いざ出発
人が村から村へ、街から街へ移動するのは命懸けだ。
半日程度であれば健脚な若者を使いに出すこともあるが、街から街への移動は言うほど簡単じゃない。
距離があるということは当然、魔物に襲われるリスクがあるから自力で対策を取らなければならない。
だから商人は冒険者や傭兵を雇い、私兵を育成するのだ。
冒険者と傭兵、どちらが優れているかと言われれば返答に困るが戦争であれば傭兵の有用性に軍配が上がる……限定的に人間と共存出来るとは言え、蛮族集団であることに変わりはないからな。
「全員揃ったな?」
女神の園の店長・パルシャークが一同を見渡す……外はまだ薄暗いのに、どうして皆普通に起きられるのだろう?
俺なんか昨日の疲れが残っているというのに……おっと、何で疲れてるのか訊くのは野暮ってもんだ。
部隊の内訳は依頼人を接待するキャストが一○人、五人は女神の園、残り五人は聖女の後宮から選出された実力者だ。
リーラやアイリーンにお熱を上げてる貴族・豪商連中はさぞかし無念な思いをするだろう……そのせいでしばらくは売り上げに影響が出るがその程度で潰れるほどメリビアの娼舘は柔じゃない。
次に両店舗の店長と俺とシャルロットに私的に雇った護衛、そして娼舘に依頼を出したギルドマスターと護衛依頼を請け負った冒険者パーティが二組。
個人の冒険者ランクがBのみで構成された五人パーティと六人パーティ……前者は宵闇の鷹、後者は聖凰騎士団の関係者のみで構成されたグループだ。
「早速出発しよう。今日中に宿場町に着きたいからな」
全員揃ったのを確認して俺たちは目的地へ向かう。
商談が行われる場所はサーマルという都市──知る人ぞ知る、遊楽の都と呼ばれる街だ。
メリビアが海上貿易と漁業、そして娼舘が有名ならばサーマルは娯楽全般──美女が接待する酒場や賭場、デカい催し物なら闘技場や競売など、言ってしまえば歓楽街のようなところだ。
そこでどんな取り引きがあるかは訊いてない……が、どうやら相手は競売を仕切るお偉いさんで、名をボールドネスという。
店長の話によれば女好きで有名な有権者で、愛人だけでダース単位、性奴隷も含めれば一○○は越えるという強者。
貴族や豪商が女を囲むのは珍しくはないが、取り引き相手のように一○○を越えるのは珍しい……というか愛人や性奴隷だって養わなきゃいけないからその分出費が増える。
今回の交渉、間違いなくボールドネスはキャスト達を気に入り、是が非でも我が物にしようともくろむだろう──それこそ、どんな手を使ってでも。
というのが店長陣の見解だが、事前に盗賊ギルドを使ってボールドネスを情報面で丸裸にしている。
ちょっかいは出されても火中の栗を拾ってでも──なんて事態にはならないとお墨付きを貰っている──接待中はそりゃもう偉い目に遭うだろう。
「ですから、全てが終わったら先生の色に染め直して下さいね?」
「まぁ、お前達が頑張ってるのは知ってるし、俺の出来る範囲でなら」
「言質、取りましたからね?」
「おいおい、先生さんよぉ……俺ぁそこのリーラに惚れ込んでいるんだ。独り占めはしないでくれねぇか?」
「あら? 今の私は女神の園が誇るリシェラリアーナ嬢ではなく、ただのリーラですのよ? 勿論、御主人様がお望みとあらばいつでも夜の顔をお見せしますわ。……当然、対価は頂きますけど」
「いやいや、俺は普段のアンタの顔がみたいんだ。……なぁ先生、娼婦の独占はよくねぇと思うんだ俺は。ここは一つ共有と行こうじゃないか?」
「口説くなら男じゃなくて女にして下さい。それに男なら正面切って堂々と口説くぐらいの度量は持つべきです」
「おぉっと、こいつは一本取られたな。うし、んじゃ戦闘が始まったらよーく見とけよ。冒険者様の勇敢さを」
それが無謀でないことを切実に願う。
さて、先程俺はごく自然に護衛の冒険者に声を掛けられた訳だが、その理由は単純に馬車の外を歩いているからだ。
冒険者に囲まれて移動する馬車は徒歩程度の速度にまで落とされている。
キャスト達は馬車に乗って思い思いに過ごしているが俺は絶対馬車なんて乗らない……馬車酔いは車酔いのそれを上回る地獄だ。
リーラはさっきまで窓を開けていたから街を出てすぐの頃は冒険者達に声を掛けられていたが今は窓を閉じきった状態だ。
一同は既に魔物の領域に踏み込んでいるから誰も余計なお喋りはせず、周囲に目を光らせている。
