マッサージ
念のため、いつも持ち歩いている契約書に蝋印とサインしてもらってから治療を始める。
吹けば吹き飛ぶ平民相手にどの程度の効力があるか分からないけど何もしないよりはずっといい。
手始めに【シックソナー】で体内を感知してみるとすぐに引っ掛かった。
そして想像以上に身体がボロボロだということも手に取るように分かった。
(魔術回路の損傷が想像以上に激しい……長年何度も強引に魔力を流してきたんだな。右のアキレス腱に古傷もあるしついでに治しておこう。こっちは魔力で糸作って縫合して……あぁそれだけじゃ足りないな。バイパス繋げた上で治癒力底上げする必要あるな。体調不良の原因は……身体に毒素が溜まっている程度か。濃度は濃いけどこれぐらいなら問題ない……)
正直、権力者は嫌いだし仕事だって程々で済ませたい。
成り上がり系は好きだけど、自分にそれだけの才覚がないのは理解してる。
何より失敗した時の反動がスゲー怖いから程々の人生で妥協した方がいい。
けど、それとこれとは話は別だ。
男が一度仕事を引き受けた以上は絶対に手を抜いちゃいけない。
だから俺は全力を尽くし、最高の治療をする義務がある。
(政治がどうとか言ってたし、多分この人に何かあったら色々面倒が起こりそうだ。俺の平穏の為にも是非領主としての仕事を全うして欲しい)
異世界マッサージ師として活動を始めてから知ったことだが、この世界の人間は病気というものに対して無知であり、無力だ。
治癒魔術はあくまで怪我の治療をするものであり、目に見えない部分は余剰魔力(簡単に言えば余分な力を込めた結果、外に放出された魔力のこと)が内側に浸透してちょこっと治療する程度。
腕のいい治癒術師ほど余剰魔力はなくなり、結果として内側の治療は完全に自己治癒頼みとなる。
病気については単純にちゃんと飯食って安静にしていれば治るというレベル、そして風邪薬の原理を知らないから気合いで治す、みたいなところがある。
ただ、全くの無知という訳ではなく特定の病気については薬草を煎じるなり調合するなりして対処できるが現代と比べれば病気による死亡率はバカにできない。
で、その病気による死亡事故の一つに魔力による血栓で魔術回路を塞がれて、破られた回路から魔力が溢れ出てじわじわと内臓・筋肉を傷付けて死に至らしめるものがある。
これは限界まで魔術を使う魔術師や、魔力のみで身体を強化する人によく見られる症状だが、正しく魔力を運用して限界まで負荷を掛けたりせず普通にしている限りは魔力血栓による死亡はまずないし、冒険者に至ってはそうなる前に死ぬことが圧倒的に多い。
なんで俺が魔力血栓について知ってるかと言えば、メリビアの娼婦達は秘伝魔術を駆使してお客様相手に営業をしている。
そして俺は彼女達の魔術回路を定期的に面倒を見ている……そういうことだ。
自惚れでなければ、俺は魔力血栓を治療できる唯一の人間だろう。
「良い身体ですね。領主になる前は冒険者でもしていたんですか?」
まずはパパッと魔力を浸透させて体内に溜まっている毒素を掴んでチャチャッと弾き出す。
次にアキレス腱に触れながら魔力糸を生成して縫合していく。
内臓への処置は針を使うがそれ以外の作業は全て素手で触れる必要がある。
だが俺の質問に対して答えてくれたのは、溜め息混じりにこっちを見てきた店長だった……何故?
