中編
パンツスタイルのカジュアルな格好をして男との待ち合わせ場所についた私を襲ったのは激しい後悔だった。
その後悔とは違う頭の片隅に浮かび上がるデータを止める機能は完全に停止していた。
名前、樺原聡志。
年齢、18歳。
大学、某名家や財閥御曹司・お嬢様が集うエスカレーター式の大学一年生。
家、歴史ある華道家元の分家の次男として生まれる。両親ともに華道界の著名人で、跡継ぎの長男は実力・容姿ともに世間の女性をトリコにしているが、既婚者。次男も華道の様々な賞を総なめにしている実力者。
イケメン愛好会でも不動の一位を誇る、優しい王子様系の美形である。
知らぬうちの後ずさっていた私を目ざとく王子様、いや樺原聡志が見つけた。
「おはよう」
顔の周りでキラキラとしたものが見える幻覚を振り払う。
イケメン!いや、美形!私の嫌いになった美形!!
完全に思考が止まっていたらしく、いつの間にか樺原と私は雰囲気のある喫茶店で向かい合って座っていた。
「さっきからぼうっとしているけど、大丈夫?」
なんだその無駄にキラキラとした顔は!
「だだだだだだだだ大丈夫。ちょちょちょちょっとお手洗い」
激しく動揺している私はあちこちぶつかりながら飛び込むようにしてトイレに駆け込んだ。
幸い先客はいなかったらしいが、私はそれどろこではなかった。
急いで携帯を取り出し、電話帳を検索する。
数コールで電話に出てくれた由香利に私は縋るように携帯を持ち直した。
「たっ!大変なの!樺原聡志が!樺原聡志が!キラキラ振りまいて精神的ダメージを!!」
『・・・とりあえず落ち着け。何を言っているのか全くわからん』
「だから!ってその声は卓哉!由香利に代わりなさいよ!私の精神安定剤!」
『意味が・・・。あっ香織。ごめん。勝手に卓哉が電話に出てしまったみたいで』
「あぁ!由香利!!助けて!樺原聡志が!樺原聡志が!!」
流石と言うか混乱している私をどうにか落ち着かせてくれた由香利に事情を話すと、イケメン愛好会会長は驚いたようだった。
『つまり、この前話していた男の人が、あの樺原くんだったのね。どうして気がつかなかったの?』
「本当に!名前だけでピンとくればよかった!会った時顔が半分以上マスクで隠れてて、その上眼鏡まで掛けてたから全く気がつかなかった」
『眼鏡?樺原くんは目は良いはずだけど』
「とととりあえず!由香利助けて!美形に殺される!!」
『深呼吸をして。良いわね。私と卓哉で今からそっちに向かうから、とりあえず香織は樺原くんのところに戻って』
「でででも」
『大丈夫。すぐにとって食べられる訳じゃないんだから。ね』
由香利に説得されてしぶしぶ私は席へと戻る決心をした。
携帯の時計を見るとそれほど時間が経っておらず驚いた。
体感時間では30分くらい話していた気がしたのだが、それは焦っていたからだろう。
とりあえず手を握り締めて私は樺原聡志が待っている席へと歩いた。
「おかえり。これ、メニューだから何か好きなのを選んで」
コクリとサイボーグのような頷きをして、私はメニューを食い入るように見つめた。
実際には頭に入ってこない文字達を時間稼ぎのように睨みつけていたが、無情にも店員さんがやってきて、私は条件反射で「アイスミルクティー」と呟いていた。
無言だった。
店内に流れるジャズ音楽とポツポツと他のお客さんが話す声が聞こえるだけで、私達はお互いに机を見つめていた。
「ごめん。気の利いた話が出来ればいいんだろうけど、友達とこういうところへ来たのは初めてなんだ」
そうでしょうとも。
樺原くんともなれば有名な高級店に行って、上品な方達と上品な話をしているはずだ。
「ううん。本当は友達さえいたことがないんだ」
えっ?とその言葉に思わず顔を上げると、少し恥ずかしそうに笑う樺原くんがいて、私に精神的ダメージを与えてきた。
頭の半分の正義感一杯の私が「やっぱり私が友達になってあげなきゃ!」と声を張り上げ、もう半分のひん曲がった私が「嘘嘘。テクニックだわ。誰もがその可哀想なキャラに同情してくれたんでしょ」と卑屈な態度をとっていた。
「そんなことないでしょ」
どうやら私は随分と性格がひん曲がってしまったらしく、頭の中の卑屈な態度の私を選んでいた。
「私は引っ込み思案で友達が昔から全然出来ないんだ。それを見た一部の女の子が昔から私に気を使って色々と構ってくれてはいたけど、やっぱりそれは友達じゃなかった」
それは「自分には取り巻きがいる」っていうアピールなのか。
それを知らされた私に「すごいね」って言って欲しいんだろうけど、私はそんな事しない。
「そうね。気を使うなんて友達じゃない」
言ってて自分が矛盾していることに気づいていた。
いくら親しい仲でも気を使うことだってあるのに、私は今回それから目をそらしていた。
