真実
お昼過ぎ、絢斗はリビングでテレビを観ていた。特に観たい番組という訳ではない。たまたまそのチャンネルがついていたから観ていたのである。「観ていた」というより「見ていた」の方が正しいのかもしれない。
スマホのゲームに興味がある訳でもなく、漫画や小説を読んだり、インターネットをする訳でもない。妻の優花が亡くなってから、雨で漁に出られない日はいつもこうして過ごしてきたのだ。
テレビのリモコンを持ちチャンネルをかえようとした時、錦織が客間から出てきた。
「絢斗さん、ご迷惑をお掛けしました。ほんとにすみません」
錦織は絢斗に深々と頭を下げた。
「気にすんな。もう身体大丈夫なのか?」
「はい。大丈夫です」
「そっか。それで、何が聞きたいんた? あっ、立ってないで座れば?」
錦織は言われた通りソファに座った。想像よりふかふかしていたそれは錦織の疲れた身体をふわりと包んでくれているようだった。
「あの、何から話していいのか……。その……あの手紙は奥様……優花さんから送られてきた手紙へのお返事だったんですよね?」
「そう。受取人がいない手紙。死を悟った優花は三年後の結婚記念日に届くように俺に手紙を書いたんだ。ほら、よく小学校を卒業する時に二十歳になった自分に手紙を書くだろ? あれと同じだよ」
絢斗はそこまで話すと何かを思い出すように上を向きしばらく天井を見つめていた。
「その日の内に返事を書いて、夕方船を出したんだ。今日みたいに凄い雨だったな。そしてその手紙を荒れた海に投げ入れたんだ。それが平成二十六年十一月五日。錦織さんが拾った手紙だよ」
「そうだったんですか。あっ、わたし絢斗さんより随分年下なのでさん付けは……。錦織でも栞菜でもいいです」
「『随分』は失礼だな。おじさん扱いかよ」
二人はくすりと笑顔を交換しあった。その時の笑顔がお互い初めて見た笑顔であった。
「ごめんなさい。そう言うつもりじゃ……。平成二十六年の時に二十七歳って時は今二十九歳なんですよね?」
「そう。来年三十路のアラサーおじさんだよ。錦織さん……あっ、栞菜……はいくつなの?」
絢斗の質問に錦織は敵を威嚇するフグのように頬を膨らませた。
「あー。女性に歳を聞きましたねー。ふふっ、冗談です。わたしは二十二歳です。十一月六日で二十三歳になるんです。あっ、絢斗さんの結婚記念日の次の日なんですね」
「二十二歳かあ。そりゃ『随分』って言われてもしょうがないな」
「ふふっ」
錦織は絢斗を上目で見ると意味深な笑みを浮かべた。
「何笑ってんだよ。感じ悪いな」
「すみません。何でもないです」
錦織は改めて絢斗の顔を見た。見れば見るほど尾藤大地にそっくりなのだ。そして見れば見るほど不思議な気持ちになってくる。
「何だよ。俺の顔に何か付いてるのか?」
「あっ、いえ」
錦織は慌てて目をそらした。
「ところでさあ、手紙の事を調べてどうするの?」
既に事実を曲げて「奇跡」のコーナーで記事が出されている。編集長の北村はこの取材で明らかになった事実に脚色して「奇跡」の続編を出すつもりなのだろう。しかしそんな事を絢斗に言える訳もない。
「あ、それはその……」
錦織はその続きを口にする事ができなかった。うまい理由付けをしようと思ったのだが、とっさに嘘をつく事など錦織にはできなかったのだ。
「まあ、どうでもいい事だけどね」
絢斗の言葉に錦織は胸を撫で下ろした。
「あの、優花さんから送られた手紙って見せていただく訳にはいきませんか?」
絢斗は俯きながらしばらく考えた後、頭を上げた。
「いいよ。持ってくるからちょっと待ってて」
絢斗は立ち上がり、自分の部屋へと向かっていった。
錦織は絢斗に取材の真の意味を伝える事ができなかった自分に苛立ちを覚えていた。しばらくすると階段を降りてくる足音が聞こえてきた。絢斗が亡き妻から届けられた手紙を持ち二階から降りてきたのだ。
「はい、これだよ」
錦織は綾斗から手渡された三つ折りの便箋をゆっくりと開いた。
そこには手書きで丁寧に書かれた文字が並んでいた。死を覚悟した人が愛する人へ向けて書いた心のこもった自筆の文字であった。
錦織は絢斗の目をみつめた後、便箋に目を落とした。