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【第二節】 奈落の底に見た世界

・この物語は自分の理想とする〝侍〟の姿を拙いながらも描いています。


 目を通していただく読者の皆様とは主人公のイメージを共有できればと思っています。それでは本編をお楽しみ下さい。



 ――目を覚まして、篠塚左一くん。



 誰かに名前を呼ばれた気がした。

 それは脳に直接語り掛けてくるようなクリアな声色で、停滞していた左一の意識を覚醒させるには充分だった。

「お主は? ここは一体……」

 瞼を見開いた先に立っていたのは、深緑色の髪を肩口で切り揃えた青年だった。

 黒いローブを纏った姿は異国から来た宣教師に近しい印象を覚える。

 さっきの声はおそらく彼のもので間違いないだろう。


「――」


 だが、青年は爽やかな笑みを浮かべるだけで何も話そうとない。

 周囲には何もなく、ただただ暗い闇が永遠と続く虚無を体現した景色が広がっていた。彼が何者で、自分の身に何が起こったのか。これでは何も分からない。


 記憶もどこか曖昧だった。


 ただ一つ。

 誰かを必死に追い求めていたような気がするが、どうしても思い出せない。

 こんなところで時間を無駄にしている場合ではないことも何となく理解できた。

 しかし、どこへ向かったものか皆目見当がつかない。


「くすっ」


 心情に合わせて忙しなく変化する左一の表情に、青年の口元が微かに綻んだ。

「何がおかしい? そんなことよりお主は何者だ?」

 鋭く睨みつけると、青年は申し訳なさそうに口を開こうとして――次の瞬間、唐突に崩壊した。


「なっ⁉」


 驚く左一を余所に青年の体は極小の正六面体に分割され、まるで砂のようにボロボロと零れ落ちていく。

 その現象には当事者である彼も少し驚いた様子だったが、達観したような笑みを浮かべると、また頭の中に声が響いた。


 ――キミを歓迎するよ。ようこそ、僕たちの世界へ。


 そして世界は暗転し、有無を言わせず左一の意識は再び闇の底に沈んでいった。



 × × ×



『キュイ、キュイッ』


 果ての見えない闇から意識を引き上げたのは聞き覚えのない小動物の鳴き声だった。少し遅れて左一は湿り気を帯びた草の上で仰向けになっていることに気づく。

 視線の先に広がるのは透き通るような青。雲一つない快晴の空模様だった。


 傷ついた体を庇いながらゆっくり上体を起こすと、額に奇妙な痣を持つ愛らしい獣が嬉しそうに白い尾を左右に振っていた。

「お主のような毛玉に身を案じられるとは。(それがし)も修練が足りぬということか」

『キュイ♪』

 シルクのような毛並みを労うように撫でてやる。


(それにしてもあの宣教師は一体……)


 青年とは言葉を交わしたこともなけば、どこかで顔を合わせた訳でもない。

 彼はこちらのことを知っているようだったが、まったく身に覚えがなかった。

 しかし、これ以上の詮索は無意味と判断し、左一は思考を切り替えて周囲の様子を探る。

 だが、似た樹木が隙間なく群生しているため遠くまで見通すことは叶わない。


「ここは何処(どこ)だ?」


 どうしたものかと苦慮していると、頬に穏やか風が吹きつけてくる。

 何とも言えない(なご)やかな空気に「あの夜のことがまるで嘘のようだ」と呟こうとした直前、抜け落ちていた記憶が鮮明に蘇ってくる。


 人の怒号と悲鳴が飛び交う戦場と業火に包まれた寺院。

 そして、その中に取り残された主と旧友の姿。


「信長様っ、蘭丸っ⁉」


 一転、顔色を変えた左一は近くにそばに落ちていた愛刀を腰の鞘に納めると、小動物には目もくれずどことも知れない林の中を疾走していく。

「誰か、誰かおらぬかっ‼」

 傷だらけの体に鞭を打って走り続けるも林を抜けることすらできなかった。

 その上、再三呼び掛けているというのに一切声が返ってこない。


(ここらには人の言葉が通じる者はおらぬのかっ)


