【3】金紅石入り水晶~お勉強は大変です~
和はバイトとして『Round Drop』で働くことになった。真理は正規雇用を考えていたらしい。
しかし真也の一言でそれはなくなった。
「この店はいつ畳んでもいいと思ってるから」
「それどういう意味ですか?」
「うん? そのままの意味」
「いや、ちょっと待ってください。私、運が悪ければ、三度目の勤め先の倒産を経験するかもしれないんですか?」
二人の会話を真理は困ったなという顔で見ている。
真也はカウンター越しにムスッとした顔で話しを続けた。
「長谷川は就職までの繋ぎのバイトを探してるんだろ。ここはそのバイト先じゃないのか?」
「そうでした。では、店長、私をバイトとしてここで雇ってください」
「はい。今日からどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。就職先が決まり次第、すぐに辞めますから」
和は鼻息を荒くしながら体を九十度に曲げる。そして勢いよく体を起こし、スタッフルームへ向かった。
ドアを勢いよく閉めると、真理の怒った声が聞こえてくる。真也は特に反論をしてはいないようで、彼の声は全く聞こえなかった。
店長って、ただの不機嫌な人じゃなくて、性格の悪い人じゃない。イケメンでも背が高くても、あれじゃ人として経営者として駄目でしょ。大石さんが居なかったら、ここの運営なんて成り立たないよ。和はイライラしながらイスに座った。
スタッフルームはロッカー、流し台、本棚、冷蔵庫があり、中央には正方形のテーブル一台に四脚のイスが置かれていた。
ドアの向こうが静かになったと思った。するとドアが開き、真理がやって来た。
「長谷川さん、弟がごめんなさい」
「いえ。私も口喧嘩のような会話の流れを作ってしまいましたから」
「ううん、あれは弟が悪いわ。真也、この店を出す前にいろいろあって、まだそのことを引きずっているみたいで。口癖のように、ここはいつ畳んでもいいって言うの。ある種の自己防衛だと思うんだけど」
真理は少し悲しそうな顔で微笑んで「無理にここで働かなくてもいいのよ。バイトなら他にもあるだろうし」と言った。
あんなふうにはなったけれど、ここで働くという選択肢を放棄する気にはなれなかった。ここに来て、初めて見た美しいビーズは和の好奇心をくすぐった。今はそれに従ってみたい。
「いいえ。バイトとして、ここで働きたいです。もしここの仕事を好きになって、ちゃんと働きたいと思えたら店長を説得します。そのときは大石さんのお力も借りしちゃうかもしれませんが」
「そうね。そのときは私も頑張るわ。これからよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
真理と和がスタッフルームを出ると、真也は開店準備のため出入口前で看板を広げていた。店内に戻ってくると和のもとへ来た。
「悪かった。今日からよろしく」
そう言って、また胡散臭い笑顔を向けた。
「いえ。よろしくお願いします」
「うん」
真也はカウンターに戻り、スケッチブックを広げた。
「さあ、うちのお店について説明するわね」
真理は店の中央にあるテーブルにつき、和も同じように座った。
「パワーストーン・ビーズ専門店『Round Drop』の歴史を説明します。このお店は今年で四年目。もとは私たちの祖父が経営していた骨董店だったの。それを改装して現在。開店は十時、閉店は八時。開店の一時間前にはお店に来てね。水曜日は定休日だから」
「はい」
元骨董店と聞いて、このお店のレトロな雰囲気に納得した。
「次にうちのお店で販売しているものを説明するね。ものを見た方が早いと思うから、ちょっと待ってて」
真理は立ち上がり、店内にランダムに置いてある籐でできたカゴを一つ取り、それにいくつかの商品を入れていった。
