第四話
光路の趣味はそこそこ充実している。高校生という立場であった時は、学校に行く時間が邪魔して趣味に没頭できる時間は少なかった。
今は違う。読書、映画、音楽。好きな時間に楽しめる。誰にも邪魔されず、誰にも咎められることなく。
ギターの弦が切れ、中央区まで行く必要ができた。パチンコ以外で札幌市街に繰り出すのは久しぶりである。
服を買うにも流行りの服を着られる身体ではないし、友達もいない。基本的に自分の生活区域から出ることがない光路だったが、近所に楽器屋がないので、街に出るしかないのだ。
狸光路まで歩くだけで汗が吹き出たが、気にしない。デブは汗をかくもの。クリーンなデブを目指しているが、傍目に暑苦しさを提供しているのは間違いない。
この季節は、ハンカチでは足りずにタオルを用意して歩くのが常だ。しっかりデオドラントするのも忘れずに、クリーンなデブたるには豆豆しい努力が必要なのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
とんでもない光景を目にしたのは、楽器屋で手早く目的のものを買いそろえ、さて帰るかと店を出てしばらく歩いてからだ。
両手に華、という非現実的な光景がそこにはあった。
「ねー優雅くん。あたし甘いものたべたいなー」
「あ、うちも~!」
「ハハハ。甘いものかい? どれ、この近くで美味しい甘味屋さんはどこだったかな」
可愛らしい女の子に腕を組まれながら、爽やかな笑みをこぼす男。キラキラと放たれる輝かしいオーラが周囲から浮いている。
注目を浴びていることにも気づいていないのか、演技がかった口調で「甘味屋」などと言ってしまう男に見覚えがあった。
「そうだな。この裏のスープカレー屋のジェラートが評判だった気がする・・・・・・っておや? そこにいませりしは!」
あ、ヤバイと思って踵をかえした。何故、気づくのだ。
「光路くん! 大路光路くん!」
「名前を呼ぶな!」
無駄に通る声によって、フルネームまでその場にご披露されてしまった光路は観念して立ち止まった。
「君も街まで来るんだね! 奇遇だね!」
この男の奇遇、は何だかあまり聞きたくない言葉である。
「まあ、ちょっと用事があってな」
「何か買い物でもしたの? おやその袋は・・・・・・君はまだ楽器を続けているの?」
楽器屋の名入り手提げ袋を見て、そこまでズバリと当ててしまうとは。その通りだったったので肯定したが、この男は自分のことを知りすぎではないだろうかとドキリとした。
「ねー、この人だれ?」
優雅と一緒にいた女の子が言った。すると優雅は明らかに「あちゃー、いっけねえ」とでも言いたげな顔になる。
「あ、んと・・・・・・彼は私の友達だよ。大路光路くんだ」
「ふーん」
もう逃げたい、とこの時点で思っていた。初対面の相手に「この人」扱いもそうだが、聞いておきながら全くもって興味なし、という態度の人間に対して上手く対応できる自信がなかった。
「あれ、おおじこうじって・・・・・・嘘っ!? 王子!? え、ほんとに!?」
一方の女の子はぐゎっと両目を押し広げてこちらを凝視してきた。いきなり自分を見てぶったまげられても対処しようがない。
「え、ユミ知ってる人?」
「だってほら・・・・・・あの大路くん」
声を潜めつつ、興奮気味に一方の子に耳打ちするユミと呼ばれた少女は、どうやら光路のことを知っていたらしい。
十中八九、良い反応ではない。
次第に一方の子も「嘘ーっ!?」と同じ反応になったところで、まじまじと二対の視線に晒された光路は居心地が悪かった。
「噂、ほんとだったんだ」
耳に突き刺さった言葉に息が詰まりそうになった。何も言い返せずに、光路は心の中で思った。
その噂は、きっとその通りだ。
「ちょーっと君たち。初対面の相手に失礼すぎないかな? ごめんね光路くん。ちょっとこの子たちはちょっとアレなんだ」
「・・・・・・アレってなんだ」
「アレはアレだよ。ほら、察してってこと」
「まあ、いいけど。慣れてるし」
傷つかないわけではないけど、気にしすぎることもない。言葉の通り、慣れているのだ。以前はもっとこういう場面に直面する機会があったし、最近は自分を知る人間に出くわす機会が減っていたから、久しぶりな気はした。
「ほんと、ごめんね」
まるで王子様みたいな顔を歪めて、光路に侘びる優雅に光路は何の感情も抱かなかった。強いていうなら、「間に挟まれてなんだか大変そうだな」とか「モテるのってそう楽じゃないよなあ」とのんびりな思考が巡っているくらいだった。
女の子たちは、優雅に注意されて口をつぐんでいたが、好奇の視線は外してくれなかった。
きっと、彼女たちはこう思っている。
大路光路は変わってしまった、と。それは失墜、と言い換えることもできるだろう。そして、落胆しているのが丸わかりであった。
「じゃあな。しっかり王子様やってんのな。大変だろうけど、頑張れよ」
これ以上、話すこともない。街中でバッタリ会っただけで、本来なら「やあ元気? 良い一日を」程度の挨拶を交わすくらいがちょうど良いのだ。
呼び止める優雅の声を無視して、すたすたとその場を歩き去った。慣れたとはいえ、あんな視線にずっと晒されてるのは耐えられなかった。
あの上っ面だけの空間も、まるで知らないわけではないから。昔を思い出しそうで、逃げたかったのかもしれない。
「本当にごめん。嫌な気分にさせたね」
そう言って光路の自宅まで押しかけてきた来訪者は、両手を合わせて頭を下げた。