 眉間に皺を寄せ、苛立ちを露わにする左一。

 いつもの悪い癖だ、と未熟な精神を戒めつつ手頃な幹に背中を預けて大きく深呼吸。心を落ち着きを取り戻し掛けた、まさにその時だった。


「きゃあっ⁉」


 折り重なるように生い茂る林の奥から悲鳴が飛んできた。

 何事か、左一は木々の合間を縫うように声がした方角に急いで向かうと、黒い装束に身を包んだ金色の髪の少女が草地にへたり込んでいるではないか。


「……ゴクリ」


 念願の遭遇を前に、しかし左一は呆然とした表情のまま喉を鳴らした。

 いくら相手が見慣れない南蛮風の衣装をまとっていたとはいえ、ようやく人に出会えたのだ。ここは歓喜に身を震わせてもおかしくない場面のはず。

 が、少女と対峙する()()()()の威容が左一からあらゆる感情を奪い去っていた。


「なんだ、この化物は……蜈蚣(むかで)、なのか?」


 これまで目にしてきた個体は最大でも四〇センチほど。

 しかし、目の前で上体を起こした個体はどう見積もっても全長五メートルを優に超えていた。

 何を食べればそこまで成長するのか、と現実逃避するように疑問を思った矢先、


『シュアァァァァァ』


 甲高い奇声を発した化物ムカデは鉄鋏を思わせる巨大な牙を左右に開き、無数の脚から生じる爆発的な推進力で少女との間合いを潰しに掛かった。

(このまま捨て置くおくわけにはいかぬっ)

 反射的に腰の柄に手を掛ける。

 だが、この間合いからではあと一歩のところで間に合わない。

「くっ」

 どうにもならない状況にギリリと奥歯を擦り合わせたその時、


『キュイッ!』


 そこに現れたのは置いてけぼりにしたはずの白い毛玉だった。

 少女を守るように体中の毛を逆立て懸命に威嚇しているようだが、相手の戦意を失わせるには程遠い。猫だまし程度の効果はあっても足が止まることはない。


「だ、ダメっ‼」


 再び悲鳴が上がった。

 恐怖と悲哀と焦燥を綯い交ぜにした叫び声は彼女がこの世に残す断末魔になる……はずだった。

 ガキンッ、と無機質な金属音が少女の運命に割って入るまでは。


「はぁっ‼」


 大気を振るわす気合いと共に抜き身の刃が強靭な牙と衝突し、激しく火花が散った。左一は鍛え上げられた玉鋼の刀身で巨体を押し止め、拮抗してみせる。

『シャアァ⁉』

 さらなる闖入者(ちんにゅうしゃ)に不意を突かれるも瞬時に事態を把握したのか、あからさまに機嫌を損ねる多足亜門に属するであろう巨大生物。


「毛玉の蛮勇のお陰でどうにか間に合ったな」

「あ、あなた様は?」


 驚いていたのは背後の少女も同じようで、不安そうな声で問い掛けてくる。

 だが、悠長に名乗りを上げる余裕はなかった。


「ぐぬぅ」


 踏ん張っていた二本の足がじりじりと押し込まれていく。

 圧倒的な重量差と馬力。単純な力比べではやはり分が悪いようだ。


「お主は毛玉を連れて後ろに下がっておれっ、このままでは巻き込んでしまう!」

「で、ですがっ」

「某に構うなっ、それとも揃って食い殺されたいかっ‼」

「わ、分かりましたっ」


 少女は威勢よく吠え続ける毛玉を抱え上げると、草を踏む音と共に遠ざかり木陰に身を隠した。

 それを背中越しに確認した左一は、化物を前に力みに力んだ全身の筋肉からすべての力を抜いて脱力。

 訪れる均衡の崩壊によって生まれる空白の時間を見逃すことなく手首を返し、突進の軌道を明後日の方向へ誘導するとようやく膠着状態から解放される。


 しかし、敵もさるもの。即座に標的を捕捉した特上ムカデは己の強さを誇示するかのように左右の牙を打ち鳴らす。


「ふう」

 乱れた呼吸を一息の間に整え、中段よりもやや低い位置に剣を据える。

 場の空気が張り詰めるのを全身で感じながら、真剣勝負にも似た緊張感に視界がより鮮明になる。

 数多の死線を潜り抜けた者だけが到達できる境地――極限に迫る命のやり取りが脳内麻薬を分泌し脳を活性化させていく。


『シュアラァァッ!』


 先に動いたのは名も知れぬ化物だった。

 しかし、左一は微動だにせず素早く蛇行する敵の動きを視線だけで追い掛ける。

 馬鹿正直に力勝負を仕掛けてくるも良し、奇策に打ってこちらの意表を突くも良し。限界まで引き付け、刃で受け止め、速度を殺し、返す刃で斬り捨てる。

 無数にあるすべての攻防を脳裏に思い描き、そのすべてのパターンで勝利のイメージを練り上げた直後、奇妙なものが視界に入り込んだ。


(あの輝きは、一体なんだ?)


