第二話
18歳になって最初に迎えた朝は、だいぶ夜更かしだったにも関わらずスッキリとした目覚めだった。
時刻は8時。生活リズムというのは体に正しく影響しているようで、この時間には必ず一度は起きるようになっていた。第二ラウンドへいくか、現実へ向かうかはその日の気分次第だ。
とはいっても、高校生という身分でもない光路は働いているわけでもない。早起きを強制されているのでもなければ、遅刻という言葉とは無縁の生活である。
では、こんな時間に起きて何をするのか。
開店前に並ぶのだ。
大路光路。18歳にして現役のパチプロだった。
別になりたくてなった訳ではなかった。
数年前の彼は、こんな未来の自分を思い描くのはきっと不可能だったと断言できる。
普通はパチンコ生活者は世間の常識人たちから快く思われていないのが通例のはず。その例に漏れず、光路とてかつては「そんな奴らは負け組だ」なんて平気で考えていた。
未来の自分がパチンコ生活者と化してしまうなんて想像するはずもない。
暑い中、じっと立ちながら並ぶのはハードなことだ。団扇で扇いでも、熱風を生むだけであり、そのうち手を動かすことすら煩わしくなった。ペットボトルのお茶を二本も消費して、汗だくになりながら並んでいる時は、さすがに馬鹿らしいと感じてしまう瞬間であった。
まだ七月が始まったばかりだというのに、連日の暑さは異常だ。北海道に生を受けたメリットがまるで失われてしまっている。
開店まで四十分。昨日刊行されたばかりの文庫本のページを捲る手に視線を感じて見上げた。
「やあ」
爽やかな笑顔の人物が片手を上げている。彼の周りだけ清涼な風が吹いているような幻覚を見た。
対照的に汗だくな自分の周りは、きっと相撲部屋が見えているだろう。
「どうも」
「奇遇だねえ」
「そうだね」
爽やかに見えた笑顔が、その一言のせいで非常に胡散臭く見えてきた。「奇遇だ」なんて口走る時は、大抵は奇遇じゃない気がするのだ。
「毎朝、こうして並んでるのかい?」
「だいたいは。毎朝ってわけじゃないけど」
「ふーん。ご苦労さんだねー」
「そういうおたくこそ。学校は?」
くすり、と擬音を立てて笑みが零れた。その「くすり」一つとっても実に優雅である。光路は最近になって「くすり」ができない。かろうじて「にやり」どまりだ。
「今日は土曜日。学校はお休みだよ」
「あ、あー・・・・・・そっか。悪い」
「ふふ、なんで謝るのさ? 君にとっては、これがお仕事みたいなものなのかな。ということは、休日出勤ってことか。すごいね」
「別に、すごくなんて」
自分でも、どうして謝ってしまったのか分からない。曜日感覚がなくなっていたのは事実だった。
普通に、学校に通っている人間ならあり得ない。そんな共有できない感覚。
「えっと、だな。パチンコとかするの?」
「私がかい? うーん。こういう所は来るのも初めてだな。あ、待てよ。一度だけお祭りの時にお手洗いを借りたことはあるかな」
「そうなんだ。じゃあ、始めてみるってことかな」
「そうだね。ただ、始めるにもシステムのことから何も理解していない。誰か教えてくれる人がいればなー」
「はあ」
「そこで、なんだけども」
この会話の流れ上、こうくるだろうとは思っていた。その狙い澄ましたような上目遣いにいらっときたのは余談だ。
「つまり、だ。俺に教えて欲しいと?」
「迷惑でなければ、御指南願いたいね」
そんなきらびやかな笑顔で頼まれても。別に困るわけではないが、戸惑わないでいられるはずがない。
「別にいいけど。お金とか、大丈夫なのか? ゲーセンに行く感覚だったら、やめておいた方がいい」
「いいのかい? ありがとう! 大丈夫だよ。こう見ても運は良いんだ」
「いや、そういうことじゃなくて・・・・・・まあいいや」
運が良いというのなら、それはそれでお手並み拝見だ。そもそも、流れを教えてしまえば、つきっきりで打つ訳ではないだろう。
面倒かと訊かれたら、もちろん面倒くさいに決まっている。
何より必要以上に注目を浴びてしまうことは本来なら避けねばならないのだ。光路としては、常連の中の一人くらいの立ち位置で稼働していたいところだが、彼の場合はどうあっても注目の的だ。
今だって、控えめなものから、無遠慮な視線が幾つも彼に向けられている。そして、その中の一部は光路に突き刺さる。
ちらりと確認した。確認するまでもなかったが、若い女性客の「なんでアンタみたいな醜い豚が、最高級イケメンとお近づきなのよ!?」といったところだろう。
今更、あちらのお姉様方に引き渡せたらと思わないでもなかったが、一度了承してしまったものは仕方がない。
