その頃の彼女
リシェラリアーナの休日は貢ぎ物の整理から始まる。
一等地区に店を構え、そこで働くキャストともなれば呑みだけの人、もしくはアフター先で貢ぎ物を貰う場合がある。
どこそこのナントカ商会という店を構える人ほどその傾向は強く、頂き物も千差万別だ。
女神の園・ナンバーワンキャストであるリシェラリアーナの貢ぎ物は多い時で二○を越える時があり、中には全く必要としない物も含まれている。
「ではこれ、お願いしますわ」
「あぁ。しっかり換金しておくよ」
その日、彼女は昨晩肌を重ねた服飾関係のお客様から頂いた真っ赤なドレスをパルシャークに渡し、換金を依頼した。
「キミには赤いドレスが似合うと思ってね。仕事先で着るのは難しいかも知れないけど、いつか……ね?」
意訳すると、身請けするときは是非そのドレスを着て欲しいという意味だ。
だが彼女は何の未練もなく、貰ったドレスを売り払うことにした。
(ふぅ……こんなことをしても無駄ですのに。だって、私が心を許しているのは先生だけですから)
ドレスの他にいくつか不要と判断した物をパルシャークに渡しておく。
手元に残ったのは年代物のワイン……これは一も二もなく先生こと白南風清十郎へのプレゼントになる。
(ふふっ、これを持って早速先生のところへ──あぁ、そう言えば先生は今日、宵闇の鷹の方々と迷宮探索でしたわね。……大丈夫でしょうか。優秀な護衛が付いていると店長は仰っておられましたが)
うきうき気分が一気にどん底までたたき落とされた気持ちになるが、いないものは仕方ない。
それよりも例の件についてパルシャークと話し合っておく必要があると気持ちを斬り合え、向き合う。
「店長、先日のお話にあったルーブル商会の件、本気ですか?」
「あぁ、本気さ」
リシェラリアーナの問いかけに、パルシャークは真正面から彼女を見て言い切った。
「娼舘としてはルーヴル商会と接点を持つことに大きな利点はないが、私たちに接待の依頼をしたのは冒険者ギルドのマスターであるガッシュだ。彼とあそこの職員はウチの常連でもあるから多少の融通を利かせてもいいと思った。何より冒険者ギルドに貸しを作っておくのも悪くない」
「ですが、接待をするのは私達ですよ。事前に訓練を受けるという話もあります。営業ならばともかく、業務外であれば私達も当然、店長に報酬を要求しても宜しいですわね?」
「そんなものは先刻承知さ。君達への金銭的な報酬に加えて世話係という名目で先生を付けよう。不満かい?」
「私が先生を独占できるのであれば不満はありませんわ。……ですが、先生を狙っている娘は他にもいらっしゃいますからそれだけでは足りませんわ」
報酬が不十分であることを主張する彼女に対して、パルシャークは未だに余裕を崩さない……この程度でリシェラリアーナを説得できないことは織り込み済みだ。
「ふむ……なら訊こうか。リーラ、君は何を望む?」
「勿論、先生とのデートですわ。日頃は先生から癒しを頂いていますし、最近の先生はとてもお疲れのご様子……ですから今度は私が……いえ、私達が先生を癒す番ですわ」
「……先生の場合、言い方は悪いが自堕落に過ごす方が心身共にリフレッシュできると思うのだが……まぁいい、そういうことなら話は付けておこう」
交渉が終わると、彼女はそのまま帰ることはせず閉店した店内の厨房を借りて朝食を作る。
サービスの一環として、店にやってきたお客様にはキャスト達が手ずから作ったお菓子を綺麗に包装して渡す習慣がある。
「男って割と単純でさ、美少女の手作りお菓子を気持ちを込めて渡されただけで簡単に舞い上がっちゃうんだよ。手間かも知れないけどリピーター確保の為にはやった方がいいし、そうしたプレゼントを渡すことで相手側も覚えが良くなるしね」
いつだったか、キャスト達へのマッサージを兼ねた店のテコ入れをする際に愛しの彼が教えてくれた言葉が脳裏に浮かぶ。
結果として、彼の読みは悉く的中し、容姿と相まって異世界ではあり得ないレベルで行き届いたサービスを提供してくれる娼館は瞬く間に流行りだした。
プレゼント用のお菓子をいくつか作り置きして、合間を縫って書き起こしたメッセージカードも一緒に添える。
キャストの中には一輪の花を入れたり、可愛らしい形に焼き上げた焼き菓子を作る娘もいて、物好きな貴族達の間ではキャスト達のプレゼントを集めるのが密かな趣味になってるらしい。
リシェラリアーナの作る焼き菓子はバターとチョコを使ったツートンクッキーと呼ばれる、この世界でも珍しいものだ。
元帝国貴族の令嬢として生まれ育った過去を持つ彼女も、二種類の生地を合わせて焼き上げるお菓子など、清十郎に教わるまで見たことも聞いたこともなかった。
「クッキーってさ、小腹空いたときに食べると美味しいんだよね。自分で作れって話になるけど手間だし祝い事以外では作りたくないんだよね」
作り方を教わったとき、彼がそんなことをぽつりと漏らしたのも覚えてる。
以来、彼の自宅を訪ねる時は必ず『試食』と称してツートンクッキーと茶葉を持って行き、ちょっとしたお茶会を楽しむのが唯一の楽しみになってる。
当然、好きな異性へのアプローチの一つなのだが当人はあまり真剣に捉えてないので効果が現れるのは当分先になる。
(まぁ、私は最終的に愛人ポジションでも構いませんけどね。それよりも先生を狙う悪い虫を寄せ付けないことが大事ですから)
ここ最近、清十郎の周りは何かと賑やかだ。
今はまだいい……だがいずれ、彼の持つ整体魔術の価値を知る者が現れたら?
