殴られる
帰るまでが遠足というけれど、ぶっちゃけ危険なんて何もなかった。
迷宮としての機能を完全停止した試練の迷宮はただの空間となるので魔物が生まれることはない。
周りの団員達も世間話をしながら移動こそしているものの、本陣に着くまで油断はしてないようで常に目を光らせているのは流石と言うべきか。
「ふぅー……ようやく外か」
一日振りの外は肌寒く、冬の到来を告げていた。
迷宮から出たその足で俺たちはギルドへ向かい、依頼達成の報告と共にエリオット団長から約束の報酬を受け取り、魔剣の交渉に挑む。
と言ってもこっちの交渉はシャルロットが担当するし、魔剣の売却金額のうちどのぐらいがうちの取り分かを話し合いで決める。
正直、そこまでして金が欲しい訳でもないので俺は香料者の一人として席に着いて話すべき内容を話した後、細かい交渉事をシャルロットに丸投げした。
昼頃、迷宮からメリビアへ帰還した筈なのに交渉が終わった頃には夕方になっていた……どんだけ金にがめついんだ連中は。
交渉の内訳は魔剣は宵闇の鷹が買い取り、買い取り金額を元にアリスティアさん、タツヤ、俺に分配されることになった。
ギルドお抱えの査定職員による公正な鑑定結果、魔剣ティルフィングの買い取り金額は九バイジン──白銀貨九枚となった。
ゴールド計算なら九○○ゴールド、三等分しても一人三○○ゴールドの分け前になるが、金貨三○○枚なんて大金、一瞬でなくなる。
何故かって?
先のボス戦でミスリル針が天寿を全うしたからだ。
これを機により良い物に変えて、余ったお金は家購入の資金に充てる。
「ただ、金額が金額なので今すぐ用意することは出来ません。申し訳ありませんが日を改めてギルドへお越し頂けないでしょうか?」
ギルドとて大口の取引がない訳ではないので白銀貨での支払いならすぐにできるが、この場に居る人間の殆どが白銀貨なんて滅多に使わない。
特に俺は平民だから金貨より銀貨を使う機会が多く、丸ごと金貨で支払われるとそれはそれで少し困る。
ついでに言えば商売道具の補充は急務なのでギルドに話を付けて買い物先ではギルドへ代金を請求するよう話を付けて、請求分の金額を俺の報酬から引くという形を取ることにした。
交渉が終わり、エリオット団長から契約通り報酬を貰い、メリビアに滞在している間の聖凰騎士団の連絡先をアリスティアさんから教えて貰って……さぁ報酬でちょっと豪勢な晩飯でも食べようと思った矢先のことだった。
「ちょっと、いい加減にしてくれない!? 何度も言うけど私はまだ身請け話なんて受ける気ないわよッ!」
「相変わらず強気だね。けど、分かってる。本当は俺のことが好きなのに、つい思ってない言葉が口から出るんだろう?」
「冗談も顔だけにしてよね! 今までお客さんとして来ていたから我慢していたけどプライベートまで嗅ぎ回れてこんな無理矢理来るなんてサイッテーよアンタッ!」
何やら通りが騒がしい。
それだけならスルー出来たかも知れないが、残念なことに口論している女性の声には心当たりがあり、そのせいで無視することができなくなった。
目抜き通りのど真ん中で口論をしている女性は聖女の後宮ナンバーワンキャストのアイリーンで、その彼女にしつこく迫っている相手は部下を四人連れて来た身なりのいい男。
(そう言えばこの前、アイリーンと呑んだとき身請け話をしつこく迫ってくる商人が居るって聞いたけど、もしかしてアイツのことか?)
