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名代辻そば鶴川店 五皿目

作者: 西村西
掲載日:2026/05/04

 堂本修司という男は、いつも上機嫌で職場に立っている。

 昼勤務の時も勿論あるが、メインは来客の少ない深夜帯の勤務ということで、好きに自身のライフワークとも言える珍そば開発に勤しむことが出来るからだ。

 が、この日の修司は、何故だか終始浮かない顔、しかめ面をして厨房に立っていた。


「店長、冷しきつねそば1です!」


 ホールの方から、バイトリーダーの七海京子がそう声を上げる。

 京子は大学同期かつ同い年なので普段は修司にもタメ口なのだが、そこはやはり社会人経験者、勤務中はちゃんと仕事用の言葉を使う。


 深夜帯の勤務は基本的には暇なのだが、全く来客がない訳でもない。夜勤の人もいれば、深夜に腹を減らした人、飲みの締めに寄る酔客もいる。


 いつもであれば、


「あいよ!」


 と威勢の良い返事をするところなのだが、しかし修司は、


「……あいよ」


 と、若干元気のない返事をした。

 今回ばかりではない、今日はずっとこんな調子である。


 どうにも、いつもの修司らしくない。

 別に上の空だということもなければ、具合が悪いような様子でもない。仕事はちゃんとしている。いい加減にやったり、手を抜くということは決してない。

 が、どうにも本調子ではないというか、何か思い悩んでいる様子というか。


 一体、今日のこいつはどうしてしまったというのか。

 京子はそう修司のことを訝しんでいた。京子だけではない、一緒に働くバイトの坂野と上田も同じことを思っている。


 冷しきつねそばを注文した客が食事を終えて退店し、再び店内に客がいなくなってから、京子は堪らず修司に詰め寄った。


「あんた今日どうしたのさ?」


「ん?」


「何ていうか、心ここに在らずって感じ?」


 京子に言われて、修司はそのことか、とばかりに「ああ……」と頷く。


「うん、まあな、ちょっと考えごとしててよ……」


「考えごとって何さ?」


「いやよ、今、田舎から母ちゃんがこっち来てんだけどよ」


「母ちゃんって、長野のお母さん?」


 問われ、修司はそうだと頷く。


「何かよ、俺が何年も帰ってこねえから心配になって様子見に来たんだとさ」


 信州信濃出身の修司。当然、実家は今も信州にあるし、両親も健在、地元の大学に通う妹と3人で暮らしている。

 人生の半分以上を過ごした地、長野。そこは修司にとって終生変わらぬ故郷である。思い入れもひとしおだ。心の原風景には、長野の自然が広がっている。

 が、そんな長野の地に、修司はしばらく帰っていない。別に長野が嫌いになったとか、家族仲が悪いということでもないのだが、それでも帰っていなかった。単純に、これまで帰るタイミングがなかったのだ。


「そんな心配してわざわざ長野から出て来るって……あんた何年帰ってないの?」


「大学卒業してから仕事忙しくて1回も帰ってない」


 修司がそう答えると、京子は嘘でしょ、とでも言わんばかりに「はあ!?」と眉間にしわを寄せた。


「そりゃあんたが悪い! もう10年くらい帰ってないんじゃん!!」


 店内に客がいないからだろう、修司に人差し指を突きつけて声を荒らげる京子。


 確かに、長らく帰らなかったのは親不孝かもしれない。が、修司とて長野に帰りたくなかった訳ではないし、東京で遊び惚けていた訳でもなく、金をケチッて帰らなかったのでもないのだ。どうにも仕事が忙しくて、帰る時間が取れなかったのである。

 長野に帰るとなれば、自然、日帰りというのは考え難い。普通は最低でも1泊、と考える。しかしながら修司は2日も休みがあれば少なくとも1日は珍そば開発に使っていたし、他店への市場調査にも休日を使って行っていた。それらを怠ると、すぐに同業他社に出し抜かれてしまうのでとても長期で休んでいる暇などない。油断大敵である。


