ネルと姫魅 ―手当―
姫魅が宵狐と名乗っていた頃のお話。絆創膏で塞いだのはきっと、指の傷だけじゃない。
【ネル×姫魅】
重い扉を引くと、美しい民謡が心を癒した。
独特な発音は少数の民族が使う言語で、意味は解らない。
無表情で葱を刻む彼は、以前恋の歌だと言っていた…ような気がする。
いや…終戦の歌だったか。
何しろ、この1ヶ月で彼の鼻唄は5カ国語以上100曲を超えているのだ。
覚えてはいられない。
彼は葱を鍋に放り込むと、こちらに向き直り青い瞳に俺を映した。
『おかえりなさい。』
彼が呟くように言う。
『ただいま、宵狐。』
笑って見せるが、宵狐の表情に変化はない。
元々他人だ。
親戚ですらない。
彼がここに住む理由を考えれば、他人に心を許せないのは仕方のないことだろう。
『お風呂、先入って。』
最小限の言葉で用件を述べ、彼は料理に戻ろうとする。
させるか!!
『宵狐にお土産があるんだ。』
『ありがとう。』
即答で会話を切られる。
全く可愛いげがない。
『久々の早い帰宅だ。風呂は後にして、今は宵狐とゆっくり話をしたいなぁ。』
回りくどい作戦は辞めて、直球を投げる。
『…汗臭い。』
しなくてもよい寄り道をして、宵狐が風呂を催促する。
『わかった!!』
宵狐の肩に勢いよく両手を乗せると、彼が小さく震えた。
『一緒に入ろう!!』
宵狐がこの世の終わりを見るような目で俺を見つめる。
『そう言う趣味はありません。』
『お前なぁ…。』
呆れる俺を横目に、宵狐は包丁を直した。
『覚めるから…痛っ。』
宵狐の白い指から、血が溢れる。
赤い球体が重みに耐えかね、指を伝って床に落ちる。
『大丈夫です。』
宵狐は心配する隙を与えない。
よく見ると、彼の指にはところ狭しと絆創膏が巻かれていた。
料理ができるのかと感心したが、どうやら無茶をしていたようである。
『貸してみろ。』
『自分でします。』
逃げようとする宵狐の細い腕を掴む。
『俺にさせてくれ。』
『何で?』
愚問だ。
『お前の傷だからだ。』
宵狐が眉を寄せる。
『自分の傷は自分で…』
『頼れよ!!』
もどかしさに声が荒くなる。
宵狐が目を見開く。
『友人でも親でも兄弟でもないけど…俺はお前と繋がっている。』
『だからこそ迷惑は…』
宵狐が無機質に言うのを言葉で塞ぐ。
『繋がってるんだから迷惑かけろよ!!もっと必要としろよ!!…俺が情けないだろ?』
宵狐は口を閉ざすと、何事もなかったかのように絆創膏をとりにいった。
暗闇の中、ベッドの中で考える。
バカなことを言った。
宵狐の気持ちを考えないで、これから保護者などできるのだろうか。
闇に一筋の光が入り、眩しさに目を細める。
『…一緒に寝てもいい?』
恐怖で眠れずにいた宵狐の、青白い頬が赤く染まる。
『そう言う趣味はないけど。』
俺が意地悪く笑うと、彼もぎこちなく笑った。
2011/02/17 (Thu) 0:07