後で知った話だが冒険者が始めて護衛任務を受ける際は事前に講習を受けることが義務化されていて、そこで護衛の基本的なフォーメーションを習う。
フォーメーションの運用は昇級試験にも組み込まれているから即席チームであってもある程度の練度を発揮することができるし、てんでばらばらに動かれるようなことはない。
守備に穴ができるのは仕方ないが、そこはもう現場の流れでどうにかするしかない。
「冒険者とはああいう輩が多いのか?」
冒険者の群れと距離があるのを確認してからネージュがそっと耳打ちをしてくる。
ギルドでの一件で冒険者という生き物がどういうものか、ある程度は理解している彼女だが、やはり生粋の長耳族としては付き合いづらいところがあるんだろう。
「冒険者は基本、英雄願望の強い農村出身の若者や家督を継げなかった三男坊、一旗揚げようと躍起になる法衣貴族や騎士爵の称号持ちの人間、或いは真っ当な仕事に向いてない人間に何かしらの理由で冒険者になった人間が多いんだ。魔物狩りが主戦場だから自然と荒々しさが前に出るのは……まぁ人間の性だと思って欲しい。長耳族だと魔物狩りってどうしているんだ?」
「うむ。森林が我らの生活圏だからな。魔術を付加した矢で射る、というのが基本だ。私は王族の護衛を担うという理由から剣術も納めているが、そういう者でない限り剣術を習う者は少ない」
やはり多くのオタクが思い描いている通り、長耳族は弓と魔術が得意な種族らしい……魔術を付加した矢がどんな物なのか想像できないけど。
少なくとも冒険者時代にそんなことをしていた人間は居なかった……筈。
「矢に魔術を付加する、というのは?」
「うん? 言葉通り魔術を付加する、という意味だが?」
「お、おぅ……」
推理するところ、命中時に付加した魔術が効果を発揮するとかそういう感じの技術だろうか?
いや、それなら遠距離で魔術を撃つ必要性がなくなるし……付加された魔術は一定時間矢に留まり続ける、ということならまだ実用性はありそうだけど。
(それにしても、魔物はともかくこれだけガチガチに武装した馬車を襲う盗賊なんて居るのかな?)
俺が盗賊ならもう少し狙いやすい獲物を選ぶ……わざわざ武装集団が護衛する馬車を狙うようなリスクは犯したくない。
怪我をすれば薬がいるし、薬がなければ傷口から雑菌が入ってそれが原因で破傷風になったり重い病気に掛かったり、最悪腐って切り落とさなきゃいけなくなったりする。
傷口を治療するポーションだって昔に比べたら価格が下がったらしいけど、決して安い消耗品ではない。
治癒魔術師の相場については語るまでもない。
連中が使う初級治癒魔術【ヒール】でさえ駆け出しが相手する魔物の噛み傷程度ならすぐに治癒できる……それも魔力の続く限り何度でも。
人体に備わっている自然治癒力を底上げ、良いとこ止血が限界の整体魔術と比べても格の違いって奴が良く分かる。
それが分かっているから治癒魔術師は総じて自分の能力を安売りせず、好待遇の職場を求める傾向がある。
そういう意味では教会が治癒魔術師を囲い込んでいるという解釈もあながち間違いではないが、教会が最初から治癒魔術師を優遇すると募集広告に張り出しているのも、市場を独占している理由だ。
「…………」
街道を移動中、最初に気付いたのがネージュだった。
無言で剣を抜いて、左手にペットボトルサイズの石槍を形成する。
一拍遅れて冒険者グループも異変に気付き、すぐ武器を手に取り臨戦態勢に入る……当然俺は敵の存在に気付けるほど敏感なセンサー持ちではないので周りの反応を見て察しただけ。
「馬車の中に入れ」
有無を言わせぬ口調に黙って従い、さっさと馬車へ乗り込む。
絶対馬車に乗らない決意した俺が馬車へ乗り込んだことにキャスト達は緊急事態に見舞われていることに気付く。
「何が起きたの?」
「多分、盗賊か何かだと思う……」
俺の言葉を皮切りに、馬車の外から激しい戦闘音が鳴り渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
戦闘の火蓋はネージュが街道の脇に生い茂る草むらへ土魔術を撃ち込んだことで始まった。
寸分違わず狙い通りの場所へ飛んだ魔術は潜伏していた賊の命を一撃で刈り取り、血飛沫をあげる。
先制された相手は仲間の死に動じることなく、予定通り草むらから姿を現し鬨の声をあげて強襲を掛ける。
大剣で武装した者から戦斧を持つ者、武器に統一性はないが共通点はある。