 という訳で、修司は長らく長野に帰っていなかったのだが、別に音信不通ということでもなかった。たまには連絡くらいは取っていたのだ。


「そうは言うけどお前、電話くらいはしてたんだぞ? 俺も」


 まあ、それも年に何回かのことではあるが、やらないよりはましだろう。まあ、電話の度に結婚や孫の顔をせっつかれるのはいただけないが。


 京子は呆れた様子で、これ見よがしに「はぁ……」とため息を吐いた。


「直接顔見たいのが親心ってもんなんでしょ。でも、それの何を考え込むようなことがあんのさ? 別に家族が泊まりに来るぐらい、いいじゃない」


 いくら電話しているからといって、10年も顔を見せないのでは親も気を揉もうというもの。いい加減焦れて自ら乗り込んで来るのは道理である。

 と、京子はそう考えているのだが、朴念仁の修司にはいまいち伝わっていない。


 確かに、家族が田舎から出て来て自宅に泊まるくらいのことはいい、のだが、しかし悩みはそれだけではなかった。というか、むしろもっと厄介な問題があるのだ。


「いやよ、母ちゃん、俺が働いてるとこ見てぇとか言うんだよ」


 そう、何を思ったものか、修司の母は職場見学がしたいなどと言うのである。

 中学や高校の子供が就職するというのなら、職場見学がしたいというのも理解出来るが、修司はもうとっくに大学を卒業した成人だ。しかも初めて就職するのでもない、もうタイダンフーズで働き始めて10年も経っている。今更職場見学もないものだ。


「働いてるとこって、ここを?」


 流石にそれには驚いたようで、京子も困惑した表情を浮かべている。


 そんな京子に、修司も「ああ」と頷く。


「30も過ぎて授業参観みたいなさあ、勘弁してほしいんだよ、マジで……」


 忙しい昼間の営業ならともかく、客足もまばらな深夜の営業であれば母1人来たところでさして邪魔にもならないだろう。が、そういう問題ではないのだ。

 単純に、いい大人が親に見守られながら仕事をするということが小っ恥ずかしいのである。しかも、バイト3人の前で。同い年の京子に見られることも恥ずかしいし、年下の坂野と上田に見られることはもっと恥ずかしい。

 仕事の話くらい、家でいくらでもするので、絶対に職場まで来てほしくないというのが修司の偽らざる想いであった。


「……もしかして、今日来るの?」


 訊かれ、修司は肯定も否定もせず、ふんす、と鼻から太い息を吐く。


「念入りに何回も来るなとは言い含めて来たんだけどよ、母ちゃん、俺の言うことなんか聞きゃしねえもんだからよ、マジで来るんじゃないかと不安でなあ……」


 1度こうだと言い出すと、決して考えを曲げようとしない。それが昔からよく知る、修司の母の特徴だ。良く言えば芯が強い、折れないということだが、同時に頑固者、頑迷ということでもある。そしてこの頑固がまた厄介なのだ。何せ、一切考えを曲げようとしないのだから。


「ああ、まあ、確かにちょっと嫌か……」


 さしもの京子も少しは同情したと見えて、そのように呟いた。もしかすると、自分の立場に置き換えて考え、修司と同じようなことを思ったのかもしれない。


 ここで、それまで厨房で食器洗いをしながら話を聞いていた坂野と上田が、作業が終わると同時に口を開いた。


「店長、もしかして恥ずかしいんですか?」


「店長が作ってるの、珍そばですもんねえ……」


 若干からかうような色を含んでそう言う2人。


 しかしながら今の言葉、修司にとっては聞き捨てならないものである。


「じゃかあしいわい! 珍そば作りが恥ずかしいワケじゃねえ! むしろ俺の誇りだ!!」


 いつにも増して力強くそう訴える修司。

 そう、修司にとってのライフワーク、珍そば作りを揶揄される謂れはない。珍そば作りは修司の生き甲斐だ。そして精魂込めて作った珍そばを「美味い」と言ってもらえることこそが誇りである。それを見られることに何の恥があろうか。


