仕事帰り
懐が暖かくなれば自然と紐が緩くなるが、今朝食べた極上ステーキを思い出すと屋台での食事は物足りないように感じる。
かと言って賭博して散財する趣味もないし娼舘は仕事以外では立ち寄りたくない。
宛もなくぷらぷら町を歩き回っていると人混みの中から一際美しい女性がめざとく俺を見つけて笑顔で手を振ってきた。
「あ、先生。こんなところで会うなんて偶然ね」
「ん、アイリーンか」
フード付きのケープを纏っているその人の名はアイリーン。
一等地区に店を構える聖女の後宮・指名率ナンバーワンのキャストだ。
彼女に限らずキャスト達はあまり目立たないよう外出するときは必ずフード付きのケープを身に纏っている。
「先生、今暇? 良かったら一杯付き合ってくれない?」
「いいよ」
特に断る理由もないし、一人だと暇を持てあましてしまう。
アイリーンがごく自然に腕に抱きつき、豊満な胸で挟み込んでくる……凶悪だ。
慣れてるとは言え、思わず鼻の下が伸びそうになるのをグッと堪えて誘導されるまま、町を歩く。
「何処で呑むんだ?」
「昼間からお酒を呑める場所と言えばギルドに併設されている酒場しかないわよ?」
「えっ? そんなとこ行って大丈夫なの? 自分で言って悲しくなるけど俺、虫除けにすらならないくらい弱いよ?」
「あら先生……私、先生よりこの街に長く住んでるのよ? それにこう見えても両親が冒険者だったから護身術ぐらい仕込まれてるし店の常連さんだって私の味方よ。滅多なことなんてないわ」
「へぇ、両親が冒険者だったんだ……」
「昔の話よ。それに両親は一○年前に起きた大規模討伐に参加して、それっきりよ。借金もあったみたいだし、身元引受人もいなかった私は生きる為に、そして親が残した借金返済の為に今の商売始めたのよ」
借金はもう返したけどね──と、笑いながら補足する。
キャスト達とはあまり深い話をしてこなかったからかなり意外な事実だ。
とは言え、このご時世そういう事情を抱えてお水の世界に落ちていった娘は珍しくもない、ありふれた話だ。
やがて俺たちは目的のギルド併設の酒場に到着する。
スウィングドアを開けて中へ踏み込めば案の定、昼間から酒浸りしている冒険者達が大半を占めている。
そして当然のように俺に集まる視線……だがアイリーンは何処吹く風とばかりに当然のようにカウンター席に座る。
「いつものお願い」
(おおぅ……こういうお店で一度は言ってみたい台詞を臆面もなく堂々と……なんか格好良いな)
「あいよ。……で、そっちの兄ちゃんは何モンだ? お前が男連れてくるとこなんて始めて見るんだが?」
「先生、とだけ言っておくわ。……先生は蒸留酒が好きだったよね?」
「あぁ。それとお勧めのツマミを」
「マスター、コニャックと私と同じツマミを」
「はいよ」
それ以上、無粋な詮索はせずに注文を用意するマスター。
後ろからは俺たちのことを勘ぐる視線がビシバシと背中に突き刺さる。
正直、居心地悪いですアイリーンさん。
「心配しなくていいわよ先生。この商売始めた頃から使ってるし、絡んでくるようなバカはいないわ。居ても焼くけどね」
ポッと、人差し指から小さな炎を出して不敵に笑う。
元冒険者で実践的な魔術師としての素質もあり……娼婦なんか辞めて普通に冒険者すればいいのに。
「ナンバーワンキャストがこんなトコで呑むなんてミスマッチもいいところだな」
「美味しいお酒は仕事でお客さんと一緒に呑むこともあるけどね、そこそこ美味しいお酒でも満足できるわ。メリビアって基本美味しいもの多いから」
「言えてる」
トンッと、木製の器に注がれたお酒が置かれたので受け取る。
アイリーンの言う通り、メリビアには美味いものが多いから、俺もここを活動拠点にしている。
王都は遠いしここより物価が高く、農村部だと畑仕事しかないしそもそも体力ないから使えない奴として切り捨てられる。
物価は高いがそれなりに働き口があって、自分の技能を活かせる環境が整い、飯が美味い……そういう意味じゃメリビアは最高の場所だ。
もっとも、地方都市とは言え農村部に比べれば物価は高いからそれなりの収入がないとあっという間に根無し草となり、奴隷紋を刻まれて鉱山送りにされる。
