第五話
「相談です」
「・・・・・・・・・後にしてくれない」
「できるだけ、早くしていただきたいな」
「無理を言うなよ。今、俺はパチンコの神様と一緒にタンデム中だ」
平たく言えば爆連中だった。現在、32連目。大勝ち確定の大事な大事な回収日の真っ最中なのだ。
よい子には見えないパチンコの神様が「ほれ、ほれ。いったらんかい」と囁く。ちなみに脳内イメージの神様は恵比寿様である。
時刻は夕方。下校時刻を過ぎたあたりだろうか。光路にとってその辺りの感覚は遠くなって久しい。
流石に優雅は制服姿で現れることはなかった。当たり前だが、制服姿でパチンコ店に現れた時なんぞ、一発で補導確定だ。
背後では、気を揉んでいる優雅の気配。しかし、光路には気にかける余裕はない。見向きもせずに相手をする光路に腹を立てたのか、優雅は恐ろしい呪いの言葉を繰り出してきた。
「連チャン止まれー。連チャンよ止まれー。そこにいませりパチンコの神よ。この台から去り給え」
「なっ!? 神になんてことを!?」
そして不吉すぎる。この男が言うと本当に言うとおりになりそうなのだ。そんな矢先、光路は台の様子がおかしいと思った。
何だか台の覇気が無くなったような。完全にオカルトティックだが、光路のギャンブラーとしての勘がびんびんと告げている。
「あ、ああーっ! ハズレ・・・・・・」
「しかも抜けたっ! 今の流れでハズレるなんて・・・・・・」
「なんてことを! 鬼! 悪魔!」
立て続けに起こった不運に光路は席を立ち上がり振り向いた・・・・・・振り向きたかったが、脂肪が邪魔して振り向けなかった。パチンコ屋の席は窮屈すぎる。
「いやー。ちょうどよかった。これでキリが良いとこだね」
「まーなんて憎たらしい笑顔をしてやがる」
景品も交換して入り口で待っていた優雅のもとへ向かう。
改めて私服姿の優雅の立ち姿に見惚れそうになった。黒いパンツに本皮のベルト。サマーブルーのオックスフォードシャツの袖をロールアップして着て似合う人間は貴重だろう。八頭身の美形は何を着ても似合うが、スタイルが良いだけにシンプルな格好がいっそう彼の容姿を引き立てている。
光路がどすどすと近づくと顔を上げる。少し浮かない顔に見えるのは気のせいだろうか。
「すごい出してたね。幾ら買ったんだい?」
「投資が2万で、しめて26万くらい」
「わお。すごい! 大勝ちじゃないか!」
とはいえ彼は先日の連打ちの際に、ほぼ同じ額を稼いだ人間である。
「本当ならもっとイケたはずなんだけどな・・・・・・」
「私の呪いがきいたおかげってこと? ハハハ、そんなはずないじゃないか」
光路とて心の底から恨んでいるわけではないが、なんとも釈然とできないのも事実であった。嫌みの一つくらい零しても罰は当たらないだろう。
「で、相談ってなに。よっぽど急なんだろう?」
「そう。ちょっと歩きながらでもいいかな」
立ち話もなんだから、という流れになるかと思ったがずいぶんと慌ただしい。そういえば、人の稼働を邪魔するくらいには焦っているくらいだ。
「ちょっと早歩きすぎる」
「あ、ごめん。ついね」
歩幅は一緒くらいなのだが、足の回転力が違う。身長はまだ光路の方が高いが、やはりアドバンテージがあるのだ。デブな分。
「で、改めて訊くけど相談って?」
「うん。単刀直入に言うね。私の同級生の子についてなんだけど」
「ちょっと待て。その同級生っていうのは、やっぱり女か?」
「そうだけど、それがどうかしたかな」
「いや、別に。続けて」
「その子がね、どうやらストーカー被害に遭っているみたいなんだ」
そんなこと、急に言われても。
★ ★
同級生の女の子がストーカー被害に遭っていると自分で気づいたのは一ヶ月ほど前らしい。バドミントン部に所属する彼女は非常に優秀な選手で、周りの運動部の人間のほとんどが大きな大会で敗れ引退していく中、現役のまま粘り強く生き残っているそうだ。
部活で帰るのが遅くなるのはいつものことだったが、どうにも違和感を感じたらしい。
「件のストーカーは犬連れらしいよ」
「犬連れ?」
いつも通りがかる公園は日が暮れても人通りが多いし、犬の散歩をしている通行人も珍しくはない。
