きみ歌えよ
「どしたの? 暗い顔して?」
駅のホームでぼんやりと電車を待っていた僕の顔を覗き込み、先輩は笑っていた。落ち込んでいる僕のことを気遣っているというよりは、僕の不幸を笑ってやろうと思っているのだろう。悪戯を仕組んだ子どものような笑顔だ。
「わかった、テストが悪かったんだろ?」
先輩の声は女性にしては低くて、その口調とあいまって少し男っぽい。先輩は機能性を重視した黒いリュックを膝に抱え、僕の横に勢い良く座った。安っぽい素材で作られたベンチが揺れる。
「気にすんなって、ヨシアキの成績は確実に私より上だ」
先輩の成績は決して悪いわけではないが、英語に関してはいつも赤点らしい。追試や補習で部活を休んだことも何度かある。
「別にテストは悪くなかったですよ。むしろ今までで一番良かったくらいです」
「そうなのか。じゃあ、何だ? もしかしてフラれた?」
その通りですが何か。玉砕覚悟で告白したら、案の定フラれてしまったのだ。しかも「ヨシアキ君って何か暗いし」とさえ言われた。フラれるのは予想していたけれど、さすがにその言葉は僕を凹ませた。栗色のストレートヘアの美少女にそんなことを言われたら誰だって落ち込むだろう。隣にいる先輩に言われたならいざ知らず。
「はぁ……」
溜息が漏れる。僕は決して暗いわけじゃないと思うんだけど。
「フラれたくらいでそんな落ち込むなって、な?」
あはは、と豪快に笑って先輩は僕の背中を思いっきり叩く。絶対面白がってるだろ、この人。人の気も知らないで。
「それに合唱部男子なんて陰気くさい生き物がモテるわけないんだからさ」
先程よりさらに豪快な笑い声。ソプラノの先輩たちのように響く声ではないけれど、遠くまで良く飛ぶ声。僕達の隣で携帯をいじっていた女の人が、迷惑そうに僕らを見た。
「もっと声のトーンを落としてくださいよ、先輩。それに合唱部男子が陰気くさいだなんて、その発言がバレたら暴動が起きますよ?」
先輩だって合唱部の一員なのだから。
「いやだなぁ、私は思ってないよ。一般的にはそう思われてるってだけ」
右手で頭を叩かれる。この人の辞書に『力加減』という言葉を今すぐ加えてやりたい。それか傷害罪で訴えてやろうか。
「どうせ『何か暗いし』とかその子に言われたんでしょ? 今までもそう言われてフラれた奴らがいっぱいいるからねぇ、部長とか」
さらりと部長の恥ずかしい話を暴露しているのだが、大丈夫だろうか。しかしあの元気な部長ですら暗いと言われるなら、先輩の話もあながち間違ってはいないのかもしれない。
――合唱部男子は陰気くさいと一般的には思われてる、か。
「じゃあ先輩、何で合唱部男子は陰気だと思われるんでしょう?」
「そりゃあ、合唱部に入ってるからよ。例えばヨシアキが陸上部だったらそんなことはない」
ズバリ言ったつもりだろうが、全く答えになっていない。だから何で合唱部に入っていれば陰気だと思われるのか。一口に合唱部と言っても色んな人間がいる。真面目系、見た目ヤンキー、すぐ走りたがる奴、どこでも歌ってしまう奴、鉄道ヲタクにアイドルヲタクにアニメヲタク……そんなに色々はいないかもしれない。でも、暗い奴だけでないのは確かだ。でも、要はイメージなのだろう。あれだけヲタクな人達がいたら一緒くたにされても仕方が無いかもしれない。
僕は密かに溜息を吐いた。
「まあ、落ち込むなって。私も色々考えたんだよ。同じ音楽系の部活でも、吹奏楽部は合唱部ほど暗いイメージがないしさ」
確かに。うちの高校は合唱部と吹奏楽部の規模が拮抗しているのだが、それでも吹奏楽部の方が明るいイメージを抱かれていそうだ。うちのクラスの吹奏楽部の連中も、彼女持ちが相当数いるらしいし。
「で、気付いたんだ。合唱部は部員数に対して、所属の分け方が大雑把すぎるんだよ。四つってなんだよ、血液型かよって感じなわけだよ」
確かにそれは事実だ。吹奏楽部は楽器別にもっと細かく分かれている。
「運動部は一試合に出る人数は二十人に満たないくらいなわけだろ? 個人競技は別としてさ。でも私たちは四十人で舞台に上がるわけだ。四十人が四つにしか分かれないってのはどういうことかって言うと、一人一人は埋もれちゃうわけだよ。人数が一桁のところは別の話だろうけど」
成程。中の人間がどれだけ個性的でも、舞台の上に上がっているときは埋もれてしまう。しかしそれがどうして「暗い」に繋がるのかはわからなかった。僕はそのままを先輩に伝える。すると彼女は、また人を小馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。この人、何か腹立つ。
「わかんないかなぁ。つまりね、ヨシアキのことをよく知らないけど合唱部だってことを知ってる人は、『ああ、合唱部の人か』と思って文化祭のときとかの舞台を思い出そうとするの。でも、浮かんでくるのは八人のテナーの中のヨシアキだけ。少なくとも皆に埋もれちゃって、輝いては見えないだろうね」
先輩の言ってることが正しいかどうかは定かではないけれど、少なくとも舞台の上の僕に目を向けてくれる人はほとんどいないだろうというのは分かった。それに指揮者でもやらない限り、ヨシアキという名がアナウンスされることもない。
不意に先輩がリュックを背負って立ち上がった。ほとんど同時に、もうすぐ電車が来るというアナウンスが流れる。駅に来た時より、体が軽くなっているような気がした。先輩といる時は気を遣うこともあまりないから、リラックスしてしまったのかもしれない。
「――そうだ、ヨシアキ。私はアンタが暗くないこと知ってるからね」
にやっと笑った先輩は、到着した電車に鼻歌を歌いながら乗り込む。明るいメロディーのその曲は、僕も知ってる。
「そこ、アルトじゃないですよ」
「だって、一人でハモリ部分を歌ってもねぇ。ヨシアキがテナー歌うなら、アルト歌ってもいいんだけど」
地下鉄が動き出してからも、先輩は鼻歌をやめない。ほとんどの音は電車の音に掻き消されてしまっているとはいえ。扉部分に寄りかかるようにして、僕は微かに聞こえる先輩の歌に耳を済ませていた。本当に楽しそうな笑顔を浮かべて歌っている。
僕はその声に馴染むように、小さな音を出した。
フラれてしまったことはまだショックだったけれど、先輩の笑顔の隣で歌う高校生活も悪く無い……かもしれない。
しかし先輩は突然歌をやめて、僕の背中を思いっきり叩いた。
「ヨシアキ、音外してやんのー」
先輩がケラケラと笑う。
――ああ、この人の辞書に『力加減』という言葉を今すぐ加えてやりたい。