「お待たせ。まず、うちの主力商品」
テーブルに置かれたのは、ハガキサイズくらいの透明の袋に、パワーストーンのブレスレットの写真が見えるように入っていた。それを手に取り、和は裏返した。中にはパワーストーン、ビース、紐などの材料が入っている。
「これを買えば、この写真と同じブレスレットが作れるキットなの。中にはイラストで描いた作り方説明書、ビーズ、ナイロンゴムが入るわ」
「へえ、お手軽でいいですね」
「値段も種類も幅広くしてるから、初心者の人がよく買っていくわね。ちなみにこのキットを買った人はここで作っていくことも可能よ。キット代に四〇〇円足せば、工具と店員によるレクチャーもついてくるの」
「そのレクチャーは大石さんが担当して言うんですか?」
「そうよ」と言って、真理は微笑みながら「あと真理でいいよ。お教室の常連さもそう呼んでるから」と付け加えた。
「はい。私も名前でいいですよ」
「そう? じゃあ、和ちゃんって呼ぼう。次にうちでやっているビーズ教室の説明ね」
カゴからはみ出ていた、B5サイズの紙を渡される。
「うちでは午前の部と午後の部、一日二回、予約制でビーズ教室を開いているの。ただし、予約が何も入っていいない場合は、予約なしの人にも教えたりしているけどね。講師は私。手が足らないときは真也にも手伝ってもらってるの。和ちゃんが慣れてきたら、この教室の手伝いもやってもらいと思っているから」
「はい」
用紙にはビーズ教室で作れるものが書かれていた。ブレスレット、携帯ストラップ、スマホ用イヤホンジャック、簪、万華鏡だった。値段設定は三種類あって、五千円、二千九百円、八百円だった。値段によって作れるもの、使えるビーズが変わってくるらしい。
「このお教室では、手持ちのアクセサリーやビーズを一緒に使うことも可能なの」
「店内のじゃなくていいんですか?」
「うん。ビーズが好きな人って、いろんな所でビーズを買うのよ。それこそネットで海外でしか売っていないビーズを購入する人もいるしね。素敵なビーズを買えば、それを使って作りたくなるのは人の性。同じビーズ好きとしては、その本能を止めるわけにはいかないわよ」
力説をされて和はビーズへの情熱ってすごいと思った。
「販売に関しては大体の説明は終わったし、次はビーズの種類についてね」
テーブルの上に置いていたカゴを空いている椅子の上に置き、色とりどりのビーズを並べ始めた。
「あっ、和ちゃんはビーズアクセサリーとか作ったことある?」
「ないですね」
「細かい作業は嫌いじゃない?」
「はい。編み物や料理は好きです」
「それなら慣れれば大丈夫ね。試に、このキットを使ってパワーストーンのブレスレットを作ってみましょう。ごめん、真也、工具箱持ってきてくれる」
真也は無言で工具箱をテーブルに置いて去って行った。
真理は工具箱を開け、ハサミ、ボンド、正三角形で手のひらサイズのトレー、溝のあるグレーのボードをテーブルに広げる。
そのボードを興味津々に見ていると、真理が「デザインボードよ」と言った。
「今回はキットのものを作るから必要はないんだけど、使い方の説明をするためにね」
キットの袋を開けた真理は、作り方が書かれている紙を和に渡した。
それはカラフルで、イラストと文章で丁寧に作り方が描いてある。初心者の自分でも作れそうだと思った。
次に三角形のトレーにビーズをバラバラと真理が入れる。空のトレーとビーズの入ったトレーを和の前に置いた。
「これは何で三角形の形をしていると思う?」
和は二つのトレーを手に取る。尖っている部を掴むと、安定した感じで持てた。
「持ちやすいように?」
「それもあると思うんだけど。和ちゃん、空のトレーにビーズを移してみて」
言われた通りにやってみてわかった。トレーを斜めにすると、尖った部分からビーズが流れ出た。
