第3話 泡沫の、夢
気がつくと、ぼくは自分の部屋にぽつんと立っていました。ノーラ様に案内された部屋ではない、日本の、自分の家。僕は一瞬呆気にとられましたが、すぐに嬉しさがこみ上げてきました。懐かしきベッド、懐かしき勉強机、懐かしき洋服―――
とんとん、とドアがノックされ、ぼくはびくっとしました。
「■■、起きなさい。学校に遅れるわよ。」
懐かしい、優しい姉の声に涙がこぼれました。それと同時に、この状況がすとんと腑に落ちました。ああ、夢なんだ、と。夢でなければ姉と会えるはずがないから。
「ん、起きるよ。お姉ちゃん。」
ぼくはそう返事を返すと、学生服に着替えて部屋を出ました。
居間に行くと、両親が優しい笑顔で出迎えてくれました。
「おはよう、■■」
「今日は遅いのね、■■」
ふたりは仲良く朝ごはんの用意をしています。ぼくはこんな風に仲の良い両親が大好きでした。洗面所に行き、顔を洗ってから戻ってくると、すっかり朝ごはんの用意ができていて、両親と姉の三人が席についておしゃべりしていました。ぼくも席に着き、みんなで「いただきます」し、食べ始めます。和やかな雰囲気。ゆるゆるとした談笑。テレビは小さめの音量で動物園のパンダが出産したというほのぼのとしたニュースを伝えていました。幸せな、日常。ぼくにはもう手に入らない、泡沫の、夢。
た・・けて・・・
何か、きこえた・・・?ほのぼのとしたニュースを伝えていたテレビから、何か、不穏の言葉が聞こえてきたような・・・
助けて!
とびおきると、そこはノーラ様に案内された部屋で、ぼくはどんなに寝相が悪い人間でもおっこちないほどの巨大ベッドの上に寝ていて、それからしばらく、涙が止まらなかったのでした。
一晩中泣き続けて、翌朝。睡眠不足の体に朝日がまぶしく、悄然としたままのろのろと寝間着から着替えた。普段着には、チノパンのようなものと真っ白なシャツが用意されていた。綿だろうか。寝間着は貫頭衣というのか、ワンピースのような代物だった。女の子の服を着るようで少し恥ずかしかったが、こちらでは男女問わず着用するもののようだ。―あまり、我が侭を言ってノーラ様を困らせてはいけない、ぼくはそう思った。
ノーラ様、か。優しそうな人だった。少なくとも、王様のような威圧感は感じなかった。隣にいると、すごく安心する。それに、きれいだ。中でも笑顔が素敵で、微笑むたびに惹きつけられてしまう。
でも、と思う。昨日はぼくが戸惑っているうちに終わってしまったけれど、今日はそれではいけない。ノーラ様に、聞くことを聞かなくては。言うことを、言わなくては。それが、ぼくが一晩中泣き続けて、考え続けてだした結論だった。
着替えが終わると、ノーラ様と話をしようと意気込んで部屋をでた。・・・どっちに行けば良いのだろう?勢い込んで部屋を出た割に、一歩目で躓いてしまった。素直に部屋で大人しくしていたほうが良いのかな。途端に弱気になる自分。ぼくが嫌いな、自分。そうはいっても、簡単には変えられないからこその性格。ぼくは5分ほど部屋の前をうろうろした挙句、やっぱり部屋に戻ろうとして、ふと、自分の鼻先をかすめて飛んでいく、何かに気づいた。
慌てて「何か」が飛んで行った方を見るが、何もない―――いや、よく目を凝らすと、金色の粉みたいなものが空中を漂っていた。前からあっただろうか?分らない。なかったように思えるが、眼の前の金粉はうっかりしていると見過ごしてしまうような代物だ。自信は持てない。「何か」が金粉をまきちらしながら飛んでいったのだろうか。好奇心に駆られて、金粉を追ってみる。
しばらく、やたらと長い(しかも豪華な装飾のある)廊下を進むと、左右に分かれていた。一瞬、部屋に戻ろうかと思ったがよくよく眼を凝らすと、金粉は右へと続いている。ぼくは金粉を見失うまで、と追跡(?)を再開した。
