第03話
蛇口のスイッチを連打して、ひたすら手を洗い続ける。
(らしくない、こんなのらしくないわよ、遠藤遙!)
緑の洗浄液を手のひらいっぱいに溜め、親の仇のようにこれでもかと両手をすり合わせた。
時間をたっぷりかけて、指の間から爪の裏側まで丁寧に丁寧に洗う。
そうやってひたすら手だけを動かすこと数分、働き者の照明のセンサーに無人と判断されてしまい、すべての明かりが一瞬で消えた。
「―――もう!」
暗くなる度に、妙な動きでセンサーに「いるんですけど!」と自分の存在を感知させることも、これで3度目だ。
洗いすぎた手はカサカサに乾燥して、いい加減、冷たい水に晒しすぎたせいで指先は感覚がなくなってきている。
それでも私は手を洗うことが止められない。
(これ以上ヘマをしたら、本格的に嫌われてしまう……)
綺麗に洗えば洗うほど、この邪な気持ちも晴れていくと信じるほかなかった。
「はあ……」
トイレの鏡に映る自分の顔は、今までに出会ったことのない複雑な表情を浮かべている。
困惑、戸惑い、逡巡、躊躇い―――。
どの言葉もぴったりあてはまるようで、まるでしっくりこない気がする。
あの日はあれだけ一心に、久喜さんのことだけを考えていられたのに。
(私……なんでこんなに、思い切りが悪いんだろう……?)
彼のことをもっと知りたいと思った。その気持ちはもう隠せない。
でも、いざ久喜さんと向き合うと、どうしていいのかわからなくなる。
今までどんな風に話しかけていたのか、今までどんな風に挨拶をしていたのか、今までどんな風に同じ空間で仕事をしていたのか。
今まで当たり前だったことが、すべて特別になった。
その結果、混乱の末に”今”や”これから”ではなく、”過去”にばかり逃避してしまう。
「……自覚するって、怖い」
無意識に自分の口から漏れた言葉に、ギョッとする。
「な、何言ってるんだろう、私……」
(このままじゃダメだ。本当にダメになっちゃう!)
私は濡れたままの両手で、パンッと勢い良く自分の頬を叩いた。
「しっかりしなきゃ! ここは会社! 私は仕事中!」
びしょびしょに濡れた顔で気合を入れてもサマにならないが、こうでもしないと今日は1日腑抜けたままで終わってしまいそうだった。
トイレにこもってから、もう軽く10分以上は経過している。
そろそろ部屋に戻らなければ、久喜さんからさらに信用を失いかねない。
鏡の中にいる自分をぎっと睨みつけると、私は足音荒くトイレを後にした。




