第2話 僕の名前は・・・
この世界では―ちなみにこの世界には名前がない。つまりそれは、異世界からやってくる存在は少ないことを意味している。ともかく、名前の無いこの世界には当たり前のように亜人や妖精、怪物なんかの異種族がいて、当たり前のように戦争をしていた。
昔は種族ごとにまとまっていて、それぞれの交流は希薄だったが、大きな争いはなかった。決して争いが少なかったわけではないのだが、争いは種族間で行われ、基本的に他種族とは関らなかった。そのため、争いの末に滅ぶ種族はいても、それはその種族に限った話であったし、自然界の掟と許容することができたのである。
しかし、魔王の誕生によって状況は変わる。
魔王の出自は誰も知らない。種族も謎とされている。人間のような容貌をしているが、その桁外れの巨体と力は巨人族の血をひいているようにも思えるし、その膨大な魔力はさながらエルフか妖精のようであった。
ともかく、魔王はたった独りで様々な種族を屈服させていった。巨人のごとき腕力は逆らうものを微塵に砕き、エルフのような膨大な魔力から紡がれる魔術は逃げまどう人を消し飛ばした。わずか数年で、魔王は多種族を従え、力によって統制された恐怖の王国をつくりだした。それに危機を感じた者たちは、種族の壁を越えて団結した。決して小さくはない思想や習慣などの壁は魔王の恐怖によって崩されたのである。
それから数百年、魔王と同盟国の争いは続いている。やはり人間ではないのか、魔王は数百年たっても健在である。髪や髭が白くなり、多くのものは魔王の寿命に期待したが、そんな淡い期待は、戦場での魔王の活躍によって霧散することとなった。
魔王軍は精強であった。魔王の実力もさることながら、魔王の精鋭と呼ばれるワルキューレの活躍も大きかった。同盟国がこのような強大な敵に対抗できたのは、英雄の存在によるところが大きい。英雄は人間の王族によって異世界から召喚された人間である。英雄は必ず神秘的な能力を持ち、その力で魔王と闘ってきた。そして、英雄が命を失うたびに、王族は新たな英雄を召喚したのである。
だからお主には、同盟国を率いて魔王と闘ってもらいたい。
謁見の間にて、目の前の小柄なおじいさん―国王から言われたことはだいたいそんな内容だった。
でも僕はまだ14歳の子どもで、喧嘩すら碌にしたことがなくて、人の命を預かって闘うなんてことできるはずがなかった。戦争なんて自分から縁遠いものとしか認識していなかったし、自分が誰かを傷つけられるとは思えなかった。
僕は同世代の男の子と比べてだいぶ華奢な、女の子のようだとよくからかわれた自分の肩を抱いて、震えた。
「ふむ、怖いのか。震えているな・・・まるで女子のようだの?ノーラよ。本当にこ奴は闘えるのか?」
震える僕を見て、王様はノーラさんに問いかける。
「ええ、心配ありませんわ。お父様。彼が英雄であることは間違いのないことです。力に目覚めれば、彼も逞しくなってくれるでしょう」
「・・・そうだな。こう見えて英雄。常識にとらわれていてはいかんな。それでは、明日には早速最初の試練を「待ってください」」
反射的に叫ぶ。
「僕は、僕は闘えません・・・!」
「心配するでない。どれだけ勇敢な英雄であっても、召喚されたばかりでは闘うすべを知らぬという。よほど日本、という世界は平和なのだろう。お主も自分に眠る力を自覚すれば、そこらの奴には傷一つ付けられぬようになる」
「そうですよ。英雄にはそれぞれ固有の神秘的な力が宿っているそうです。例えば、前代の英雄は手をかざすだけで大きな爆発を起こし、敵の軍隊を幾度も葬ったそうです」
あなたにどんな力が宿っているのか、楽しみですね。そう言ってノーラさんは僕に微笑みかける。
「でも、すごい力があっても、僕は人を殺すなんて・・・」
「敵には人間はおらぬ。お主が殺すのは強欲な魔の男とそれに従う邪悪な怪物どもよ」
「それでもっ。僕には・・・!」
「・・・ノーラ」
僕の言葉に機嫌を損ねたのだろう。王様の言葉には不機嫌さがにじみ出ていた。そのためだろう、ノーラさんは慌てる。
「待ってくださいお父様。彼も召喚されたばかりで戸惑っているのでしょう。この話はまた日を改めて・・・」
「分った。そうしよう。英雄殿、次は色よい返事をお聞かせいただきたいものですな」
・・・王様との初めての接見はこうして気まずい空気と共に終了した。
「お父様がごめんなさいね。」
謁見の間を辞し、お城―僕が召喚されたのはお城の地下室だった―の廊下を歩きつつノーラさんは僕に謝る。
「いいえ、僕があまりにふがいないので怒ったんだと思います。僕がもっとしっかりしていれば・・・ノーラさんにも」
平静になり、すっかりノーラさんの顔をつぶしてしまったことに僕は気づいていた。
「召喚されたばかりだもの、仕方ないわ。でも、本当に敵を討つことを気にする必要はないのよ。実りある豊かな大地を侵し、清廉な森を焼き払う、恐ろしい魔王とその手勢なんですから。敵を討てばお父様も国民も喜ぶわ。あなたはみなから英雄と称えられるのよ」
「でも・・・」
そう答える僕にノーラさんは困ったような顔をする。
「まぁ、今日は疲れたでしょうからもうお休みなさい。難しいことは明日考えれば良いわ」
いつの間にか目的地に着いていたらしい。ノーラさんは豪華な意匠の扉の前で立ち止まった。
「ここが今日からあなたの部屋よ」
部屋の中は扉に負けず劣らず豪華だった。ベッドも天蓋というのだろうか、カーテンのようなものがついていて立派だった。こんなに大きなベッドなら寝相が悪くても落っこちたりしないだろうな、と思う。
「じゃあ、また明日。ゆっくりとお休みなさい」
部屋の中で少しお喋りをして、ノーラさんは部屋を出ていこうとする。
「ノーラさんっ」
とっさに、ノーラさんの服の裾を掴んでしまった。
「あ・・・ごめんなさい」
あわてて手を離すとノーラさんはふっと微笑んで僕の頭を優しくなでてくれた。
「いいのよ。知らない土地で不安なのね。大丈夫。あなたならすぐに慣れるわ」
ノーラさんは優しい。なでられていると安心する。それに、良い匂い。ノーラさんの匂いをかいでいると幸せな気分になって頭がぼうっとしてしまう。
「お休みなさい・・・ああ、それと」
ノーラさんは扉をあけると、振り返ってこう言った。
「私はこの国の王の次女。ノーラ様って呼ばないと駄目よ」
ああ、やっぱりか。お姫様なんだし様付けしないと駄目かな?とは思ったのだが、慣れない呼称を使うのに抵抗がありノーラさんと呼んでしまっていた。失礼だったよね。
「ごめんなさい、ノーラ様。それと、」
うん、と首をかしげるノーラ様。
「僕の名前は圭。圭 有馬です。これから、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
「ケイ、ケイですか・・・ふふ、可愛い名前ね。よろしくね、ケイ」
こうして、僕とノーラ様の出会いの日は終わりを告げたのでした。