【8】Beads~ラブレターと願掛け~
真也の閉店宣言から三日が経った。和は真也とまともに話していない。
和は自分の仕事を淡々とこなし、真也はカウンターでパソコンを弄っている。それを真理は困ったなと言う顔をしながら見ていた。
店内にドアベルが響いた。そこには常連さんの姿があった。
月に二回のペースでここに来ては、静かにビーズを選び買っていく。彼女はキットを買うことはほとんどなく、単品で売られているビーズの購入が多かった。
商品の陳列をしていると、和に常連さんが声を掛けてきた。
「あの、こちらはネックレスのキットを販売していないんですか?」
「はい。当店はパワーストーンをメインでデザインしたブレスレットのみの販売となっています。申し訳ございません」
「そうですか。急にこんなことを聞いてごめんなさい。私、主婦をやっているから、ブレスレットよりネックレスのほうが家事のとき邪魔にならなくて。あったらいいなと思ったんだけど。ないなら仕方ないわね」
彼女は無人のレジを指して「レジ、いいかしら?」と言って、商品の入ったカゴを少し持ち上げた。
「ありがとうございました」
常連さんは買ったものをバッグに入れ、店を出ていった。
実は、和も疑問に思っていた。真也も真理もブレスレット以外のアクセサリーも作ることができる。それなら、ネックレスやピアス、イヤリングなどのキットも置けば、売り上げが伸びるんじゃないかなと思っていた。
一度、聞いてみようかとも思った。でも、ネックレスのデザイン画を黒く塗りつぶしたものを見たことあるため、聞くに聞けなかった。
休憩時間に和はスタッフルームでミサンガを編んでいた。編むことになれたとはいえ、一段編むのに時間がかかってしまう。
「まだ作ってるのか?」
スタッフルームに入ってきた真也の開口一番がそれだった。和に前に座り、手元をじっと見ていた。
「長谷川、無視か?」
「今、難しい部分なんで話し掛けないでください」
黙々とミサンガを編む和に真也が小さな声で言った。
「悪かったよ、この前は。バイトの意見は聞いてないなんて言って。長谷川はよく働いてくれてるよ。姉さんのアシスタントとしても、ちゃんとビーズ教室もやってくれてるし。姉さんは主婦だし、母親だから、家を優先するのは当たり前で。姉さんが店を休んだ時に、もう一人店員が居るか居ないかってこんなに違うんだって思った。本当にごめん」
手を止め、和は真也のほうを見た。
「そこじゃないです。私はこのお店がなくなって欲しくないです。口癖を現実にしないでください。口癖で終わらせてください」
真也は何も答えてくれない。
「頑固。このミサンガ、絶対に完成させます。それで高野さんの性格がよくなりますようにって願掛けしますから。それでミサンガが切れて、その強情な性格が直ればいいんです」
和は編みかけのミサンガをポーチに仕舞い、スタッフルームを出た。
「あっ、和ちゃんいいところに来た。ちょっと手伝ってくれない?」
「はい」
真理は真也が使っていることが多いパソコンの前に座っていた。和もカウンターの中に入り、パソコン画面を覗き込んだ。
画面にはラブレター~ビーズに思いを乗せて~と書かれていた。
「なんですか、これ?」
「ビーズのちょっとしたうんちくかな。この資料を見て」
真理がパソコンの横に広げていた本には、原色を組み合わせたビビットなビーズ装飾品が載っていた。
「これは南アフリカの工芸品。南アフリカに住むズールー族はビーズを告白のツールとして使っていたの。女性が自分で作ったビーズ装飾品を意中の男性にプレゼントしていたのよ」
「へえ。ちょっとバレンタインみたいですね」
「そうね」
真理は次のページを捲り「それにね」と言って話を続けた。
「ズールー族は昔文字を持たなかったから、ビーズの色や配列を組み合わせて地域や集団がどこなのかを示していたの。つまりビーズは言葉であり、名刺だったのね」
「ビーズって、宝飾品、装飾品ってイメージが強いですけど、文化や歴史をたどると、こういう話がでてくるんですね」
「そう。だから、このことをまとめて、棚の近くに貼ろうと思って。それでお願いしたいことは、この部分を読み上げてほしいの」
真理はピンク色の付せんが貼られているところを指さした。
そこにはビーズの色にはそれぞれ意味があり、その意味が書かれている。
