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【5】真珠~幸せを願って~

 日差しが強くなった昼下がり。日の光が眩しく感じたのどかは、ブラインドを下した。

 すると猛ダッシュする中年の男性が見えた。こんな暑い日に大変だなと呑気に見ていたら、その男性は勢いよく店のドアを開けた。ドアベルが激しく揺れていた。

「すみません、真珠のネックレスの直し方を教えてください」

 男性は息を切らしながら言った。

 真理は物静かに「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」と、丸テーブルのほうへ促した。

「事情をご説明いただけますか?」

 男性は息を整えると状況を説明し始めた。

 なんでも明日は娘さんの結婚式で、そのときに奥さんが大事に使っていた真珠のネックレスを、娘さんに着けてあげるつもりだった。

 ところがネックレスを手に持った瞬間、糸が切れてしまったのだ。

 宝石店で見てもらったら、最短で二日かかると言われてしまい、途方に暮れてネットで調べていたら、この店の情報見つけたのだ。

「お話はわかりました。ネックレスを見せていただけますか?」

 濃紺のベルベット素材のものに覆われているケース。高いアクセサリーはこのケースに必ず入っている。箱の中にはバラバラになった真珠がコロコロと動いていた。

「糸が劣化によって切れてしまったんですね」

「これなら問題なく直せますよ。お時間はありますか?」

「あ、はい」

「でしたら、お父様が直されてはいかがでしょうか? 直し方は私が教えますので」

「いや、私は不器用でして」

「真珠を糸に通すだけです。娘さんも、奥様もきっと喜ばれますよ」

 真理さんがそう言うと「やります」と、男性は答えた。


「では、少しお待ちください」

 真理は和に目配せをし、和をカウンターへと引っ張っていく。所定位置にいる真也も不思議そうにこっちを見ていた。

「和ちゃん、このネックレスに合うようなパールのブレスレットのキットをいくつか持ってきて」

「わかりました」

 和はキットの中から、シンプルなタイプのブレスレットを三つほど選らんだ。あの真珠のネックレスは留め金がシルバーだった。それに合わせてシルバーのパーツものを選ぶようにした。

「お待たせしました」

 材料を持ってきた真理と和は男性の前に座った。


「ではまず価格説明をいたします。お客様の場合は工具のレンタルということで四〇〇円になります。ただこちらは原則として、店内の商品を購入されたお客様のみがご利用できるものなんです」

「わかりました。何か買います。でも何を買えば」

 男性は困った顔で店内をぐるっと見回した。普段来ないようなお店で何かを買わなければならないというのは大変なことだ。

「あの、こちらのネックレスは娘さんにあげるものですよね」と真理さんが聞いた。

「はい」

「でしたら、こういうのはいかがでしょうか?」

 和が選んだキットを三つ、男性の前に並べた。

「こちらはブレスレットを作るのに、必要な材料が一袋にまとまっているものです。この中に入っている作り方説明書に沿って作ってくだされば、写真と同じものができるようになっています」