 だが、拳を握り締めて修司が力説しているというのに、3人とも呆れ顔だ。


「それが誇りってのもどうなのよ?」


「るっせえな! ともかく俺は……」


 と、修司が吼えているその途中で、店の自動ドアが開いた。来客である。


「「「いらっしゃいませ!!」」」


 身内同士でわいわいやる空気から、瞬時に仕事モードに入る京子、坂野、上田の3人。

 しかしながら、修司だけは何故だか驚愕した様子で目を見開き、あんぐりと口を開けて入店してきた客のことを凝視していた。


 一体、何をそんなに驚いているのか。別に変な客が来た訳ではない、むしろごく普通の、上品そうなマダムの来店である。


「こんばんは。深夜なのに元気ねえ」


 やはり上品そうな微笑を浮かべながら、マダムは厨房が見えるカウンター席に座った。


「シュウ、来たわよ。何か作ってちょうだいな」


 マダムが厨房で唖然としている修司にそう声をかけた瞬間、3人が、


「「「え!?」」」


 と、驚きの声を上げる。


 そして間髪入れず、修司が、


「来んなって言っただろ、母ちゃん!!」


 と、怒声を返す。


 そう、つい今しがた話に出ていた、修司の母が本当に来店したのである。


 意外。

 それが、京子、坂野、上田の、修司の母に対する感想であった。

 奇人変人の修司であるからして、その母親は如何ほどのものかと3人とも思っていたのだが、実際には何の変なところも見受けられない上品そうなマダムでしかない。もう60も半ばを過ぎているのだろうが、背筋はシャンとして一本筋が通っており所作にも品を感じる、髪は黒く染めて結い上げて和装、シックな色合いの着物で決めている。

 以前、何かの雑談の中で耳にしていた京子はたまたま覚えていたのだが、修司の母は、確か自宅で着付け教室を開いていた筈だ。なるほど、和装が決まる筈である。

 一体、何をどうすればこの上品そうな母親から修司のような珍そば執心男が産まれるというのか。何とも不思議なものだ。


「でっかい声出すんじゃないわよ、あんた。まだ耳は遠くなってないよ、母ちゃん」


 眉間にしわを寄せながらそう言う修司の母。まあ、これだけかくしゃくとしていれば確かに耳は遠くなっていないのだろう。

 修司も修司で、やはり眉間にしわを寄せながら、心底嫌そうに声を返す。


「そういう問題じゃねえから!」


「せっかくだから何か作っとくれよ」


 我が子の嫌がる様子など意にも介さず、修司の母はそう訴える。別に飲んできた帰りに寄ったということではないのだろうが、いつの時代も夜鳴きそばとはオツなもの。単純にそばの香りに釣られて食べたくなってしまったのだろう。


 実家にいた頃は夜食など食べなかった母。

 らしくないことを言いやがると、修司は思わずため息を洩らす。


「食券買え! つーか帰れ! いつもならとっくに寝てる時間だろ!?」


「あんたが仕事してるとこ見たくてがんばって起きてるんだよ。そんながんばってる母ちゃんに自分が作った料理食ってほしいと思わないのかい、あんた?」


 そう言われたところで、思わないものは思わない。息子が職場で働く姿を見る、その目的を果たしたのなら、早く帰ってほしいものだ。バイトたちからの興味津々といった視線に晒されるのが、我がことながらいたたまれない。


「も~う! 帰ってくれって!! つーかどうやって来たんだよ!? 終電の時間なんざとっくに終わってんだろ!?」


 今は深夜2時過ぎ。電車もバスもとっくに止まっている。そして修司はマイカーを持っていない。しかしながら、修司の家はここから歩いて行けるような場所でもなかった。そんな状態で母は一体、どうやってここまで来たのだろうか。何やら嫌な予感がする。


「どうやってってあんた、タクシーに決まってるじゃない」


 嫌な予感が当たったと、修司は沈痛な面持ちを浮かべた。何という無駄遣いをするのか。


「祖師ヶ谷大蔵からか!? 電車だったら数百円で来れたってのに……金がもったいねえ!」


 この鶴川店で勤めるにあたり、修司はそれまで住んでいた赤羽から小田急沿線の祖師ヶ谷大蔵に引っ越している。母も当然、その祖師ヶ谷大蔵のマンションに泊まっているのだが、そこからわざわざタクシーに乗ってここまで来たらしい。きっと、タクシー代は馬鹿にならない額になっただろう。それこそ、辻そばのそばを十杯くらいは食べられるような。