読んでいると、女性が好きな男性に告白するときに使うだろうという意味のものばかりだった。
「愛する」「結婚」そんな言葉がたくさん並んでいた。口に出して読んでいるとかなり恥ずかしい気分になる。ただ読んでいるだけとはいえ、こんなに短時間で「愛」を口にしたのは初めてだった。
「ありがとう。助かった」
真理は文字配列を整え、周りにかわいらしイラストをあしらい、それをプリントアウトした。A4の硬質タイプのアクリルカードケースにそれを入れる。ビーズが並んでいる棚の横にある、小さいテーブルの上に置いた。
そこには"商品はこちらのカゴに入れてください"と書かれたカードと一緒に、籐のカゴも何個か重ねて置かれている。
「これでよし」と真理は満足そうに言った。
真也が閉店すると言ったのに、真理は少しでもお客様に楽しんでもらえるようにと、変わらずに働いている。
和は真也がいないことを確認してから口を開いた。
「あの、高野さんが言ったことは本気なんでしょうか?」
「たぶん本気だと思う」
「そうですよね、やっぱり。真理さんは困らないですか? ここで働いているのに」
「私は趣味でビーズや手芸をやっている人間だから。ここで働くようになったのも、ちょっとしたことがあったからで。ここが閉店すれば専業主婦に戻るだけよ」
そう言って、真理は目を伏せた。何ともない感じで話しているけれど、本音では閉店してほしくないのだろう。
真也が閉店する理由がだいたいわかっているから、閉めるなとは言えないのかもしれない。
ドアの開く音がして、二人は同時にスタッフルームのほうを見た。
「ごめん、ちょっと用事ができたから出てくる。あとは頼む」と言って、真也はドアベルを鳴らしながら出て行った。その真也の手には、あの捨てられたはずの雑誌が握られていた。
それを見て、あることを思い出した。真也があの雑誌を捨てた次の日、ごみを回収するためにスタッフルームに行くと、あの雑誌だけがなくなっていた。捨てたい気持ちになるのに、捨てられなかった雑誌。一体、何が書いてあるのだろう。
和は閉店後、急いで本屋に向かった。どこの本屋もだいたい九時で閉店が多い。本屋に入り、時計を見ると残り十分しかない。
ビジネス雑誌のコーナーへ行き、記憶を頼りに雑誌を見つけ、それを買った。
アパートに帰り、着替えもせず、その雑誌を広げた。雑誌には『ジュエリーの厳しさ。それでも進む経営者、デザイナーたち』という特集が組まれていた。
内容は昔に比べて宝石を買わない人が増えている。若いカップルであれば、婚約指輪は買わず結婚指輪のみの人。結婚十周年にプレゼントするダイヤモンドも少なくなってきている。逆に家電のなどの生活密着したもののほうが人気になってしまった。
宝石離れが起きている昨今、どうやって人々を取り込んでいるのか。
そんな内容のことだった。あとは有名ジュエリーブランドの経営者やデザイナーのインタビュー記事だった。
そのインタビュー記事の中には『clown crown』のデザイナーの人も載っていた。『one square』から一歩先へ。上手いこと言っているようで全然上手くないよと、和は思った。今売っている自己主張の強いアクセサリーを作っている人間か。見るからに自分が一番だと思っている感じが写真から滲み出ていた。
雑誌を読んで思ったことは、不快な記事はなかった。ただ、自分は真也ではない。だから真意はよくわからない。和は雑誌を閉じて深いため息を吐いた。
朝、店に行くと真理しかいなかった。
「和ちゃん、おはよう。今日は真也、体調が悪いから休むって」
昨日の昼過ぎに雑誌を持って出て行った真也。和は深く追及はせず「わかりました。体調、早く戻るといいですね」と言って、スタッフルームへと行った。
バッグを開けると編みかけのミサンガが視界に入ってくる。何となく寝付けなかった昨日、和はミサンガを編んで気を紛らわしていた。それを手首に乗せてみる。自分の首を半分だけ覆うことができた。一体、いつになったら完成するのだろう。ミサンガを完成させ、願いを掛る。そして切れる前に、この店がなくなってしまいそうだ。
ロッカーに荷物を入れ、スタッフルームを出た。
夏休み時期とういこともあってか、学生の客が増えたように感じる。
