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第9話 どうしてもと言うのなら

「……無理だな」


  俺の希望は、一瞬にして打ち砕かれた。正確には、あの夜十時くらいの会話から今、翌日の朝十時に至るまでのおよそ十二時間にして粉々になった。


 ここは教授室。巫結から電話がかかってきた次の日の朝に早速、俺は心に決めた研究テーマにする許可をもらいに来たのだ。


 不満げな俺に、もはや親の顔よりも見た無表情で教授は続ける。


「ただの学部生が、一年でできる研究テーマではない。君が卒業を諦めて数年かけるというのであればわずかな可能性はあるが、そうではないのだろう?」

「……はい」


 留年なんてことになれば親に土下座する羽目になってしまう。流石にそれは避けたい。


 はぁ、という俺のため息の後に何故か教授のため息も続いた。

 チラリとその出所を見ると、教授は何やら机から書類を取り出している、見覚えのある光景だ。


 その時出てきたのは数十万円するARグラスだったが、今回はそんなことはないだろう。もしこれでARグラスが出てきて巫結と出かけろなんて言われれば、俺は教授の頭を心配してしまう。


 実際はそんなわけもなく、今教授が手に持っているのは見た感じで言えば何かのパンフレットだった。


「…………どうしてもその研究をしたいというのなら、大学院に進むと良い。幸いなことに、私の研究室も修士課程の学生は受け入れている。修士課程であっても厳しいだろうが、そこまでいけば何も成果が出ないということもないだろう」