全員、草むらと同色の布と、随所に枝や草を付けたような見たことない服を革鎧の上から羽織っている。
もし清十郎がそれを見ればギリースーツの存在に目を丸くしただろう。
「チッ、傭兵崩れの盗賊か……面倒なのに鉢合わせたな」
冒険者の一人が舌打ちをしつつ、近くのオークと切り結ぶ。
力任せに振り抜かれた大剣をひらりと躱し、脇腹を撫で切る。
人間よりも遙かに巨体で、筋肉という天然の鎧に身を包む彼等の前では並みの人間の攻撃など女子供の殴打に等しい。
しかし、今回は少し運が悪かった。
馬車を護衛しているのは冒険者業界の中でもトップスリーに入るクランの人間……戦闘技術も、そして使っている武器も、並みである筈がない。
撫で切られた脇腹からパッと血が吹き出ると同時に二の太刀、三の太刀を容赦なく入れてオークの身体を赤く染める。
オークからすれば致命傷には程遠い傷……しかしこれまで格下相手に大勝を重ねてきたオークにとっては始めての経験……故に、対応を誤った。
化け物のような咆吼を上げながら怒りに任せて大剣を振り回すのに対し、男は慌てず距離を取り馬車と仲間達から引き剥がす。
孤立無援の状態になったのを確認してから正面から大剣を止める。
ガァンッと、一際大きな音と共に足が踝あたりまで地面にめり込む。
「この程度か」
敢えて胸の内にわき起こった感想を口に出して挑発する。
仕切り直しをするように軽く押しのけて大きく一歩下がり、片手で誘う。
クイ、クイ……と、分かり易い相手を誘い、これ見よがしに首をトントンと叩き、笑ってみせる──やれるものならやってみろ、と。
逆上したオークは筋肉を肥大化されて、大剣の柄を強く握り込む。
あまりの握力で柄が変形したことにも気付かない。
鼻息を荒くし、顔を真っ赤に染め上げたオークが猟犬のように飛び掛かり、横薙で男の首を払おうと渾身の一撃を放つ。
その瞬間、雌雄は決した。
オークの一撃を身を低くすることで空振りさせて体勢を崩し、仰向けに倒れるよう加減して回し蹴りを入れる。
空振りの反動でまともに踏ん張ることの出来ないオークはみっともなく地面に倒れ込む。
オークが最期に見たのは刃を水平に寝かせて心臓を一突きする男の姿だった。
一つの戦いに決着が付いた頃、シャルロットは始めての実戦ということもあってか、回避に徹してはいるものの、要所要所で攻撃を入れて相手の体力を削っている。
槍の長所である射程を最大に活かし、遠距離からチクチク刺しては躱してまた刺す。
自分が年若い女だからか、オークの傭兵団はシャルロットとネージュに殺到している。
自然と二人は共闘戦線を張って対処する手段を取った。
ネージュが土魔術を唱えれば数本の石柱が瞬時に生まれ、オークの巨体を挟む。
挟まれたオークは力任せに破壊するがどうしても時間が掛かってしまう。
稼いだ時間でネージュは風魔術でオークの身体を切り刻み、その隙を突くように接近するオークをシャルロットが足止めする。
彼女の手から放たれた穂先は滑らかに動き、攻撃の隙間を滑り込むように奔り的確に胸部に穴を開ける。
農村生まれのシャルロットがオークの身体に風穴を開けられるのは実力でも技術でもない……使っている槍が優れているからに他ならない。
元々貴族様に納める予定だった槍なのだ、並みの武器である筈がない。
(始めて使う相手がオークというのが不愉快ですけど……仕方ありません)
そう自分の心を宥めながら黙々と槍を振るう。
最初は狙いやすい胴体へ攻撃を集中させていたが、次第に穂先が下半身へ移り、最終的には膝を突き刺してからの方がトドメを入れやすく、ネージュも助かるという事実に辿り着く。
オークに包囲されていた集団は、最初こそ数の不利に手間取っていたが質ではこちらが圧倒的に上なのだ。
敵に指揮官の役目を果たす存在がいなかったことも大きい。
もし連中が人間ではなく馬車を真っ先に狙っていたら、護衛側にもそれなりの被害が出ていたかも知れない。
「よぉ嬢ちゃん、手伝うぜ」
「お願いします」
手の空いた宵闇の鷹からの申し出を素直に受け入れ、オーク殲滅に本腰を入れる。
盾持ちの男がオークを止めつつ敵対心を稼ぎ注意を逸らす。
その隙にシャルロットが槍を脇腹へ突き刺し、臓腑や骨を諸々破壊し尽くす。
それでもしぶとく生き残ったオークはダメだしとばかりにネージュの風魔術で首が胴体と永遠の別れを告げる。
オーク傭兵団の襲撃から一○分……敵は一人残らず駆逐された。