トラブルにさえならなければ、店員の厄介になるようなこともない。同い年らしい彼も、あまりに堂々としているせいか、高校生には見えない。というよりも、オーラがすごすぎて、高校生か否か、なんて問題の枠組みからは外れてしまうのだ。
そんな甘い気持ちで引き受けて後悔するのは、少し先だった。
「はははっ。見て見て大路くん! パチンコってたのしいね!」
「・・・・・・」
かろうじて舌打ちをしなかった自分の精神力を見直したいところだった。入店と同時に目当ての台のシマに駆けていく自分にぴったりとついてくる連れ合い。女性店員たちがぽーっと見惚れる顔を素通りして、光路は人生初めての連れ打ちをスタートしたのだ。
玉を借りる方法。どの機種にも共通していることや、どの辺りを狙えばよいのか。ざっと一度だけ説明しただけで、彼はすんなりと理解した。
お互いがもくもくと遊技に興じようとした矢先。開店から三分後。
隣の台が強烈なフラッシュと大音量を立てた。周りの客も彼を一点凝視する。光路でさえ、思わず二度見してしまった。
見事な「お座り一発」だった。当の本人は、訳も分からないといった様子でパニックになっていたようだ。「ど、どうしようコレ。どうしたのかな大路くん!?」と縋るような目をしてきたのが可笑しくて、つい吹き出してしまった。
テンパっている彼に、大当たりを引き当てたこと。当たった後にすべきことを教えると、すんなりと受け入れた。
運が良いというのは本当だったらしい、と切に信じることになるのはこの後。
とりあえず確認した時点で23回もの大当たりが連チャンしていた。隣でじゃんじゃんドル箱を積んでいく中、光路の戦果は芳しくない。
昨日に引き続き、呑まれてしまいそうな気配を感じたところで光路はその台を打つのをやめた。
「いやー、こんな大金を手にするなんて罰が当たりそうだよ」
あの後も、彼は連チャンをし続けた。稼働を終えた光路が暇そうにしているのを見かねたのか「もう疲れたし飽きたからやめる」と言って稼働を終了した。
まだ確変中だったのにも関わらず、だ。
すかさず食いついたハイエナを尻目に、彼は「交換の仕方がわからない」と言い出したので、それにもつきあう。
確かに、大金である。20万を超えているのだから。
「さー、良い気分だ。お礼になにかご馳走させて頂きたいんだけど、どうかな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「んー? どうかな?」
顔をのぞき込んでくる相手に光路は苛立ちを感じた。自分ばかりが良い気になりおって。完全におごる気満々ではないか。
多少のやっかみはあったが、事の次第がこうなのでは、仕方がないであろう。
ささやかなプライドがすんなりと首を縦に振るのを拒んでいたが、そこは悔しくも奢られて損はないと結論づけた。
「じゃあ、ゴチになる」
「やたっ! じゃあ、良いお店知ってるんだ。いこうか」
足取りの軽さからして何もかもが正反対な二人は周囲の注目を集めていたことにも気づかず、その場を歩き去った。
彼に連れてこられたのは、少なくとも光路が一人だけで足を運ぶことはないような小洒落たイタリアン・レストランだった。
とはいえ、特別に敷居が高いようなものではない。メインはパスタやピザといったものを出し、中学生でも入れるようなものだ。昼時は過ぎていたが、土曜日ということもあってそこそこ混んでいる。
「そもそも、だよ。君は私の名前を知らないよね?」
「あ、ああ。すまん。タイミングを逃して訊くにも訊けず・・・・・・ていうか、俺の名前は知ってたんだ?」
「うん。大路光路くん、だね」
「記憶力いいんだな。一週間しか一緒のクラスじゃなかったってのに」
「ふふん。これでも学年主席だよ」
「ほぉ! それはすごい。つーか、そんな人間がパチンコなんてバレたらやばいんじゃないのか?」
「平気さ」
どこからそんな自信がくるのか分からないが、無理矢理納得させられてしまう。この押しの強さはなんであろうか。
「あ、じゃあ今更だけど。お名前をうかがっても?」
「優雅、だ」
「はぁ・・・・・・え、なにが?」
「だから、優雅だよ。私の名字さ」
「あ、あーあーあー! 名字、名字ね。 優雅、っていうのか。なんていうか・・・・・・あ、いや」
「優雅な名字だって? いいよ。そんな風に言葉に詰まらなくても。よく言われるっていうか、けっこー持ちネタというか、鉄板っていうか。まあそんな感じだから」
「そう、か。それならいいんだけど」
