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【第一節】 天上に舞い上がる炎

・この物語は自分の理想とする〝侍〟の姿を拙いながらも描いています。

 目を通していただく読者の皆様とは主人公のイメージを共有できればと思っています。それでは本編をお楽しみ下さい。



『敵は本能寺にありぃぃっ‼‼‼』



 天正一〇年六月二日。

 まだ陽が昇らない深い闇に閉ざされた静けさを破るように、一人の男の号令によって一万三千の軍勢が一斉に動き始めた。

「人間五十年、下天(げてん)のうちに比ぶれば夢幻(ゆめまぼろし)の如くなりぃ。一度(ひとたび)生を受けぇ、滅せぬもののあるべきかぁ」

 天下に王手を掛けた戦国大名――織田信長は刀でも弓矢でもなく金箔をあしらった豪奢な扇を片手に、流麗な身のこなしで舞い踊る。

 四方を取り囲む猛烈な炎に晒されながらも額には汗の一滴も浮かべていない。


 ベベンッ、と心地の良い琵琶の音が響き渡った。


 場所が場所なら聞く者すべてを魅了したであろう調べを刻むのは、病弱な白い肌が目を惹く薄幸の美少年――森蘭丸。背中には敵の弓兵に撃ち込まれたと思しき(やじり)が剣山のように突き立っていた。

 今すぐ絶命することはないが、それも時間の問題か。

 淡い藤色の反物を赤く染める血の量から鑑みて遠からず力尽きてしまうだろう。

 そんな状態にありながら、琵琶法師は痛みに悶えることも弦を弾き(たが)うこともない。主を不快にさせないよう涼しい顔で演奏を続けていたその時、


「信長様っ⁉」


 バンッ、と叩きつけるように障子戸が勢いよく開かれた。

 陽炎のように揺らめく熱気を背に息を切らしていたのは、蘭丸とは対照的な鬼気迫る感情を剥き出しにした目付きの鋭い少年だった。

 敵兵の返り血と自身の流血によって群青色の着物は赤く濡れていた。その姿を一目(いちもく)すれば、外の戦いがどれほど苛烈なものか十二分に窺い知れるというもの。


「明智光秀の謀反にございます‼ もはや一刻の猶予もございませぬ、急ぎお逃げくださいっ」

「笑止、光秀如き小物を相手に背を向けろとでも?」

「されどっ……」


 糸を編み込んだ紐で黒髪を一つに束ねた小姓――篠塚左一(しのづかさいち)は主が放つ凄まじい迫力に思わず言葉を詰まらせた。彼にできたのは血の滴る刃の柄を固く握り、口惜しそうに唇を噛み締めることだけ。


「ふっ。是非もなし、とはまさにこのことよな」


 達観したように鼻を鳴らした瞬間、図らずも気づいてしまった。

 叶うことならこの数秒間の記憶を忘却しまいたい、そんな衝動が全身を駆け抜けていく。


「信長様、まさかっ⁉」


 左一の反応に信長は、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 轟々と火勢(かせい)を増す本能寺から運良く脱せたとしても、稀代の策略家である明智光秀から逃げ切るのは至難。