けれど、少し悪意のある私の言葉に、樺原は神妙に頷いた。
「そうだよね。それに気がついた時、とても虚しかった。だから今度は自分から友達を作るんだって思ったんだ」
そういうと樺原は私を見つめてにっこりと笑った。
「あの倒れた日。助けてくれた君を見ていて、こういう人と友達になりたいって初めて強く思ったんだ。だから野崎さんと友達になれてとっても嬉しい」
その笑顔から私は目をそらした。
全く邪気の無いような顔をして笑って、また私を平気で騙すつもりなんだ。
容姿が整っている人は自分の売り方を良く知っている。
だから私は騙されない。
あんな気持ちはもう十分だもん。
カランコロンと喫茶店の出入り口の鈴が鳴った。
「お待たせ」
そういって入ってきたのは由香利と卓哉で、見知った顔の二人を見て私は心底ホッと息を吐いた。
突然やってきた由香利達に驚いたのか少し目を見開いている樺原に、今更ながら由香利たちが来ることを言い忘れたことを思い出した。
「お前説明してないだろ」
樺原の隣に座った卓哉が私を睨んでくる。
目つきが悪いから結構凄みのあるものとなっているが、兄弟のように育ってきた私にとっては痛くも痒くも無かった。
「初めまして。私は香織の友達の高谷由香利です」
私の隣に座った由香利が挨拶をすると、卓哉も少ししぶしぶながら挨拶を始めた。
「俺は仁科卓哉。ちなみに由香利とは真剣に付き合ってる」
樺原に対して、由香利は俺のものだと宣言している卓哉を見る限り、由香利が樺原ファンだと知っているのだろう。
いや、というか男全員に対して牽制していそうだ。
それくらい卓哉は由香利の事を好きなのだ。
「そうですか。私は樺原聡志と申します」
「あっ、私達全員同い年ですから敬語は使わないで大丈夫ですよ」
「そうなんですか。ありがとうございます」
知らない人が二人もやってきて頭の中が混乱しているだろうに、それを表面に出さないのだからよっぽど外面が良いのだろう。
「実は私達、最近香織に新しい友達が出来たって聞いたので、気になってつい押しかけてしまいました」
「ちっ、ただあいつが俺と由香利の時間を邪魔しただけだろ」的な目で再び卓哉が私を睨みつけてきたがまたスルーする。
「野崎さんはお友達に恵まれてるね」
けっ、また可哀想な自分アピールか。
内心で毒づいている私を他所に、由香利と卓哉と樺原で話し始めた。
由香利は完全にファン視点で様々なことを樺原に質問している。
流石イケメン愛好会会長兼情報収集担当部長だ。
卓哉はというと由香利が樺原と話しているのが最初は気に食わなかったようだが、樺原が剣道をやっているという話から、野球をやっている卓哉の中のスポーツマン魂が刺激されたのかあっと言う間に樺原と仲良くなっていた。
その様を観察しながら、やはり友達が全くいないという話は嘘なんだろうなと思っていた。
友達が出来ない気弱な自分を語っていたが、滑るように言葉が出てくる様はとても社交的で手馴れた人に見える。
ほら、やっぱり嘘じゃない。
そう私の中で声がした。
喫茶店を出て、卓哉と樺原(主に卓哉)の希望でスポーツ店に向かうことにした。
普通女性と言うのは自身がスポーツをやっていない限り、異性にスポーツ店へ誘われても喜ばないのだが、イケメン愛好会メンバーは違った。
スポーツをする人は身体に余分な脂肪がつきずらいため、よくスポーツ店へ行っては新しい肉体美のイケメンを探しにいったものだ。
今ではもうどうでもよいイケメン達だが、当時は当時で仲間内でキャッキャと騒ぐのが楽しかった。
そんな回想をしながら歩いているといつの間にか由香利と卓哉が並んで歩いており、私と樺原が並んで歩いていた。
「最初二人が来た時は驚いたけど、楽しく話をしてくれてとても嬉しかった。二人も楽しく感じてくれてると良いけど」
「卓哉とはずいぶん気があったみたいだね」
「うん。お互いにスポーツしてるのがきっかけだから、剣道やっていて良かったとこれほど思ったことはないよ」
「・・・由香利とも友達になれそう?」
「なれたら良いけど、仁科くんが怒りそうだね」
確かに、と私は少し口を歪ませた。
それからすぐにスポーツ店に着き、各々好きなところを見て回って、今日は解散となった。
由香利を送って行くという卓哉達とは別れ、私と樺原だけになった。
「今日はとても楽しかった。こんなに楽しかったのは久しぶりだよ」
そういうって本当に嬉しくみえるように笑う樺原に私もにっこりと笑った。
「良かったね。是非、卓哉達とも仲良くなって」
それじゃあと別れたあと、私は荷物を降ろしたような気持ちになっていた。
これであの人ともう関わらなくて済む。
私の心はそれだけでいっぱいで、私の後姿を見つめる樺原には全く気づかなかった。