後編
四人で遊んだその日から私はあまり樺原とメールをしなくなった。
最初の内は少しメールの回数を減らしただけだったけど、徐々にメールを返すことをやめていた。
「レポートが忙しくて」「アルバイトを始めたから忙しくて」そんな理由をつけてはメールを返さなかった。
どうやら樺原と卓哉は順調に友情を深めているらしく、先日卓哉に「樺原が心配してた」と連絡を受けたが、私は色々な理由をつけて「忙しい」と返事をしている。
実際にレポートがあったし、アルバイトも忙しかった。
そうやってどんどん樺原との距離が開いていくことに、私は安堵していた。
もう騙されなくて済む。嘘をつかれずに済む。
私の男性不審は未だ健在のようだ。
「ありがとうございました」
オープニングスタッフという言葉につられて始めた書店のアルバイトもだんだんと板についてきた。
小説のカバーを上手く折れるようになったし、レジ打ちも完璧に出来るようになった。
あと十分もしたら私のシフトは終わりなので、今まで以上にスピードを上げて新刊を並べていく。
「野崎さん、久しぶり」
そんな私の背後から聞こえた声に覚えがあり、私は一瞬動きが止まった。
振り返ると相変わらずオーラを放っている樺原が少し困ったように笑っていた。
「本当に久しぶり」
私の声はどこか固かった。
「ここでバイトしているんだね。時々利用していたけど知らなかった」
「裏方作業も多いから」
それ以上会話が続かなかった。
私は話している間もずっと本の整理をしていた。
「最近、あまりメールも返信出来ないんだね。・・・もしかして私が何か不快なことをした?」
ぽつりと呟くような声に、私は少しだけ罪悪感を抱いた。
「そんな、訳ないよ。ただ、忙しくて」
「ごめん。こういう時どうしたら仲直りできるか、わからないんだ」
樺原を見ると少し泣きそうな顔をしていた。
違う。あなたは何も悪くない。
ただ、私が男性を信じられないだけ。
心の中でそう思っても、私は言葉に出来なかった。
「・・・仕事中にごめん。メール、良かったらまた送って。私からのメールが嫌なら無視してもいいから送らせて」
それだけいって去っていった彼の後姿から長い間目が離せなかった。
家に帰ってから私は部屋に閉じこもっていた。
夕食も食べない私を心配した母親が部屋まで呼びにきたが、いらないと返事をするともう何も言ってこなかった。
私は自己嫌悪に陥っていた。
私は嫌なことがあるとそのことに対してはっきりと発言するタイプの人間だった。
そんな私がこそこそと人を遠ざけようとしているのが耐えられなかったのだろう。
だからこんなにも苦しいんだ、そう思っていた。
『本当にそうなの?』
布団をかぶったまま縋るように電話した由香利からそう問いかけられた。
『私ね。香織から助けてって電話があった時思ったの。香織の言う男性不審の「男性」は性別の事じゃなくて、恋愛対象になる「男性」のことなんじゃないかって。だってそうじゃなきゃバイトだって学校だって辛いはずだもの』
その言葉に頭が殴られたような衝撃を受けた。
『それでもバイトは楽しい、男の店長にこう言われたって話してくれる香織からは怯えは一切感じなかった。でも樺原くんのことになると途端に恐くなったり、信じられなくなったりしてるように感じる』
「そ、それは相手が美形だから!」
『本当に?この前私と遊んでいる時に偶然話しかけてきたイケメンには怯えてなかったじゃない』
「でも裏の顔があるだろうって」
『どこか軽蔑しているような感じはあったけど、でも怯えてはなかった。助けてって言ってなかったよ』
私は反論できなかった。
この前由香利と一緒に歩いている時に、お店の客引きをしていたイケメンが話しかけてきた。
確かに軽そうな男だったし、どうせ遊んでるんだろ、とか卑屈なことを考えていたが、樺原だと初めて分かった時の恐怖は感じなかった。
『一つだけ思い当たることがあるの。私は卓哉に対して最初怯えていたの覚えてる?それって自分の思っていることと感情が上手くあっていなかったからだったけど。私も卓哉を絶対好きになっちゃいけないって思ってた。でも感情は違った。卓哉に惹かれている自分もいて、でも好きになっちゃいけないって。だから卓哉に会うのが恐かった。ねぇ、香織も同じなんじゃない?』
その問いに私は何も言えなかった。
頭では違うと否定してみても、どこかちぐはぐな気がした。
私は考えることを放棄した。
私は逃げているのだ。
自分が傷つくのが恐くて、誰かに否定されるのが恐くて。