 惨めな逃走の果てに御首級(みしるし)を差し出すくらいなら、灰の一片も残さず焼け死んでみせよう。それが己の宿命とでも言わんばかりの表情だった。

「――ませぬ」

 天下統一。長らく続いた戦国乱世を終末へと導き、無益な血を流すことなく人々が等しく笑い合える平穏な世を実現する。

 あと少し、あともう少しで終止符を打つことができたはずなのに……。

 皆で追い求めた理想が燃え朽ちる本能寺のように潰えていく。


「なりませぬっ、それだけは!」


 相手が主君であることも忘れ、少年は返す刀で声を荒げていた。

 諦めるにはまだ早い。この場を切り抜け、(さかい)に常駐している徳川家康と合流することができれば勝機は充分にある。

 信長の窮地を耳にすれば毛利攻めに向かった羽柴秀吉も踵を返して戻ってくるだろう。各地に散った重臣たちもきっと駆けつけてくれるはずだ。

 このような場所で死ぬべきではない。

 いずれは日ノ本(ひのもと)を一つに束ね、天下を治めるお方なのだ。


「信長様が御隠れになることだけは、絶対にあってはなりませぬっ‼」


 腹の底から声を張り上げたのと焼けた天井が崩落したのは同時だった。

 落下の衝撃に地響きが起こり、蚊柱のように火の粉が舞い上がる。

「くっ、おのれ……」

 身を翻して直撃は回避するも、炭と化した残骸に行く手を阻まれる。

 隙間から辛うじて姿を散見することはできるが、これでは助けに向かえない。


「左一、お前さんはまだこちら側に来てはならんのだとさ」

「信長様っ‼」

「ごめんね。でも安心していいよ、信長様には僕が付き添うから」

「な、お主まで何を申しておるのだ、蘭丸っ⁉」


 手を伸ばそうにも激しく燃え上がる炎が邪魔をして近づくことを許さない。

 火は充分過ぎるほど回っていた。

 このままでは完全に退路が断たれてしまう

「信長様……」

 絶望的な状況に自然と力が抜け、刃こぼれした鈍が手から滑り落ちた。

 いつしか前を見続けることもできなくなって、気がつくと黒い床板だけを見つめていた。


「俯くなっ。上を見ろ、左一」


 主の声にはっと顔を上げると、回転しながら宙を舞う細い影が目に留まった。そのまま重力に引き寄せられるように落ちてくる。

「こ、これはっ」

「儂からの餞別だ。取っておけ」

 掴んだ影の正体は、黒塗りに銀の装飾を施した鞘に納まる日本刀だった。


三雲光忠(みくもみつただ)、切れ味は儂のお墨付きだ。まぁお前さんが持つにはちぃと大層な品だが、今はこれしか持っておらんから仕方あるまい」

「ずるいですよ、信長様。僕もあれ欲しいです」

「お前さんには儂の秘蔵をくれてやっただろう」

 ぶー、と人懐っこい仕草に加えて()ねるように頬を膨らませる美少年。


「……」


 そんな二人の他愛のないやり取りを、左一は遥か遠くに感じていた。

 焦点が上手く合わない。

 敬愛する主君の姿がぼやけ、輪郭が曖昧になっていく。



(終わるのか……? こんな道半ばで、何もか終わってしまうのか?)



 そんな強迫観念にも似た幻聴が過った刹那、名刀を鞘から抜き放っていた。

「ええいっ、邪魔だぁぁ‼」

 


終わらせない、終わらせて堪るものかっ、そんなものは絶対に認めない!



 若き侍は立ち塞がる障害物を次々と両断し、文字通り道を切り開いていく。

 そして、ようやく主の姿を間近に捉えた。


 この一瞬にすべてを懸けろっ、全力で手を伸ばせ‼

 あの方の命に比べれば腕の一本や二本、千切れてしまっても惜しくはない。


「……」


 対して、信長は忠犬のように駆け寄ってくる小姓を黙って見つめていた。

 とても〝死〟の淵に立たされた人間とは思えない、実に(ほが)らかな表情だった。



「左一、お前さんは儂のためではなく己の思うままに生きてみせよ。これが()()の命令だ」



 直後、大きく踏み出した左足から支えが消え、沈み込む感覚に思考が凍りつく。強度が失われた板張りを踏み砕いたのだと気づいた時には、本当に何もかもが手遅れだった。

 落ちる。気持ちの悪い浮遊感が全身を包み、視界が黒く塗り潰される。



「信長様ああぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」



 懸命に伸ばした手は何も掴むことなく無情にも空を切り、張り裂けるような慟哭は奈落の底へと飲み込まれていった。



・この『後書き』を読んでいるということは、第一節を読了いただいたことになりますね。本当にありがとうございます。

 自分の作品を発信することは初めての経験であり、まだまだ未熟なところも多いとは思いますが、引き続きお付き合いいただけると幸いです。


 この物語はまだ始まったばかりです。

 登場人物たちがどのような決断をし、どんな行動を選択するのか。

 彼らの動向にも注目していただければと思います。



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