娼婦という身分では逆立ちしても権力に立ち向かえないが、そこは店長に丸投げしておけばいい……気をつけるべきは寧ろ、女を使った搦め手。
もっともこれは、リシェラリアーナを初めとしたキャスト達の容姿が群を抜いて優れ、かつそれらしき女を見かけたらこれ見よがしに腕を組み身体を密着させ、仕事で培ったオーラを無言で相手にビシバシ放てば有象無象の女達は諦める。
そうした、リシェラリアーナを筆頭とした、通称『先生を熱愛する会』の会員達による影の努力の甲斐あって(?)清十郎におかしな虫が寄ってこない事を、彼は知らない。
「あ、リーラ。お疲れ」
「お疲れ、エレン。あなたも非番?」
「うん。娼館でご飯食べてから洋服でも買おうと思って。リーラは?」
「私も非番ですわ。ですからこうしうて、焼き菓子のストックを作ってましたの。あなたも一つどう?」
「わぁ、ありがとう! ……うん、美味しいよねこのクッキー! 味もそうだけど一口で二種類の味を味わえるなんて贅沢だよ本当!」
「そうですね。先生はこういう嗜好品にもお詳しいですから」
「あぁ、そうだよね。先生って触り程度だけど経済にも詳しくて、平民や娼婦にも理解があるよね。……先生って何処の生まれなんだろう?」
「さぁ……島国出身とは聞いてますが」
流石に世界地理の知識のない二人では、島国というだけでは彼の出身地を予測することは出来ない……精通していても出身国に辿り付けないけれど。
二人でだらだらとお喋りをしながら片手間で昼食を取る。
彼女達にもキチンと家はあるが、店に居れば仲間達と会えるので一日の大半は店で過ごすことが多い。
物好きな娘は休日だというのにわざわざ開店中の店にあがり、カウンター席で適当に酒呑んで、お客様の相手をするキャストもいる。
かと思えば清十郎のようにひたすら家に引き籠もって自堕落に過ごしたり、家の掃除に時間を費やすような真面目な娘もいる。
聖女の後宮ナンバーワンキャストのアイリーンがまさにその典型だ。
休日の日は死んだように眠り、変な時間に起きて適当なものをパク付き、仕事は真面目にやって、身体に異変を感じたら整体魔術で心身共にリセットする……そんな生活を送っている。
「ねぇ、リーラも今度のルーブル商会の接待に出るんだよね?」
「えぇ。女神の園から五人、聖女の後宮から五人出すと店長から聞いてますわ。エレンも出ますの?」
「そりゃそうよ。稼ぎ時だし、自分を売り込むチャンスなんだから!」
「自分を売り込むチャンスですか。店に来る殿方では不足ですの? 昨日は……確か、魔術ギルドのマスターのお相手をしてましたわよね?」
「あー、うん……身分的には申し分ないのは認めるけどさ、ビビッと来ないんだよね。何て言うかこう、本物の男! みたいな。しかもあの人、自慢癖が強いから愛想笑い浮かべてワッショイするのに精一杯だった……まぁ、ばっさり言っちゃえば何処にでもいる男だったかな」
「あぁ、それは分かりますわ。全ての方がそうとは仰いませんが、やはり殿方というのは見栄を張って、異形を成し遂げることが自分の価値を高めることだと思っている節がありますから……」
なまじ、こういう店で働いているからこそ、自然と男を見る目が肥えている二人だからこそ言える感想である。
彼女達としては自分の理想はそこまで高いとは思っていないし、リシェラリアーナも相手に貴族のような富など求めてない……条件に合う男がたまたま清十郎だっただけで、本気で恋をした男もまた、彼だっただけ。
もっとも、エレンの場合は他のキャスト達と少し事情が違うけれど。
「あなたは自分からこの世界に飛び込んできたのよね。魔女の舘で土下座して頼み込んでいるところを見たときはびっくりしました」
「まぁ、変わり者なのは認めるよ。別に親が死んだとか、奴隷になった訳でもないし。ただ、手っ取り早く玉の輿を狙えるチャンスがあるとしたらこういう店なんじゃないかなーって、思っただけだよ。……まぁ、そのお陰で先生に会えて、普通の女が嫉妬するぐらいの美貌を手にしたけど、結婚相手ばかりはなかなかねぇ……」
「大丈夫ですわ。エレンは良い娘ですから、必ずお眼鏡に適う殿方に出会えますわ」
「ぶー。リーラはいいわよね、先生一筋だし。……難攻不落だろうけど頑張って」
喋りながら食事を取り終えると、エレンは予定通りウィンドウショップを楽しむべく店柄を出て行った。
早々にやることがなくなったリシェラリアーナは帰る訳でもなく、自分用にボトルキープしてある酒を手にした。
