【6】紅石英~隠し持った恋~
六月も終わりに差し掛かり、あと数日で七月となる。半袖の似合う季節になってきた。
和は半袖の季節になってから、一つ気になることができた。それは真也が身に着けているパワーストーンのブレスレットだ。
ここはパワーストーン・ビーズ専門店であるため、和も真理もパワーストーンのブレスレットを身に着けている。和が身に着けているのは、ここで初めて作ったあのブレスレットだ。
半袖を着るようになって、手元が無防備になる。そのため、初めて真也が着けているブレスレットを見て、かわいいと思ったのだ。
彼が着けているのは薄いピンク色の石、水晶、黒い石でできているものだ。女の自分でもしたいなと思うデザインだった。
閉店後、後片付けを終え、スタッフルームに行くと、珍しく真理がのんびりとしていた。
「今日は急いで帰らなくていいんですか?」
「うん。今日は子供が友達の家に停まっているの。旦那は外でご飯食べてくるしね」
「そうなんですか」
和はイスに座り、スマホを取り出した。ネットを見ていると、和が好きだったアクセサリーブランドの広告が画面の上に現れた。
久しぶりにそのサイトに行ってみた。相変わらず好きなデザインがなかった。
スタッフルームのドアが開き、真也が入ってきた。
「長谷川、何変な顔をしてるんだよ」
「ああ、ちょっと好きだったアクセサリーブランドのサイトを見ていて」
「どこのだ?」
「clowncrownです」
和の言葉に真也と真理がぎこちない雰囲気となった。和はスマホの画面を見ていたせいで、そのことに気がつかなかった。
「私、ここの『onesquare』シリーズが大好きだったんです。でも三年前にそのシリーズがなくなっちゃって。でも『one square』がなくなるころに販売されていたデザインもあんまり好きじゃなくて。たぶん、デザイナーさんが変わっちゃったんでしょうね」
スマホの画面に表示される派手なアクセサリーを見つめた。
『clown crown』は道化師の花冠という意味で付けられている。道化師の明るさと花冠のような愛らしさを持ったアクセサリーがコンセプトだ。
手頃な値段のものから、婚約指輪のような値段のものまで幅広く取り揃えている。
しかし、ここ数年はデザインが大幅に変わった。今までは職場でも普段使いでも身に着けられるような、シンプルだが少しアクセントの利かせたものが多かった。和も好きなデザインだった。しかし、ここ最近では自己主張が強く、人によっては普段使いでも無理という人もいるぐらいだ。
「私、人生で初めてバイトして出たお給料で買ったネックレスが『one square』なんです。すごく気に入っていて、社会人になってからは毎日しているんです」
和は自分の首元に手をやった。
「もう販売されないのかな『one square』シリーズ。私、二十五歳の誕生日には、このシリーズのネックレスを買おうって決めてたんですけどね」
ネットを切って、スマホをしまう。何故か真也さんは俯いていた。
「高野さん、どうかしましたか?」
「何でもない。早く帰れ」と言って、真也はスタッフルームを出て行ってしまった。
何となく真也が不機嫌ではないかと思い、真理の顔を見た。
「気にしないで。真也は気分屋だから。でも、ありがとう」
「あの、なんのお礼ですか?」
「深い意味はないけど、お礼を言いたくなっちゃったの。それじゃ、お疲れさま」
「お疲れさまです」
なんだかすっきりしない感覚のまま、和も店を出た。梅雨の夜。当たり前のように雨が降っていた。心と共鳴するように、ジトッとした空気の中、和は折り畳み傘を広げた。
次の日、いつも通りにお店に行くと、カウンターの前で微動だにしない真理がいた。
「おはようございます。今日は早いんですね。あのどうかしましたか」
真理が無言で見つめる先には、一枚の紙が置かれていた。
"買い付けに行ってくる。一週間後に戻る"
スケッチブックから破いた紙には、そう書かれていた。
「あの、買い付けって?」
「うちでは海外輸入のビーズも扱ってるでしょ。その輸入管理は全て真也がやっているの。普段はメールのやり取りか、専門のサイトから買っているんだけどね」
「それなら、わざわざ行かなくていいってことですよね」
「まあ、そうなんだけど。年に一回の割合であるのよ、こういうこと。真也がいなくても問題なくお店は機能するから、二人で頑張りましょう」
「はい」
二人はスタッフルームに荷物を置いて、開店準備を始めた。準備が終わると丁度十時になり、和はドアプレートをオープンに変えた。
店内に戻ると真理はカウンターの下に潜っていた。
「どうしたんですか?」
「和ちゃん、A4サイズのビジネス雑誌、知らない? 確かここの棚に置いたんだけど」
「あ、この前真也さんがスタッフルームで見ていたやつかも」
「真也が……」と言い。真理の顔色が少し悪くなった。
「はい。そのあとスタッフルームのごみ箱に丸めて捨てていました」
「そう。なら、いいの。ありがとう」
真理は近くのイスに座った。まるで、そのビジネス雑誌を真也には見せたくなかったように思えた。
真也は謎の部分が多い。自分のことはあまり話さない。簪の修理を見て、プロなんだなと思った。お店の宣伝もしているし、キットのデザインだってちゃんとやっている。それなのに「いつ畳んでもいい店」と言う。彼の心は不安定なのかもしれない。何かの理由によって。
「和ちゃん、パワーストーンの意味について勉強しない?」
先までの表情はなくなり、いつもの真理がそこにはいた。