「別にあんたの金じゃないじゃないの」


「自分の金を大切にしろって話だ! うち、別に金持ちってワケじゃねーだろーが!!」


「母ちゃんが自分で稼いだ金なんだからいいじゃないさ」


「無駄遣いだっつってんの!」


 と、親子の言い争いが続きそうなところで、ブレイクとばかりに京子が2人の間に割って入った。


「お水どうぞ」


 ペコリと一礼してから、京子が修司の母の前に水を置く。

 修司の母親ということで思うことがないではないが、それでも客は客だ、仕事である以上、適当に扱う訳にはいかない。


 修司の母は京子に向き直ると、嬉しそうにニコリと笑みを浮かべた。


「あら、ありがとう。貴方、もしかして七海京子さん?」


 問われ、京子は戸惑いつつもそうだと頷く。


「え? あ、そ、そうですけど……どうして私の名前を?」


 京子はまだ、彼女に対して名を名乗ってはいない。修司との会話の中にも、京子の名前は出なかった筈だ。それなのに何故、修司の母は京子の名前を知っているのか。


 その疑問に答えるよう、修司の母はにこやかに口を開いた。


「この子ねえ、電話で職場の話する時、貴女の名前よく出すのよ?」


「えぇ!? そうなんですか!?」


「おい、母ちゃん!?」


 京子が驚き、修司も何を言い出すとばかりに戸惑った声を出したのだが、母の話は止まらない。


「貴女だけじゃないわよ、坂野さんと上田くんでしたっけ、その2人のこともよく話題に上がるわね」


 京子の話が出るくらいだから勤務が一緒になることが多い坂野と上田のことも話しているだろうということは想像に難くなかったので、2人はさして驚きもしなかったが、それでも修司が親と従業員のことを話しているということには多少の意外さがあった。


「へえ……」


「そうなんですか……」


「ちょ……母ちゃん! もうやめてくれ!!」


 修司は何故だか焦っている様子だが、京子は逆に興味が湧いてきたので、修司の母に続きを促す。


「ちなみに、私のことは何て言ってました?」


「おい、よせ!」


「よく気が付いてキビキビ働いてくれるって、褒めてたわよ」


 そう母が言った途端、修司は赤い顔をして渋面を作った。こんなこっぱずかしいことを親の口から暴露されては立つ瀬がない。


「あら、意外……」


 逆に京子は、驚きに目を見開く。

 普段、人を褒めることなど滅多にない、憎まれ口ばかり叩くこの男が、まさか本人のいないところでは誉め言葉を口にしているとは。それも、ちゃんと働きぶりを見ていた上で。

 何のかんのと言っても、そこはやはり店長だということなのだろう、見るべきところはしっかり見ているということだ。


 ここで何を思ったものか、坂野と上田が揃って、修司の母の前に、ずい、と身を乗り出した。


「あ、じゃあ、私のことは何て言ってました?」


 坂野が自分の顔を指しながらそう訊くと、修司の母はやはりニコリと笑って答える。


「貴女、坂野さんね。貴女のことはねえ、接客上手で酔っ払いも軽くいなしてくれるから助かるって、そう言ってましたよ」


「なんだ、店長、意外に私のこと見てくれてたんですね」


「じゃあ、俺のことは……」


 と、上田までがそう続いたところで、修司はたまらずに割って入った。


「おい、もういいだろ!? ったく、しょうがねえ、そば作ってやるから、食ったらとっとと帰ってくれよ、母ちゃん!?」


 このまま放っておけば、母はいつまでも修司が電話で話した内容を吹聴し続けるだろう。それこそ明け方までも。そして、このままそばを出さねばやはり明け方まで粘る筈だ。何せ、深夜帯の客などほぼいないのだから。