でも、私はその日見た夢で自分の気持ちを認めざるを得なかった。
あれは何度かメールを交わしていた頃の事。
私は暇さえ出来ればしょっちゅう携帯を見つめていて、親に携帯依存症ではないのかと心配されたほどだ。
携帯がメールの着信を伝えると、私は慌てて携帯を開き、メールマガジンだったときにはとても落ち込んだが、樺原からのメールだととても嬉しかった。
メールでの彼はとても穏やかで日向ぼっこをしているかのような心地よさを感じていた。
『今日は大学で英語の講義を受けました。必修じゃなければ私は絶対英語を取りません。絶対です。単語を見てもどのように発音するか全く予測できないくらいです。他にも世界史の講義のとき、前の席に座っていた人が眠っていて身体がゆらゆら動いているのを見て、笑いを押さえるのが大変でした。野崎さんはどういう一日を過ごした?』
夢から覚めて、理解した。
あぁ、私出会って、連絡を取り合っているうちに彼の事が好きになっていたんだ。
だから、本当は会おうと言われても絶対会わないって思っていたのに、少しくらいならと自分に言い訳してあの日会う約束をしていたんだ。
あぁ、どうしよう。でももう手遅れだ。きっともう彼には嫌われている。
私は自分の涙を隠すように両腕で覆い隠した。
由香利と会う約束をしていたので急いでいつものファミレスへと向かった。
あれから結局私は樺原へメールを送ることが出来なかった。
彼から来るメールを毎日読んでは、ただ切なくなった。
ファミレスへと着き、いつもの場所へと向かうとどうやら違うお客さんが座っているようだ。
それにしてもキラキラとしたオーラを振りまいているので、恐らくイケメンの部類だろう。
由香利を探す為、キョロキョロと辺りを見回していると、今一番聞きたくて、一番聞きたくない声が耳に届いた。
「野崎さん、こっち」
いつも由香利と座っている席には、樺原が座っていた。
突然の事に硬直していると、彼にしては少々強引に私を席へと座らせた。
「由香利は?」
「高谷さんは来ないよ。私と野崎さんにはきちんとした話し合いが必要だって」
ウエイトレスが注文を取りに来たので、私はいつものアイスミルクティーを頼んだ。
確かに今全てを話す勇気はない。
けれど、どうにかしないとという気持ちはあったから、私は逃げ出さなかった。
注文の品が来るまで私達は無言のままだった。
「私と野崎さんは友達だと思っていた。だから私を避けているのに気づいたとき、とても辛かった」
悲しそうにしている彼を目の前に、私は全てを話してみようと思った。
それでダメだったらそこまでの関係だったのだ。
そう思い切れるかはわからなかったが、それでも私達には確かに話し合いが必要だったのだ。
「私ね、イケメンなんて滅びろ、男なんて全滅しろって言ってたの」
その発言に驚いたのか樺原は目を見開いていた。
「たった二度の恋がダメだっただけだけど、それでも私は男の人が信じられなくなった。男は浮気するもんだっていう人もいるけど、じゃあ浮気された私は?傷つかないと思った?って言いたかった。だから男の人は信用しちゃダメだって。騙されるだけだって思い込んで、ただ自分を守ってただけなの」
樺原は何も言わずにただ私の話を聞いてくれた。
「そんな時に樺原くんが友達になって、って言ってきて、信じられないって思った。でも、もしかしたら罰ゲームでもさせられているんじゃないかって可哀想になって、アドレス交換をした」
「罰ゲームなんかじゃない。私が前に言ったことは全部本当だよ」
樺原はそれを否定した。
それだけで何だか少し嬉しかった。
「それでもやっぱり男の人は信じられなかった。だから卓哉と知り合わせて友達を増やして、私はその仲介役になればいいんだって、勝手に使命感があった。だけど、樺原くんの顔をきちんと見て、すごく恐くなった。だからあの時突然由香利たちが来たの」
「そうだったんだ」
少し悲しそうに笑う樺原くんを見ていられなかった。
「私ね。うん。すごく迷惑だと思うけど言わせて。私、樺原くんのことが好きなの」
「えっ」
すごく驚いた様子の樺原くんを見て、少しだけ緊張が解けた気がした。
「由香利に言われて気がついた。私が樺原くんだけに恐怖を感じていたのって異性として意識してたからなんだって。そう言われて、自分の気持ちに気づいたの」
未だに驚いた顔の樺原くんに、出会って初めて心から笑いかけた。
「樺原くんが私のこと何とも思っていないことはわかってる。だけどもう友達には戻れない。今まで迷惑掛けてごめんね。さようなら」