そのストーカー男は、年老いた柴犬を連れてずっと公園の入り口に佇んでいたらしい。彼女も初めのうちは「あ、犬かわいー」くらいに思って、ただ通り過ぎていた。あそこで犬とぼうっとするのが習慣なのかもしれない。
だが、次第におかしなことに気がつく。ずっと公園で立ち止まっていた飼い主の男は、彼女が通りかかった後に必ず歩き出すのだ。
自分と同じ方向へ。偶然だと納得するにも、何度も繰り返されてしまうと気味が悪くなる。
警戒しながらもなるべく人通りの多い道を選んで帰るようにはしているらしいが、不安は増すばかり。つい一昨日の夜など、自宅付近までついて来られたという。
「で、相談を受けたと?」
「そうなんだ」
「したら、せっかく頼られたんだから助けてあげろよ」
「うん。だから協力して欲しい」
何故、そうなるのか分からないのである。
「まさか・・・・・・自分で何とか解決してやろう、なんて思ってないだろうな?」
「え、それがどうかした?」
「はぁ。馬鹿だ」
「馬鹿とは心外な」
「重ねて訊くけど、『なんか頭ひねって考えて犯人を追い詰める』作戦なんか立てて、直接ストーカー男を退治てくれよう桃太郎侍! なんて思ってないよな?」
「・・・・・・なんか言いたげだね。最後まで言ってごらん」
「親、警察、先生。優先順位ってもんがあるだろうが。何だって自分の力で解決できる問題だなんて思うんだ?」
「そりゃあ、私だって最初は彼女に大人に相談することを勧めたさ。けど、彼女としても大事にしたくないときた。もちろん私だってストーカーの男を成敗! で万事解決するなんて思ってないさ」
「じゃあ、今から向かう所はどこなんだよ」
「そりゃあ・・・・・・敵情視察くらいは、いいかなと」
「んなもの一人でいけよ」
「ね、念のためさ」
存外にこの男は小心者らしい。光路は、優雅が根本を理解していないことが分かった。
「まずストーカー被害っていうのは親告罪だ。ただ、具体的な被害をあげるのは難しいし、最後に泣き寝入りなんて例も少なくない。警察に相談しても、ストーカー対策に熱を入れてるトコとそうでないトコの差が激しいから、これまた難しい」
「実に勉強になるけど、ずいぶんと詳しいんだね」
感心した声を上げる優雅だったが、かまわず続けた。
「そもそも、その話を聞いた限りでは偶然って言葉で幾らでも片付けられると思う。言い逃れできる余地なんていくらでもあるだろうし、本当に問題の解決をはかるなら、しっかりと考えて行動しないと」
「はい」
神妙に光路の言葉に耳を傾ける優雅。意外そうな顔をしているのは、光路があまりにもスラスラとストーカー対策についての知識を並べ立てているからに他ならないだろう。
「なんで詳しいのかって顔だな。昔、俺もそういうのあったんだよ」
「え、ストーカーに遭ったの?」
「俺じゃない。俺の・・・・・・知り合い?」
「どうして疑問系なんだい」
「まあ特別親しくもなく、かつ全くの他人でもない仲・・・・・・だったのか?」
「知らないけど。とにかく、分かったよ。過去に君が実際のストーカー事件に触れる機会があった。それで君はその時の解決の仕方をしっかりと見たわけだ。そうだろう?」
「事件ってほどでもなかったけど。大抵は魔が差した、とか平凡そうな人間だったりするんだ」
その時の犯人は平凡な青年だった。その辺にごろごろと転がっているような、良くも悪くも普通の人間。顔を隠す気も全くなく、近所のコンビニで夕方までのシフトでバイトをしていた男だった。
相手の身元が分かれば、後は話が早かった。
向こうの両親に連絡を取ったら、菓子折を引っ提げて家まで土下座しに来た。青年の父親は息子の不始末に切腹でもしかねない勢いだったらしい。息子の方といえば、顔をぱんぱんに腫らして、かろうじて原形をとどめているくらいにボコボコにされたのが丸わかりだったという。
「それで、そのストーカーの男はどうなったの?」
「しばらく普通にコンビニのバイト続けてたらしいけど、途中から見なくなったな。ちょうど大学卒業の年だったらしいし、就活でも始めたんじゃないのか?」