「先生、義兄は四英雄の一人ですよ」
「……失礼しました」
四英雄──二○年前の話になるがこの世界は過激派魔族の筆頭・魔王カドケウスと戦争状態にあった。
その戦争に終止符を打ったのが四英雄と呼ばれる英傑達……というのは冒険者時代、ちょろっと聞いたことがあったのを思い出した。
「パルシャークよ、先生を責めるでない。それにワシは終戦と共に現役を退いた身じゃ。老兵でいるぐらいが丁度えぇ」
「では、右足の怪我は魔王との戦いで?」
「うむ。親友を庇った名誉の傷じゃ。ワシが身体を張ったお陰であやつは魔王を討ち取ったと言っても過言じゃない」
「あらジオ、私の記憶違いでなければあの生意気な小娘を庇ったせいだと悪態を付いていたと思いますが?」
「こ、これジェシカ……男はいつまで経っても見栄っ張りな生き物なんじゃ」
「真っ向から皮肉を言い合えるぐらい仲が良かったんですね」
「……まぁ、仲が悪ければ魔王との戦いに参加できはしないがのぉ」
正面切って皮肉を言い合って、そして笑い会える仲間か……羨ましい。
故郷の世界でも、こっちの世界に来てからも、俺には縁のないものだ。
「ふぉ……お、おぉおお……これは、効く……う、く……ッ、ふぅー……」
「どうです義兄、先生の手は娼婦達の間でゴットハンドと呼ばれているんですよ?」
ゴットハンド……俺の中でゴットハンドと言えば北○先生だ、間違いない。
掌に魔力を集めて全身に蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔術回路を入念に修復しながら縫合を続ける。
更に右足に張り巡らされている魔術回路の中から適当な回路を見繕い、縫合した古傷へバイパスとして繋げる。
魔術回路に溜まった魔力血栓が除去される度にジオドール様は気持ちよさそうな声をあげる……俺を誘うような喘ぎ声を出すキャスト達とは正反対だ。
自分で自分の魔術回路なんて手入れできないからその辺の感覚は全く分からないんだが、どうもこの感覚がもの凄く気持ちよく、癖になるらしい。
実際、娼婦達の中には自腹を切ってまで休日に俺を呼んでマッサージを希望する娘がいるほどだ。
「ぬぅ……うっ、クッ……ふぅー……ホントに、効くのぉ……先生。それに心なしか、身体が入れ替わったような気分じゃ……」
「ありがとう御座います。……あ、少しチクッとしますから注意して下さい」
一声掛けてからミスリル針を出してツボを刺激すると同時に魔力を流し込むとジオドール様はだらしない声をあげながら全身から力を抜いていく。
……これ、暗殺者が乱入しても動けないんじゃねと、思うぐらい無防備な姿だ。
それに合わせて全身から淡い光が溢れ出て、パサパサだった毛並みがさらさらになっていき、隣で見守っている奥さんが目を見開いている。
自己治癒能力の活性化によりズタズタになっていたアキレス腱がゆっくりと再生していくのが感覚的に伝わってくる。
流石にいきなり負荷を掛ければまたぷっつんしてしまうが少しずつ慣らしていけば全力で走っても全く問題ないくらいには治る。
そうして全身を徹底的に面倒を見続けること一時間、全ての処置が完了した。
ジオドール様は……気持ちよさのあまりすっかり眠りこけている。
「あなた、終わりましたよ。あなた……起きて下さい」
「ぬぅ……おぉ、あまりに気持ちよかったんでつい寝入ってしもうたわ。……ふむ」
気配で感じ取ったのか、俺が離れたのを確認してからジオドール様はベッドから身体を起こし、丸太のように太い足でしっかりと立って身体の調子を確かめる。
「…………信じられない、あんなに重かった身体が今では羽根のように軽いぞ。……それに心なしか、右足の違和感も消えてるようじゃが?」
「あぁ、右足の古傷ですか? 治せそうだったので治しておきました」
「はっ?」
「へっ?」
夫婦揃って間抜けな声を上げる。
そりゃそうだよな……治せないと思ったものが治ったなんて知ればそういう反応になるよね、うん。
「まだ繋いだばかりなので走ったり無理に体重掛けたりしてはダメです。そっちもキチンと面倒見ますので時間を見つけてまた様子を見に来ます」
治療中は整体魔術で治癒力を底上げしていたけど、今はその恩恵がない。
つまり、怪我したらまた同じ処置をしなければならない、ということだ。
「治ったと言うのか……クリスティーナの魔術でさえ治せなかったワシの怪我を……」
「まだ治ってません。出来る範囲で繋げただけです。今日はもう魔力切れで何もできませんので」
とは言え、魔力が満タンの状態でもあの傷は一日で完治できないだろう。
なにせ二○年間放置されてきた怪我だ……数回に分けて自己治癒を高める魔術を駆使する必要がある。
「先生にはいつも驚かされてばかりです。まさか義兄の足まで治して頂けるとは思ってませんでした」
「仕事である以上、手は抜けませんので」
真っ当な社会人なら『それは頼まれてないし金貰ってないからやる義理なんてない』と言うかも知れないが、俺には見て見ぬ振りなんてできない。
道具を片付けて、報酬の話でもしようと思ったとき、ジオドール様が両手で俺の手を掴んできた。
力加減してないんじゃないかと思うくらいの握力だ、もの凄く痛い。
「ありがとう、先生……ッ! 恩に着る! このジオドール、先生から受けた恩は必ず返す! 何かあればワシに言って欲しい、力になろう!」
「えっ? あ……ハイ。どうも……」
「あなた、先生が困ってますよ? それに今夜はもう遅いですし、先生もお疲れでしょう?」
「おぉそうだった、ワシとしたことが! 先生、どうか今日は我が屋敷に泊まっていって欲しい。ほんの御礼じゃ」
「……では、お言葉に甘えて」
あの縦揺れの激しい馬車に揺られて自宅まで戻らずに済むなら安いものだ。
俺は、乗り物に弱いからな。