 そう言いながら手渡されたパンフレットのようなものは、この研究室が所属している研究科のパンフレットで、ついでのように募集要項まで渡された。


 ……なぜこの男はここまで用意周到なのか。


「……まあ、今の君の成績では入学すら厳しいかもしれないが」


 ……なぜこの男はここまでデリカシーがないのか。淡々とした無表情で非情な現実を突きつけてきた。


 その顔を見ていると、無性に怒りと闘争心が湧いてくる。人生で初めての感覚だ。心に火がつくとはこういうことを言うのだろうか。


「この研究を諦めるか、卒業を諦めるか、はたまた大学院まで進むか。どれにするか、決めてきなさい」

「——いえ、今決めますよ」


 猶予を与えようとする教授の言葉を、俺は拒絶した。


「行きます、大学院。それでこの研究ができるなら」


 迷う余地などない。


蔦研究室ここの倍率は高いぞ?」

「どうにかします」


 身も蓋もない答えだが、これしか言いようがないし、勉強しかできることもない。

 心なしかその能面の奥に呆れが浮かんでいる気がする教授は、その僅かに見えた感情をため息として吐き出して言った。


「……せいぜい頑張ると良い。君が落ちれば、あの子が悲しむ」




 その日の午後、俺の持つカードで正式にスパコン室へ入れるようになったという連絡が教授から来たので、早速俺は巫結の元を訪れていた。


 俺がスパコン室に到着しその扉を開けた時にはすでに、部屋の電気はついていた。


 中へ進むと、匣の中には巫結、そしてその外には教授が立っていた。ちょうど帰るところだったのか、教授は俺の方に向かって歩いてくる。

 数歩だけ進んで一瞬動きを止めた教授だが、結局戻ることはなく俺の隣を通り過ぎてスパコン室を出て行った。


「勇心、いらっしゃい。ちゃんとした方法で来れるようになったんだってね」

「前のがちゃんとしてなかったみたいな言い方だな」

「ちゃんとはしてないでしょ」


 おかしい、入ってきた方法自体は最初の時と変わらないのに。


 とかいう冗談はさておき、巫結と実際に会うのはこれで三回目か。水族館で見た透き通るミズクラゲとは対極に位置するほど濃い日々だったせいか、とてもそうは思えないが。


「教授と何を話してたんだ?」

「ん? 世間話かな」

「……巫結も教授と世間話とかするんだな」

「かなり久しぶりだったけどね、まともに話したのなんて」


 懐かしげな目をしている巫結は、いつかの記憶を思い出しているのだろうか。


「ここに来たのも、あのときが数ヶ月ぶりだったよ。あの、勇心がここで寝ちゃったとき」

「……あのときのことは忘れてくれ」


 ふふっ、と巫結から笑い声が漏れる。

 まさか寝落ちしてしまうとは。目が覚めた時の教授の顔は一生忘れられないだろう。


「だいぶ衝撃的な再会になっちゃったよね」


 そう言いながら、巫結の表情は以前よりも柔らかかった。俺の知らない間に、二人の間にあるであろう何かも少し前に進んだのかもしれない。

 荒療治になってしまったかもしれないが、結果オーライということで許してほしい。


「それで、勇心は今日何か用事あるの? それとも私と喋りに来ただけ?」

「ああ、一応カードキーが使えるかの確認に——」


 巫結が微妙に不機嫌な顔に。


「それと一個報告に——」


 俺は選択を間違えたらしい。ぶすっと膨れた巫結をあやしたいが、残念なことに俺と彼女は隔離されている。

 こうなってしまった女の子への対処方法を、俺は知らない。故にただ沙汰を待つ被告の目で巫結を見つめるしかできない。


「……まあ、聞いてあげましょう。報告とはなんですか?」


 なぜに突然敬語か。出会った一番最初からタメ口だったのに。むしろ巫結は敬語を使えたのか。

 そして報告とは、そんなご機嫌斜め巫結に言えばどうなってしまうのかという内容でもあった。


「えっと……」

「ん、何かな?」


 けんもほろろな巫結に意を決して話を切り出す。


「これ以降、ここに来れる機会が極端に減りそうで……」

「…………なんで?」


 ああ、巫結が怖いと感じる日が来ようとは。

 怒っているというよりは拗ねているという印象だが、どちらにせよ話しづらいことに変わりはない。


「昨日話した研究テーマを教授に提案してみたんだが、一年じゃ無理って言われてな。院に進むことになったから、院試勉強しなきゃだめなんだよ」

「……ふーん」


 一応は納得してくれたようだが、まだ不満たらたらだ。胸の前で腕を組み、ムスッと俺をジト目で見つめている。


 どうやって機嫌を取ろうかと考えているうちに、不意に巫結の目が大きく開かれ、瞳が輝き出した。


「……あっ、わかった! じゃあ私が教えるよ! 私勉強得意だよ!」


 ウキウキで身を乗り出す巫結が可愛い、というのは置いておき、一応巫結は二十歳だったはずだが。


「巫結、院試の内容分かるの?」

「ん! 今までは勉強しかすることなかったからね」


 ああ、涙が出てきそうである。

 俺の雰囲気から心の中を察したのか、巫結が唇を尖らせた。


「いいの。今役に立とうとしてるから! 全てはこのためだったの!」


 そうでなくても重要な試験なのに、加えてえらく重い二十年まで俺の院試に背負わされている気がする。


 いいよね、と小首を傾げる巫結に頷きを返すと大輪の花が咲き誇った。これはますます落ちられないな……




「……そうだ。ねえ、勇心」

「ん、どうした?」


 その後もしばらく二人で駄弁っていると、巫結がふと声を上げた。


「天才とは、一パーセントのひらめきと九十九パーセントの努力である」


 エジソンの名言。俺が初めてこの部屋に来たときに、沈んでいく意識の中で巫結が俺に言った言葉でもある。


「エジソンはあれ、勇心が思ってるような意味で言ってないからね?」

「……え?」

「九十九パーセントの努力が大切だって意味じゃないよ」

「…………ほんとに?」

「ほんとに」


 今世紀最大の衝撃——否、今世紀二番目の衝撃である。

 なら、本来の意味はどういうものなのだろう。


「……だから、まあ、応援してるよ!」


 グッと顔の横で握りしめられた両手とは裏腹に、俺の心は不安に満ち溢れていた。




 人間の才能ティア表。その頂点はやはり、努力の才能である。しかしそれは数ある才能の中で唯一、後天的に身につけられる才能である。もっともそれは時として偶然にり、その意味では確かに才能である。

 飛行機に乗った時、空への努力の才を得るかもしれない。球場へ行った時、野球への努力の才を得るかもしれない。


 ————巫結を見た時、彼女のための努力の才を得ることも、あるのかもしれない。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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