 ならば、とっととそばを食ってもらって、さっさと帰ってもらった方がまだマシだ。


 授業参観日の小学生に戻ったようで、修司はどうにも居心地が悪かったが、ともかく厨房に戻って調理に取り掛かる。

 せっかくなのだ、今開発中の新しい珍そばを試食させてみよう、とそんなことを考える修司。


「上田くん、そば茹でやってくれ! 七海、小麦粉とパン粉出して! 坂野さんはそばつゆ頼む!」


 今は別に立て込んでいないので1人でも作れるのだが、自分の作業中に母と話をさせておくのも嫌なので、他の従業員たちも総動員する。


「「「はい」」」


 3人も、本当ならもっと修司の母の話を聞いてみたいところなのだが、仕事となれば動かない訳にはいかない。


 こいつらときたら、などと修司は心の中でブツブツとひとりごちているのだが、しかしチームワークは抜群だ。4人ともテキパキと動き、あっという間にそばが完成してしまった。


「おら、これ食って帰ってくれ!」


 修司は完成したそばを手ずから母の眼前に置いた。

 だが、目の前に置かれたそばを見て、修司の母は不思議そうに首を傾げる。


「何だい、これ?」


 まあ、修司の母が困惑するのも無理はない。

 一見普通のかけそばなのだが、その上に揚げ物が載っている。そばやうどんの定番、天ぷらではない。ならば名代辻そば名物のコロッケかとも思うのだが、どうも普通のコロッケとも様子が違う。そばの上に鎮座する揚げ物、これが何故か俵型をしているのだ。通常の、楕円形のコロッケではない。


「こいつはな……クリームコロッケそばだ!!」


 さして筋肉もないうっすい胸を張り、修司は堂々と答えた。

 クリームコロッケを載せたそば、クリームコロッケそば。何の捻りもない、名前のままである。

 修司の作る珍そばとしては、かなりまともな部類のものなのだが、そもそも珍そばについて知識が乏しい人であれば何とも珍妙なものに見えることだろう。


 修司の母は、胡乱そうな目をしながら口を開いた。


「…………あんたねえ、30も過ぎて食べもので遊んじゃいけないよ? こういうのは駄目だって、あんたがガキの頃に散々言って聞かせたじゃないさ。母ちゃん、正直感心しないねえ」


 そばにコロッケを載せる食べ方は関東では浸透しているが、しかしそばの本場、信州の人間から見るとふざけたものに映るのだろう。それもましてやポテトコロッケではなくクリームコロッケ、余計に誤解しているものと見える。


 修司は慌てて口を開いた。


「いや遊びじゃねえよ!?」


 そう修司が否定すると、今度は呆れたような表情を浮かべる母。


「遊びじゃなくて本気でやってるんなら、おそば作るセンスないよ、あんた」


「黙らっしゃい! こいつはな、珍そばってジャンルのそばなんだよ! 見た目は珍妙、しかして味は抜群! それが珍そばだ!」


 そば作りのセンスがないなど、全くもって心外である。修司本人の認識としては、この10年くらいで磨きに磨いた珍そば作りのセンスなのだ。むしろ珍そば界の麒麟児だという自負すらある。外見の奇抜さだけで味まで判断してほしくない。


