第13話
去りゆくタクシーの後ろ姿を心もとない気持ちで見送っていると、
「行くぞ」
と短く告げられた。
「あ、お金……!」
会社から何キロ走ったのかは定かではなかったけれど、最低でも数十分は乗車していた。
料金だってそう安くはないはずだ。
上司といえども、お金のことははっきりさせておきたい。
早めに解決しておかないと、今もバッグに眠ったままでいる例の3万円のように、いつまでも言い出せなくなってしまう。
最低半分の料金は支払おうとバックから財布を探していると、久喜さんがサラリと私を制した。
「俺が誘ったんだから、君は気にしなくていい」
「―――っ!」
彼の口から飛び出した、まさかのプライベートな言葉遣いに、しばらく固まってしまった。
(く、久喜さんが、仕事のスイッチをオフにした……!)
と言うことは、これはプライベートなのだろうか?
たかが、言葉遣い。されど、言葉遣い。
いや、でも、今夜は仕事の延長で食事に誘われたわけだから、これはあくまでも仕事の一環だ。
(こんなの、仕事じゃなきゃおかしいじゃない。だって……)
自分でもよくわからない気持ちが、喉元までせり上がる。
仕事相手と食事に行くだけなら、それがたとえ上司であれ、飯田君と出掛けるのと何ら変わりはないはず。
そう頭ではわかっているのに、飯田君には感じたことのない焦りのような不安のような―――
言い表せない複雑な気持ちがどんどん体中に広がる。
(これは……)
自分が一体今、何を感じているのか。
このもやもやした感情を名づけるに一番ふさわしい単語が、フッと心に浮ぶ。
(―――まさか、期待?)
「行くぞ」
いつもなら、私のことなんか気にしないで、さっさと先に行ってしまうはずのシチュエーション。
なのになぜか今回は、私が一歩踏み出すのを待ってくれている。
いろいろな感情がないまぜになって、自分のことなのに自分が何を考えているのかが全然わからない。
わからないけれど、私の頭には今この瞬間、たった1つの言葉しか浮かばなかった。
「い、行ってもいいんですか?」
口から心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらい、全身が緊張している。
春とは言え、日が落ちるとまだ肌寒い時期なのに、カーッと体が熱くなった。
歩道の街頭の下、立ち止まって話す私達を、道行く人は誰も気にしていない。
他愛もない会話を楽しむ友人同士や、帰り道を急ぐ人。
自分だけが少し異質な世界に迷い込んでしまったような、なんとも頼りない気持ちになった。




