【9】月長石~私の宝物~
「何の用だ」
「冷たいな、久しぶりの再会だぞ」
松村は真也の前に立ち、カウンターに手をついた。
「ちゃんと店長やってるんだな。それにしっかりしたスタッフもいるし。昨日、その子に売り上げどうって聞いたら、教えられませんって言ったよ。表情も変えずに」
和が二人のほうを見ていると、松村がこっちへ寄ってきた。
「君さ、うちで働かない?」
「お断りいたします」
「へえー。この子は揺るがないんだ」
松村は和のことを面白い生き物を見るような目で見てきた。その視線がとても気持ち悪く、和は顔をしかめた。
「あれ」と言って、松村は和の首元にあるネックレスを触ろうとした。
「触るな。彼女にもネックレスにも触るな」
真也が松村の手首を掴んで睨んでいた。
「そんな怖い顔しないでよ」
松村は真也の手を払うように腕を下した。
「帰れ」
「ご機嫌斜めだね、高野」
「早く帰れ。二度と来るな」
「今日は帰るよ。また来るね」
松村は軽く手を振りながら、店を出て行った。
店内には思い空気が張り詰めている。のどかは「大丈夫ですか?」と真也に声を掛けた。顔色が悪く、立っているのも辛いのではないかと思えた。
「大丈夫だ。ごめん。松村のこと、気分悪かっただろう。もし、あいつが来たらスタッフルームに行くなりして、近づかないようにしてくれ」
真也はカウンターへと戻った。少し経つとキーボードを打ち込むことが聞こえてきた。
和はとりあえず、レジにあるイスに座った。なんだ、あの男は。頭には松村と真也の会話が響いていた。あの二人の間に何かあったのは確実だ。それにしも鋭い目をしていた。目が細いからそう見えるのかもしれないが。
あれ? あの顔をどこかで見たことがある。どこだ。和は記憶の中を探した。最近見たテレビ、新聞、雑誌。そうだ、あの雑誌だ。それは真也が丸めて捨てた雑誌に載っていた人だった。『clown crown』のデザイナーだ。
どうして真也が『clown crown』のデザイナーと知り合いなんだろう。同じアクセサリーデザイナーなら、何らかの形で会っていてもおかしくないのかと思った。
お昼から戻ってきた真理が真也の異変に気付き、和に耳打ちをしてきた。
「ねえ、何かあったの?」
「あの、松村さんって人が、さっき来ました」と、和も小声で答えた。
真理は何とも言えない表情で真也を見てから「そう」と一言残して、スタッフルームへ行ってしまった。
真理は前に、真也はここのお店を開く前にいろいろあったと言っていた。もしかしたら、そのいろいろに松村が関わっているのかもしれないと思った。
松村が来てから二日。また来るねという一方的な約束は果たしに、また現れた。
真也も真理も、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
「よう、高野」
「二度と来るなと言ったはずだ」
真也は睨みながら言った。
「いや、今日は話があってきた」
「俺にはない」
「俺はあるんだよ」と言って、丸テーブルの横に置いてあったイスに座った。
真也は座ることもせず「さっさと話せ」と言った。
真理は何かを察知したのか、出入口に行きドアプレートをクローズに変えていた。
「三日前、伊藤課長と会ったんだろう」
「それがどうした」
「お前さ、戻ってくるの、うちに」
「そんなことはあり得ない」
真也は吐き捨てるように言う。
「どうだか」と言って、真也を睨み上げた。
「俺は松村とは一緒に仕事はできない。だから会社に戻る気はない」
その言葉に松村は真也の胸倉を掴んだ。真理も和も、小さく息を飲んだ。
「何様のつもりだよ、お前。それが原因か。昨日から俺が飛ばされるって噂が出ているのは。俺がいなくなれば『one square』の高野真也が戻ってくるか。所詮、高野のデザインを超えることは誰にもできないって」
真也は何も言わず、松村の手を振りほどいた。
「仮に松村が居なくなったとしても、俺は戻らない。もう二度と『one square』は作れない」
「そうか。そうですか。いいな、お前は。才能があって、会社を辞めてもちゃんと自分の店が出せて。でもな、こんな店、そう何年も持たないぞ。どうせビーズなんて道楽。人は簡単に心を動かすからな。新しい趣味ができれば見向きもしなくなるんだよ」
真也は何も言わずにいた。こっちに背を向けているため、真也がどんな表情でいるのかわからなかった。
突然、松村は和を見て「おい」と言ってきた。
「あんたがしているネックレス。『one square』のだよな。俺、そのシリーズが大嫌いなんだよね。地味で、宝石としての輝きもない。それがどうして売れたのか全くわからないよ。君、そのネックレスの良さ教えてよ。そのつまらないネックレスの良さをさ」
店のことをあんなふうに言われて腹が立っていた。真理だって同じ気持ちだろう。真理も松村のことを睨んでいた。その目は真也とそっくりだった。
今度はこのネックレス。怒りで手をギュッと握って、爪が掌に食い込んだ。
「ほら、教えてよ」
高圧的で小馬鹿にしたような松村の態度に、和は耐えられなくなった。
