御手に触れる
前話で殿下の妹君とありましたが、正しくは姉君でした。
姫殿下なる人物は二等地区の宿屋に居た。
ついでに道中、二人の名前を教えてもらった。
お姫様エルフがリコリス、騎士エルフはネージュと言うらしい。
目抜き通りから外れたところにある、日当たりの悪い安宿で、蛮族のコボルト夫婦が経営している、ちょっと変わった店だ。
「こっちだ」
ミシッミシッと、一段上がる度に軋みをあげる階段をゆっくり登る。
部屋の前には軽装とレイピアで武装したエルフと魔術師風のエルフが直立不動の姿勢で立っている……出歩いてるお姫様エルフより中のエルフの方が偉いのか?
「医者を連れて来た。通してくれ」
「それは構わないが……その男は平気か?」
「見た目通り強くはないだろう。何か遭ってもすぐ取り抑えられる。それに、悪い匂いもしない」
酷い物言いだ……けど、事実だから何も言い返せない。
一応、お偉いさんが居る部屋ということでボディチェックを受ける。
商売道具は娼館に忘れてきたけど……駄目なら駄目でいいさ。
「お姉様、お医者様を連れて参りました」
「どうぞ」
入室許可を得て、中へ入るとリコリス様とそっくりな美少女エルフが上半身を起こしてベッドの上から出迎えてくれた。
妹とそっくりではあるが、こちらは病気のせいか肌のキメが少し荒く、髪の毛も荒れ、顔も少しやつれてるように見える。
「初めまして、お医者様。リコリスの姉・エアルです」
軽く会釈をするエアル様。
多分、凄く偉い人だと思うし相手はエルフだ……なるべく失礼のないように。
「シラハエです。ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ上げます」
膝を付き、頭を下げて聞きかじった謁見の挨拶を必死に思い出しながら口上を述べる……これで合ってるよね?
「そのように固くならなくても構いません。あなたは臣下ではありません、楽にして結構ですよ」
「恐縮です」
ただし、姿勢は維持しておく……ついでに向こうが用件を切り出すまで何も言わない……というか言えない。
「お医者様だと、ネージュから聞いてます」
「はい」
「宜しければ、診て頂けますか?」
「……診断前にこれだけは伝えておかなければなりません。私は未だ修行中の身。私如きでは治せない病など、それこそ星の数ほど存在します。そのような未熟者ではありますが、構いませんか?」
この発言に、場の空気が剣呑なものになる……ヤバい、いきなり切り捨てられるとか勘弁して欲しいんだけど……。
「静まりなさい」
不穏な空気は、リコリス様の一声によって払拭された。
「我々の立場をお忘れですか? エルフが優れた一族であるなど、過去の栄光です。国を失い、多くの民を犠牲にし、生き延びた挙げ句、権威を振りかざすことがエルフとしての誇りですか? ……答えなさい、ネージュ」
「……申し訳ありません、陛下」
「謝罪は私ではなく、シラハエ様にするべきです」
「あ、別にいいですよ。気にしてませんから」
むしろさっさと終わらせて帰りたい気分なんですが……しかもサラッととんでもない事実が発覚したし。
はぁ、真面目モードって凄く疲れるから長続きしないんだよね。
「シラハエ殿、申し訳ない」
「いえ。本当に気にしてませんから」
寧ろ護衛という立場を考えれば当然の反応だ……職務を忠実にこなしただけの人間を咎めるのは筋違いだ。
「それで、シラハエ様をお呼びした理由ですが……姉の治療をお願いしたく存じます。……姉は、治るでしょうか?」
「まずは触診から始めなければなりません。……御手に触れますが、宜しいですか」
「どうぞ」
微笑みを浮かべて右手を差し出すエアル様。
いつものように【シックソナー】を発動させて診断する。
(人間と魔術回路の作りが違うのか? 随分丈夫に出来てるな。病原菌らしきものは……あぁ、これはあれだ)
調べて見てすぐに分かった……エアル様は単純に病弱で、メリビアの空気──というよりは人族や蛮族が入り乱れるこの都市の空気に馴染めず、体調不良を起こしたのだ。
雑に言えば『空気が悪い場所』に留まり続けたのが原因とも言える。
肺や臓器、更には血管に至るまで淀んだ魔力が留まり、それが病気という形で現れている。
であれば、話は簡単だ。
魔力針で通り道を作って少しずつ排出していけば済む話だ。
(エルフは長命種だからそういう知識も当然備えてると思ったんだけど……)
もしかしたら長命種であり、優れた種族であるが故に年単位で慢心していたのか……或いは単純に森の中でずっと生活してきたから外の変化についてこれなかっただけか……その辺の原因は分からないが、手早く終わらせよう。
「ん……」
魔力針を打ち込んだ際、艶めかしい声が出ないよう口を真一文字にして耐えるエアル様……ちょっと斬新だ、キャスト達はそりゃもう恥も外聞もなく声出すし、中には……いや、彼女達の名誉の為にも止めておこう。
ミスリル針があればもっと簡単に排出できるんだが、商売道具が手元にない以上地道に作業をしていくしかない。
もっと言えば、服を脱いでもらって地肌に直接触れるのがもっとも効率的ではある……が、未婚の男が未婚の王族らしき女性の肌に触れようものなら比喩抜きで首が飛ぶのは間違いない。
アンジェリカ様みたいな人は例外中の例外と言って良い。
(つーかこれ、効率悪っ! 引っ張っていくのがこんなシンドイ作業だとは思わなかったぞ!)
