第95話 勇者を失神させた男
次の日の朝。王都に向かう馬車の中で・・・
「お前、昨日の夜はやって来なかったけど、部屋に慣れたのか?」
「導師様への誤解が解けたら何かスッキリしちゃって、ぐっすり寝られたわ」
「そうか、そりゃ良かったな」
トキオはそう答えたが、心の中では、
(もう来ないのかなあ。後ろから密着されるのも悪くなかったから、ちょっと残念だなあ)
と、思っていた。
三日後、柔道の訓練場に勇者が現れた。
「勇者様!おはようございます」
「おはよう。今日は関節技と絞め技というのを教えて貰いに来たぞ」
「はい、了解です!・・それじゃ、絞め技から教えましょうかね・・・誰か・・・」
トキオがそう言いながら練習台になってくれる人間を物色しようと兵士たちを見回したら、皆は嫌がってトキオから離れた。
「なんだ。みな、嫌がっているように見えるが」
勇者が聞いた。
「ああ、失神させられるんで、みんな敬遠してるんですよ」
「ああ、そう言ってたな」
「もう、しょうがないねえ。私がやるよ」
フラビアがそう言って前に出て来た。
「悪いね。でも、気持ち悪くはないでしょ?」
「そうだけどさ。失神させられること自体が気分いいもんじゃないからな」
そう言いながら、フラビアはトキオの前に来ると、背を向けて膝を付いた。
「では、勇者様。良く見ててくださいよ。ここに頸動脈というのがありまして、ここを強く圧迫すると失神します」
トキオは、そう言いながら、フラビアの首の頸動脈の位置に拳を当てた。
「この位置を圧迫するように後ろから首に手を回して絞めるのが実戦的なので、それでやって見せます」
トキオは、そう言いながらフラビアの首の前に右手を回し、左手でその右手を引き付けるようにしてフラビアの首を絞め上げた。
フラビアは目を開けていたが、すぐに白目になると体から力を失った。
トキオは瞬時に両脇に手を入れてフラビアを支え、お尻を付けて座らせると、背中に活を入れてすぐに起こした。
「なんと!屈強なフラビアがこんなに簡単に失神してしまうものなのか!驚いたぞ!」
勇者は心底驚いているようだった。
勇者がそんなに感情をあらわにする姿を初めて見たのでトキオの方も驚いた。
それは兵士たちも同じだったらしく、同様に驚いた顔をしてざわめいた。
「ああ・・・やっぱり、気分のいいもんじゃないな」
目を覚ましたフラビアが言った。
「勇者様もやってみます?」
「ああ、非常に興味深いな」
「えー?もう一回やるのかい?」
フラビアが嫌そうな顔をして言った。
「悪いねえ、俺がやってもいいんだけど、それじゃ勇者様に教えられないから頼むよ」
「もう、しょうがないねえ」
そう言いながら、フラビアは勇者の前に背を向けて膝を付いた。
トキオは、勇者の横に立つと、やり方を教えた。
「そうです。その位置に右手を回して、そして左手で強く引いてください」
勇者は言われたとおりに実行した。
するとフラビアは、先ほどと同じように体の力をなくして気を失った。
それをトキオが横から支えて、今度は仰向けに寝かして、本当に失神しているのを勇者に見せた。
勇者はフラビアをゆすったが、反応はなかった。
「本当に気を失っている」
それから、トキオはフラビアの上体を起こして先ほどと同じようにして蘇生させた。
「トキオ、私にもかけてくれるか。自分で体感してみたい」
勇者がそう言ったので、兵士たちはざわめいた。
「わかりました。では、膝を付いてください」
トキオはそう言われることを予想していたので冷静に答えた。
勇者は言われたとおりに膝を付いた。
「それじゃ、いきますよ」
トキオはそう言うと、勇者の首に手を回して絞め上げた。
人外の強さを持つ勇者であったが、10秒も経たずに失神した。
「おお~!」
兵士全員から驚きの声が漏れた。
トキオはフラビアにやったのと同じように支え、そして蘇生させた。
「ああ、本当に気を失っていたようだ。なるほど、これは凄いな。実戦で有効に使えそうだ」
目を覚ました勇者は、心底感心したという顔で言った。
「ただ、これは脳へ行く血を止めて失神させる方法なので、失神させたまま長時間放置すると死んでしうこともありますから、そうしたくない場合はなるべく早く蘇生させてくださいね」
「わかった」
この時の話は、また伝えで王都内に広がって行ったが、途中でどんどん話が省略されて、最後には「柔道を広めた男が勇者を失神させた」という部分だけ伝わって、トキオの強さが神格化されることになった。
その後、辺境に魔物討伐に出かけた際にも、現地部隊の兵士から「勇者を失神させた男」として、崇めるような目で見られることになるのだが、それはまだ先の話だった。
昼前になるといつものようにクロアが現れたが、勇者がいるという予感がしたのか、いつもより早くやって来た。
トキオはその時、勇者に関節技を教えているところだったが、クロアが入って来たのにはすぐ気づいてそっちを見たら、クロアが驚いた顔でトキオではなく勇者を見ていた。
(しょうがないなあ)
「勇者様、ちょっとすみません。俺の仲間を紹介しておきます」
トキオはそう言って、勇者をクロアのところに連れて行った。