律儀なことだと思う。自分の取り巻きがやったことは、自分の責任と思っているのだろう。
「別に気にしてない」
「ほんっとにごめんなさい」
「だから、気にしてねーって!!」
「嘘だ! 怒ってるだろう!?」
「くそっ。怒ってるって言わない限り満足しないパターンか。面倒くせえ」
上目遣いをするな。目にうっすらと涙をためるな。ついでに言えば、良い香りのシャンプーを使ってるんじゃない! 等と言いたいことは山ほどあった。
「まあ、とにかく・・・・・・なんだ。苦労はよーくわかるよ。憚りながら、俺だって前は同じような立場だったんだし。逆にそっちが何だってそんなに気にするのか分からないんだが」
「私はこう見えて小心者でね。最近できたばかりの友達に嫌われてないか心配だったんだ」
「まーた、そういうことを平気で・・・・・・俺は何にも気にしてないし、こんなことくらいじゃ嫌いにならない。これでいいか?」
「心がこもってない」
ぼそりと呟いた一言を聞き逃さなかった。その瞬間に心に浮かんだ感情が思わず口をついて出てしまった。
「面倒くせえ」
「む。私がかい?」
意外そうに顔を上げた優雅だった。
「王子様やってくコツはな。いちいち細かいことを気にしないことだ。こうやって細々と他人に突っかかってくようじゃ、そのうちハゲるぞ」
「それは余計な心配だね。うちの家系にハゲはいない」
「そういうことじゃないっての。俺ならな、『あ、うちの取り巻きの子たちが失礼かましちゃったね。謝るから許して』くらいで済ませる。こんな風に来るってのはちょっと、アレだ。重い」
「重い!?」
ガーン、と擬音が聞こえてきそうな体で驚く優雅。
「おお。我ながらぴったりな言い表しだな。男同士で何をそこまで気ぃ遣いあってるんだか。そんくらいのことはメールでいいだろうメールで」
「君、あれからメールも電話もくれなかったじゃないか!」
「そうだっけ」
「そうだよ!」
そういえば携帯を探したはいいが、なかなか見つからずにあきらめたのであった。前回、一方的にメールアドレスと番号を渡されただけだったので、こちらから連絡しない限りは不可能である。
「それにだ。君は私について多大な誤解をしていると思うんだけど」
「あー、そうだそうだ。見つからないはずだわ」
優雅は何か言おうとしたが、光路の言葉に遮られる。
「携帯、川に落としたんだった」
「川?」
「川。近所の、ていうかすぐ目の前んとこ。ここに来る時、通るやつ」
「別にどこの川だっていいよ! どうして川なんぞに君の携帯をくれてやったのさ」
「むしゃくしゃしてやった」
「うわぁ・・・・・・」
流石に絶句したらしい。何とも言えない味のある表情で光路を見つめる優雅だったが、ふぅと息をついて光路の肩にぽんと手をやってきた。
「よし、携帯ショップに行こう」
「・・・・・・よし、じゃねえよ。困ってないんだから別にいいだろう」
「よくない。よくないんだよ光路くん」
「家電はまだ通じてるし、パソコンだってあるからメールだってできるぞ」
「なら、そっちを教えてくれよ!」
どうしてこんなに必死なんだ、と頭の片隅に浮かべたが優雅の勢いが凄すぎて、頭の奥底に押しやられてしまった。
「あ、ああ。じゃあ、メモに書くよ」
「ここに」
「準備がいいね」
こういう助手がいたら、楽なんだろうなと思った。何の助手か分からないが。
とにかく、光路から自宅電話番号とPCアドレスを受け取って上機嫌になったらしい。今にもふんふんと鼻歌でも歌いそうなのは、いくら何でも浮かれすぎではないだろうか。
「ありがとう。じゃあ何かあったら、ここに連絡するね」
「おう。まあ家の電話には出られる時ないと思うけどな」
「いいさ。メールもあるしね」
メモに視線を落としながら、はにかむ彼の表情に光路は怯んだ。
まるで新人類だ。何だこの男は。
「ま、まあ困ったことがあったら、な。メールしてくれたら、相談に乗らんでもない」
困ったことがあったら。それ以外に気軽にメールをされたら、それこそこちらの方が困ってしまうので、そこら辺は強調しておく。
「うん、ありがとう! こんな夜にごめんよ。おやすみなさい」
あっさりと帰って行った。
「嵐のような男だ」
思えば、彼と会うまで穏やかな高気圧だったのに、このところ急に低気圧に見舞われている気がする。原因は言うまでもなく、優雅という男だ。
「あいつはあいつなりに苦労があんだろうな」
同じ立場だった光路に零したい愚痴などがあるのだろうか。おそらく共有できる悩みもあるだろう。
高校生という身分を脱ぎ捨てた光路は、周りの生徒とも接点が少ない。だからこそ、この距離感がちょうど良いのかもしれない。
ぽんぽん、と膨れた腹を叩いてみる。実に良い音が鳴る。
姿形がまるっきり変わってしまってから、光路に対して友好的に接してくれる人間は少なくなった。
世の中には人から好かれるデブもいるだろうが、容姿を差し引いてでも好かれるような性格が明るい人間でもない。だから、彼のように自分に積極的に近づいてこようとする人間は珍しかった。
彼のような人間は大事にするべきなのか、それとも中途半端に関わるべきではないのか。未だに判断に悩むところである。
まともに話をして一週間も経っていないが、不思議と話が弾むのだ。特別、気が合っているようでもないし、ただ邪魔とは思わない存在感。あれだけ目立つので、アクが強いのは確かだ。
言ってしまえば光路もアクが強い部類に入るから、どっちもどっちである。
とりあえず、当面の間はこのまま好きにさせてやろう。それが光路が下した彼との付き合い対する判断だった。