おそらく、彼のご先祖様は雅な生活を送っていた御仁だったのだろう。しかし、ヒネリがなさ過ぎる。
「優雅くん。それだけの大金を手にした気分はどう?」
究極のビギナーズラックを目にした光路は、きっと彼がこのままパチンコにハマってしまうのではないかと考えた。初心者がパチンコにハマっていく流れは、だいたい一緒だ。
たまたま、とんでもない大当たりを引いてしまうと後は引きずり込まれるようにハマる。一年を通して見ても、パチンコだけでプラス収支になっている人間はごくわずかだ。
ホールに足を向けたのは彼の責任だが、そうなってくると光路にも責任の一端はあるような気がする。変に浮かれているようなら、釘を刺そうと思って出した質問だったのだが、
「うーん。思ったより良い気分じゃないかな。こう、自分の力で稼いでいないっていうのがね」
その答えに光路は驚いた。
「お金に執着とか、ないのか?」
「ううん、それはあるよ。あるある。けど、なんていうのかな。性に合わないっていえば一番近いんだろうか」
むぅ、と唸ってみせる彼は真剣な表情だった。何かを言いたげだったので、光路は黙って聞く姿勢を保った。
「たまになら、こういうのもアリだとは思うけどね。汗水たらして働いてお金もらったほうが気持ちいいし」
「なんだ、マゾか」
「失礼だなあ。人をマゾ呼ばわりかい? 私からして見れば、君の方がよっぽどマゾだよ。私なら、あんな狭くてタバコ臭いところに一日中座っているなんて辛抱たまらないよ! ああ、今の私はずいぶんと臭いんだろうね。そうじゃない?」
くんくんと自らの手を鼻に近づける彼に呆然としてしまった。ならば、彼はどうしてわざわざパチンコ屋なんかに足を運んだのだろうか。それに、なんか言動とかがやたら女々しいのが引っかかる。
これが流行りの草食系男子というやつだろうか。いや、違うな。草食は全く関係ない。彼の場合は、そうだ「王子様系男子」。
どうも彼とは不思議な縁を感じるのだが、今いち相手を信用できない。
きらきら王子なくせに、どこか胡散臭いのである。
「ところで、君はいつから吸ってるんだい?」
「去年かな」
「へー。あ、今日は隣にいたからって一服もしてないよね? 気づくのが遅れて申し訳ないけど、遠慮せずにどうぞ」
あれだけタバコが嫌いアピールをしておいて、ヌケヌケと言うものである。意識してやっているのであれば、相当に性格が悪い。
「いや、別に俺は吸っても吸わんくてもどっちでもいいんだ」
まるっきり嘘だが。数時間前から精神がヤニを欲してしょうがない。願わくば、最初に吐く煙は真向かいの美男子に向かって思い切り吹きかけたい。
「そもそも、ここ禁煙席だろう」
「それもそうか! すまないけど、もう少し我慢していてくれ」
にっこりと微笑まれて、光路はむすっと黙り込んだ。いったい全体どどうして男同士でこんな場所でパスタをくるくると巻きつけなければならないのだ、と今の今になって後悔が押し寄せてきた。
客層は女性が多いし、彼のような容姿の人間が目立たないはずがなかった。ちらちらとあからさまな視線が集中しているのが分かるし、比較対象となっている自分というのも冷静に理解していた。
気にもとめないフリをして、料理が来るのを待った。光路が黙っていても、勝手にぺらぺらと口を動かす彼のおかげで、適当に相槌を打ってさえいれば、悪い雰囲気にはならなかった。
「じゃ、またね!」
食事が終わって会計を終えると、彼はそう言い残してあっさりと去っていった。もちろん会計は彼が持ってくれたが、去り際にもう少しあってもよいのではないかと思ってしまう。
そもそも、「またね」とは言うが、また会う保証はない。基本的に光路は自宅とホールにしか出没しないし、買い物だって頻繁に行うものではない。
基本的に日差しの元に出ることはないのだ。だから、そうそう彼と出くわすこともないだろう。
ずっと我慢していたタバコにやっと火をつけたことに気持ちが落ち着いていく。まるで狐につままれたような一日だったが、たまにはこういう日もあるかも、くらいに思うことにした。
あんまり人と関わっていないから、これだけ長い時間を誰かと過ごしたことは久しかった。
「ま、たまにはいっか」
ぽつりと呟いた言葉はタバコの灰と一緒に風に吹かれた。少しだけ涼しく、すぐに戻ってくる気だるい暑さに自然とため息が漏れる。
「かえろ」
クーラーをがんがん効かせたあの部屋へ。世の節電モードに真っ向から対立している18歳は、のろのろと重たい足を動かして自宅までの坂道をせっせと上るのであった。
※重ねて申し上げますが、ギャンブルの話では・・・・・・