「ビーズの移動が楽ですね。元のケースや容器に入れるときも楽なんだ」
「そう。次はこのデザインボードね」
デザインボードと呼ばれたものは、A4サイズで、真ん中に大きくUの字の溝が三本あり、Uの字の周りにもボードの淵にも、ゼロを基準にして右左対称にメモリが振られていた。
「これはブレスレットやネックレスなどで、ビーズが連なるものをデザインするときに使うの。こうやって……」
トレーからビーズを取り出して、一つずつ並べ始めた。中心に当たるゼロのところの溝に透明のビーズを置き、それを挟むように青いビーズを置いた。そしてまた透明のビーズを青いビーズの隣に置く。それを繰り返すと透明と青が交互に並んだ連なりができあがった。
「これで一番端から順番にナイロンゴムに通して、固結びをすれば完成。初めてデザインをする人でも、ビーズそのものを使いながら考えることができるから、とても便利なの。お教室でもよく使うの」
これを考えた人はすごいなと思いながら、和はデザインボードにビーズをちょこちょこと置いた。
「じゃあ、まずこの作り方の絵と同じようにビーズをこれに並べて」
「はい」
和は絵を見ながらビーズを順番に並べていった。絵のビーズには線を引っ張って、ビーズの名前も書かれている。
水晶、真珠、ムーンストーン、ラピスラズリ、FPが並んでいる。
「あの、このFPってなんですか?」
「何だと思う?」
たぶん英単語の頭文字を取って略しているのだろう。ビーズの色はピンク。パワーストーンの名前は色から来ているものがある。なら、これも色?
和は頭の中で、Fから始まる単語を思い浮かべた。fresh、fruit、flower。どれもしっくりこない。
ビーズの色は少し濃い目のピンク色。ピンクか。
「あ、Flamingo! で、Pは、P……。パ、パ、Passion!」
パッションの部分を力強く和は言った。その瞬間、ブーっという噴き出す音が背後から聞こえてきた。そんな音を出すのは一人しかいない。
後ろを振り向き、カウンターの奥で堪えきれない笑い声を、口から漏らしている真也の方を見た。
「間違っているんですよね。それぐらいわかってますから。笑いたければ堂々と声を上げればいいでしょ」
真也は無理やり笑いを止め「悪い」と言って、また少し笑った。
「長谷川、パッションはないだろ。そのビーズの色から連想して言ったのはわかるけど。せめてFlamingo・Pinkとかにしろよ」
「だってフラミンゴの時点でピンクじゃないですか。それでまたピンクにしたら、くどいと思って」
「ああ、なるほど。でも、パッションはな」
和は真也を無視して「真理さん、答えを教えてください」と言った。
「答えはFire Polish。丸いガラスビーズの表面にダイヤのようなカットを施したあと、火で炙って表面に丸味を出したビーズ。チェコ共和国で製造されているチェコビーズの代表格ね」
和は真也があれだけ笑った理由が分かった。あまりにかけ離れたことを言ったからだ。
「じゃあ、このナイロンゴムを六十センチくらいにカットして、このビーズ針に二重通りにする」
ナイロンゴムは透明で伸縮性のあるもの。ビーズ針は細めの針金でできていて、無駄な力を入れたら曲がってしまいそうな感じだった。
ビーズ針にナイロンゴムを通し、作り方を確認しながら、ビーズを一つずつ通していく。
全てを通し終わったとき、真理が「そうだ」と言った。
「せっかくだから、お店にあるパワーストーン、好きなのを一つ選んで。それも入れよう」
「いいんですか?」
「うん」
和は脇目も振らず、一つのパワーストーンを選らんだ。
「これがいいです」
真理にビンごと手渡した。
「ルチルクォーツ」
この店で初めて手に取ったパワーストーン。
