出会い編
それは長い入学式と面倒なホームルームを終えて、さて帰ろうかとしていた時の事だった。
「六条君!君、恋人はいるかね!?」
「……はあ?」
俺の席の前で、小柄な女が仁王立ちで構えている。なかなかの美少女だ。何せ目力が強い。肌は赤子のようにつやつやしているし、長い黒髪も天使の輪っかを携えているもんで、そんじょそこらのアイドルも裸足で逃げ出しそうだった。
「恋人?」
「そうとも。彼女、ガールフレンド、あるいはもっと文学的に『いいひと』でもいいんだが。」
「あんた……ええと。」
「相生だ。相生都。君の後ろの席のものだ。」
「……相生さん。いいかい、その質問に答える前になんだが、あんたちょっとばかし声がでかいぜ。周りの奴らがみんな俺たちを見てる。」
「そうか、見させておくといい。私ほど可愛い女の子となるとそりゃあ見ない方が損失ってもんさ!」
いや周りの耳目を集めてるのはあんたがかわいいからじゃなくてあんたの声がでかいからなんだが。見られるには恥ずかしいからちょいと声を潜めちゃくれねえか、と言うと、相生都はウンウンと頷いて少し声のボリュームを下げた。
「そうだよな。恋人の有無なんて相当の個人情報だものな!」
前言撤回、全然下がっていない。
「……で?恋人がなんだって?」
「恋人がいるかどうかさ。」
「いねえよ。見たらわかんだろ?このナリで近寄ってくる女なんて居ないさ。」
「私が近寄っているが!」
「……このナリで近寄ってくる女なんてあんたしかいないさ。」
「うむ、君はかなり……こう、偉丈夫だものな。つよそうでいいと思うのだが!赤毛というのも良い!」
相生は満足気である。ひとに恋人が居ないのがそんなに楽しいかという気持ちだ。はて、さすがに「では私の恋人になってくれ!」と繋がるとは思えないが、彼女はなんのために俺に声をかけたのであろうか。
「君の身長183センチを見込んで頼みがあるんだ!」
「身長を見込んで頼みをするやつは初めて見たな……。」
「私の恋人になってくれないだろうか!」
ほう。何かの言い間違いだろうか。
「私の恋人になって欲しいんだ!!」
「声がでかい!2回言わんでも聞こえとるわ!」
「うむ、そうか。ともかくそういうことなのだ。私を助けると思って!報酬はこれでどうだ!」
「報酬を出すなそれは交際は交際でも援助交際だ!」
三本指を立てた相生の手を下げさせる。……どういうつもりなのだろうか。何となく、俺に一目惚れして告白した、というわけではないのは伝わってきたが。いやまあ、身長を見込んだわけなので一目惚れではあるのだろうか?
「恋人と言っても本当に彼氏彼女になる訳では無い。」
やっぱりか。
「君には私を守って欲しいんだ。」
「はあ。」
「ほら、私ってドジっ子だろう?」
「ほらとか言われてもしらねえけどよ……。」
「それで、よく死に目に会うんだ。だからこう、私をトラブルから守ってくれそうな、そういう能力がありそうなひとを探していたんだな。うん、君ならできるんじゃないだろうか!大きいし!」
「……肉壁にでもするつもりか?」
「わはは。」
からから笑う相生都は考えておいてくれ!とこれまた大きな声で言うと上機嫌に教室を出ていく。周りにちらほら残って固唾を飲んで見守っていた新しい学友たちの何人かはなんというか、微妙な顔をしている。なんだその可哀想なものを見る目は。先程まで相生都が立っていた後ろ、つまり俺の前の席に座っていた男子生徒が振り返る。
「ええと、六条。」
「あんたは……。」
「俺は山野。あんたも苦労するなあ。」
「なんだって?」
「六条は第3中学からだからしらねえだろ。相生はあれなんだよ。ドジっ子なんだ。」
「それは本人からも聞いたが。」
「それだけじゃねえ。ドジっ子程度ならまだいいんだが、あいつ、すぐ死ぬんだ。」
「なんだって?」
聞き違いでなければ「あいつすぐ死ぬんだ」と聞こえたが。
「あいつすぐ死ぬんだよ。」
聞き違いではなかった。あいつすぐ死ぬんだ。あいつ、すぐ、死ぬ。あいつ、イコール相生都。すぐ、時を置かず、あるいはちょっとした事で簡単に。死ぬ、命を落とす。……まるでわからん。
「なん、え……?死……?」
「もう1日平均4回は死んでさ……第4中学の校舎は今や赤い染みだらけだよ。運動会の時なんかもう地獄だったね。」
「は?」
周りで何人かがうんうんと頷いている。絶対変な台詞だったと思うのだが違うんだろうか。問いただそうとしていると、がつんとやたら大きな物音の後きゃーっと悲鳴が響いた。相生さんが死んじゃったあ!と女子生徒の声。
「……ほらな?早速死にやがった。下駄箱かな。」
「いや、なんにもほらな、じゃあないが!」
「あ、おい六条!」
教室を飛び出して悲鳴が聞こえた方向へ走る。階段をかけおり靴箱に向かうと人だかりができてざわついていた。どう考えてもあそこで何かが起こったのである。つまり、相生都が死んで─────
「いやはやびっくり!まさか靴箱の角に頭をぶつけて死ぬとはね!」
死んで、は、いなかった。ピンピンしている。頭から血がダラダラ流れたあとがあるが、靴箱に血がべったりこびりついているが!人だかりの何人かはやっぱお前かよと言わんばかりの顔で捌けていく。相生さんはいつもああだから、という声が聞こえて来て、いやいつもああってなんだ。あいついつもあんな血塗れなのか、とか思う。
皆彼女の様子を見て大丈夫そうだと判断したのかすっかり彼女の周りに人がいなくなってしまったあとも、俺は呆然と立ちすくんでいた。相生は服の袖で頭を拭っている。頭には不思議なことに傷跡も陥没もない。鉄臭さはまだ濃く漂っていて、あれがただの血糊のようには見えなかったのに。ふと彼女は顔を上げて俺を見た。
「おや、六条君。どうしたんだい?」
いやどうしたもこうしたも、あんたがどうしたんだよという話である。俺はとにかくハンカチを尻ポケットから出してそっと差し出した。
「これで拭けよ。」
「おやありがとう、紳士的だね。」
「そりゃどうも……。」
ごしごし頭を拭っている相生に、俺は入る高校を間違えたかもなあ、と変な気持ちになった。