第06話
「でも確かにご指摘の通り、危険でしたし、やり方はスマートだったと言えないかもしれません。その点、大変失礼いたしました。お詫び申し上げます」
私は少しうつむくと、今朝からの一連の動作を必死になって思い出す。
そう言えば、今日は、いつにも増して考え事をしながら歩いていた。
頭の中は会社のこと、これから先の未来のことでいっぱいだった。
(もし、この人が本当にクラクションを鳴らしてくれていたとしても、気づかなかったかもしれない!)
心当たりがありすぎて、心臓が冷水を浴びたかのようにキュッとなる。
自分でも自覚できるほど目が泳いでいる。
(でも、だからって急停車していいとは限らないじゃない!)
「では、ひとまずこれで。足りなければ言ってください」
ここはしっかり言い返せねばと、キッと顔を上げると、頭上からパラリとお札が振ってきた。
(あれ……? 空から諭吉さんが、5人……)
「これなら服を弁償するにしても、おそらく十分ですよね?」
そう言うイケメン野郎の手には、黒革の長財布が握られている。
「お釣りはいいですよ。取っておいてください」
そして「これで話はおしまい」とでも言うように踵を返すと、運転席のドアをガチャッと開ける。
「ちょ―――!」
私が舞い散るお札に動揺している隙に、イケメン野郎はさっと車に乗り込み、電光石火の早さでドアを閉めた。
「ちょっと! こんなに、お金もらっても……!」
(このワンピースはセールで買ったから、1万円するかしないか。だからこんなにもらっても困るんですけど! ―――いや、そういう問題じゃなくて!)
このまま受け取ってはいけないと、運転席の窓を激しく叩いた。
「あ、開けなさいよ! あなたからお金なんて、絶対に受け取れません! しかもこんなに大金!」
抗議も虚しく、車にエンジンがかかる。
「に、逃げるつもり!?」
悲鳴のように叫ぶ私を、失礼なイケメン野郎はちらりと車の中から見上げる。
そして窓を少しだけ開けると、面倒臭そうにこう言った。
「あと、おそらく人違いでした。忘れてください」
「そそ、そんなことどうでもいいです!!」
顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
そんな私をあざ笑うかのように、パッパッと鳴らされるクラクション。
呆然としたままの私を残して、失礼なイケメン野郎を乗せた高級車は静かに走り去ってしまった。
「ほんとに……もう……何なの……?」
時間にすれば、たった十数分の出来事だったに違いない。
でも、この疲労感、疲弊感はなんだろうか。
本当に、嵐のような時間だった。
「はあ……」
改めて、ドロドロに汚されたワンピースを見つめる。
そんなに高価なものではないけど、お気に入りだから丁寧に手入れして、ずっと大切に着ていた服なのに……。
(泥水だから……洗濯すれば落ちるよね……?)
無性に泣きたくなってしまった。
「すごい汚れよね……」
「あれ、綺麗に落ちるといいわね……」
控えめに、遠巻きからのヒソヒソ声が聞こえてくる。
(こちとら見世物じゃないのよ! さっさと仕事に行きなさいよ!)
フーッフーッと、猫なら逆毛を立てる勢いで私は周囲を威嚇する。
蜘蛛の子を散らすごとく、すぐに野次馬はいなくなった。
(今日は年度初めの大事な日だっていうのに、もう!)
けれどそこでやっと私も、
「あ……! このままじゃ遅れちゃう!!」
何よりも大事なはずの仕事のことを、ようやく思い出したのだった。