「あなたみたいな人にわかる訳ないでしょ。あなたもデザイナーなんですよね。アクセサリーデザイナーなんですよね。デザインを考える苦しみを知っていますよね。それを知っていて、人が作り上げた作品にそんな失礼なことを言えるなんて、あなたはデザイナーじゃありません。デザイナー風情です」
その瞬間、小馬鹿にするような薄ら笑いが消え、みるみるうちに赤くなった。
「それにあなたはアクセサリーを買った人の気持ちをわかっていません。アクセサリーっていうのは、必ず思い出が詰まっているんです。恋人から貰った。友達とお揃いで買った。母の形見。自分の幸せを願って。人の幸せを願って。そういう思い出が詰まっているんです。そんなこともわからずにアクセサリーデザイナーなんて名乗らないでください。それに、高野さんは才能のある人だと思います。でもそれ以上に努力もしています。人に対して優しさを持っています。そういう人がデザインしたものだから、私はこれを買ったんだと思います。このネックレスは誰が何と言おうと私の宝物です」
松村は「何も知らない素人が生意気な口を叩くな」と叫んだ。和は怯むこともなく、真っ直ぐ松村の顔を見ていた。
「もう帰れ。お前と話すことはない」
真也は冷めた目で言った。
「何だと」
また大きな声を出し、真也の胸倉を掴もうとした。
「お客様、これ以上は営業妨害に当たります。どうぞお引き取り願えますか」
真理は落ち着いた声で、松村の腕を掴んだ。
止めに入ったのが女性だったのが功を奏したのか、松村は真也、真理、和を一人ひとり睨みつけた。そして、荒々しいドアベルの音を立てながら、店を出て行った。
「長谷川、大丈夫か」
棒のように立ち竦している和に、真也が近寄ってきた。
「大丈夫です。少し怖かったですけど」
「本当にごめん。でも、ありがとう」
真也は和の頭に手を置いて、軽く撫でた。
「これじゃ、今日は仕事にならないわね」
そう言った真理が、カウンターの下から臨時休業のドアプレートを取り出し、それを出入口に掛けた。
「たまにはいいでしょ。今日はビーズ教室の予約も入ってないんだし」
「いや、でも」と言う真也を無視して、全ての窓のブラインドを下し、荷物をまとめて帰ってしまった。
「あの今日は休業ですか?」
「まあ、休業だよな。姉さんも帰っちゃったし」
「じゃあ、失礼します」
和も帰ろうとスタッフルームに行こうとしたとき「待って」と声を掛けられた。
「あのさ、紅茶好き?」
「はい」
「あの、この前、ネットで美味しい紅茶を買ったんだ。一杯飲んでいかないか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「うん。ソファに座って」と言って、真也は自宅へ続くドアを全開にしたまま階段を上って行った。数分後、トレーにティーカップとポットを乗せて戻ってきた。
和の隣に真也は腰を下ろし、トレーからカップを下した。
「もう少ししたらいい感じになると思うから」
「はい」
なぜ、自分を引き留めたのだろうと思いながら、ティーカップに入っているお湯を小さなボウルに捨てる真也を見つめた。
「何?」
「え?」
「こっちをずっと見てるから」
「あっ、お湯でティーカップを温めておくなんて、意外と本格的だなと思って」
「ああ、こうした方が断然美味しいんだよ」と言って、真也はポットから紅茶を注いだ。
「どうぞ」
「いただきます」
角砂糖を一つ入れてかき混ぜる。その瞬間、紅茶のいい香りが広がった。
「美味しい」
紅茶の特有の渋みが少なく、優しい味の紅茶だった。
「そう。よかった。引き留めて悪かった。少し長谷川と話がしたくて」
真也は紅茶を一口飲み、カップをソーサーに戻した。
「俺と松村の話を聞いて、わかったと思うけど、俺は四年前まで『clown crown』のデザイナーとして働いていた。そのときに手掛けていたのが『one square』シリーズだ」
和は無意識にペンダントヘッドを触った。
「『one square』がなくなって三年が経った。最近は『one square』のアクセサリーを着けている人すら見なくなっていたから、酔っぱらった長谷川を見たとき驚いたよ。普段なら酔っ払いの面倒なんてみないけど、そのネックレスをしていた所為かな。気が付いたら姉さんと一緒に長谷川を助けていた」
その日のことを思い出したかのように、真也は笑った。
「長谷川、聞きたいことあるんじゃない? あんなのを見たら」
「聞いていいんですか?」
「うん」
「今日は素直で優しいですね」
「いつも優しいよ。さっきだって松村に優しい人ですって言ってたよ、長谷川が」
和は少し顔を赤くして「あれは文脈の流れで」と言う。
「それでもうれしかったよ」
やはり今日の真也に調子が狂いそうになる。和は一番気になっていることを率直に聞いた。
「どうして会社、辞めちゃったんですか?」
真也はいろいろあったんだと言って、遠い目をした。数回瞬きをしてから真也は過去を話し始めた。
真也と松井は同期だった。入社当初は仲が良かった。深夜まで酒を飲みながら、デザインについて熱く語り合う日もあった。