 眼前まで迫った巨大な牙に紫色の淡い光が灯っていた。

 いきなり出現した不確定要素に寒気が走る。

 理性ではなく本能が、あれは危険だと警告を発しているのだ。


「剣士様っ、その牙に触れてはなりませんっ‼」


 加えて、背後から少女の声が割り込み思考と混線する。

 防御と回避。わずかに逡巡した左一だったが、ここは助言に従い回避を優先する。

「くっ⁉」

 牙の切先が脇腹に触れるかどうかという危ういタイミングで身を縮めながら地面に転がり、間一髪のところで躱してみせる。


 一方、寸前で標的を見失った化物は自身の勢いを止めることができず堅い幹を誇る大木に頭から突っ込んだ。

 あれではいかに埒外と言えど顔面が潰れているに違いない。

 しかし、そんな浮ついた期待から強引に意識を引き戻すように大地が揺れた。

「あれは、」

 激痛に悶えて暴れ回っているのかとも思ったが、そうではない。

 樹齢数百年と思しき荘厳な大樹が無慈悲にも倒れ落ちたのだ。


(小城の支柱にもなり得る幹をああも容易く。されどあの切り口を見るに、ただ噛み切ったようには思えぬが)


 目を凝らせば、切断面に腐食したような黒ずみが残っていた。

 鋭い刃物で断ち切られたというよりも、その部分に養分が行き渡らず急激に腐り落ちてしまったかのような痕跡。


「お気をつけくださいっ、あれはセンチピーダーの()()によるものです!」

「まじゅつ? 何を申しておるのかさっぱり分からぬが、忠告感謝する。それより某が引きつけておる間に何故逃げなかった? 猶予はいくらでもあっただろう」

「そんなっ、傷を負った剣士様を残していくことなどできませんっ。……こ、これでもわたしは明星(あけぼし)の一員ですからっ! それにこの子もきっと同じ気持ちだと思うので」


 その言葉とは裏腹に丸みを帯びた肩は今も小刻みに震えていた。

 体はどこまでも正直だ。虚勢を張ったところで恐怖を隠すことは難しい。

 それでも、左一は容赦なく最後通牒を突きつける。

 

「心意気には感謝するが、やはりお主らはこの場から立ち去られよ」

「……そんな。剣士様はどうなさるおつもりですか?」

「無論、あの化物を迎え討つ。今は見境なく暴れておるだけだが、獲物が背を向けたとあらば必ずや後を追ってくるだろうからな」

「い、いけませんっ。剣士様もあの魔物の恐ろしさを見たでしょう? 紫の色調は【腐食】を示す魔術です。あの術式の前ではいかに錬え上げた剣であろうと意味をなしません。それにわたしの力では……」


 だから今のうちに早く、と必死に懇願する少女に侍は一瞥もくれてやることはなかった。

 それどころか、暴れ狂いながら次々と大木を腐らせていくセンチピーダーに意識を集中し、いつ襲い掛かってきても剣を振るえるよう身構えている。


「ど、どうしてそこまで」

「某は一刻も早くあの方の許へ戻らねばならぬ。こうしておる間にも殿の身に危険が迫っておるやもしれんのだっ。現に明智光秀は――」


 その瞳の奥には途方もない憎悪と後悔の念が宿っていた。

 ぐっと刀の柄を握り、無力な己を呪うように歯を食いしばる姿は、取り返しのつかない過去の出来事に心を擦り減らしているように思えた。


 しかし、それも瞬きする程度の時間だった。


「お主には礼を申す」

「……えっ?」

 あまりの変わり身の早さに、少女は半秒ほど遅れてようやく声を発した。

「お主の助言がなければ、某は屍すら残せぬまま命を落としていたやもしれぬ」

「い、いえっ。わたしは当然のことをしただけで、感謝されることなんて何もっ」

 修道女は両手を振り回して過剰なまでに謙遜してみせるも、赤く火照った頬を見れば照れていることは明白だった。建前が建前として機能せず本心がまったく隠せていない。どうやら嘘がつけない性格らしい。


