祖母の話と透明の話
祖母の話。
祖母は本当に無口な人だった。
自分の意見を言う事がまず無く、というよりも、自分で思考し結論を導き出すという作業自体を放棄してしまっているようだった。
対して祖父(わたしが小学校に上がった頃に亡くなった)は昔ながらの頑固親父で、自分の命令に従わないことは許さなかった。
お酒が入り過ぎると、怒り上戸なのに泣き上戸だから、ボロボロの竹刀を振り回しながらおいおいと泣いた。
父と母は慌てて祖父を宥めすかしたものだったが、祖母は部屋の隅に縮こまって、ぼうっとテレビや空中(或いは虚空)を見ていた。まるで祖父など目に映っていないように。
だが祖母にそうさせたのは他ならぬ祖父なのだ。
祖母が現実から目をそむけ、何も考えまいとする姿勢を貫くようになったのは、祖父、そして祖母を取り巻く環境だったのだ。
大酒喰らいの祖父が肝臓を悪くして亡くなった後も、祖母は何も考えないままだった。
言葉と言うものを発することが少なかったから、祖母の家は自然と静かだった。
わたしと一緒に暮らしていても、祖母の家は到底二人の人間が住んでいるとは思えない不気味な静けさを保っていた。
だからこそ、わたしは、祖母が透明を拾って来たとき、ただならぬ驚きを感じた。
あの夏、わたしが見て来た中で、祖母の唯一の主張が透明だった。
透明の話。
透明は家に来たときこそは、毛並みはぐしゃぐしゃで薄汚れていて獣臭かったものの、綺麗に洗ってやると、真っ白でふわふわな何とも愛くるしい小動物に変身を遂げた。
くりくりと真ん丸い黒目は潤み、覗く赤いちいさな舌でぺろっと手の甲を舐められた瞬間から、元来動物好きなわたしは透明に心を奪われた。
思えば透明は奇妙な犬だった。
滅多に吠えず、鳴かず、まるで物静かな思慮深い哲学者のように、じぃっとわたしを、祖母を、或いはわたし達には見えない何かを、見つめていた。
人の言葉を分かっているくせに、その上で馬鹿な犬の振りをしているようにも見えた。
もし、そうだとしたら透明は天才犬だ。
「おまえは強い子、賢い子、優しい子」
もしかすると祖母の教育が良かったのかもしれない。
でも透明は老犬だったのか、その夏の或る日ぽっくり死んでしまった。
だから透明が本当に世に言う天才犬だったのかは永遠の謎になってしまった。