しかし、その関係が崩れるきっかけができた。それは真也がデザインしたアクセサリーが販売されることが決まったことだ。
そのアクセサリーは『one square』という名が付いた。必ず四角いモチーフがペンダントヘッドに使われている。それは働く若い年齢層の女性に人気が出て、デザイン違いがコンスタントに発売された。
そのころには松村は真也にライバル心以外は向けなくなった。
ある日、真也のデザイン帳から数枚のデザイン画がなくなっていた。リング式のスケッチブックを使っていたため、痕跡も全く残っていなかった。
一か月後、松村のデザインしたアクセサリーが販売されることになった。そのデザイン画を見て驚いた。それはあの盗まれたデザインを模したものだった。
真也は松村を問い質したが、証拠もないのに言い掛かりはよせと言われ、泣き寝入りするしかなかった。
それからの松村は酷かった。勝手に『one square』シリーズ用のイヤリングや指輪のデザイン画を上司に見せ、それを販売にまで持っていったのだ。そのデザインも『one square』で販売済みのデザインにアレンジを加えたものだった。
真也は上司に、こんなことは止めてくれと掛け合った。でも上司から出てきた言葉は「会社とちゃんと契約を結んでるだろ。著作権の帰属。だから何も問題ない」というものだった。
その言葉で真也のデザイナーとしてのプライドが崩れ去った。著作権が帰属していることはわかっているし、書類にもサインした。デザイナー全員、サインをさせられる書類だ。それでも少しはデザイナーの意向を尊重してくれるものだと思っていた。
それ以来、真也は何をデザインしても、生み出すのではなく、吐き捨てるような感覚に陥った。
その感覚に侵食され、デザインへの意欲を失い、気が付けば退職届を上司に提出していた。
会社を辞めてすぐに、祖父がなくなった。真也は祖父の遺言に従い、この店を相続した。すぐに売ってしまおうと思っていたときだった。姉が「私と一緒にパワーストーンとビーズ専門店をやりなさい」と突然言ってきたのだ。
会社を辞めたからといって、デザイナーの仕事に未練が全くないわけではなかった。
『clown crown』でデザイナーをしていたころはネックレスのデザインが中心だった。そのためネックレスが軽いトラウマになり、デザインができなくなっていた。
今できるデザインを探しているうちに、ブレスレットへと辿り着いた。
そして姉と二人でパワーストーン・ビーズ専門店『Round Drop』を開いた。
ブレスレットのデザインを考えるうちに、小さな不安に襲われるときがあった。ネックレスみたいにブレスレットのデザインができなくなったらという不安だ。
そんな不安をかき消すように「いつでも畳める」というのが口癖になっていった。
「あの、もしかしてブレスレットのデザインを考えるのが辛くて、お店を閉めるって言ったんですか?」
「違うよ。俺はここに居たら駄目になる気がしたから」
和は冷めてしまった紅茶を飲み干す。空になったカップに、真也が紅茶を注いでくれた。
「あの、松村さんが『clown crown』に戻ってくるんだろみたいなことを言ってましたよね。何でそんな話に?」
「三日前に用事ができたって言って、店を抜けた日があっただろう。あれ、元上司に呼び出されたんだ。戻ってきてくれって。俺が辞めてから売り上げが落ちているらしいんだ。そんなこと俺には関係ないから断った。ビジネス雑誌に載っていた松村を見せながら、雑誌に載るようなデザイナーがいるんだから安泰ですねって言ってから帰った。で、その帰りに酒を飲み過ぎて二日酔いになったんだけど」
和は真也の話を聞いて、どの部分に対して何を言えばいいか悩んでしまう。そんな状態で口を開けば、なんだか的外れな言葉が出てきた。
「あの、このネックレス大好きです」
「ありがとう。でももう俺がデザインしたとは言えないけどね」
「そうかもしれません。でもそれは法律上です。自分の心の中ではドヤ顔で居ればいいと思います。もし俺のデザインだって言いたくなったら、私に言ってください。私は法律でもデザイナーでもなく、ただの無力な人間です。だから私に言っても何も問題ありません」
真也は声を上げて笑い出し。和は「なんで笑うんですか。こっちは真剣に話しているんです」と言いながら、真也の体を揺すった。
「ごめん。長谷川は無力な人間じゃない。長谷川は無敵だよ。話を聞いてくれてありがとう」
「いいえ」
紅茶を飲み終え、和は「お疲れさまです」と言って店を出た。
窓から空を見上げると満月が浮かんでいた。
和がしていたネックレスは『one square』の中で最も気に入っているデザインだった。ダイヤ型のムーンストーンと三日月のモチーフ。今日の空に似合っている気がした。
月を見ながら、月長石の伝説を思い出した。夜に現れる悪霊を、月光を宿したムーンストーンが追い払ってくれたというものだ。そこからムーンストーンは魔除けのお守りとしても重宝されている。
真也は和自身がムーンストーンではないかと、一瞬考えてしまった。