「そんなものなの・・・・・・?」
「そんなもんだろ。全く理解も共感もできなかったけど、本人いわく『もうアレは事故みたいなものだった』そうだ。その女の子が特別に可愛かったわけでもないけど、月並みな表現をすると恋に落ちてしまったんだろうな。一目惚れってやつか」
「で、ストーカーに至ったと?」
「本人的には悪気はなかったんだと思う。最終的に死ぬほど反省してたみたいだけど、だからこそ怖いと俺は思ったね」
無自覚な分、たちが悪い。こじれてしまうと、もっと厄介な話に進展しそうな怖さがある。あの時は特に物々しい事態にならず、それは運が良かっただけなのだと思われる。
「じゃあ、今回もそんな感じでやるかい?」
「いや。まず相手も分からないんだし。優雅が言った敵情視察ってのもあながち悪い手段じゃないな」
まずは様子見で、実際に件のストーカーの様子を見てみることにした。
「怪しいね」
「ああ、怪しい」
「あの柴犬、ヨボヨボすぎない?」
「ああ、だいぶご高齢だな。それよか、男の方をみろよ」
光路と優雅の目立つ二名は漫画のように電信柱の陰から顔をのぞかせていた。目標の人間は確かに高齢の柴犬を連れて公園にいた。時折、犬に話しかけているように見え、傍目には犬好きな好青年にしか見えない。
二人は十分に距離をとっており、見つかるとしたら、奴の風上に立った時のみ。とりあえず風はなく、今夜も寝苦しい夜になりそうだった。
優雅の同級生の少女はいつものようにこの道を通る予定らしい。
「そんなに嫌なら迂回すればいいじゃないか」
「彼女いわく、それをすると自分が相手に気づいているって思われるかもしれないのが怖いんだって。現状、相手の行動に大きな変化がないうちは少しでも煽るような行動はしたくないそうだよ。それにここは人通りも多いし、変に小道を行って出くわすよりは安全だ」
「ふーん」
優雅の言い分に生返事をしながら、光路はタバコをくわえて火をつけた。
「こんな時くらい控えてもらえないかな」
「こんな時だからこそ、だろう。探偵ものだと絵になるはずだ」
「・・・・・・」
「なんかしゃべってくれよ」
突っ込みが欲しかっただけなのに。
「それにしても、君は若いうちに心筋梗塞とかで逝ってしまいそうだね。少しずつでも健康に気を遣うことをおすすめするよ」
「大丈夫。いつか、ちゃんとやる」
「絶対ちゃんとやらない人間の言葉だよそれ」
他愛ないやり取りをしているうちに、監視対象に動きがあった。
「もしかして、アレが同級生?」
バドミンドンバッグを背負い、大股で歩く少女の姿があった。特筆すべき点もないような平凡な顔立ちで、ポニーテールをシュシュでまとめている。ああした髪型が許されるボーダーラインは絶対にあるはずだと光路は信じている。
ギリギリ、合格点。辛口に光路は評価していた。
そんな光路の内心など露知らずの優雅はうなずき、続いて彼女の後を追うように公園を出た男へと厳しい視線を向けた。
「いくよ」
ゆっくりと距離を保ちながら後を追う。男は基本的にゆったりとしたペースで犬の散歩を装ったストーキングに勤しんでいる。連れている犬はしっかりと散歩を楽しみ、興味のあるものを見つけると寄っていったりするが、男はそれを強引に止めたりはしない。
彼女と距離が離れてしまうにも関わらず、犬のやりたいようにさせている。満足した犬と共に再び歩き出し、彼女の後を追う。
「なんというか、自然だな」
「ああ。そこが恐ろしい。相当のやり手かもしれない」
「やり手って。ストーカーのやり手とかあるの」
むしろ、こちらの二人の方が百倍あやしい気がするのだ。
こそこそと寄り添いながら、物陰から物陰へと渡り歩く姿にぎょっとする通行人すらいた。
「なあ、逆に俺たち目立ってると思う」
「ところで、柴犬のあのしっぽがくるんってなってるのは何でなんだろうね」
「知らん。たぶん、そういうものなんだろう」
しばらく尾行は続いた。まだ陽は長く、こんな季節は早めに帰ってベランダでビールといきたい所なのだが、どういう理由か二重ストーカーなんぞをやるハメになっている。
「・・・・・・犬がさっきから、こちらを振り返っているんだ」
