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第8話 思いついた

 巫結と水族館へ出かけた日の翌日の夜は、あいにくの雨だった。気象庁からは雷注意報まで発表されている。外の様子をぼんやりと眺めていると、自然とあの日、同じような天気だった日のことを思い出していた。


 今思い返せば、あの出会いは俺の人生で一番の幸運だっただろう。真摯に祈っていた巫結の願い。それが神に届いて、ついでに俺もその恩恵にあずかったのかもしれない。


 昨日見た巫結の姿は、初めて見た時の彼女とは全く異なっていた。美しくて、儚くて、何かのきっかけである日急に折れてしまいそうな、そんな雰囲気はもう感じられなかった。

 自分の弱さを認めて受け入れた彼女は今後、落ち込んだり沈んだりすることはあってもポッキリと折れてしまうことはないと思えた。例え風が吹き荒れても、しなやかにいなしながら生きていくのだろう。


 悩みを乗り越えて成長できるその姿は()()そのものだ。巫結と話せば話すほど、彼女が俺とさして変わらない存在であるということを身にしみて感じていた。その体は確かに俺たちとは違うかもしれない。それでもその意識が、心が、魂が、俺と違うとはどうしても思えなかった。

 実際は俺が気づいていないだけで、あるいは巫結が隠しているだけで、もしかしたら明確な人間との重要な違いもあるのかもしれない。しかし、巫結と接して俺自身が違いなんてないと感じた、そのことは大事にしたい。


 ピカッという一瞬の煌めき。地鳴りのような震えも追いかけてくる。


 あのあと調べたのだが、雷警報は存在しないらしい。どれだけ雷が降りそそごうと、発表されるのは雷注意報。つまり、雷注意報は結局雷が落ちない時もあれば何度も落ちる時もあるという幅の広い注意報なのである。

 まあ、結局何が言いたいかといえば、今日の雷注意報は残念なことに、より危険な方の雷注意報だった、ということである。


 色んな意味で雷に弱い少女のことを思い浮かべるが、流石に今から大学に向かうのは無理がある。そもそも俺にあの部屋のロックを解除することはもうできないだろう。教授に頼めば可能性はあるが、この時間だ。いくらあの謎に満ちた人でももう研究室にはいないに違いない。


 そんなことを考えながら巫結のことを心配していると、突然俺のスマホが鳴った。

 家族との連絡はチャットが基本な俺に電話をかける人なんてセールスくらいしかいないはずなのに、なんて思って自分を傷つけながらスマホに表示されている名前を見ると————巫結。なぜ。


 とりあえず俺は電話に出た。


「もしもし? 本当に巫結?」

「おぉ! ほんとに私だよ。昨日ぶりだね」


 どうやらタチの悪い悪戯いたずら電話ではないらしい。もしそうだったら緊急事態なのだが。情報漏洩的な面で。


 しかしそれは良いとしても、まだ疑問はたくさん残っている。


「どうやって掛けてきたの……」

「ん? いろいろ頑張ってみたの」

「どうやって俺の電話番号知ったの……」

「あの人が教えてくれた」

「どうやって俺の画面に名前出したの……」

「努力の成果だね」

「もうちょっと別の方向で努力してくれ……」


 もしくは事前に通達してくれ、とか言いながらも俺は内心で元気そうな巫結に安堵していた。

 質問の返答からまともな情報は得られなかったが、彼女が案外気丈だということは伝わってくる。


「それで、急に掛けてきてどうしたんだ?」

「えっとね、雷が鳴り出したでしょ? ほんとは電話するねって先に伝えておきたかったんだけど、一人だと心細くなっちゃって」


 前言撤回。不安ではあったらしい。

 しかしそれで俺に掛けてこられるようになったということは喜ぶべきことだろう。


「ね、勇心は何してたの?」

「外見ながらぼーっとしてた」

「……ずっと?」


 ……まあ、割とずっと。


 巫結と出会ってからいろいろあったせいか、自分でも気がつかないうちに精神的な疲労が溜まっていたのかもしれない。今日は激動の数日を思い返しながらベッドの上でゴロゴロしていた記憶しかない。


「大丈夫なのー? 研究テーマが決まらないって言ってなかった?」

「…………あー、忘れてた」


 えぇ、という通話特有の籠った呆れ声も俺の耳を右から左に通り抜けていった。ここ数日離れていた現実に不意に引き戻された温度差のせいで、脳みそが活動を一時停止している。


 というか教授も考えさせる気なかっただろ。考えておけとか言った翌々日に巫結との外出に行かせるとか、これで決めろなんて鬼でも言わない。


「急かされてるんじゃないの?」

「そうなんだけどなぁ……」


 そこで再び、外に稲妻が走った。後に続く音の感じからしてかなり遠そうだから巫結に直接の影響はないだろうが、メンタル面は心配だ。


「巫結、大丈夫?」

「……ん。ぎりぎり」

「そこは余裕で大丈夫って言って欲しいんだが……」

「ふふ、冗談だよ」


 その言葉はどこまで本当なのだろうか。半分くらいは、嘘をついている気がする。巫結の雷への恐怖を、どうにか取り除いてあげられないものだろうか。


「————あ……」

「勇心? どうしたの?」


 今、思いついたことがある。

 今までは全く思いつかなかった研究テーマ。これなら俺が今いる研究室でも、できないことはないだろう。この研究で成果を出したいという意欲も、俺の中に間違いなく存在する。


 この研究をしている未来の自分を想像しても、しっくりくる。

 そして何より、俺にはそのチャンスがある。微妙に気乗りはしないが、()()と言っても良い研究成果を出しているあの人に教えを乞うことも、一部ではできるだろう。


「……思いついた」


 轟々と打ち付ける雨にかき消されてしまいそうな声で、俺は呟いた。それでも、その声は巫結に届いたようだった。


「ん? 何を?」

「研究テーマ」

「————えっ!? 何にするの!?」


 眠気が一瞬で吹き飛んだ巫結の声に思わず苦笑いが漏れる。それと同時に、ずっとこのまま笑顔でいてほしいという強い思いも心の中から漏れ出ててきた。


 巫結の世界は、昨日の俺との外出で確かに広がった。しかしそれでも、彼女の世界はまだ狭い。狭すぎる、そう言ってもいいほどに、狭い。

 人生の大半を一人で過ごした彼女には、この先もっと明るい人生を歩いてほしい。彼女が十分と言っても、それを超えるものを見せてあげたい。


 しかしそのためには、彼女の身の安全が確保されているという前提条件が満たされている必要がある。

 今日のような日に毎回怯えていては、明るい人生など遥か遠い夢のまた夢となってしまうだろう。それはつまり、明確に命を落とす可能性が高まっているという日があっては、巫結はこれから先、それが原因で心が塞がることになりかねないということだ。


 彼女の心を守りたいというだけではない。巫結に消えてほしくない、その純粋で個人的で身勝手な思いも間違いなく俺を動かしている。


 家族が、友人が、大切な人が命を落とす恐怖に怯えている。そしてその原因は、自分が排除、ないしはやわらげることができるかもしれない。

 そんなときに動かない人はいない。たとえそれが簡単な道ではないとしても、助けられる可能性があるのなら行動に移す価値はある。


「勇心! 何にするの?」

「ん? まあ、名前はまだわからないけど————スーパーコンピュータを用いた落雷の精密予測および停電からの重要インフラ保護、とかかな」


 少し穏やかになってきた雨音の奥から、巫結の気の抜けた戸惑いが聞こえる。


 このテーマのためなら、この子のためなら、俺は努力ができる気がした。

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