという間に大出世だ!」
「そうだ! 俺たちはチンケなギャングの下っ端で収まる男じゃねえんだ! 一旗あげようぜ相棒!」
「おう!」
二人は少し前まで地方都市の中規模ギャングの一員で、本人が言うようにうだつの上がらない下っ端であった。
しかしある日、珍しく任された大口のシノギでポカをしてしまう。二人は組織からの制裁を恐れ、追っ手から逃げに逃げて、北の辺境スコルトまで流れて来たのであった。
そんな地元に戻れない事情から目を背け、街角で調子の良い夢物語を語る二人。その熱を冷ますかのように二人の間を冷たい風がピュウと吹き抜けた。
ブルリと身体を振るわせ、二人は肩を窄める。暦の上では春なのだが、ここは大陸北端の町。目と鼻の先には海もある。内陸出の二人には厳冬のように感じるのである。
「……しっかしクソ寒いな」
「おう、それに腹も減った。まずはどっかでメシにしようや」
「だな」
「どっかにメシ屋は……ああ、ちょうど良い。そこにあるじゃねえか」
キョロキョロと辺りを見回すと、スモーキーは労せず店を見つけた。『食事処 エミール』と書かれた看板を掲げる、ごく普通の飲食店である。そこそこ繁盛しているようで、窓からはちらほらと地元民らしき客の姿も見えた。
見知らぬ町であてどなく店探しをしたくない二人は、「寒い寒い」とぼやきながら、その店へと真っ直ぐ向かうのであった。
「いらっしゃいませー」
二人が店のドアを開けると、すぐさまウェイトレスの声が出迎えてくれた。若い女性の声だ。ハキハキとして元気がよい。
「おっ!」
「へぇー……こいつはたまげたぜ」
目線をその声の主に向けた二人は思わずニヤけてしまう。
ウェイトレスの少女が、普段二人が決してお目にかかれないような美少女だったのだ。
丁寧に手入れされた輝くようなセミロングの金髪。シミ一つ無い美しい肌。透き通った青い目。どこか気品を感じさせる優しげな顔立ちをしており、非常に愛らしい。歳は15か16くらいであろうか。周りを明るくさせるような雰囲気を持つ、溌剌とした少女である。
着てるものこそありふれたお仕着せだが、その美貌は、こんな田舎の飲食店で働いているのが場違いな程である。二人は内心、この少女がいるだけでもこの店はアタリだなと思いながら中に入った。
「そちらのお席へどうぞ」
少女に促され空いているテーブル席に座る。同時にメニューも渡された。……が、二人は文字を読めないのでそれは直ぐに脇にのけられた。
「おう姉ちゃん、メニューなんてお高くとまったもん出さないで、なんでもいいからメシをくれ! あと酒な!」
ゴッサンは上機嫌でウェイトレスにそう言った。ウェイトレスの美しい容姿に気を良くしたのか、物言いは粗暴だが、これでも彼にしては優しく言った方である。普段の彼ならカタギに対してもっと横柄である。
「……はい、かしこまりました。少々お待ちください」
一瞬ピクリと眉が動いたが、ウェイトレスの少女は笑顔を崩さず応対し、厨房へと注文を告げに行く。
そして、ジョッキにビールをなみなみと注ぎ、両手に持って二人のテーブルへ戻ってきた。
「お先にビールをお持ちしました。料理の方は当店自慢の魚料理を後ほどお持ちします。どうぞごゆっくり」
少女はビールをテーブルに置き、それだけ言うと、用は済んだとばかりにそそくさと二人のテーブルから離れようとする。
だが、そこにゴッサンがニヤけた顔で声を掛けた。
「おいおい、まあ待てよ。俺ら今日この町に来たばかりなんだ。ちょっと話しに付き合ってくれねえか? 町のこととか、アンタこととか、色々と教えてくれよ」
そう言って少女の腕を掴もうとしたゴッサンだが、伸ばしたその手はあっさり避けられ、虚しく空を切った。
「仕事中ですので、ご遠慮させていただきます」
貼り付けたような笑顔でそう言った少女は、今度こそその場を離れた。
「……んだよツレねえな」
「はっ、ちょっとツラが良いからチヤホヤされてんのさ。ガキのくせして鼻持ちならねえな」
面白くなさそうにボヤいたゴッサン。スモーキーはウェイトレスの後ろ姿を見ながら鼻を鳴らして悪し様に吐き捨てる。
「……まあ、先ずは飲もうや兄弟」
だが、せっかくの酒を前にして、いつまでも愚痴ばかりは言っていられない。
スモーキーはジョッキを手に取り、取りなすようにそう言った。
単純なゴッサンも、それもそうだとジョッキを掴む。