「もしかして、こっちに気がついているのか? 男にバレたらまずいな」
「いや、可愛いなと思って」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれ、別の道に行ったよ」
ストーカー男は分かれ道になっている所で立ち止まり、少しだけその場にとどまっていたかと思いきや、すんなりと彼女とは別の道へ向かった。
「ほんとにストーカーなのか?」
「うーん・・・・・・なんとも言えないけど、彼が動き出すタイミングは計ったかのようなものだったし」
優雅は整った眉を寄せた。つられて首を傾げる光路だったが、そこまで同調して悩むわけでもない。
「まあ、このまま何もないようなら気のせいだったってことでいいんじゃないか? 心配なら防犯グッズでも持たせればいいさ」
「・・・・・・そうだね。念のために護身術もしこんでおくべきか」
そういう自分は修めているのか、護身術。黒髪の王子の万能っぷりにちょっとだけ引いた。
「じゃ、今日はこんなところで」
これ以上は付き合いたくないので、あっさりと元来た道を戻ろうとした光路の腕をがしっと掴んだ優雅。
「なんだ」
「今日はありがとう」
人の腕を掴んで引き留めてまで言うことだろうか。
「ああ、いいよ。大変だろうけど、ほどほどに」
「ところで君に言っておかなければいけないことがあったんだが」
やけに真剣な表情の優雅に背筋を伸ばす。負い目などないが、こういう態度で話し始められる瞬間というのは、妙に緊張してしまうのだ。
「君が絶対に勘違いしてると思ってね。私的には実にショックなことなんだけれども・・・・・・」
「な、なんの話なんだ」
「私は王子と呼ばれているが、実は―――」
「あ、優雅じゃん! 何してんの、こんなトコで?」
「チッ」
きっと重要なことを言う瞬間だったのだろう。肝心なところで見知らぬ男の声が割って入った。それに対する優雅は顔をひどく歪めて舌打ちする。おそらく知り合いに対して穏やかな態度じゃない。
「君か」
「部活もないのに珍しいじゃん。そちらは友達?」
突然現れた男の制服は光路にも見覚えのあるものだった。同じ制服がクローゼットの奥底に眠っている。
「ども」
軽く会釈すると、向こうもそれに返してくる。質問された優雅は何だか落ち着かない感じで、男を睨むように見据える。
「彼は私のし、友人だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「最後の、つけ加える必要あったのか?」
無意味な迫力をもたせた口調と顔で、何か牽制をされた気がした。優雅の態度に男は不思議そうに光路と優雅を見比べる。
だが、笑顔になると「そっか」と頷く。またも現る爽やか系のイケメンに光路は衝撃を覚え始めていた。今月は何なのだろうか。イケメン強化月間である。
「優雅。俺、色々やることあるから。今日はこの辺で」
「え? あ、ああ。今日は突然ごめん。助かったよ」
友達の友達は、すぐに友達になれるわけではない。共通の知人というフィルターを通して回りくどく行き来するやり取りは疲れるし、優雅が言いかけた話も実はさほど興味ない。
財布の中に大金があるというのも落ち着かないので、とっとと家に帰ることにした。
去りゆく中、自分の背中にずっと視線が突き刺さっているのを感じていた。かすかに捉えた会話の中で「彼、もしかして大路くんじゃない?」と言うイケメンの声。耳に障らない、落ち着いた低い声。
実に観察力が豊からしい。やはり自分を自分だと、当然のように気づいてくれるのは、嬉しいものだ。本当に、それが些細なことでも。
もっと彼らと遠い世界に行きたかったのだ。
しかし、環境が変わっても生きる場所はそうそう変えられない。学校を辞めてからの短い期間で悟ってしまった。
腹の底でぐつぐつと何かが煮えたぎる音が聞こえたが、吐き出す場所もない。帰りのコンビニで高いアイスを買った。
家に帰ったら風呂に入る。そして、買ったばかりのアイスでも食って早々に寝てしまうのがいい。
重い足取りで、光路は誰も居ない自宅への道を歩くのだった。