女子高生くらいの数人が、真理の作ったビーズラブレターの記事を読み「これちょっと取り入れる?」「恥ずかしい」「彼氏は意味知らないから、しれっとあげちゃえばわからないよ」などと言いながら、商品を入れるための籐のカゴを手に取った。
ああ、恋か。眩しいな。私もあんな時期があったんだよなと思いながら、和は彼女たちを眺めた。
いろいろと悩んだ結果、彼女たちはパワーストーンのキットを二つずつ購入した。彼氏とお揃いのブレスレットということだろう。彼女たちにお釣りと商品を手渡す。
「あの、もし作り方がわからなかった場合は、ここに来れば教えてもらえますか?」
「はい。お気軽にご来店ください。こちらもどうぞ。営業時間と定休日が書いてありますので」
「ありがとうございます」
彼女たちは楽しそうに店を出て行った。そのときに鳴ったドアベルも心なしかいつもより少し明るい音に聞こえた。
「和ちゃん、真也の様子が気になるから見てくるね。そのまま休憩に入ろうとおもうんだけど大丈夫?」
倉庫から出てきた真理が和に聞いた。
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、お先に休憩いただきます」と言って、真理はカウンターの中へ入った。
真也の自宅への入り口は、カウンターの中にあるドアだ。そこを開けると二階へと続く階段がある。真理は鍵を開けて、中へと入って行った。
和はレジの近くに置いてあるイスに座り、机に頬杖をついて、誰もいない店内をぼんやりと眺めた。
突然の激しいベルの音でびっくりして勢いよく立ち上がった。どうやら数分間、和は寝ていたらしい。
出入口のドアに目をやると、細身のスーツを着た、目の細い男が立っていた。
「いらっしゃいませ」
居眠りをしていたことを隠すように笑顔で言った。
「高野は?」
男性は高圧的な感じで言う。たった数文字しかない言葉で、ここまで高圧的な態度をとれるのもある意味すごいと思う。
「申し訳ありません。店長の高野は本日、休みをとっております」
和がそう言うと、男性は鼻でフンッと笑った。
この男、態度悪い。和は感情を表に出さないように努めて笑顔を装った。
「ここ、売り上げ、どれくらい?」
"なんだ、コイツ!"という心の叫びが口から出るのを抑え「申し訳ありません。そう言ったことは、お答できません」
「そっか。そうだよな。高野がいないならいいや」
男性はそれで帰ってしまった。
あまりに嫌な奴だったせいで、和はイライラしながらレジを離れて、無駄にイスやテーブルの位置を直し、気持ちを落ち着かせようとした。
次の日、午後からのシフトだった和は、のんびりと家で過ごしてから店に行った。
真也はいつも通りカウンターに居た。
朝でもないのに、反射的に「おはようございます」と言ってしまう。
「おはよう」
「体調のほうはどうですか」
「昨日はありがとう。もう大丈夫」
「風邪ですか?」
真也は少し言いにくそうに「二日酔い」と言った。
「二日酔いですか。風邪とか病気とかじゃなくてよかったです」
「珍しいな。注意しないんだな」
「私も人のこと、言えないので」
すると真也は思い出したかのように「そうだな」と言った。
スタッフルームに入ると、お財布だけを持った真理がいた。
「和ちゃん、おはよう。私、これからお昼休みに行ってくるね」
「はい、わかりました」
真理はスタッフルームを出ると、真也に二言三言声を掛けてから出て行ったらしい。
和もスタッフルームを出た。パソコンに向かう真也を見て、昨日の嫌な客のことを思い出した。
「あの、高野さん?」
「うん?」
「昨日、高野さんを訪ねてきた男性がいました」
今日の高野さんは珍しく眼鏡を掛けている。その眼鏡を少し上げた。
「どんな人」
「たんぶ、高野さんと同じくらいの年齢の人です。細身のスーツで少し上から目線と言うか高圧的な感じと言うか。目が細い人でした」
そう伝えると、真也の顔が曇り「わかった。ありがとう」と言った。
少し気になったが詮索するのも悪いと思い、和はレジの前に移動した。
その瞬間、荒いドアベルの音がした。いつもの少し低くて柔らかいドアベルの音ではない。それはドアを開けた人間の性格を表しているのかもしれな。
「今日はいるんだな、高野」
高野さんは眉間に皺を寄せ、低い声で「やっぱり松村か」と言った。