「パワーストーンにはそれぞれ効力があるんですね」
「そう。代表的なものだけでも知っていると、接客のときに便利よ」
「はい。お願いします」
真理はスタッフルームから数冊の本を持ってきた。
「はい。これを使って説明するわね」
和と真理はカウンターに並んで座る。
本を受け取り、中をパラパラとめくった。写真付きで丁寧な説明が書かれていた。
「まず、パワーストーン界で一番人気のものから」
真理は和の手から本を取り、ページをめくった。
「はい、これは水晶。クォーツね。私のブレスレットにも、和ちゃんのブレスレットにも、水晶が入っているの。効果は魔除けなんだけど、実は万能の石。どんなことにも優れている石。だからパワーストーンを扱うときは、必ずって言っていいほど水晶を使うの」
なるほどという感じで、和が小刻みに首を振っていると、真理は次のページをめくった。
そこにはピンク色の石の写真が載っていた。これを見て真也のブレスレットに使われている石だ、と和は思った。
「これは紅石英。ローズクォーツのことね。名前くらい聞いたことあるでしょ?」
「はい。あの、前から気になっていたんですけど、なんで和名もビンに書いてあるんですか?」
「それは真也が言ったの。パワーストーンは和名がきれいなんだ。それを表記しないなんて勿体ないって」
なるほどと思い、真理に話の続きを促した。
「ローズクォーツは恋愛運を上げるのに効果的なの。女性はこの石を使ってブレスレットを作ることがすごく多いわね。他の効能は、美容や女性らしさを高める。正に、女性のための石よね」
「そうですね」
話を聞いている間、真也のパワーストーンのブレスレットが頭の中でちらついた。あれは自分のためのブレスレットなのだろうか。それとも女性からのプレゼントなのだろうか。自分には関係のないことを考えてしまった。
真理は本日のお客様第一号が来るまで説明をしてくれた。
昼過ぎになると客足が増え、二人は接客を中心に仕事を熟なす。小さな客の波が引き、和は商品の陳列をしていた。
「和ちゃん、今日は意外とお客様が来たね」
「そうですね」
「なんかね、一昨日の情報バラエティ番組で主婦が手軽に始められる趣味っていうので、ビーズアクセサリーが上がっていたみたい。その影響かも」
「へえ」
和はネット社会になっても、テレビの影響力って案外あるもんだなと思った。
「和ちゃん、パワーストーンを選ぶときは一人がいいと思う? 友達と一緒のほうがいいと思う?」
「うーん、友達と一緒?」
「はずれ。一人が一番よ」
「どうしてですか?」
「パワーストーンはある種の心理テストなのよ」
陳列棚から手を離し、真理のほうを見た。和にいたずらな笑みを浮かべながら真理は話を続けた。
「だって、パワーストーンには効果・効能があるでしょ。もし、ローズクォーツをたくさん使っていたら、この人は恋をしているんだなって思うし、タイガー・アイを使えば金運が欲しいだなって思う。つまり、その人が欲しているものが丸見えじゃない。意外と気にしない人が多いけどね」
真理は段ボール箱を抱えて、倉庫へ行ってしまった。
言われればそうだ。こんなにも人の心を投影してしまっているアクセサリーは他にないかもしれない。
真也が突然、海外に旅立って一週間。
店に行くと、いつも通り真也がいた。カウンターの奥にあるイスに座っている。彼の所定位置だ。
パソコンの弄っていた真也は、呆然と突っ立っている和に「何してるんだ、早く開店準備しろ」と言った。
「いや、何当たり前のようにいるんですか。一言ぐらい何かないんですか。私、結構びっくりしたんですよ」
「びっくりした? 心配はしないのかよ」
「ビーズの買い付けという理由はわかっていたので、そこは特に」
「なんだよ、心配しろよ」
「何で心配しないといけないんですか?」
「それが人の情だろ」
「情を掛けてもらいたいなら、情を掛けてもらえるだけの行いを日頃からきちんとしてください」
和はスタッフルームに荷物を置き、真也の存在を無視して、開店の準備を始める。
「長谷川。おい、ちょっと無視するな、長谷川」
広いとは言えない店内で、和の後ろを追っかける真也。こっちを見ようともしない和に痺れを切らして、真也は反対から周った。
「悪かったです。予定を特に知らせず、勝手に海外に行って。これからはちゃんと予定を立てます、たぶん」
「たぶん?」
「立てます。ちゃんと予定は立てます。言います」
「そうしてください。高野さんがいない一週間、意外と忙しかったんですから」
真也は頭を掻きながら「そうみたいだな。売り上げがいつもより多い。お疲れ様です」と言った。
そうなのだ。テレビのおかげで、ビーズ教室の予約がいつもより倍の件数で入った。和が教えられることは少なく、真理が中心となってビーズ教室を熟していた。
「これ、お土産」
真也は小さな紙袋を差し出した。
「ありがとうございます」
それを受け取ったとき、定番のボールペンだと思った。袋を開けるとそこに入っていたのは金色の簪だった。
細い棒の先には、ピンク色に小さな白い花をあしらい、金粉が雪のように舞っているガラスビーズが付いていた。
「きれいです。ランプワークビーズ?」
「そう」
「ありがとうございます。大事にしますね」
真也は「ああ」と言いって、少し照れたように笑った。この人もこんな表情をするのかと思った。
照れを隠すように左手で頭を掻いている。その手首には相変わらず、ローズクォーツが窓から差し込む光を浴びて、つやつやと輝いていた。