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第一話

「くそっ」


 前回の当たりから二時間弱。既に財布内のお札は総出で目の前の台に消えていったまま。拝むように投入した最後の千円が引いた大当たりが単発とはついていない。

 こんな時、パチンコをするような人間で、台に当てこするような者は決して少なくはない。叩いたり、泣きついたり。台そのものを壊してしまう人間だっている。しかし、光路はそんな真似はしない。

 ゆったりとした動作でタバコに火をつけた。そういえば、他店の名入りライターをタバコの箱の上に置いたままだったことに気づく。

 万が一、この店が遠隔操作に手をつけていたとして。他店のノベルティグッズを堂々と使う人間に良い気分はしないだろう。もちろん、このご時世にそんなことはあり得ないし、いちいち客のライターにまで目がとまる程に気の利いた店員もいないだろう。念のため、ライターをそっと胸ポケットにしまった。

 ちょうどタバコを一本吸い終わると同時に大当たりラウンドが終了した。


「今日はしまいだな」


 残りの保留が勝手に消化されていくのをじっと眺め、光路は首をこきこきと鳴らした。天井を見上げた時に気づいた。

 見上げる動作すら、今の自分にはきついということに。

 首回りにたっぷりとついた肉が、邪魔をするのだ。当然のようにできていた動作一つに引っかかるようでは、ますます気が滅入ってしまう。

 気にしないようにしている。だが、心の奥にひゅっと逃げ込んだ感情に気づいてしまうのだ。それでも見なかったふりをして、見送る。それは姿を見られたくないように、一瞬で姿を消す。

 店を出て、もう一度タバコに火をつける。外は夏真っ盛り。入道雲がもくもくと積み上がり、蝉の音が夏を演じる。

 こんな真っ昼間に稼働を終了するのは珍しかった。暑い時こそ、とくに光路のように肥えた人間ほど昼間は涼しいパチンコ屋にいるべきだろう。

 だが、金が尽きたのだからしょうがない。

 出てきたばかりの店には、すれ違う人々が次から次へと入店していく。これから打つ人間の表情というのは、見ていて面白い。

 様々な事情や心境を抱えている人間がいるのだ。期待に胸を膨らませて、取らぬ狸のなんとやらをする人間。仕事をサボってきたのであろうサラリーマン。暇を持てあましているであろう主婦。

 中でも目が行くのは―――、


「す、すいません! ちょっと興味があっただけで!」

「いえいえ、とんでもないです! ただ、法律上の問題でして、ええ。当店としても、いつかご遊技いただければとは思います。ただ、18歳を超えるまで待って頂きたいというお話でして・・・・・・わかるでしょう? 学校やご家族に連絡するつもりはございませんので、ここは―――、」


 あのような光景だ。明らかに高校生、といったツラをした少年が店員に猛烈な勢いで頭を下げている。

 風営法によって、18歳未満の高校生をパチンコホールへ入店させることは禁じられている。もちろん入店して遊技を許した店側の責任になるので、きちんとしたホールは入店資格を満たしていない者への入店拒否を行う。

 そんなに頻繁に見られる光景ではないが。世の中には社会人でも童顔の者はいるし、反対に高校生でも老け顔はいる。いちいち疑ってかかっては意味がない。こういった商売の者達は良い塩梅でそれらをふるいにかける目があるらしい。

 しかしど、例外はある。

 光路は17歳。資格なんぞまるで満たしていのにも関わらず、ほぼ毎日をパチンコ店で過ごしているが、一度たりとも注意されたことはない。

 おそらく、この見た目のせいであった。瞳は濁り、カラーリングしたような髪。泰然自若とした雰囲気。

 誰もが高校生だとは思うまい。もちろん良い意味ではない。こんな荒んだ雰囲気を高校生が放つわけがない、と思うからだ。

 あの高校生はどう見てもびくついていて、平日の昼間に学校でもサボってパチンコをしに来たのであろう。あの様子だと初めてか、おそらく興味本位というところだ。

 とはいえ、全くの他人事を決め込んでもいられない。

 光路の顔を見知った大人と出くわす可能性があるからだ。それが教師なんて存在なら、もっとたちが悪い。

 どうせ負けたのだ。飯でも食って帰ろうとその場を後にした。


 ★       ★


「どうだったい、調子は?」

「ほぼ全ノマレでした。ラストで一箱出したけど、ぎりぎりタバコ代にしたよ」


 この店の店主は光路の年齢も、その境遇もだいたい知っている。知った上で、彼の戦果を毎度訊いてくる。


「そうかい。じゃあ、今日は味噌だな」

「待ってよ。なんで味噌なんだ?」

「負けた時は味噌、だろう?」

 