 男性は「へえ」と言いながら、キットをしげしげと見つめた。

「これを奥様にプレゼントなさってはいかがでしょうか?」

「え?」

「奥様の大事なネックレスは明日、母から子へと手渡されます。その代わりと言っては難ですが、今度は旦那さんから奥様にプレゼントなさってはいかがですか?」

 和は真理さんの営業力がすごい、と思った。

 真理の言葉に男性は心動いたようで「これを買います。ここで作っていってもいいですか?」と言った。

「はい。もちろんです」

 真理はそのキットを受け取った。和はテーブルに残った他のキットを横に除けた。


「ではネックレスのほうから始めましょう」

 グレーのフェルトが内側に貼られているトレーの上に、真珠のネックレスを移した。

「まず、ネックレスの留め具であるアジャスターの部分は私がやりますね」

 真理は慣れた手つきで、繋がったままだったアジャスターをネックレスから取り外した。そして白い糸を一メートルとくらいに切り、ビーズ針に通した。

 最初にアジャスター通し、続けて真珠を三つ通した。

「真珠のネックレスは必ずアジャスター部分から左右に三か所ずつ"ノット"を作るんです」

「ノットとは?」と男性は聞き返した。

 和も初めて聞く言葉で、真理の説明に耳を傾けた。

「ノットと言うのは結び目のことです。左右に三か所ノットを入れることで緩みを防ぐんです。こんな感じ」

 真理はアジャスターの次に一つ目の真珠を寄せ、そこで糸を堅結びした。それを残りの真珠にも繰り返した。

 それは台所などに掛かっている木製のビーズでできた暖簾を思い出した。暖簾のように珠と珠の隙間はあいていないが、似たような感じがした。

「はい、ノットが完成しました。では、ここからお客様が」

 そう言って真理はトレーごと、男性の前に置いた。男性はたどたどしい手つきでビーズ針を掴み、一つずつ真珠を通していく。

「パールが残り三個になりましたら声を掛けてください」

 席を立ち上がった真理に釣られ、和も一緒に立ち上がった。すると男性が少し不安そうな顔でこっちを見ている。

「私、もう少しここにいますね」と言って、和は腰を下ろした。

「和ちゃん、キットからビーズ出して仕分けしておいて」

「わかりました」

 真理はそのままカウンターのほうへ行き、カウンターの横にあるドアを開けた。そこは倉庫として使っているところだ。


 何か特別に必要なものでもあったのかなと思いながら、和はキットからビーズを取り出した。

 三角形のトレーを大きめのトレーの上に乗せる。そして種類ごとにビーズを仕分ける。作り方を見ながら、三角形のトレーの端に、ビーズの名前を書いた付せんを貼った。

 男性のほうを見ると、順調に糸へと真珠を通していた。通していない真珠も残りわずかとなっていた。

「あの、できました」

「はい、少々お待ちください」

 和は倉庫にいる真理を呼びに行った。

「真理さん、お客様のほうが終わりました」

「そう、わかった。和ちゃん、あの上の棚の箱、取れる?」

 真理が指さす先には小ぶりの段ボール箱があった。和が背を伸ばすとギリギリ届く感じだった。その箱を掴むと、予想以上に軽かった。

「ありがとう。助かった。それもお客様のところに運んでくれる?」

「はい」

 二人は一緒に倉庫を出て、男性のところへ戻った。


「お待たせしました。残りはこちらにお任せください。次はブレスレットのほうに取り掛かってください。和ちゃん、お願いね」

 私なのか! と心で叫びつつ、冷静を装って男性に話し掛けた。

「ではブレスレットの作り方を説明します」

 和は説明書を指さしながら作り方を説明した。ブレスレットの作り方は、ここで初めて教わりながら作ったパワーストーンのブレスレットと同じである。

 ナイロンゴムをカットし、ビーズ針に通す。通したビーズが落ちないように、ナイロンゴムの先にクリップを付け、ストッパー代わりにする。

「どうぞ、さっきのネックレスと同じ要領です。絵を見ながら、指示されているビーズを順番に通してください。わからないことがあったら、声を掛けてください」

 男性は「はい、ありがとうございます」と言って、ビーズを通していく。だいぶ慣れたのか、たどたどしい感じはなくなっていた。

「できた」

 真理の声に二人が視線を向けた。

「きれい」

 和はつやつやとした真珠を見つめ、うっとりとした顔で言った。

「真珠って、控えめな美しさって感じが、私大好きです」

「お客様、ご確認をお願いいたします」

 男性は真珠のネックレスを受け取ると、ほっとした顔をする。

「これで娘が明日、身に着けることができます。ありがとうございます」

「いえ。あとはブレスレットだけですね。もう一息です」

 真理がそう声を掛けると「はい」と言って、男性は残りのビーズを通し始めた。

 順調に全てのビーズを通し終え、ナイロンゴムの処理を真理が行った。

「無事に完成しましたね」

「はい」

 和と男性は嬉しそう微笑みあった。

「和ちゃん、さっきの箱から一つ袋を取ってくれる?」

 倉庫から持ってきた箱の蓋を開けると、オーガンジーでできたかわいい巾着袋が入っていた。紫から青、そして水色へと変化していく色合いだった。それを一つ取り出し、テーブルに置いた。