「トキオ、もしかしてこの方が・・・」
そばに行くと、クロアが目を見開いて言った。
「そうだよ。こちらが勇者のジークフリート様だ」
「やっぱり・・・」
クロアは、アウレラと同じようにすでにポーっとした顔をしていた。
「勇者様、この子は俺のアティムでの冒険者仲間でクロアと言います」
「クロア?では、お前がヒドラを一撃で倒したという魔女か」
「あ、はい!そうです!」
クロアは嬉しそうな顔で答えた。
「そうか。これから一緒に戦うことになるだろうからよろしくな。期待しているぞ」
そう言いながら握手の右手を差し出した。
「は、はい!こちらこそよろしくお願いします!」
クロアは差し出された勇者の右手を両手で掴むと、強く上下に振りながら言った。
「しかし、こんなに若くて可愛らしい女性だったとはな。意外だ」
「そ、そんな。可愛らしいだなんて・・・」
クロアはそう言うと真っ赤になった。
(あーあ、クロアも勇者様の美形ぶりにやられた口か。こんなしおらしいクロアは初めて見るぞ)
「じゃあクロア、もうすぐ終わるからここで待ってて」
「うん!」
クロアは素直にそう言ったが、トキオたちが元いた場所に戻って行く間も、視線は勇者に釘付けだった。
「それでは、今日は終わりにします。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
トキオは、終わりを告げる挨拶をすると勇者と一緒にクロアのところに歩いて行った。
「それでは、私はこれで失礼するよ。クロア、また会おう。そのうち、魔法の訓練も覗きに行こう」
「は、はい!お待ちしています!」
勇者が右手を差し出したので、クロアはまたそれを両手で力強く握った。
それで、勇者は去って行った。
「あれ?勇者様は食堂に行かないの?」
「ああ、違うところで食べているみたいで、一度も兵士用の食堂で見かけたことはないな」
「そうなんだ・・・お話ができると思ってたのに残念・・・」
クロアはがっかりして暗い顔になった。
「まあ、ここで訓練してればすぐにまた会えるだろう。魔法訓練の見学に来るとも言ってたし」
「そ、そうよね!」
そのトキオの言葉で、クロアはまた明るい表情になった。
その日の昼食の時も周りの兵士はいつものようにクロアにちょっかいを出していたが、クロアは心ここにあらずといった感じで全く反応せず、遠くを見る目をして時折ため息をついていた。
「やれやれ、重症だな」
トキオはあきれ顔で言った。
「ホントだねえ。どうしてみんなそんなに勇者にポーっとなっちまうのかねえ」
対面に座っているフラビアが言った。
「あれ?フラビアは勇者様をなんとも思わない感じ?」
「まあ、美形だとは思うけど、私のタイプじゃないねえ」
「あら?そうなんだ。そんな女の人もいるんだねえ」
「私としては、お前の方がタイプだよ」
「バ、何バカなこと言ってるんだよ」
トキオは予想もしないことを言われてひどく焦り、口元まで持って来ていたボアドンの肉をテーブルの上に落とした。
「何やってるんだい!テーブルが汚れちまったじゃないか」
そう言いながら、フラビアは立ち上がって右にあったテーブル拭きを取り、トキオが落とした肉をそれで拭った。
「だって、フラビアが変なこと言うから」
「別にお世辞で言ったわけじゃないよ。お前、結構いい男だよ」
「えーーー?美人のフラビアにそう言われると困るなあ」
「な、お前こそ変なこと言ってるんじゃないよ!」
「ホントホント、フラビアって美人だよ。スタイルも抜群にいいし」
「バ、バカ!いい加減にしな!」
フラビアは赤くなった。
「えー?自覚ないの?それは不思議だなあ」
「私を女扱いするヤツなんていないからね。そんなこと言われたのは兵士になってから初めてだよ」
「あらー、みんな見る目がないねえ」
「いえ、兵士長が美人でスタイル抜群だってのは俺も同意します!」
横にいたジョッシュが突然話に入って来た。
「俺もです!」
「俺も!」
近くにいた他の兵士も次々に同意した。
「お、お前たち、急になんだよ!ふざけるんじゃないよ!」
「ふざけてません!」
「大マジメです!」
「バ、バカ!そんなこと言ってないでとっとと昼飯を食べちまいな!」
フラビアはそう怒鳴ってから真っ赤になると、俯いて食べ物を口に運んだ。
「まったく、お前が変なこと言うから調子狂っちまったじゃないか」
食堂から出ると、フラビアがトキオに言った。
「先に言ったのはそっちだろ。お互い様だよ」
「そうだけどさ。私の言ったのも本心だからな」
フラビアはそう言うと、トキオの頭を引き寄せて右頬にキスをした。
「え!?」
トキオが驚いてキスされたところを押さえていると、
「じゃ、また明日な」
フラビアはそう言ってから、ほほ笑みながら手を挙げて去って行った。
予想していなかったこともあり、トキオはかなりドキドキしたが、
(社交辞令だよな。絶対にそうだよな)
と、必死に自分に言い聞かせていた。
後ろから付いてきていたクロアは、相変わらずポーっとしたままだったので、二人のやりとりは全く目に入っていなかった。