 だが、修司の力説にもかかわらず、母は胡乱な表情のままだ。


「そういうのが流行ってんのかい? 東京は変なところだねえ……」


 食を含め、東京は文化が多様なだけであって、決して変なところではないのだが、生まれも育ちも信州の母からすると、随分と変わったところに見えるのだろう。

 まあ、修司も同じ信州から出て来た時は東京に圧倒された経験があるので分からないでもないが、東京も珍そばも、外側から見るだけでは味わえない妙味がある。


「いいから食えっての! 食えば分かる!!」


 そう、実際に食べてみてこその珍そばだ。食べもせず判断を下すのはナンセンスの極み。


「…………じゃ、いただきます」


 いまいち納得していないような様子だが、ともかく修司がふざけているのではないということだけは伝わったらしく、母は割り箸を取ってそばを食べ始めた。


 まずは熱いところ、黒々としたつゆをずずずず、と啜り、ふっとした笑顔を浮かべる。どうやらお眼鏡に叶ったらしい。

 次は豪快にそばをずぞぞ、と啜り、咀嚼。これもやはり美味かったようで、うんうんと頷きながら食べている。

 そして次はいよいよクリームコロッケだ。まだつゆが染み込んでいないコロッケを持ち上げ、サクリとひと口。


「あふ、あふ……ッ」


 熱い吐息を吐きながら、クリームコロッケを堪能する修司の母。

 齧った断面からトロリとしたホワイトソースがそばの上に落ち、澄んだそばつゆと混じり合い、混沌とした色になる。きっと、味も混沌としたものになっているのだろう。


 別に美味いとも不味いとも言わず、修司の母は黙々とクリームコロッケそばを食べ進める。上品そうなマダムに見えるが、食べ方は案外豪快だ。

 そばを啜り、つゆを飲み、コロッケを齧り、そして最後の1滴まで器の中のものを飲み干すと、修司の母は「ふう……」と熱い吐息を洩らした。


 最後に冷たい水を飲んで口内の熱を冷まし、さっぱりさせると、修司の母はまっすぐに我が子を見据えたまま静かに口を開く。


「別に不味くはなかったよ。そばもつゆも、クリームコロッケも美味かったさ。それ単品ではね。東京のそばも美味いと思ったさ。でもね………………」


 溜めを作り、含みのある言い方をする修司の母。


 何だか妙な緊張感があり、修司は思わずゴクリと息を呑む。


「……でも、何だよ?」


「これ、クリームコロッケよりも普通にじゃがいものコロッケの方が合うんじゃないかい?」


 修司の母がそう言った瞬間、京子、坂野、上田の3人は「言ったぁーッ!!」と胸中で声を上げた。


 そう、今回の珍そば、クリームコロッケそば、試作品の試食段階で3人とも思っていたのだ、普通のコロッケの方が絶対に合う、と。あれはそばつゆの味を邪魔しないポテトコロッケだからマッチするのであって、クリームコロッケのようにそばつゆと混ざり合ってせっかくの透明さが濁ってしまうものはどうにも合わないという気がしていたのである。

 実際、3人はクリームコロッケがあまり合わないと試食の時に訴えていたのだが、修司はならば絶対に合うものを作るまでだと譲らなかった。そして、今はまだその試行錯誤の途中である、修司の母がイマイチだと感じるのも無理はない。


 だが、自信のあった修司は意外とでもいうように驚きの表情を浮かべた。


「なぬ!?」


 バイトたちの意見を受け、改良を繰り返していたクリームコロッケ。そばつゆを濁らせ難いようホワイトソースを固くし、味も調和するようホワイトソースを伸ばす時に少しだけ出汁を混ぜたりもした。つまり苦心の末の最新作だったのである。

 しかしながら努力の甲斐虚しく評価はいまひとつ。それは驚きもしよう。これまでの試行錯誤の日々は何だったのか、と。


 意外そうにしている息子をよそに、修司の母は淡々と言葉を続ける。


「どうしても普通のじゃがいものコロッケが嫌なら、カレーコロッケとか載せたらどうだい?」


「う……ッ!?」


 母の言葉がグサリと胸に刺さり、修司は思わず呻き声を洩らしてしまう。

 カレーコロッケのそば。修司が考えてもいなかったことを思い付きで言うとは。しかも、それが想像するだけで美味そう、合いそうだとは。

 同じベクトルで自分の発想を上回ることを言われる。しかも素人に。

 こんなに敗北感を覚えることがあるだろうか。


 母の言葉を否定したいが、出来ない。修司自身が、カレーコロッケのそばを美味そうだと認めてしまっている。

 負けだ。

 修司はがっくりと肩を落とした。


 そんな修司を横目に、バイト3人は「なるほど」と頷く。


「あ、確かに……」


「そっちの方が……」


「合いそうですよね……」


「貴方たちもそう思うわよね?」


「「「はい」」」


 修司の母に同意を求められ、すぐさま頷く3人。

 確かにカレーコロッケのそばは美味そうではあるが、それはそれとして、何て薄情な奴らなんだと、修司は抗議するような目を3人に向けた。


「ほら」


 ジト目でバイトたちを睨む息子に、短くそう言う修司の母。


 その言葉を受け、修司はキッと母を睨んだ。


「ほら、じゃねーわ! 余計なお世話だ!!」


 カレーコロッケのそばは確かに美味かろう。だが、それは果たして珍そばと言えるだろうか。むしろ普通のそばではなかろうか。コロッケそば自体が珍そばだというならまだしも、これだけ関東に浸透しているコロッケそばが珍そばと言い切るのは無理がある。

