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現在の話

「髪が伸びたんだ、姉さん、悪いんだけど、切ってくれると嬉しいな」


 青年――弟は二人分の食器とタッパーを洗いながら、そう言った。


 結局、弟の作ったパスタまですっかりご馳走になってしまったわたしは無下に断れるはずもなく、あーはいはい、とそれでも適当に承諾の返事をした。


 ベランダのガーデニングチェアに弟を座らせ、肩まで到達している髪に鋏を入れる。

 今日は素晴らしく天気がいい。


「休日まで仕事させないでよ」

「ごめんね。後でお金払うから」

「そういうことじゃなくて」


 わたしは溜息を吐くと、もういい、と呟いた。

 この弟は本当に阿呆なのかもしれないと不安になる。


 わたしは髪を切りながら、昔わたしが殴ったところをそれとなく確認した。

 あの時だって血さえも出ていなかったのだから、痕になっているはずが無いのだけれど。それでも素直に謝罪が出来ないひねくれた性格は未だ治らず、わたしだけがあの夜のことをいつまでも引きずっているような気がする。


 不意に弟が「姉さんは優しいね」と言った。


「なにいっ、て……」

「姉さんは、強いし、賢いし、優しいね」


 わたしは驚いて、図らずも根元のあたりからばっさり切ってしまった。

 哀れな鳥の尾のように、ぼとっと毛の塊が足元に落ちる。


 この弟は。


(やっぱり、賢い……?)


 弟はけらけら笑いながら「そして、怒ると怖い」と付け足した。


「何だ、それは」

「あの時、本当に殺されるかと思ったもん」

「……そんなに怖くないし」

「ねぇ、姉さん」


 白い光が差す、あの頃には手を伸ばしても届かないほど遠い夏の日、弟が言った。


「姉さんは姉さんでいいと思うよ。誰かが死んで、生まれ変わっても、それはどうやったって姉さんには

ならないんだから」


 しゃきん、しゃきん。


 弟の髪を切っているときでよかったと思う。

 こんなこと正面向いてなんて絶対に言えない。


 もしかすると弟は元から計算して、わたしに髪を切るように頼んだのかもしれない。

 そうすると、わたしの周りにはどうにも賢い人が多すぎるようだ。


 しゃきん、しゃきん。



「ありがとう」



 散髪を終えて、鋏の手入れをしていると、ソファに寝転んで車の雑誌を読み始めた弟が「そういえば」と切り出した。


「なに」と鋏から顔を上げずに返答をする。


「最近ずっと留守だったけど、どこ行ってたの?」

「墓参りと、旅行」


 弟が雑誌を置いて、ソファから起き上がる気配がした。

 視界に弟の素足が入る。

 顔を上げると、弟が笑っていた。


 あの夜以来、弟の笑い方が変わった。

 仕付け糸を解くような、自然な笑い方をするようになった。

 わたしはその笑い方が嫌いではなかった。少なくとも、前の笑顔よりは。


「誰と?」

「……ユージとだけど」

「いいね。俺も、彼のことは好きだよ」

「ユージと会ったことあったの」

「知らないの、すごく仲いいのに」


 もしかすると弟に透明のことを喋ったのもユージの仕業かもしれないと思い当たった。

 そして、その憶測は当たっているのだろう。


 わたしの知らないところで、わたしが知っている人たちが繋がっている。

 それが積み重なって、世界は丸くなるのだ。

 それって、きっととても素敵なことだ。


 わたしは知らず知らずのうちに癖でビートルズのlet it beの鼻唄を歌って、弟も雑誌から顔を上げずに歌い始めた。

 二人の鼻唄が昼下がりの平和的な空気に気持ちよく溶けた。




 思慮するわたしと、遠い夏。


書き終わってから「こんなタイトルじゃホラーみたいじゃん!」と気づいたのですが、他にいいものを思い付くこともなく、この有様です。

最後まで読んでくださってありがとうございます!

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