 アライグマみたいな愛嬌のある顔だ。きょとん、とした表情で「何を言ってんだ?」と訴えてくる。


「そんなことないよ。そんな法則を勝手に作られても困るよ」

「なんでい。てっきり、俺はぁ『みそをつける』なんてゲンをかついでんのかと思ってたじゃねーか」


 カウンター越しにがっかりした声を飛ばされた光路は首を傾げた。つもりだったが、肉が邪魔してあまり傾かなかった。


「みそをつける、ってそういう意味なの?」

「おうよ。昔はケガしたり火傷なんざした時は味噌を塗ったくったんだってよ。味噌ってのは特効薬みたいなもんだったんだな」

「おぇ。カチカチ山みたいだな。余計にしみそう」

「何か悪いことがあった時は味噌ラーメン喰って忘れちまえばいいってことだ」

「ここの味噌、微妙だけど」


 会話が途切れた。本当のことなのだから、仕方がないではないか。

 水をこくりと飲んで光路は一言。


「あんかけ一つ」

「・・・・・・『どの』あんかけだい」

「え、あんかけってそんなにあるの?」


 なにせ壁一面に埋め尽くされたメニューは全部でいくつあるか分かったものではない。


「あんかけ焼きそば」

「あいよ」

「チャーハンもできたりするのかな?」

「おう」

「じゃぁ、あんかけ焼きそばとチャーハンのハーフ&ハーフってできます?」

「まどろっこしいな。二つ頼めばいいだろうが! うちは安いピザチェーンじゃねえんだよ」

「じゃ、二つ食うよ」

「あいよ」


 さっさと調理を始めた店主に、ふと気になっていたことを尋ねた。


「あのさ、おやっさん。ここって結局、何屋さんなんだっけ?」

「何だっていいだろう。うめーもの食えりゃーよ」


 とりつく島もない。その謎は予想に反してあっさり解かれるものではないようだ。店内は、とりわけ広くもないが狭くもない。カウンター席もあり、一応はテラス席なんて小洒落たものもあるらしい。

 壁一面にメニューの張り紙があり、メニュー表はどこぞの無料マガジンほどの厚さを誇る。喫茶メニュー、居酒屋メニュー、スイーツなんてものまで網羅してある。

 たいていは材料がないとできないらしいが。

 タバコを二本吸い終わるうちに料理は出てきた。

 味はどちらも絶品だった。やはり、光路はここが中華料理屋がベースであると確信している。

 店主は時代の不況の波に負けないように、できるだけ客のニーズに応えられるようにしたのだろう。ただ、立ちどころに手をつけ過ぎたせいで意味が分からない状態になってしまったに違いない。

 光路は二つの料理をぺろりと平らげてみせる。濃厚だが、しつこくない。辛子を入れると、ますます箸が止まらない。付け合わせのスープはそれに対してあっさりと胃に染みこむ。

 あっという間に空になった皿を見て、店主はにかっと笑った。


「いつも最高の食いっぷりだなぁ」


 食後の一服を始めた光路に店主はおまけと言ってアイスをつけてくれた。柚子の味がするアイスは口直しにはもってこいである。


「お、らっしゃい!」


 光路がぼうっとテレビに目をやっていると、別の客が入ってきたらしい。お昼時も外しているし、席を急いで空ける必要もない。

 何も気にせずにいたところ、その客は何故か光路の後ろで立ち止まったようだった。気配が背後でとどまるというのは、どうにも良い気持ちではない。

 よいしょ、と体ごと振り返って(首だけ、なんて芸当はできない)その客の顔を眺めてみた。


 目が覚めるような、美男子だった。まごうことなきイケメンである。自然体でありながら、微発光しているような存在感。

 フランス映画から飛び出てきたのではないかという美貌に、しばし光路は目を奪われた。あまりにじろじろと見るのも失礼だが、相手方もこちらを見ている。これでおあいこだが光路はそろそろ、どうして彼が突っ立ったまま、光路の顔を見下ろしているのか考え始める必要があった。

 ひょっとすると、この場所は彼にとっての特等席であったりするのだろうか。きっと常連なのだ。ここは俺の席、そういうことか。

 そんなつまらないことを諍いの種にはしたくなかったので、光路は黙って席を立った。

 きちんと皿を下げ、テーブルを拭き、灰皿を持って三つ隣のテーブルに移動した。その間、彼は何も言わずに光路のすることをじっと見つめていたが、光路が用意した席に大人しく座った。