「これに入れて奥さんに渡してください。きっと喜ばれますよ」

 男性はできあがったばかりの真珠のブレスレットを中にいれ、口をキュッと縛った。白い真珠がブルーの袋から透けるように見えて、とてもきれいだった。

 男性はお会計を済ませ「本当にありがとうございました」と言った。

「お役に立ててよかったです」と言って、真理がネックレスとブレスレットの入った紙袋を渡した。

「明日、いい結婚式になるといいですね」

「はい」

 男性は軽く会釈をして、にこやかに帰っていった。ここにやって来たときの焦り顔が嘘のように思えた。


 仕事を終え、アパートへ帰り、部屋でのんびりとしていた。するとスマホからマナー音が聞こえてきた。

 誰だろうと思い、画面を見ると"お母さん"という文字が浮かんでいる。

「もしもし」

『和、元気にしてる?』

「うん」

 久しぶりの母親の声にほっとする。

『仕事のほうはどう?』

 和は思わず「あっ」と言ってしまった。親に言うことすっかり忘れていたのだ。働いていた印刷会社が倒産したことを。

「あのさ、言いにくいんだけど、働いてた会社、倒産した」

 数秒の無言。そして「え!」という驚きの声。その落差にビックリしてスマホを耳から少し離した。

『じゃあ、いまは無職なの?』

「いや、アルバイト」

『そう。お金のほうは大丈夫?』

「そこは大丈夫だよ。趣味が節約と貯金だもん。就職するまで食いつなぐくらい問題ないし」

 母は少し安心した声で『それならいいけど』と言った。

「ごめん、心配かけて」

『いいのよ。困ったことがあったら連絡ちょうだい』

「ありがとう」

『ねえ』と母は思い出したかのように、声のトーンを上げて話し始めた。

『お隣のさっちゃん、結婚するんだって』

「うそ、早智さちお姉ちゃんが!」

 早智は和より三つ上で、姉妹のように仲良かった。早智が大学進学を機に一人暮らしを始めたあたりから、会う機会も減っていった。

「早智お姉ちゃんって今年で二十八だよね」

『そうね。二人で遊んでいたのが、つい最近にも思えるけど、もう結婚をするような年になったのね』

 そんなことを言われると、自分もいつかは結婚するのだろうかと考えてしまう。

 今日来たお客さんのことを思い出した。娘を送る出す父親というのは、あんなに優しい笑顔になるものだろうか。

 自分の父を浮かべるが、全く想像ができなかった。

「ねえ、私が結婚するって言ったら、お父さんは喜ぶのかな。それとも反対するのかな」

『何、結婚を考えているような相手でもいるの?』と、焦って母が聞いてきた。

「いや、居ないよ。ちょっと頭に浮かんだことを言っただけ。彼氏すらいないから」

『びっくりした。お父さんは一回反対するでしょ。それで渋々許可を出して、和の結婚式が終わったら、一人で号泣するのよ』

「何それ」

『父親なんてそんなもんよ。少し長電話になっちゃったかしら? もう切るわね。仕事のこと、無理しないでね』

「うん、ありがとう。おやすみなさい」

 通話を終え、スマホを充電器に填めた。

 また余計な心配を掛けてしまった。二度も働いている会社が潰れたら、誰だって心配するか。

 和は明日郵送する予定の履歴書を書き始めた。いくつか気になるところの面接を受ける予定だ。今のところ、店の定休日に当たる水曜日に再就職先を探している。

「次に働くところは倒産じゃなくて、転職や寿退社みたに、前向きな理由で辞めたいな」

 そんなことを一人つぶやく。辞めることを前提に就職するわけではない。ただ、二度も倒産による転職を経験すると、そういう考えも出てしまう。


 九時に店へ行き、スタッフルームに向かった。そこには真也が難しそうな顔をして、雑誌を読んでいた。

「おはようございます」

「おはよう」

 ロッカーに荷物を入れる。そして常に置きっぱなしにしてあるポーチから簪を取り出した。

 ロッカーのほうを向いたまま簪で髪をまとめた。

「へえー、すごいな」

 振り向くと真也がこっちを見ていた。

「何がすごいんですか?」

「簪一本でそんな長い髪をまとめられるんだな。ピンとかゴムを使って留めてるんだと思ってた」

「そういうのを使って留める人もいますよ。私は特に使いませんけど。簪って慣れるとヘアクリップより使い勝手がいいと思っちゃいますね」

 真也は「ふーん」と言って、持っていた雑誌を筒状に丸めて、ごみ箱に捨てた。そこからゴトッと鈍い音が響いた。

 和もごみを捨てようと、ごみ箱に行くとその雑誌の表皮が見えた。それはジュエリー関係が特集で組まれているものだった。

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