わたしの愛した人はどうしてみんな……
何の連絡も取らないまま数日が経過していった。何度も何度もスマホを持ち電話を掛けようとするが、発信ボタンを見ると手がすくんでしまう。
普段そんなにスマホをいじらない錦織であるが、いつかかってくるかも分からない絢斗からの電話を待ち、常にそばに置いていたのだ。
「逢いたい」
ぽつりと呟くか細い声は誰に届く事もなく儚く消え去った。
十一月五日、錦織は意を決し立ち上がった。直接会ってきちんと話をしよう。それで駄目なら諦める事ができる。そう思ったのだ。
着替えを終えて家を出ようとした朝の九時〇二分、何度か耳にした事のある嫌な音がスマホから流れると機械の声が話し出した。
――地震です。
次の瞬間マンションが大きく揺れた。かなりの大きさである。三分間ほど揺れは続いた。落ち着きを取り戻しテレビをつけるとどの局も地震速報を写し出していた。
震源地は宮城県石巻沖、石巻の震度は七を計測している。津波到達予想時刻は十九時十分。
五年半前の悪夢がよみがえる。東北新幹線は全線ストップしている。絢斗に会いに行くと決めた矢先の出来事に錦織は成す術もない。
震災時に電話など繋がる訳もなくただただ待つ事しかできないのだ。
テレビで現地の様子が写し出される日々が続いた。現地の人々は五年半前の教訓を活かした。前回以上の大きな津波に襲われたにも関わらず、死者、行方不明者の数は十分の一程度であった。
石巻大震災と名付けられたこの災害は全世界に報じられた。これ程の震度、これ程の津波に襲われたにも関わらず被害を最小限に食い止める事のできた震災である事が世界中の注目になったのだ。
その震災から一週間後、錦織のスマホが振動した。
「もしもし、錦織です」
『掛川です。お元気ですか?』
「掛川さん、ご無沙汰してます。震災大丈夫でしたか?」
『う、うん。俺は大丈夫だったんだけど……』
掛川の声は沈んでいた。
「俺はって……」
『落ち着いて聞いてね』
その言葉で錦織の心臓は大きく波打った。
「は……はい」
『絢斗の船が今日見つかった。でも絢斗はまだ見つからないままなんだ』
錦織はその場で崩れ落ちた。余りに突然な事で涙さえ出なかったのだ。
既に交通網は回復している。錦織は新幹線に飛び乗り石巻へ向かった。
午後三時、ようやく掛川の家に着く。家の前で待ち構えていた掛川の目は赤く腫れていた。
「掛川さん! 絢斗さんは……絢斗さんはまだ見つからないんですか?」
掛川は黙って首を振った。
「あいつさ、地震のあった日、船出したんだよ。あの馬鹿。地震の日って優花ちゃんとの結婚記念日だったろ? 津波の到達予想時間までには帰ってくるからって俺の制止を振り払ってさ。あん時腕ずくでも引き留めときゃ……。錦織さんごめん。俺があいつを殺しちまったようなもんだよ。津波の到達予想時間までには必ず戻るって、必ず戻るって言ってたのに……。恐らく途中でエンジンが止まっちまったか、なんらかのトラブルがあったと思うんだ」
掛川は涙を流しながら錦織に深々と頭を下げた。
「掛川さん、やめて下さい。掛川さんのせいじゃありません。それにまだ死んだって決まった訳でも……」
「でももう一週間だぜ。電気も電話も復旧してんだ。生きてりゃ連絡くらいあるだろ。そうだ、ちょっと待ってて。絢斗の船から見つかった物があるんだ」
そう言って掛川が持ってきた物は緑色のプラスチック製のケースであった。錦織が九十九里で拾った物と全く同じ形である。しかし錦織が拾った物は数年海をさまよったせいか鈍い緑をしていた。だが目の前のそれは綺麗なエメラルド色である。
「優花さんの誕生日っていつなんですか?」
「五月だよ。子供の日だって絢斗が言ってたな」
「それでこの色のケースを選んだのね」
錦織はそっと手紙を取り出した。
▽
『親愛なる優花へ』
今年もこの日がやってきたね。俺からは三枚目の手紙だね。
そっちで子供と仲良くやっていますか? 大きくなったんだろうね。
今日は折り入って話があります。約束を破った事を許して下さい。
今俺には好きな人がいます。おっちょこちょいで泣き虫で嘘つくのも下手くそで、優花みたいに強くない女性だけど、俺の事を真剣に愛してくれています。俺も彼女の事を本気で愛しています。
でもこの前喧嘩しちゃってさ。彼女の言い分も聞かずに彼女の家を飛び出してしまいました。反省してます。
明日彼女の誕生日だから東京へ行ってきます。そして、もう一度気持ちを伝えてこようと思います。結婚を前提に改めてお付き合いして下さいと、はっきり伝えてきます。俺には彼女が必要なんだ。応援してくれるよね?
じゃあまた来年。 絢斗
平成二十八年十一月五日
△
手紙を読み終えた錦織は崩れ落ちた。とめどなく流れる涙を拭こうともせず、永遠と泣き続けた。
「どうして? どうしてわたしの愛する人はみんな……」
どれくらい泣いていただろうか。枯れる事のない涙を堪え、錦織は予約した駅前のホテルへと向かっていった。そして海の見渡せる部屋で一人手紙を眺めていた。
窓を開けると暮れゆく空の下に広大な海が広がっている。この果てしない大海原のどこかに彼がいるのだろうか。
秋と冬のはざまに吹く風は錦織にとって冷た過ぎるものであった。冷たい注射針のように肌を刺すような寒風が、終夜錦織の身体と心に吹き刺して続けていた。