 それに、修司はまだクリームコロッケそばの開発を諦めた訳ではない。まだまだ改良の余地はある筈だ。修司にも珍そば求道者としての意地がある、絶対に調和するクリームコロッケそばを完成させる。させてみせる。


 そんな決意を固める息子の心中など知る由もなく、修司の母は苦笑しながら息子の顔を見た。


「まあ、ともかくさ、母ちゃん安心したよ。あんた、東京でもどうにかやれてるみたいだね」


 その言葉を聞いた瞬間、修司は眉をしかめる。

 もう10年以上前になるか、大学進学を機に状況してから1年くらい経った頃だと思うのだが、近況報告をした際に電話口で母から全く同じ言葉を聞いた記憶があった。

 あれからもう10年以上経ち、今では修司も30代だ。流石にそんな心配をされるような年齢でもない。いつまでも子供扱いされるのは勘弁だ。


「当たりめえだろ、俺、店長だぞ、店長? ちゃんとしてねえやつは、そもそも店長なんかやらせてもらえねえんだよ!」


 修司が渋面しながらそう抗議すると、しかし母は呆れたような表情を浮かべた。


「あんたがやれてんのは、あんた自身の力ってより、他の店員さんたちに助けてもらってるからだよ。そこは勘違いしないように」


「なぬ!?」


 見事に返されてしまった修司。

 確かに、皆の助けがあってこその店舗営業、客足の少ない深夜帯でも自分1人だけでは回せない時も多々ある。バイトたちの助けはどうしても必要だ。自分の力だけでやれているとは思っていない。

 だが、それにしても自分としては努力していたつもりだったのだが、母の目から見るとまだまだということなのだろう。流石に自分を生み育てた母親、修司のことなどお見通しらしい。


 反論が出来ず、修司は思わず口を閉じてしまった。


 そんな修司の様子など気にすることもなく、母は持参した手提げをゴソゴソと漁って財布を取り出そうとする。


「じゃ、母ちゃん先に帰るからね。お代、いくら?」


 そう訊かれて、しかし修司は首を横に振る。


「まだ商品になってねえ試作品だ、いらねえよ」


 正式に販売が始まったメニューなら代金をもらったかもしれないが、これはあくまで試作品。しっかり形になる前のものだ。値段など付けられよう筈もない。


 もしかすると無理にでもこちらに金を押し付けてくるかとも思ったのだが、しかし母はそれで納得したらしく、大人しく財布を戻した。


「あ、そう。こりゃ得したね」


 言ってから、修司の母すっくと立ち上がり、バイト3人の前に向き直る。


「皆さん、これからもこの馬鹿息子のことよろしくお願いしますね」


 上品な動作で深々と頭を下げる修司の母。

 その姿は、紛れもなく子を想う母親のそれであった。もういい大人になった息子の為にこうして躊躇いもなく頭を下げられるのだから、出来た人である。


 修司の母の意気を汲んで、3人も呼応するように返事をした。


「「「はい!!」」」


 何だか良い場面、といった感じだが、ここに1人だけ不満そうな顔をした男がいる。誰あろう修司その人だ。


「誰が馬鹿じゃい、誰が!!」


 そう修司が抗議しても、しかし誰も話を聞いていなかった。


 修司のことなど気にもせず、母を改まった様子で京子に向き直る。


「七海さん」


「はい」


「貴方、シュウとは大学からの付き合いなんですってね。今後もこの子と仲良くしてあげてね」


 言いながら、微笑を浮かべる修司の母。

 京子にだけそのように言うとは、何だか意味深な言葉である。

 坂野と上田はその言葉の意味が分かったようで、何やらニヤニヤいやらしい笑みを浮かべているのだが、当人である京子はいまいちよく分からず、不思議そうな表情を浮かべたまま頷いた。


