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月明かりが差し込む、家具といえば机とベットくらいしか無い粗末な部屋。その部屋に一瞬何か淡く光ったかと思うと、次の瞬間には背の高い銀髪の男がベッド際に立っていた。
男ーアシエルは抱いたネティーをベッドに優しく下ろし、自らはベッドに腰掛けた。
「ねえ、ネティー。君はどうしてこんなにも僕の心を掻き乱すのかなぁ?」
彼女の頬を撫でながら問いかけるが、その問いに答える者はいない。
「君を檻に閉じ込めて、観察していれば分かるかなー? そうすれば、いつも目の届く所に君が居るわけだし、安心だよね?」
頬を撫でていた手が大きく顎をなぞり、ぷっくりとした唇に辿り着く。漏れる吐息によりほんのりと湿った手で唇を割り、白く男の物とは思えない美しい指を一本押し込み舌に絡ませると、ネティーの舌は嫌がる様に口内を逃げ惑う。
「ふふ、可愛いなぁ、早く…...食べちゃいたい」
余りにもしつこく絡ませるアシエルの指に、眠っているネティーの眉間に徐々に皺が寄ってくる。それにも構う事無く、ぴちゃぴちゃとわざと音をたてながら指で口内を弄ぶ。
調子に乗り、指を二本に増やし歯列をなぞったその時
「ッ……」
無意識のうちに我慢の限界がきたのか、ネティーは少しの躊躇もなくアシエルの指に噛み付いた。たらりと流れる血に、機嫌を損ねるどころか逆に嬉しそうにアシエルは指を彼女の舌に擦り付ける。
「さぁ、僕の味をしっかり覚えるんだよ」
いやいやとまるで赤子の様に顔を背けようとするネティーの顎をもう一方の手でしっかり押さえつけ、狂った様に繰り返す。
「ぐふっ、ごほっごほ……」
咳き込むネティーに、ふと我に返り指を引き抜くと二人の間を名残惜しむかの様に銀の鎖が繋ぐ。自身の血とネティーの唾液によってふやけた指を自らの口に運び、まるで甘い蜂蜜を味わうかのように真っ赤な舌で舐めとる。
「ふふふ、君の味がする」
ちゅっちゅん、ちゅっちゅん
姿を見た事はないが朝になると騒ぎだす鳥の鳴き声と、窓から差し込む眩しい二つの朝日によって目覚めるいつもの朝。
「うーーん、よく寝たー!」
上半身だけ起こし大きく伸びをする。よほど深く眠れていたのか、最近溜まりっ放しだった疲れが一気にとれたような気がし、気分が良いネティーだったが
「ふわぁ〜……ん?」
大きくあくびをした時に鼻に抜ける違和感に、思わず舌で口内を探る。血の味がするのだ。さては口内炎でも出来たのだろうと思ったが見つからない。腑に落ちなかったが、ぎゅるるるる〜っと鳴ったお腹に意識が移り朝の準備に取りかかるうちに忘れてしまった。
「いただきまーす」
朝食にパンのような物とリンゴのような物を食べながら、そう言えば昨日どうやって家に帰ったんだっけっと思う。女の悲鳴を聞いてから厄介ごとに巻き込まれそうになった所までは思い出せるのだが、その後が全思い出せない。食事の手を止め、暫く考えていたがこうして家で無事に朝を迎えているのだから、上手く切り抜けたんだろうと結論づけ、食事を再開した。
魔法や変な生き物がうじゃうじゃいる異世界、ちっちゃい事を気にしていたら精神衛生上よくないとあのアホが放置していたこの半年で嫌という程学んだのだ。
今日のパティーであの嵐のように忙しかった日々も終わる。あのアホが現れたからには、きっちりと地球への帰り方を吐かせなければならない。
この世界に半年居たとはいえこの容姿のせいで友達なんか一人も出来なかった。恐れ、蔑み、そう言った視線を浴びるだけだった。教会の人々は優しかったが、それは哀れな黒猫に生まれてしまったことに向けられた慈悲の心であり、私個人への感情は無かった。
私の世界に帰りたい。最初の一ヶ月は恨んだり泣いたりしたが三ヶ月も絶つと諦めた。何せ助けが来ないのだ。それに全く持ってお約束の役割だとかも与えられていないようだった。
「そういえばあいつ、昨日は来なかったわね」
この半年のことを思い出しているうちにむかむかして来た胸を押さえながらふと思い出した。また明日くるからね、とか抜かしてなかったかあいつは。まさかまたこのまま放置……
恐ろしい考えが脳裏をよぎったが、ぶんぶんと頭を振りその考えを追い払った。
「まさかね……今日来たら縄で縛り上げて尋問しなきゃ」
ネティーは決意を新たに、頭に深くフードを被り仕事へ向かうべく玄関を出た。