「他者を心から想い、己を顧みることなく手を差し伸べる。お主は尊い人間だ」

「剣士様……」

「案ずるな。あの牙に触れねばよいだけのことだ」


 会話が途切れるのを待っていたかのように、落ち着きを取り戻したセンチピーダーが左一に再び狙いを定めた。依然として牙には紫色の光が灯っている。

〝触れる=死〟の構図は未だ健在だ。


「でもっ、」

「四の五の言わずに早く行けっ‼」


 怒声に一瞬躊躇いを見せるも覚悟を決めたように頷き、足早に森の奥へと向かっていく。足音が耳に残っていたが、それもすぐに消えてなくなる。


「がはっ」


 左一の口から鮮血が溢れ返ったのはその時だった。

 空元気が尽きたかのように膝から崩れ落ち、緑の草地に散った赤が精神衛生に影響を及ぼしかねない不快なコントラストを描いている。

「はぁ、はぁ」

 額に嫌な汗が滲んでいた。

 垂れ落ちた雫が血塗れの着物に染み込み、斑模様に拍車を掛ける中、新鮮な血溜まりが内側からぽつりぽつりと浮かび上がってくる。


(先刻の攻防で傷口が開いたか。早々に片を付けねば)


 そう思うより早くセンチピーダーは獲物が見せた隙を逃すことなく迫っていた。

 衝突まで三秒もない。

 左一は大地に突き立てた刀身を杖代わりに立ち上がり、武道の基礎にしてあらゆる動きの始点――正丹田(せいたんでん)へ意識を集約する。


「尋常に受けて立つ‼」


 だが、剣を構える力さえ残っていないのか。無防備に直立を晒すだけ。

 このままでは〝死〟という運命に引き込まれる。


(死など恐るるに足らず。されど、殿の許に戻れぬまま力尽きることだけは決してあってはならんのだっ)


 直後の出来事だった。

 魂の奥底から沸き起こった想いに呼応したのか、ドクンッと心臓が一際大きく高鳴り、心地良い鼓動が波紋のように全身へと広がっていく。


(気のせいか、体が軽くなった……?)


『シュアラァァァ‼』

 待ったなし。動揺を察して立ち止まってくれるほど化物の知能は高くない。

 妖しい光を帯びる一対の牙が首を切り飛ばそうと猛烈な速度で肉薄する。


 左一も不要な思考は瞬時に捨て去った。

 今は生き残ることだけを考えろっ!


 ここだっ‼


 間合いを見切った左一は伝達経をフル活用し脱力した体へ命令を下す。

 悪魔の力を宿した凶器を紙一重で回避し、素早い動きで敵の死角に潜り込む。

 無差別破壊の脅威から逃れた大木の幹を一息に駆け上がり、大きく跳躍した。


「ぜあぁぁぁぁぁ‼」


 完璧な位置取りだった。

 頭上から降り注ぐ気合いに反応するまでセンチピーダーも左一を見失っていた。

 遅れること四分の一秒。

 蛇のような図体を慌てて蠕動(ぜんどう)させるも――それだけだった。



〝上段の伍―頭蓋(ズガイ)()とし〟



 振り絞ったすべての力と、幹を蹴り出す際に生じた加速を掛け合わせた唐竹割りが肥大化した蜈蚣の頭部と胴体を一刀の下に分かつ。


 獲った。


 そう思ったのも束の間、背後から迫る風の音に振り返る暇もなく、鉄の強度に勝るとも劣らない硬い甲殻に覆われた長い尾が左一に襲い掛かった。

「ぐあぁっ⁉」

 足蹴にしたの幹に激しく打ち据えられ、全身の骨が悲鳴を上げる。


 一方、司令塔である頭部を失い、脊髄反射だけで動き続ける制御不能の重機と化した胴体は未練がましく地面を這っていたが、やがて力尽き絶命へと至った。


「は、ははっ。やりました、某はやりましたぞっ、信長様……」


 息も絶え絶えに勝利を宣言する左一。

 すでに立ち上がる体力は残っておらず、指一本満足に動かすことも叶わない。

「しばし、お待ちを。すぐ、戻り……」

 薄れゆく意識の中、視界が黒く染まっていく。

 抗う術など持ち合わせていなかった。


 願わくは、すべてが悪い夢であってほしい。


 切なる想いを胸に侍は瞼を閉じた。



・第二節を読了いただき、ありがとうございます。


 さて、ステラと運命の出会いを果たした左一ですが、

 ここからどう物語が進んでいくのでしょうか?

 そして、あの謎の青年は一体何者なのか?

 次回の更新もよろしくお願いします。

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