外見的な特徴は聞いてないから推測でしかない。
太っている訳ではなく、それでいて線が細い訳でもない。
護身用に提げた腰の剣は護身用と割りきっているのか、ボンボンが好んで使う飾りらしい飾りがない、冒険者向けの剣だ。
「アイリーン様ですね。その向こうで揉めているのは……エドガー様ですね」
「えっ、シャルロットの知り合い?」
「知っているだけです。……彼は村に来る行商隊のスポンサーであられるセルゲイ男爵の子息です。五男坊ですから行商でもして一旗揚げようと息巻きながら行商隊を自分の家来のように扱ってました」
あまり宜しくない覚え方だなそれは。
しかし、五男坊とは言え貴族の子息で商人か。
アイリーンもリーラと同様に魔術をかじっている上に冒険者としての下地もある……荒事になったら店に迷惑が掛かる。
あれでも耐えている方だけど、本格化する前に手を打った方がいい。
シャルロットに言伝を頼み、俺は二人の間に割り込む。
「ちょっといいですか」
「うん? 何だねキミは? 俺たちは今、大事な話をしている最中なんだ。彼女の価値も分からない屑がノコノコ出てきやがって……」
「ここ、大通りの真ん中ですよね? 周りの迷惑になりますから向こうへ行ってくれませんか?」
「ふざけるな! なんでお前みたいなのに指図されなきゃならないんだ!」
よほど甘やかされて育ってきたのか、気に入らないことが起きた途端、暴力に訴えかけてくる五男坊様。
それでもいきなり剣を抜かなかったのは一応、最低限の分別があるからだろう……抜いてくれれば騎士にしょっ引いてもらえたのに。
握り固められた拳が頬を捉えてくい込む。
わざと避けずにそのまま踏ん張り、出来る限り殺意を込めて睨みつける。
ガーディアンゴーレムの圧倒的な火力を経験した今の俺にとっては、この程度の男など取るに足らない路傍の石も同然だ。
「先生!?」
「大丈夫だ。こんなの避ける価値もない」
軽く口の中が切れただけで、それ以外は本当に何でもない。
……もう少し煽っておくか。
「ふん、気に食わないことがあればすぐ暴力に頼る……だから家督を継げないんだよお前は」
「なんだと?」
「お前の兄貴なら正々堂々と女を口説いて自分のモノにするだろうな。けど、お前がやってるのはただの買い物だ。彼女の心が欲しければお前も自分の力だけで口説き落としたら……いや、それが出来ないバカだからこんなことしてんのか」
「貴様……ッ! おいお前達、そこのバカを黙らせろ!」
号令と同時に側に控えていた四人が一斉に動き、俺を包囲する。
流石に街中で抜剣する気はないようだが、このままだと少しまずい。
「へっ、そこのお前、怪我しないうちに土下座しな。そうすりゃ半殺しで勘弁してやるからよぉ……」
「絶対嫌だ」
その言葉を引き金に、男たちが一斉に動き出した。
殴りかかってくる者、蹴りをしてくる奴、連携はてんでバラバラだが数の利は充分あるし、護衛としての役目も担っているようでそこそこ強い。
最初の一発、二発は凌げてもすぐに被弾して、そこからは負けコースだ。
「先生──」
「手を出すなッ!」
「おいおい、女の前だからって格好付けてんじゃねぇぞ?」
アイリーンが何かをする前に怒鳴り声を上げて制する。
その間、俺は石畳に倒され、マウントポジションを取られてタコ殴りにされつつ、脇腹を蹴られたり鉄板が仕込まれたブーツで体重を乗せた一撃で踏み抜かれたりする。
もう清々しいまでの醜態ぶりだ……だが、これでいい。
「全員そこを動くな! ジオドール様直轄の警邏隊だ! 抵抗する場合は逆賊と見なしその場で切り伏せる!」
騒ぎを聞きつけて来た警邏隊が、数名の部下を引き連れて来た。
エドガーとその取り巻きは何故だと狼狽し、アイリーンは驚いているが別におかしなことではない。
こうなることを見越して、俺がシャルロットに通報を頼んで俺が警邏隊が来るまでの時間稼ぎに徹していた。
ついでにここで俺がボコボコにされる場面に遭遇すればどちらが悪いかなど一目瞭然……俺だって無意味に殴られていた訳ではないのだ。
「御主人様、大丈夫ですか!? ごめんなさい、こういう時の為に武器を頂いたのに……」
「街中なんだしどっちみち使えないだろ。それに、シャルロットの本分は俺の助手だ。お前の手は、人を殴る為のモンじゃない」
若干、取り乱し気味のシャルロットを宥めながら、俺はエドガーが警邏隊から逃げていく様を眺めるのだった。