「おう、俺たちの門出に乾杯だ!」
「「乾杯!」」
二人はガツっとジョッキをぶつけて乾杯し、グイッと大きくビールを煽った。
長旅の疲れもあってか、ビールは実に染み渡る。二人はゴクッゴクッと喉を鳴らし、一息で半分も飲み干してしまった。
口を離せば、たまらずプハッと満足げな声がでた。
「かぁ〜美味い! こんな酒、初めてだ!」
「凄え美味え! こりゃいくらでも飲めそうだ!」
スコルトの酒は出来が良いらしい。
今まで安物の酒しか飲んだことのない二人にとっては、まるで天上の美酒を飲んでいるかのように感じたようだ。
「一杯や二杯じゃぜんぜん足りねえな! 樽ごといけそうだ!」
「まったくだ! おい、おかわりだ! じゃんじゃん持ってこい!」
「料理はまだか? 早く持ってこい!」
たった一杯で気が大きくなった二人は、ガラの悪さを隠しもせず大声で注文を飛ばした。
昼過ぎという時間帯のせいか他の客は女性客が多いのだが、誰もが迷惑そうな眼差しを二人に向けている。
だが二人は毛ほども気にしない。このような目線を向けられるのは二人にとって日常茶飯事。慣れ親しんだ当たり前のことなのだ。
店員に怒鳴るのも当然。周りに迷惑がられるのも当然。そして自分たちが暴力でやりたい放題するのも当然。そう思っていた。
――つい先程まで自分たちがこのスコルトをどのような町だと恐れていたかも忘れて……
「ツケだ!」
「……はい?」
オボン片手にテーブルの上のジョッキを片付けていたウェイトレスの少女は、すっかり酔っ払ったゴッサンに唐突にそう言われた。
ゴッサンとスモーキーはその後、浴びるほど酒をかっくらい、注文した料理を散々に食い散らかした。
その結果、二人して見事に泥酔状態。顔は真っ赤に染まり、目は据わっている。
呂律はまだ回っているが吐く息は酷く酒臭い。気もかなり大きくなっているようで、殊更に声が大きくなっていた。
「だぁから、食ったから帰るっつてんだ! わかったか!」
酒でタガが外れ、恥も外聞もなく怒鳴り散らすゴッサン。どうやら食事代を払う気はなく、ツケと言い張って踏み倒すつもりらしい。
同じく酔っ払っているスモーキーも、相棒と同じように声を荒げる。
「俺らを誰だと思ってやがんだ! いつか払うんだから文句ねえだろ!」
「……」
少女の顔から営業スマイルが消え、目が苛立たしげに細まる。片付け途中のジョッキを握る手に力が入った。
少女が生意気にも怒っていると思ったゴッサンは、怒り顔から一転、いやらしく笑みを浮かべる。そして、おちょくるように言った。
「おう姉ちゃん、気に食わないか? まあ、この店の酒とメシは美味かったからな。カネを払ってやってもいいぜ。……ただし、姉ちゃんがその身体で俺たちにもっとサービスをしてくれたら――」
バゴンッ!
瞬間、ウェイトレスの少女は手に持ったジョッキをゴッサンの脳天になんの躊躇いもなく振り下ろした。
「がはっ……」
一撃で意識を刈り取られテーブルに沈むゴッサン。ジョッキは砕けていない。殺さない程度の手加減はしているようだ。
「――なっ!? おいっテメ――」
暴力とは無縁そうな少女に相棒がいきなりやられ唖然とするも、すぐにカッとなり少女の方へ顔を向けるスモーキー。彼の眼前にはものすごい勢いでオボンが迫っていた。
「レミィ、大丈夫だった?」
気弱そうな少年が厨房から顔を覗かせ、ウェイトレスの少女に向けてそう言った。
どうやらこの店の料理人であるらしく、手には包丁を持っている。
「平気よイング。ただのチンピラよ。大したことなかったわ」
そう答える少女は、困ったようにテーブルの上で伸びている二人を見下ろす。
散らばった皿やジョッキも片付けなければならないが、何よりこの二人のチンピラを然るべき所に運ばなければならない。具体的には、留置所がある騎士団の詰め所である。
「さて……どうしようかしら? ウチの騎士を呼んで、運んでもらいたいのだけど……」
呼びに行っている間、ロープか何かでふんじばって逃げられないようにしないといけない。
少女がロープを取りに行こうとした時、店のドアが開かれた。
「おいおい、なんだか騒がしいと思って入ってみれば……一体どうしたんだ?」
「あら、ダンさん!」
そう言って姿を現したのは、先程ゴッサンとスモーキーが見かけた髭の大男、《悪鬼》ダンである。後ろには数名ほど手下もいる。