 心なしか、満足気である。やはり、「これこれ。この席でなくっちゃ」等と考えているのかもしれない。


「マスターいつもの」

「あいよー」


 声を訊いて、光路は思わず唸った。マスター、だと? それに中性的な声、口調からしても「王子様」という単語が頭に浮かんだ。

 その単語は光路にとって忌ま忌ましさをはらんだもので、あまり好印象ではない。だが、三つ隣の彼にとっては見事なほどに合致する単語である。

 さぞや、モテるのだろう。なにせ、禿げ上がった店主に「マスター」である。

 今にでもギムレットを頼んでしまいそうではないか。光路も常連といっても差し支えのない程度には足を運んでいるが、ここの客層はいまだによく分からない。

 そもそも、あまり賑わっているところを見ない。そこが気に入っているのだが。


「ごっそさんっす」


 長居する気にはならなかった。何となく居心地が悪くなったのだ。会計を済ませて出て行こうとした光路を例の美青年が呼び止めた。


「君、未成年のうちにタバコの吸いすぎはよくないよ?」

「あん?」


 素っ頓狂な声が出てしまった。いきなり話しかけられたことも驚きだが、まるで光路を未成年だと確信しているような口ぶりが強くひっかかる。


「どこかでお会いしたかな」

「どうだろう? 君は覚えてない?」

「覚えてないなあ」


 こんな男は一度見たらなかなか忘れないだろう。少しも記憶に引っかかっていないはずもない。


「私は覚えてるのだけど」

「え、ほんと。失礼だけど、どちらさんだったか・・・・・・」

「ほら、一週間だけクラスで一緒になったじゃないか」

「・・・・・・・・・」


 ああ、そうかと光路は腑に落ちた。彼はできるだけ会いたくない人間の一人だったらしい。


「あの時よりも、太ったけど。よく気づいたな」

「そうかな? その髪は特徴的だし、他にも君だと分かる部分がある」

「参考までにどういった部分か教えて欲しいな」

「その瞳さ。濁っていて、まるで健全な高校生っぽくない」


 微笑すら浮かべるこのイケメンは見かけによらず、ハッキリとした性格らしい。嫌いではないが、遠慮したい相手なのは間違いない。


「まあ、自分でもそう思うな。あ、えーと・・・・・・久しぶりって言えばいいのかな。奇遇だね、元気だった? 今年は受験だろうけど、がんばって。それじゃ」


 相手の反応も確かめず、ぽかんと自分たちのやり取りを見守る店主に軽く頭を下げてから今度こそ店を出た。

 最近、よく夕方前ににわか雨が降る。とっとと家に帰ろうと思った。あの王子様が頼んだ「いつもの」がなんだったのかだけ、少しだけ気になった。


★      ★


 高校をやめてから、かつての友人と呼べる存在との関わりは完全に絶たれていた。最後に一週間だけ通った時には、既にそんなものはいなかった。

 改めて、自分には友人がいなかったのだと実感させられた。手元に何もないというのは、あったものが無くなったのか、もとより無かったのかどちらかであるはずだ。

 果たして、自分は前者と後者のどちらだったのだろうと光路は考えてしまう。

 世の中、無いものがまるで有るように見えてしまうことだってある。


 家へ着く。オートロックがかかるマンションの中間の階。眺めはそこそこよく、間取りも広い。

 一人にしては、広すぎるくらいだ。

 このがらんとした部屋も、最初からこんなものだったのだろうか。家族三人で住むにも快適な広さが、余計に住む者が一人になった現状をむなしくさせる。

 洗面所で手洗いとうがいを済ませ、何となく鏡を見る。

 色々なものがなくなっていったことに反比例して、ぶくぶくと増えていった体脂肪。


「あえて言おう。デブである、と」


 鏡の中の自分にびしりと指を突きつけ、言ってみた。あほらしくなった。無駄にキメ顔の顔は見ているだけでぶっ殺したくなってくるし、こっちが投げかけた台詞はそのまま自分に投げ返されるのだ。


「んなの、分かってるっつの」


 原因はストレスか。偏った食生活か。はたまた運動不足か。いや、これだけ役が揃っていれば、十分である。トリプル役満だ。

 以前は、今の半分の体重だった。

 着られる服が減った。もっとスリムだった時に着ていた服は、未練たらしく押し入れの奥でまとめて埃をかぶっている。

 顎が何重にもなる感覚を、ちょっと前屈みになって物を取る時の苦しみを、人より幅を取るので電車で隣の席の人が窮屈そうに身をよじらせる時の申し訳なさを。

 一生知らないですんだはずの経験をいくつも経てきた。別に太ったことはいいのだ。太っていたって、人間笑えていられるはずだ。

 光路は久しく笑っていない。パチンコでいつもより多く出玉を出しても、お笑い番組を見ても。心を躍らせるものがなくなってしまった。

 そのことが、何よりも恐ろしかった。

 人としての、大事なものが自分からどんどん抜け落ちていってしまっているようで。まだ、昔の自分が持っている感覚があるから、現状がどれだけ人としてダメなのかくらいは分かる。

 自分を客観的に見れなくなったら、どうなるか。今が当たり前になり、このまま体重も増えて寝たきりになってしまったら?

 そう考えると、恐ろしくてたまらなかった。


 夜になると、眠れなくなる時がある。不眠症というほどではないが、考えすぎてしまう夜は朝日が来るまで眠れない。

 そんな時はオーディオルームで爆音に身をゆだねる。父親の趣味でこさえられた防音ルームだ。わずか四畳半の空間は、今や光路しか使う者はいない。

 昔のロックはいい。何も考えずに酔いしれることもできるし、かと思えばどうしようもなく泣かせるギターが響き出す。

 一丁前にレコードと安酒を嗜む17歳なんて、どうかしているに違いない。

 泣き濡れた女のようなギター。絶頂に至るようなゾクゾクするソロを聞きながしていたら、デジタル時計が日付が変わったことを示すメロディを立てる。


 7月4日。

 大路光路。18歳の夏は、誰に知られることもなく始まった。



リハビリ的に書き出してみました。基本的に前書き、後書きは利用しないつもりですが、初回ということで。

決してギャンブルのお話を描きたかったわけではございません。そのことだけをご了承願います。

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