「え? あ、はい……」


 修司も修司で、母が何を言いたいのかいまいち分からない。京子とは別にそこまで仲良くもないし、仲が良いと発言したこともないのに何を言っているのだろうか。


「おい、母ちゃん、何の話してんだよ?」


 修司が言うと、母は「朴念仁だねえ……」と呟いてから苦笑して首を横に振った。


「何でもないよ。それより朝メシ何がいいの?」


 今日の朝食はどうやら母が作ってくれるらしい。変な世話を焼かれるのは迷惑だが、夜勤明けに朝食を作る手間が省けるのは素直にありがたいものだ。


「ベーコンと玉子!」


「パンとご飯どっちにすんの?」


「パン!」


「母ちゃんご飯の方がいいんだけど?」


「だったら最初から訊くな!」


「あいよ。そんじゃね」


 そのままスタスタと店を出て行ってしまった修司の母。

 皆、去り行く修司の母の背中を無言で見つめている。

 あれだけ騒々しかった店内に沈黙が満ちていく。誰も喋らない空間に流される演歌が何故だか妙に遠く聞こえる。


 しばしの沈黙の後、修司は重々しく口を開いた。


「………………ようやく帰ったか」


 言ってから、腹の底に堆積した重たい空気を吐き出すよう、長い溜息を吐く修司。本当に、ようやく小っ恥ずかしい大人の授業参観が終わってくれた。これはしばらく、バイトの3人にからかわれるネタになることだろう。考えるだけで気が重い。


 修司が口を開いたのを皮切りに、一気に場の空気が弛緩した。


「いいお母さんじゃん」


 修司の母が使った器を片付けながら、京子がそう言う。

 坂野と上田も動き出し、それぞれ仕事を再開する。


「息子を馬鹿呼ばわりするような母ちゃんがか?」


 確かに母は悪い人間ではないが、馬鹿呼ばわりはいただけない。言われた当人としては、素直に頷くことが出来なかった。


 が、京子は勿論だとばかりに頷いて見せる。


「本当のことじゃん」


 何という言い草だろう。店長へのリスペクトというものが感じられない。


「無礼ぶっこいてんじゃねえぞ、てめえ」


 修司が言うと、京子の片眉がピクリと持ち上がった。


「お? 何だ、やるか? 漫画を読んで覚えたマッハ突き喰らうか?」


 目の前でシャドーボクシングをしながら修司を挑発する京子。長年空手を嗜んできた彼女の拳は、プロと見劣りしないほど様になっている。こんな鉄拳を喰らうのではたまったものではない。


 京子が戯れに振るう拳が、しかし目にも留まらぬ速さだったもので、修司は血の気の引いた青い顔でギョッとして口を開いた。


「漫画読んで覚えられるようなもんか、あの技!? つーかそんなん喰らったら普通の人は死んじゃうよ!?」


 全身の関節の回転を連結、加速させて音速の突きを放つ。あくまでも実在しない漫画の技ではあるのだが、京子ならば本当に実現してしまいそうで怖い。そして京子は大義名分あらば嬉々として修司に対しその技を試すだろう。

 まだ30代、死にたくはない。特に漫画の技では。


 本気で怯える修司を見て、京子が何故だか、ふっ、とニヒルな笑みを浮かべる。


「馬鹿は死んでも治らないってか?」


「死んだら馬鹿もクソもないからね!?」


 馬鹿もクソもないとは言いつつ、話の内容は馬鹿なものでしかない。


 坂野と上田は2人の話を聞き、クスクスと笑っていた。

 修司の母が来店するという特別なイベントがあったものの、店内にいつもの空気が戻りつつある。

 客が誰もいない店内には、しかし修司の悲鳴とバイトたちの笑い声がこだましていた。



本日5月4日は、本来であればコミカライズ版『名代辻そば異世界店』の最新日となっているのですが、諸事情により今回の更新はございません。申し訳ございませんが、次の更新は5月19日になります。読者の皆様におかれましてはご了承くださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。


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