ダンはズカズカと店に入ってきてテーブルの上の二人を見つけると、面白おかしそうに言った。
「なんだコイツら見ねえ顔だな、ヨソ者か? レミーリア嬢ちゃんがノシたのか?」
「ええ、まあ」
状況から察してそうあたりをつけたダン。ほぼ間違いないだろうという口ぶりであるし、実際に当たっている。
「何したんだコイツら」
「レミーリアちゃんに喧嘩売るなんてバカだねぇ」
「あーあー、こんな散らかしちまって。大変だ」
後ろの手下たちも野次馬気分で覗き込んでいる。そんな彼らに女性客たちが「ちょっと聞いてよ」と、口々に事情を説明しようとし始めて、店内はにわかに賑やかになった。
「レミィ、ロープ持ってきたよ」
「あっ、ありがとうイング」
いつの間にかイングと呼ばれた少年がロープを持って厨房から出てきていた。
ゴッサンとスモーキーの二人は意識を飛ばしたまま縛られ、床に転がされることになる。
「よしっ、それじゃあこのボケどもは俺が見といてやるから、嬢ちゃんは片付けしときな」
ダンはそう言うと、縛られたゴッサンとスモーキーの側に椅子を置いてドッカリと座った。
「いいんですかダンさん?」
「ああ、別に構わねえよ。実家のお袋のとこに顔出した帰りで暇してんだ。礼してくれるってんだったら、あとで酒の一杯も奢ってくれや」
豪快な笑顔で少女にそう答えたダン。
悪逆非道の大罪人ではあるが、地元の知人に対してはかなり面倒見がいいようだ。部下に慕われてそうである。
ダンは手下の一人の方を向いて、クイっと顎をしゃくった。
「オメェ、ひとっ走り詰め所まで行って、騎士の兄ちゃん呼んでこい」
「へい、お頭」
指示を受けた男は走って店を出た。
山賊なのに騎士団の詰め所に行くことに何の躊躇もない。捕まる心配をしていないどころか、ダンの口ぶりでは親しげですらあった。
この町のいかがわしさが垣間見えるようである。
しばらくすると、先の手下が騎士を3名ばかり連れて戻ってくる。
その時にはもう目を覚ましていたゴッサンとスモーキーだが、ダンに恐れをなしてガタガタと震えており、抵抗することなく連行されていった。
ダンとその一味は、仕事は終わったとばかりに酒を注文し、景気よく飲み始めている。
店には一人、調書作りの為にやる気のなさそうな若い騎士が残った。今はウェイトレスの少女に話を聞いているところである。
「今回は災難でございましたね、レミーリア様」
騎士から様付けで呼ばれた少女は、やれやれと首を振る。
「偶にああいう手合いが来るのよね。困ったものだわ」
「あの流れ者も、よりによってこの店に来るとは……。まあ、聞くところの態度なら、どの店に行っても同じ結果になっていたでしょうが」
「そうでしょうね」
二人は揃ってため息を吐いた。
他所から流れてきたチンピラがスコルトで暴れることはままある。大抵の場合は今回のようにあっさりと叩きのめされ捕まり、地元へと強制的に帰らされる。
なお、喧嘩を売る相手を間違えたら二度と帰れない。
「――時にレミーリア様、どこかお怪我は? 叩いた時に手を痛めたり、ロープで縛る際に擦り傷がついたとか?」
若い騎士は念の為といった感じでレミーリアと呼ばれた少女に尋ねる。何故か、無傷であってほしいというより、怪我を期待するようなニュアンスである。
そんな騎士に、レミーリアは苦々しい表情で両手を開いてみせた。
「幸いこの通り無傷よ」
開かれた両手をしっかり確認し、騎士は残念そうにぼやく。
「……おっしゃる通りですね。レミーリア様にかすり傷一つでもあれば、あのヨソ者を心置きなく合法的に即日死刑にできたのですが……」
「あなたねぇ……勾留しておくのが面倒だからって、仮にも騎士が私の怪我を望まないでちょうだい」
レミーリアは心底呆れた様子で額に手を当て、そう言った。
何故レミーリアが傷ついていれば犯人を死刑にできるのか?
実を言うと、彼女の名前はレミーリア・スコルト。この地を治めるスコルト男爵家の次女なのである。
普段は本人の希望で『食事処 エミール』の従業員を勤めているが、れっきとした貴族のご令嬢である。
また、チンピラをあっさりと叩きのめせるほど強いが、れっきとした貴族のご令嬢である。
挙げ句の果てに、凶悪犯とも親しげに会話をしているが、れっきとした貴族のご令嬢である。
そしてこの物語の主人公でもある。