第09話
「凄腕の役員……って誰?」
あまりにも抽象的な表現に、信じていいのかどうか戸惑ってしまった。
けれど、やっと先月末に正式に役員着任の情報が公開されたのだ。
“凄腕役員”は全国8カ所にあるアスタルテの支社を転々とし、時には海外の支社からもお声がかかる、まさに凄腕らしい。
吸収合併で過渡期を迎える今、敏腕っぷりを発揮して人事を根底から見直す……との案内だった。
でも公開されたのはたったそれだけで、氏名や年齢、経歴などは未だ明かされていない。
(社内でも限られた人しか知らなかったのに、そんな極秘情報をいち早く聞きつけるなんて。飯田くんの人徳の賜物だよね)
彼の面倒見が良く、困っている人を放っておけない性分なのは、誰よりも知っている。
そんな飯田君が、一体どうしてここにいるのだろうか。
「遠藤! やっと見つけた!」
「え? 何? 聞こえないよ!」
お互いに大声を張り上げながら歩みを進め、やっと横断歩道の中ほどで会話らしい会話を交わす。
「探したんだぜ、遠藤! どうしたんだよ、昨日あんなに『明日が楽しみ!』って張り切ってたのに。新年度早々遅刻なんて、らしくないな」
飯田君が私を探しにやってきたということに、驚きを隠せない。
「探したって……、だって会社は!?」
「あー、いや。ここで立ち止まってるのは危ないし、とりあえずここは渡りきろう?」
方向転換した飯田君に背中をぐっと押され、会社の方向に促される。
(もしかして、私、悪い意味で呼び出しされたりしてんのかな……?)
私の背中に左手を当てて、ぐんぐん歩く飯田君の表情は快活だ。
とても悪いニュースを運んできているとは思えない。
そして広い道路を渡り終え、歩道に入ったところでようやく飯田君が口を開く。
「今日ってほら、例の役員の配属日じゃん。人事を一任するっていう」
「うん……今月から面談が始まるんでしょ?」
何を言いたいのか測りかねて、疑うような口調になってしまった。
(ここまで飯田君が私を迎えにきたってことは、もう急がなくていいのかな……)
よくよく見れば、飯田君は鞄を手にしていない。
しかも、社員証を首から下げている。
これは一度出勤して、それから私を探しに外に出たと判断して間違いないだろう。
ひとまず、遅刻の件はどうにかなりそうだ。
ホッと胸を撫で下ろし、彼の歩調に合わせて歩く。
「ってか、なんか服汚れてない? 大丈夫?」
(……やっぱり、誰が見てもこれが汚れというのは一目瞭然なんだ)
模様です、なんて誤魔化すことは無理そうだった。
ならば今日はいっそ、制服で家まで帰ろうかと真剣に悩んでしまった。
「……朝からちょっとトラブルに巻き込まれたの。これはその事故みたいなもので」
「事故? 怪我とかしなかったか?」
「うん、それは大丈夫」
こういう小さな気遣いができるところが、飯田君のいいところだ。
(なんで彼女ができないのか、本当に不思議だわ……)