ナンバーワンともなれば酒にも強くなければならないので一杯二杯程度では酔いは回らないが、感傷に浸るには丁度良かった。
(人生、不思議なものですね。奴隷に落とされて、娼婦になった時はこんなに前向きに生きようとは思えませんでしたのに)
リシェラリアーナは帝国でも由緒正しい魔術の名門家に生まれた。
贅を凝らした料理を好きなだけ食べ、一流の家庭教師の元で学び、名家の令嬢として恥ずかしくない教育を受け、親が決めた相手と結婚する──その未来は、ある日突然、呆気ないほど簡単に奪われた。
政治に深く関わっていない自分には、何が起きたのか分からなかったが、最後に話をした使用人の口ぶりからすると父の不祥事が明るみに出たのが原因らしい。
敵が多い中、父は何とか挽回を試みようとするも抵抗虚しく全てを奪われ、リシェラリアーナはその過程で起きた内乱で人攫いに遭った。
自分の立場を受け入れられなかった彼女は徹底的に抵抗した。
いくつもの主人をたらい回しにされ、気付けば自分の周りには誰一人いなかった。
そこから更に紆余曲折を経てメリビアで娼館を営む店長に拾われ、夜伽のいろはを叩き込まれたものの、自分が汚れたという事実をどうしても払拭できなかった。
(まぁ、そうした過去があったからこそ私はこうして先生と出会えた訳ですけど。……思えば私の婚約者だったあの人も、あまり面白い男ではありませんでしたわ)
もはや元・婚約者の顔など覚えていないが、どんな男だったのかは覚えてる。
普段は温厚で、人当たりも良く、自分に対して優しく振る舞ってくれるものの、体面というものを酷く気にする男だった。
これは別に貴族として生まれた男なら誰もが気にするところではあったが、彼は男を立てられない女に用はないと言うほど、世間体を気にする男だった。
当時は自分もそれが当然だと思ってたし、そうするのが当たり前だと思っていたが、娼婦として様々な男に抱かれ、先生と話しているうちにそういう男はとても小さな存在のように思えてきた。
(そうですわね……優しいと言っても、それは自分の心に余裕があるときだけでした。でも先生は本当にいつでも優しくて、キャスト達の愚痴を延々と、嫌な顔一つせず辛抱強く聞いて下さります。……ふふっ、私も先生と居ると、ついつい自分本位になってしまいますし、今度の休暇では是非とも先生の癒しになるべく徹底的に気遣って差し上げませんと)
グーッと、グラスに満たされた酒を一気に飲み干す。
もう一杯飲もうと思ったところで、部屋の隅で掃除をしている見習いキャストの姿が目に止まった。
見習いと言っても、一等地区に店を構えるところにそのような存在はいない。
二等地区で働く見習いに応援を頼み、店の掃除をパルシャークが頼んだのだろう。
「こんにちわ。精が出るわね」
「っ。は、はい……っ。あの、その……」
「リシェラリアーナよ。長いからリーラでよろしくてよ。可愛いお嬢さん、あなたのお名前は?」
「は、はい! ティナと申します、お姉様」
自己紹介をされたセリアは慌てて名乗り、ぺこりとお辞儀をする。
まだ娼館お抱えの先生秘術のマッサージを受けていないらしく、あかぎれや肌のキメの荒さが目立つ。
「ティナちゃんですわね。ここのお掃除は初めてかしら?」
「は、はい。あの、お姉様……すぐ終わらせますので……」
「そう。それなら、ティナちゃんは床掃除をしてくれないかしら? 私はテーブルを拭いておきますわ」
「で、でも……」
「心配いりませんわ。どうせ今日は暇でうし、私も掃除でもしようかなと思っていたところですわ。それにここは高価なものが沢山ありますから、普通のやり方では駄目なの。だから私が教えてあげるわ」
少し強引に説得して、掃除用具が収納されている倉庫へ足早に向かい必要な道具を取ってくる。
実際、掃除をしようと思っていたのは嘘ではない。
まだ勝手の分からない子供に女神の園の掃除を任せるのは不用心だが、元々誰かが指導者として指導するつもりが連絡の行き違いで今日のような事態を招いたのだろう。
(これもいずれ、先生の奥様になった時の為の訓練ですわ)
「さぁティナちゃん、お部屋は広いですから早く済ませちゃいましょう」
「はい、お姉様!」
その日の帰り、ティナはリシェラリアーナお手製のツートンクッキーをもらい、満足そうに帰って行った。
その時見せた年相応の笑顔を見て、いずれ自分も彼女のように素直で可愛い子供を産みたいと思う彼女だった。
書き溜めに入ります。