そういって伝票を持って会計を済ますと私はしっかりと前を向いて歩き始めた。
樺原くんは私が店を出るまでピクリとも動かなかった。
よっぽど驚いたんだろう。
何だかその様子に笑えてきて、私は1人でクスクスと笑っていた。
それでも頬を伝う涙は止められなかった。
1人で泣いているのも変かな、と思い私は由香利に電話を掛けて経緯を説明した。
由香利は「樺原くんの気持ちは聞かなかったの?」と言っていたが聞かなくても分かっていると答えると、複雑そうにしていた。
「でも少しすっきりしたかも。私まだ恋が出来るみたい」
そういって笑ったと同時に私は背後から誰かに抱きしめられていた。
「香織?」由香利の声が携帯から聞こえたが、私が答える前に背後の誰かが私から携帯を取った。
「高谷さん?ごめん。野崎さん借りるね」
そういうと携帯電話を切ってしまった。
「樺原くん?」
恐る恐る尋ねてみると、抱きしめられている腕の力が強まった。
「言い逃げなんてずるいよ」
「・・・ごめん」
彼は今までの私の態度に何か思うところがあったのだろう。
文句やダメな所を指摘されるのかもしれない。
それでもそれを受け止める義務が私にはある。
「あんなのずるいよ」
囁くように樺原くんが言った。
「友達だと思えなかった」
その言葉に酷く落胆した。
「友達なんかじゃないって思った。友達に対してこんなにドキドキするなんておかしいって思った。それでも野崎さんが離れて行くのが恐くて、必死に知らない振りしてた。でも、それでも野崎さんは離れていって、もうどうしていいかわからなかった」
ぐるりと視界が変わり、ほんの少し涙で濡れた瞳の樺原くんが目の前に広がった。
「好きだよ」
そういって再び抱きしめられた私も樺原くんにつられて泣いていた。
『ほら、やっぱり両思いだった』
お互いに泣きながら路上で抱き合って、笑って、少しその後一緒に過ごして、家に帰って来て由香利に電話した一言目がそれだった。
「えっ?もしかして知ってたの?」
『樺原くんのことは直接聞いたわけじゃなくて、卓哉から聞いただけなんだけど。卓哉が樺原くんから相談される度に「回りくどく香織の事が好きだって言ってるようでむず痒い。でも自分で自覚してないのが不思議だ」って言ってたし、相談の内容はどう聞いても恋の相談にしか聞こえなかったよ。だから二人にはちゃんと話し合うことが必要だって思って。・・・騙すような事して、ごめん』
「ううん、寧ろ助かった。こちらこそありがとう」
久しぶりに晴れやかな気分で由香利と話せた。
『あっ、あと4日前に何をしてたか、ちゃんと樺原くんに説明してあげてね』
電話を切る最後に由香利は謎の言葉を残していったが、私にはまるで理解できない。
4日前は大学にいって、昼からバイトをして、家に帰っただけだった。
何を説明しろと言うのか、頭を悩ませている時に樺原くんから着信があった。
電話に出てしばらくはいつも通りほのぼのとした話をしていたが、突然樺原くんが黙り込んだ。
どうしたのか、恐る恐る聞いてみると由香利が言っていたことと同じことを言い出した。
『4日前は何してたの?』
「昼まで大学にいって、お昼からはバイトして、あとは家にいたよ」
『・・・誰か男の人と会ってたりした?』
もっと深く思い出してみた。
今日の講義は1人の授業ばかりだったので、誰とも会っていないし、バイトはいつも通りだった。
「バイトぐらいしか思いつかないけど。でも仕事でだよ?」
『・・・・・その帰り道は?』
帰り道?確か母に買い物を頼まれたのは良かったが、大きな醤油や料理酒などやたら重たいものが非常に安くなっていたのでそれを購入したが、1人で持って帰れる量ではなかった。
「だから弟を電話で呼び出して、荷物持ちをさせて帰ったくらいかな」
『・・・・・弟。うん、弟か』
やたら晴れやかな声になった樺原を疑問に思いながら、私達は他愛もない話をした。
これは付き合ってわかったことだけど、樺原くんは結構独占欲の強いタイプだったらしいが、私は他の男など見向きもしなかったし、特に不自由に思わなかったのが幸いだった。
あと、これは私がもう少し遠い未来に気づくことなのだが、樺原くんはどうやら私のストーカーだったらしい。
いや、現在進行形でストーカーだ。
それでも多少の事では何とも思わない私の性分にこれほどまで感謝したことはない。
そんな訳で、私達は今順調にお付き合いをしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。