静寂
自然は静かだと思う。
静寂に満ちていると。
例えば 雪。
例えば 桜。
静寂。
無音。
それだけではなくて、
例えば 嵐。
例えば 時化。
想像してみてほしい。
ちぎれんばかりに揺れる木々、
木の葉のように波に襲われる船を。
風が吹きすさぶ音や、
波がしぶきをあげる音。
居合わせた人が上げる悲鳴なんかを。
それは決して静寂ではない。
しかし。
それは残酷なまでに静寂だ。
想像してみてほしい。
その数々の悲劇から、
ぷつりと音の途絶えた、
その瞬間を。
無限の静寂の中で、
その暴力的なエネルギーが、
躍動している様を。
音など、
あっても、
なくても、
それほど変わりはしないのだ。
荒れ狂う空の向こうに、
襲いかかる海の波の下に、
永遠の静寂が広がっていることが。
それらの音が持つエネルギーなど、
本当に取るに足らないものであることが。
僕たちに静寂を感じさせるのだ。
そしてもちろん、
そんなへ理屈を並べなくとも、
朝日は静寂の中で昇る。
夕日は静寂の中で進む。
月夜は静寂の中で巡る。
自然は静かだと思う。
遥かなる力を秘めて、
静寂は訪れる。
―
以前掲載した「短詩二編」の「飛行機雲」の光景を見ながら、ふと思いついたことです。
嵐も地震も星々の核融合も、いやもっと言えば身の回りに存在しているありとあらゆる物事でも、その中で「音波」が持つエネルギーなんてほぼゼロに等しいんじゃないでしょうか。
よく舞台なんかで嵐を音で表現したりしますが、はっきり言ってそこに本来のエネルギーを感じません。
しかし、白黒のしかもサイレントで映し出される過去の映像には、背筋を凍らされる思いをすることがあります。
と、まぁそういうことが書きたかった詩です。
そういえば昔「夜明けの近づく音が聞こえる」というような小説があったなぁ。
「「これじゃない」感」を存分に感じた記憶しかありませんが。笑