手を起点にして肺や各種臓器に留まっている濁りまで魔力を伸ばし、掴んで、魔力針で開けた即席バイパスへ運んで引っ張る……無駄な行程が多すぎる。
その度、エアル様の口から時折艶の混じった声が漏れるが心の耳栓をして、ジッと彼女手だけを見つめる。
いつもしている魔術回路の掃除もしようと思ったが、進行速度と魔力残量を照らし合わせてみるとそんな余裕はないと思い、断念。
護衛エルフ達からは何のアクションもないのは、俺が繊細な作業をしているのをぼんやりながら理解しているのか、黙って見守っている。
体感時間にして二時間ほどだろう……エアル様の治療は俺の魔力切れと同時に完了した……正直ヤバかった。
「終わりました……」
ふぃーっと、大きく溜め息を吐く。
たかが一人のマッサージ(ではないがそう言っておく)に一時間も掛けたのは今回が初めてかも知れない。
ジオドール様やアンジェリカ様の時でさえ、こんなには掛からなかった。
「お姉様、お加減は如何ですか?」
「えぇ、すこぶる調子がいいわ。聖域で森林浴をしたのと同じくらい」
「それほどの効果が? いやしかし……人族の魔術でそのような──」
「ネージュ、二度は言いませんよ?」
「……失礼しました」
ネージュさん、自尊心と現実の間で板挟み状態ですか。
そりゃ一日二日で積み上げてきた自信って奴を壊して一から作り直せる人なんて早々いないからな、無理もない。
「処置した限りでは問題ないと思いますが、何処か違和感はありませんか?」
「いいえ、全くありませんわ」
「それは良かったです。……それと、これは私見ですが体調不良の原因は度重なる不幸な事故による精神的な負担と緑の少ない、人間社会の空気に身体が馴染めなかったのが原因かも知れません。これといった対処療法がある訳ではないので私からは気をつけるようにとしか言えませんが……」
「確かに……人族の生活圏は我々エルフには少し窮屈だ。あまり外へ長時間出ると私も少し気分が悪くなるほどだ」
「夜、もしくは明け方なら人も少ないですから、建物の周りを歩く程度なら、気分転換にはいいかも知れません」
「ありがとうございます、先生。……それと、お支払いの方なんですが私達エルフは外の国家で流通している貨幣というものを持っておりません」
「……エルフの国では貨幣がないのですか?」
「はい。全ては自給自足で賄えますので」
すげぇな、エルフ国……鎖国時代の日本でもこうはいかないぞ。
「なので、私達が身につけている貴金属、もしくはマジックアイテムぐらいしかお渡しできるものがありませんが……足りるでしょうか?」
「いえ。充分です」
「良かったです。……それで、何かご希望のものは御座いますか?」
「……では、その指輪を頂きましょう」
パッと見た感じ、一番価値の低そうなのが指輪だったのでそれを指定してみる。
マジックアイテムは……用途が分からないから没。
「指輪ですか? 遠慮しなくてもよろしのですよ? 恩人相手に踏み倒すほど、私達は厚顔無恥ではありませんから」
「必要以上の対価は頂かないのが、私のルールですから」
「そうですか。……では」
言いながら、エアル様とリコリス様が揃って指輪を外す……あれ、一つでいいのになんでそういう流れに?
そのまま全部取るのもアレなので外した指輪の中からサファイアが埋め込まれた指輪を一つだけ取る。
「一つだけ? 本当に……本当によろしいのですか?」
「充分な対価です。これ一つでも然るべきところに売ればしばらくは遊んで暮らせる程度の大金が入りますので」
但し、そういう店に売り込むには紹介状が必要になってくる。
普通に考えれば氏素性の知れない冒険者が持ってきた貴金属を適正価格で買い取ってくれるほど、商人の世界は甘くない。
「では、失礼します」
これ以上、留まる理由もないのでさっさと部屋から出ていく。
何が悲しくて飯食べる予定が時間外労働をしなければならないのか……という気持ちもあるが結果として割のいい仕事にありつけたし……いや、エルフと接点持った点はプラスなのかマイナスなのか微妙なラインだ。
手にした宝石はポケットにしまい、まだ空いている酒場に駆け込んで適当な飯を腹に書き込んでさっさと出ていく。
魔力切れで身体がだるい、今日はこれ以上何もしたくない。
そうだ、帰ったらシャルロットにマッサージしてもらおう、こういう時の為に俺は奴隷を買ったんだ、そうに違いない。
まだまだ遊び足りずに続けて店をハシゴする冒険者の波に逆らうよう住宅街へ向かい、何事もなくアパルトメント前に到着する。
一応、住人に配慮して出来る限り音を立てないよう階段を上がり、部屋へ入る。
「お帰りなさいませ、御主人様」
「ただいまー」
扉を開ければ微笑を浮かべたシャルロットが出迎えてくる……あぁ、奴隷買って本当良かった、日本に居た頃なら絶対女の子と話す機会なんてなかった。
「御主人様、お疲れのところ申し訳ありませんがパルシャーク様から伝言が御座います」
「えっ? あの店長から?」
「はい。タツヤ様と一緒に冒険者ギルドへ来て欲しいそうです。何でも、御主人様宛に依頼があるそうです」
「…………」
「御主人様?」
「いや、何でもない……」
俺の平穏が、また遠のいた……。