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手がかり

 錦織はアタッシュケースを左手で転がしながら、右手に持ったハンドタオルで汗を拭いている。殿山駅を降りてから三十分ほど経過し、ようやく和田町一丁目に辿り着いたのだ。


「この辺のはずなんだけどなあ」


 辺りをキョロキョロ見回す錦織に杖をついた老婆が話し掛けてきた。


「お嬢さん、観光でいらしたの?」


 さっきまでは視界にも入っていなかった人物に突然話し掛けられた錦織は幽霊でも見たかのようにわっと声をあげ後退りした。


「あっ、はい。人を探してまして。この辺りに吉村守さんという方がいらっしゃると思うんですがご存知ありませんか?」


 老婆は百年近い人生の中で蓄えてきた皺という皺を寄せにこりと微笑んだ。


「せがれにご用ですか? 今漁に出てるので夕方には戻ると思いますよ。こんなに若くて綺麗な娘さんとお知り合いだったなんて。よかったらうちに来てせがれが帰って来るまでお茶でもどうですか?」


 老婆は錦織の返事を待つことなくくるりと背を向け、気丈に歩きだした。


「えっ? 守さんのお母さまでいらっしゃるんですか?」


 すると老婆は足を止め振り向いた。


「お嬢さん、言葉に訛りがないのね。東京の方なの?」


「はい。東京から来ました。あ、まだ午前中ですし夕方までどこか観光でもしてきます。お勧めの場所とかありますか?」


 老婆は錦織の言葉に少し驚いたような顔を見せた。


「こんな暑い中そんなに大きな荷物を持ちながら観光なさるの? 夕方にはうちにいらっしゃるんでしょ? 荷物うちに置いておけばどうかしら」


 錦織は老婆の言葉に甘え荷物を置かせてもらう事にした。


 築五十年は経過していそうな大きな木造の一戸建ての前で老婆は立ち止まった。


「着きましたよ。さあさあ」


「大きなお家ですね」


 門をくぐると漁家らしく大きな網が柵に掛けられていた。

 居間に通された錦織は部屋中を見回している。壁には大きな魚拓(ぎょたく)が掛けられていた。


「お母さん、この魚拓は何のお魚なんですか?」


「それはカツオですよ。亡くなった主人が一本釣りで釣ってきましてね。暑いでしょ。今麦茶持ってきますからね」


 老婆はそう言うと杖をつきながら台所へ向かっていった。


「ありがとうございます。でもお構い無く」


 しばらくすると老婆が麦茶を持ってきた。透明のグラスの周りには所々に赤いスイートピーの模様が描かれている。


「すみません。いただきます。あっ、まだ名前言ってませんでしたね。わたし、錦織栞菜と申します」


 そして錦織は美味しそうに一気に飲み干した。そんな錦織の姿を老婆はにこやかに眺めている。


「栞菜さんとおっしゃるのね。可愛らしいお名前ですね。あっ、観光なさるのよね。でもこの辺りはねえ……」


 老婆は言葉を止めると少し俯いた。するとぱっと顔を上げる。


「そうね。大洗まで行けば水族館やめんたいパークがあるわね。あとは海くらいかしらね。景色が見たいならマリンタワーもあるわよ」


 すると錦織は老婆の最後の言葉に目を輝かせた。


「タワーがあるんですか? そこ行ってみたいです」

 

「大洗までなら電車で一時間くらいかしらね」


 荷物を置かせてもらい錦織は出ていった。電車を乗り継ぎ大洗駅を降りるとマリンタワーがそびえ立っていた。


「あれか」


 錦織は呟くと歩きだした。お昼を少し過ぎた頃錦織はマリンタワーに着いた。上まで登るのは有料である。錦織は百円玉を数個出しチケットを購入するとエレベーターへ乗り込んだ。


 エレベーターを出ると錦織の目に飛び込んできたのは広大な海とその向こうに広がる水平線だった。錦織には九十九里で見たそれとは少し違っているように映っていた。


 あの手紙はどこから流れてきたのだろう。何故二度も手紙を海に投げ入れたのだろう。


 その事実が数日後に判明するなどという事を錦織は知る(よし)もなかった。


 そして、恋が始まるなどという事も考えてもいなかったのだ。

 

 錦織はタワーから降りると砂浜まで歩いて行った。そして乾いた砂の上に腰を降ろし遥か彼方の水平線を眺めていた。


 陽も少し傾いた頃、錦織は来た道を辿って行く。


 夜七時前、老婆の家に着いた錦織は再び居間に通された。そこには漁家らしい魚料理がずらりと並んでいた。


「さあさあ、食べて下さいな。いつもはせがれと二人きりだからたいした料理もしないんですけどね」


 老婆はひ孫程の錦織に対し嬉しそうにそう言ったのだ。


「わあ。夕飯までいただいていいんですか? ありがとうございます。ところで守さんはお帰りになられたんですか?」


「今お風呂に入ってますけど、守はいつもからすの行水ですからすぐ出てきますよ。さあさあ、お食べなさい。今日泊まる所は決めてらっしゃるの?」


 老婆のその言葉に錦織ははっとした。ホテルの予約など全く思いつきもしていなかったのだ。


「あっ! ホテル予約するの忘れてました。この辺りにホテルか旅館って有りますか?」


「大洗まで行けばあるけど良かったらうちに泊まっていきなさいよ。私は三人子供がいるけどみんな男でね。次男と三男にも子供ができたんだけど、その孫もみんな男の子なのよ。長男の守も結婚してたんですけど子宝に恵まれないまま別れてしまいましてね。栞菜さんにお会いできてなんだか嬉しくてね。ご迷惑かしら?」


 錦織は老婆に向かってにこりと頷いた。


「ご飯までいただいた上に泊めていただけるなんて。それじゃあお母さんのお言葉に甘えさせていただきます」


 老婆は何度も何度もうんうんと頷いた。

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