「和名は金紅石入り水晶。石が持つ力は金運、恋愛運、健康運のアップ。ちなみに金紅石はラテン語で金色に輝くって意味なのよ。見た目通りの名前よね。この金色の線を"ヴィーナス・ヘアー"や"キューピットの矢"って呼ぶの。"ヴィーナス・ヘアー"が直線のもの。"キューピットの矢"が曲線のもの。恋愛運が上がりそうよね」
真理からビンを受け取り、一粒だけ、それを取り出した。手の上で転がる石は金色の直線が幾筋も入っている。正しく"ヴィーナス・ヘアー"だった。
それをナイロンゴムに通し、ゴムをしっかりと結び、余った部分を処理した。
「お疲れさま。これで完成よ。それは和ちゃんにあげるわ」
「ありがとうございます」
完成したブレスレットを腕に通すと、心なしか少し元気になった気がした。
「とりあえず、ビーズの説明はこれくらいでいいかな。明日の午後にビーズ教室の予約が入っているから、それを見学して」
「はい、わかりました」
和は真理と一緒に後片付けをした。そのあと、在庫の確認の仕方、予約やお取り寄せ等の対応、レジの使い方を教えてもらった。
午後はお客さんの対応をして、数回使ううちにレジの扱いも少し慣れた。
初めての事ばかりで慣れないことが多く、一日があっという間に過ぎた。
店を閉めると真理さんは「お疲れさま」と言って、すぐに帰ってしまった。子を持つ母親だもんね、夕飯の準備で家に帰っても忙しいんだろうな、と和は思った。
「長谷川、ちょっといいか」
「はい。何ですか?」
真也は気を使っているのか、一応笑顔で近づいてきた。
「姉さんは長谷川に経理をって感じのことを言ってただろ?」
「そうですね」
「経理は今まで通り、俺と姉さんでやる。ただ月末の帳簿の確認は長谷川に手伝ってもらいたい」
「わかりました。そのときなったら言ってください。それなりに貢献できると思いますから」
真也は「そういうことで、よろしく。帰っていいぞ」と言って、今日一日離れることのなかった、カウンターの奥に引っ込んだ。
「店長、まだ仕事するんですか?」
「店長って呼ぶな」
「何故ですか?」
「深い意味はない。名前で呼べ」
真也はずっと笑顔を貼り付けて喋っている。顔と言葉遣いが合っていないせいで、余計に胡散臭く見える。
「高野さん」
「何だよ、早く帰れ」
「無理して笑わなくていいですよ。バイトとは言え、私も従業員です。辞めるまで開店から閉店まで、ずっと一緒にいるんです。そんな笑顔を疲れるでしょ? ムスッとしている高野さんのほうが高野さんらしくていいですよ」
胡散臭い笑顔はみるみるうちに消え、いつもの不機嫌そうな顔になり、頭をガシガシと掻いた。
「長谷川って、生意気だな」
「率直な意見を言ったんです」
「うるさいよ、まったく。ほら、さっさと帰れ」
「言われなくても帰ります」
和はスタッフルームから荷物を持って、もう一度真也の前に立った。
「何だよ。早く帰れ」
「私、ビーズやパワーストーンがすごく好きになりました。バイト頑張ります」
「就職活動も頑張れよ」
「そうでした。お疲れ様です」
真也も「お疲れ」と言って、スケッチブックのページを一枚捲った。そのとき、ちらっと絵が見えた。ネックレスらしきものを書いて、上から鉛筆で黒く塗り潰していた。
気に入らなかったからって、そこまでしなくても、と思いながら和は店を出た。
六月に入り昼間は半袖でも過ごせるくらい温かい日が続いている。それでも夜になると少し肌寒く感じる。駅へと歩きながら、バッグからカーディガンを出し、それを羽織った。少し長い袖をきゅっと上に引っ張ると、パワーストーンのブレスレットが見えた。
和は立ち止まり、ブレスレットを填めている左手を首元のネックレスにやる。それはダイヤ型のムーンストーンと三日月のモチーフがついているものだ。
そのまま、少し冷たい空気を吸い込み"頑張ろう"と心で唱える。そして和は歩き始めた。