何回廊下を曲がったか分らなくなった頃(それでもぼくは道に迷ったと焦ってはいませんでした。振り返れば、金粉で帰り道が瞭然だったからです。というかこの建物ずいぶん広いですね)、金粉が建物の外にまで続いているのを見つけた。どうやら「何か」は中庭に向かったようです(この頃には、もう金粉と「何か」の関係性を疑ってはいませんでした)。幸い、靴は履いていたので、そのまま中庭におります。中庭といっても、そこいらにあるものとは規模が違う。背の高い植物によって囲まれた散歩道が、まるで迷路のように続いていた。
散歩道をしばらく進むと、やがて小さな広場にでた。広場の中央には、小さな噴水。朝日を受け水滴がきらきら光るのがとても幻想的で、きれいだった。
「わぁ・・・」
思わず見とれる。だから、「何か」が近づいているのにも気づかなかったし、「何か」が鼻先をかすめると、「わっ」声をあげて尻もちをついてしまった。
「妖精・・・?」
目の前に浮かんでいたのは、羽の生えた、10 cmくらいの小さな男の子と女の子だった。その羽根をぱたぱたさせるたびに、金粉が待っているのが分かる。
「いかにも。我ら姉弟、由緒正しい高貴な血脈を保つ妖精さ」
と、弟妖精。舌足らずな声と厳めしい話し方が合っておらず、コミカルに思えた。
「いやね、その辺の雑草とか、木とか、小汚い土から生まれる私たちに高貴な血も何もあったものではないでしょうに」
「ああ、もちろんさ。分っているよ。ああ、可愛そうなぼくら。そこら辺から湧いて出たんだって!」
「蛆虫のように?」
「そうさ!」
くす、くす、くすと。何がおかしいのか姉弟はぼくの周りを飛び交いながら笑うのだった。くす、くす、くす。くす、くす、くす。「でも!!」妖精の姉弟は叫ぶ、
「私たちはその誕生を誰からも祝福されない故に、」姉は微笑い、
「自然の祝福によって生まれるなんていう馬鹿もいるけれど、考えてごらんよ、ざらざら捻くれている土くれの、ひょろひょろ間抜け面で立っている木の、どこにおつむが入っているっていうんだい?」弟は嘲笑い、
「なにも継がず、」姉は、
「土地の権利書でも残してくれればよいのに!」弟は
「なにも知らず、」
「お馬鹿な子!」
「しかし、縛られない。」
「処女雪のように、まっさらさ!」
けらけらけら、お腹を抱えて笑う可憐な妖精の言うことはその容姿同様現実離れしていて、ぼくにはまったく理解できませんでした。ただひとつ、妖精がぼくを小馬鹿にしていることは間違いがありません。―――不愉快です。
むっとして踵を返したぼくをしかし妖精は追ってきます。
「ア、ハハ、待ちたまえよ」
「怒ったのかい?」
「短気は人間の欠点だね」
「別に君をからかおうと思って、」
「呼び止めたわけじゃないのさ」
「ぼくらも忙しいんだからね」
「そうさ、これからカエル狩りに行かなくちゃいけないんだからね!」
「要件があるんだよ。要件が」
「それじゃあ、」じろり、と妖精たちを睨みます。「要件とやらを聞かせてください」
精一杯不機嫌な声で急かしましたが、それでも妖精たちはくすくすと笑って。それから。
「「死んじゃうよ」」
一転。声は1オクターブも低くなって、やけに重々しく響きました。ちょうど太陽が雲に隠れ陽がかげるのがいかにも演劇のようで幾分滑稽に感じられました。このときのぼくは何も知らず場違いな舞台に上がってしまった道化師になったかのような気がしました。
「「みんなみんな、死んじゃうよ。誰もかれも。王様もお姫様も。商人も農民も。ヒトも妖精も。みんなみんな死んじゃうよ。そして彼らは、みんな君を呪って逝くのさ」」