鉱山に送られた人間の末路なんて想像するに難しくないし、ここの住人はそうなる前に開拓事業に滑り込む。
どちらも過酷だが、犯罪奴隷が多い鉱山よりはマシだ。
「じゃあ……私と先生の初デートに、乾杯♪」
「……乾杯」
初デートという言葉で周りの男達がざわつき出す。
何処の世界でも入れ込んでいる(?)美少女が男を連れてくればやっぱり気になるよな……それが一見さんお断りの高級娼舘のナンバーワンともなれば尚更だ。
「……なぁ、また仕事で嫌なことでもあったのか?」
「あー、うん……。まぁ、ね……」
グビーっと酒を煽ってからぽつぽつと愚痴を零し始める。
過剰なプレイをしてくる客が多くて困っている、しつこく身請け話を迫ってくる某商人、帰り際を狙ってくるので用心棒と同伴でないと出勤も帰宅もままならない、自分を含めた他キャストも休みが取れなくてシンドイからいつものアレして欲しい、等々……。
お世辞にもコミュニケーション能力が高いとは言えない俺はアイリーンの言葉に相づちを打ったり、全面的に肯定したり相手が悪い等と調子を合わせながらチビチビ酒とツマミを口にする。
「先生ってさ、優しいよね」
何杯目かも分からないお酒を飲み干したアイリーンがぽつりと呟く。
「お店に来るお客さんは基本、優しいのよ。ま、私に限らずメリビアの娼婦を前にして理性保てる人って数えるぐらいしかいないけど、それはいいの。基本優しいっていうのはさ、お店に来ている間だけってこと。一歩外に出れば酷いことを平気でする人から偉そうにする人、他には日頃の鬱憤を晴らすように抱く人とか……」
「……うん、なんかゴメンね」
男としてはもう謝る以外、どうすることも出来ない。
「でもさ、先生ってそういうの無いよね? 上辺だけじゃなくて本当に優しい人で、私たちみたいな女でも対等に接してくれるし、こうやって愚痴にも付き合ってくれる。こんなに裏のない人間、始めて見たよ」
「……俺は、その辺にいる人間と変わらないよ」
「そんな事ないって。本当に先生は立派だよ? でなきゃプライベートでこうして会ってお話したりなんかしないよ?」
そういうものだろうか……単純に愚痴零してご飯たかる為に捕まえられたとしか思えないんだけど……。
「話は変わるけど、先生って信じられないくらいガード堅いよね。もしかして好きな人いるの? 良かったら相談に乗るよ?」
「失恋経験ならある」
あまり思い出したくない、中学時代の話だ。
勇気を出して告白しようとしたら偶然、その娘は俺をからかい、弄んで楽しんでいるだけだという話を盗み聞きで知ってしまったのが最初の失恋。
二度目は相手から告白されて試しに付き合ってみたけど、俺がオタクだと知った途端『私までオタク扱いされるのはゴメンよ!』と、ビンタされて別れた……酷い話だ。
「──とまぁ、昔そんなことがあったんだ」
勿論、異世界人ではなく現地人という設定でアイリーンに話した。
「そう……。先生を振ったその女達は見る目がないわね」
「一○代前半の女なんてそんなものだよ」
なんてことはない……俺が勝手に好きになって、勝手に傷付いた──ただそれだけの話だ、珍しくなんてない。
悪くない、という意見もあるかも知れないがリア充を妬み、恨む輩からすれば裏切り者に同情の余地はない。
「じゃあ、もし先生が付き合うとしたらどんな娘がいい?」
「もう付き合わないと思うけど」
「もしもの話だよ」
「んー……」
もし、三度目の正直で付き合うとしたら……そうだな、流石にもう傷付きたくないから男に従順ってのがいいな。
で、面倒臭いこと言わないしちゃんと男を立ててくれる大和撫子。
これを端的に言い表すなら──
「何があっても尽くしてくれる女……かね。端的に言えば従順な娘」
もうさ、失恋という古傷抱えてる俺としてはそこに集約される訳なんだ。
ま、その三度目の恋愛になることはないだろうし、これからもキャスト達を相手に生殺しされる日々を過ごすだろう。
そこから話題は変わり、最近町で起きた出来事や昨日、いきなり領主邸に呼ばれた話題など、当たり障りのない話をする。
酔いもいい具合に回り始めた頃、勘定を済ませて店を出ようとしたときだった。
「誰か、この中に治癒魔術を使える奴はいないか!?」
ぐったりとした冒険者を抱えるように、一組の冒険者が乱入してきた。