手紙の意味
九十九里からの帰り道、後部座席に座った錦織は手紙を何度も読み返していた。
アヤトという差出人はいったい何者で、何故この手紙が海に打ち上げられたのか。そもそも絢斗という名前、アヤトと読んでしまって良いのだろうか。それともジュントやケントと読むのだろうか。
文面から『旦那さんから奥さんへ送った手紙』であることは容易に推測できる。『彼氏から彼女へ送った手紙』とも考えられるが『ぼくはもう恋なんてしません』と書かれている。
恋人同時であったのなら、そこまで極端な事は書かないのではないのか。
そしてこの二人はすでに別れをむかえている事も分かる。それがただの別れであったのかそれとも死別であったのか。
さらに『もうそっちでイケメンつかまえたかな?』とある。『そっち』とは引っ越した先の事なのか、それとも死後の世界のことなのか。
錦織はありとあらゆる可能性を考えながら手紙を眺めていた。
三年間郵便局に保管された手紙という事は三年後の「とある日」を指定して出した手紙なのであろう。なぜ三年後の十一月五日を指定したのだろうか。
考えれば考えるほど錦織には様々な疑問が出てきた。
「あっ、美紅。運転代わろうか?」
岡野と菊池は口を開けて眠っている。錦織は大沢へ気をつかいそう言った。
「大丈夫よ。栞菜もあんまり寝てないでしょ? 四時間も五時間も運転する訳じゃないし」
「美紅、ごめん。ありがとね」
ワンボックスカーが浦安に着くと、錦織は手紙を緑色のケースにしまい車を降りた。
「楽しかったね。また明日から地獄の日常に戻るのかー。ふう。また連絡してね」
錦織を降ろしたワンボックスカーは再び湾岸高速浦安インターへ向かっていった。車の窓から振られている三本の手が見えなくなるまで、錦織も手を振り返していた。
錦織は数日ぶりのマンションへ戻ると手紙を取り出し、冷蔵庫のドアへマグネットで貼りつけた。
そのドアを開けビールを取り出すとプルタブを指でプシュッと開ける。
「うーん! うまいっ!」
錦織はビール片手にベッドに座り込む。しかし手紙が気になり数メートル先にある冷蔵庫のドアを見つめた。
――ドドドドドーン!
夜八時半、ベランダの向こうで大きな花が咲いた。ディズニーリゾートが近い為、この時間になると花火が見えるのだ。このマンションに住むようになった頃、花火が上がる度にベランダに出て眺めていた。しかしそんな日常の風景にも慣れてしまったのだろう。錦織は花火には目もくれず冷蔵庫へ向かっていった。
手紙を外し再びベッドに座る。そして何度も読み返した。
「平成二十六年十一月五日かあ」
錦織は既に空になっているビールの缶をもう一度口に運ぼうとしたが、今更のようにその軽さに気がついた。
「あれ? もう飲んじゃったんだっけ」
缶を耳に近づけ振るが音がしない。手紙に夢中になり飲み終えた事さえ覚えていなかったようである。
手紙を鞄にしまい、代わりに読みかけの小説を取り出した。二本目のビールを開けベッドに横たわると、挟んだ栞を外し続きを読み始めた。
数ページ読み進めるが小説の内容が頭に入ってこない。錦織は栞を元のページに戻し目を閉じた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。錦織は男性の声で目を覚ました。
「栞菜ちゃん。俺だよ。大地だよ」
ベランダの外から聞こえてくる大きな声。錦織は網戸を開けベランダに出た。マンションの三階から下を覗き込むと尾藤大地が見上げていた。錦織が高校生の頃、秘かに想いを寄せていた図書館に勤務していた尾藤である。
「大地さん? なんで? 事故で亡くなったはずしゃ……」
錦織は目を疑った。しかし、外灯に照らされたその顔は確かに尾藤大地である。
「栞菜ちゃん、何言ってんの。ほら、こうやって生きてるよ」
そう言いながら両手を広げた尾藤は確かに目の前にいる。
「大地さん、ちょっとそこで待ってて下さい。今降りていきますから」
錦織は慌てて部屋へ戻っていった。スカートがテーブルの端に置いた缶ビールを引っかけ倒れてしまった。ドクドクと絨毯に流れ落ちる薄麦色の液体。横たわった缶を立てるのが精一杯だった。なりふり構わず玄関を飛び出した。
「大地さん。待って」
エレベーターの前に立った錦織は、それが七階で止まっている表示を見るや、一目散に階段をかけ降りた。
オートロック式の自動ドアの手前で一旦停止する間も惜しむようにセンサーに手をかざす。
ドアが反応するまでの僅か一秒の時間さえ長く感じている。ほんの十センチほど開くと肩をぶつけながら外に飛び出した。
「大地さん!」
辺りを見回すが尾藤はいない。
「大地さん! 大地さん! どこですか?」
何度呼び掛けても尾藤は現れない。
「なんで……なんでまた私の前からいなくなるんですか? もうどこにも行かないで下さいよ。大地さーん!」
江戸川沿いの住宅街。川の向こうに輝く大都市東京の夜景が瞬く音さえ聞こえてきそうな静寂の中、錦織の叫び声だけが響き渡った。
錦織は両の膝をアスファルトにつけながら大粒の涙を流した。
朝目覚めた錦織は力なくベッドから降りた。テーブルに目をやると昨夜飲んでいた二本目のビールが立っている。
「あっ、絨毯……」
慌ててタオルを絨毯に押し付けた。
「あれ? 絨毯濡れてない」
錦織はビールの缶を持ち上げた。その缶は九分目まで残っている重さであった。その時初めて夢を見ていたのだと気づいたのだ。
「大地さん……」
錦織はベランダへ出て夢の中で尾藤が立っていた場所をしばらく眺めていた。
 




