第6話 こんなのいらない
窓の外の世界だけが横に流れていく。それはまるで自動スクロールのゲームのような光景で、巫結の言葉が俺たち二人を世界から隔離したかと錯覚するほどだった。
衝撃、困惑。俺はしばらく口を開けず、巫結も何も言わなかった。
彼女はどんな表情をしているのだろうか。誤魔化すような笑みか、悲しげな困り顔か、何も感じ取れない無表情か。気になるのに、巫結の方を見ることはできなかった。
「……どういうこと?」
俺のその言葉をきっかけに、再び俺たちの時間が流れ出す。
「そのままの意味だよ。あの世界には私しかいない。たまにあの人は来るけど、最近は滅多にみないから、実質私だけみたいなもの。それだけだよ」
「それだけって……」
だけなんて言って良いものではない。その言葉は重い空気に阻まれ、俺の口からは出なかった。
再び現れかけた沈黙を押し止めるように巫結が口を開く。
「昔は、いたんだけどね。ロボットみたいな、感情なんて持ってない、明らかに私と違うやつが」
「…………そいつらは、どうなったんだ?」
「ちっちゃい時の私が言ったんだよ。こんなのいらないって。大暴れして、号泣しながら視界に入るその子たち全部に殴りかかって。どれだけ殴っても全然怒ってこなくて、ちょっと宥めてくるだけ。それにもっとイライラして、どんどん酷くなって。それ以来、あの世界には私以外誰もいなくなった」
聞いたことのない冷たい声に、なぜか俺の心が震えた。
恐る恐る巫結の座る右隣の席を見るが、彼女と目は合わない。外を見つめる巫結の顔をガラスが反射してくれない。そのせいで、彼女の表情は俺から隔離されてしまっていた。
「今にして思えば、同族嫌悪だったのかな。私がこんなのと一緒だって認めたくなかった。私だって、あいつらのこと何も言えないのに。だって、外に出たら、私の方がこんなのだから」
淡々と、巫結が話を続ける。
「演算能力が足りないせいで、私レベルの強いAIは他に作れない。能力を下げたら私が拒絶する。私を知ってる人間は、勇心を除けばあの人とか研究の関係者。お偉いさんたちが、私みないなのに会うわけない」
だから私は一人、その言葉からは過去の自分への後悔も感じ取れた。しかしそれ以上に、ならどうすれば良かったのかと自棄になっている感情が、強く滲んでいた。
巫結からすれば、俺だって持つ側の人間なのだ。自分が欲してやまない、されど絶対に手に入れることができないものを、生まれながらに持っている人間だ。仮初めだなんて揶揄されることのない、正真正銘本物の心を持つ存在なのだ。
何も声をかけてあげられないというもどかしさ。同じものを少し前にも体感した気がする。巫結と初めて出会ったとき、彼女が自分の感覚を電気信号だと言ったときの闇色の瞳がフラッシュバックした。
あのとき、俺は何も言えなかった。あのとき、言葉をかけてあげられるだけの関係性は無かった。
だが、今は違う。僅かとはいえ巫結と会話をして、彼女のことを知った。
「昔のことだよ。今なら違う結果になるかもしれない」
ぎこちなく微笑む巫結が、ようやく俺の方を向く。微笑みなんて言葉を使いたくないくらい、苦しそうな顔。こんな顔のまま、巫結を彼女が待ち望む水族館に連れていくわけにはいかない。
「……そうだな。もう、昔のことだ。……今は、俺がいる」
「う————ん?」
俺の言葉の前半に相槌を打とうとした巫結が間の抜けた声とともに首を傾げた。混乱を続ける巫結を見つめて、俺は続ける。
「どうせ俺は巫結のことを知ってるんだ。今更巫結の住む場所に行くことを止められることはないだろ」
「…………きて、くれるの?」
「今日はこっちを俺が案内するんだから、次は巫結の番だろ?」
巫結の瞳が、ブラックダイヤモンドのように深く、強い輝きを放ち始めた。
満面の笑みではない。例えるなら、満開になるより前のポツポツと咲き始めた桜の木のような、淡くて、優しくて、少し幼いような、そんな笑みが徐々に巫結を包んでいった。
心の内から溢れ出た喜びを余すことなく俺に向けてきたせいで、俺の頬が瞬く間に火照る。
そんな俺に追い討ちでもしたいのか、じりじりと巫結がこちらに寄ってきた。息遣いが聞こえてしまいそうなほどの距離。巫結の手が俺の手と重なる。
「ほんとに、いいの? 私、毎日呼ぶよ?」
「……毎日は流石に多くないか?」
「私、この世界で一番重い女なの。物理的に」
そりゃスパコンは重いだろうさ……
自慢げな顔で、巫結と俺の肩が触れる。今だけは、彼女の姿が周囲の人に見えないことに感謝した。
互いに相手のことしか視界に入っていない。そんな状態で頬を赤らめて、熱を帯びた声で囁くように、巫結が言う。
「……次のデートは、手、繋げるね」
息が止まって、心臓が跳ねた。
それからバスが水族館に着くまで、俺と巫結の目は一度も合わなかった。
二人とも、重なった手は、一度も動かさなかった。
「おぉ……本物だぁ……」
俺と巫結の間の均衡を破ったのは、バスから降りた後、水族館の正面で巫結の口から漏れ出て感嘆の言葉だった。
「見るのは初めてなのか?」
「まさか、予習は万全だよ。でも、生で見るのは違うからね」
振り返って言った彼女に苦笑が漏れる。ワクワクという擬態語が顔に書いてありそうだ。
流石にもう、お互いに頬の熱は引いていた。心の中では長い長いアライグマのような尾を引いてはいルものの、表面上は元通りである。
「じゃあ、チケット買ってくるから先に入ってて」
「ん!」
元気な返事を背中に受けながら俺は入場列に並ぶ。
ちなみに巫結は無銭入場、というわけではなく教授が別のルートで入場料を支払ったらしい。バスに関しても同様で、それ以外の店に入った場合は別途どうにかするから気にしなくて良いらしい。
元々は巫結が自分のお金で払いたがっていたが、残念ながら彼女はこちらの世界のお金を持っていない。渋々、本当に嫌々教授に頼んだらしい。こっそりバイトでもしようかな、とはバスに乗る前の巫結の談である。発覚すれば世界がざわめく凶行である。
そんなこんなでチケット売り場兼入場口まで辿り着き一日チケットを購入した。そのまま中に入ると、すぐそこで巫結が待っていた。
「行くよ、勇心」
待ちきれない様子の巫結は、俺にも見えない尻尾をブンブン振り回し扇風機にして、自身の背中を押しながら先に進んでいく。
初めて話した時も少し感じたが、巫結には少し子供っぽいところがある気がする。以前は初めて教授以外の人間と話したせいかとも思っていたが、彼女の性格だったらしい。
それが彼女の生来のものなのか育った環境によるものなのかは分からないが、少なくとも俺にとっては、全く嫌なものではなかった。
「勇心?」
彼女の後ろ姿をのほほんと眺めていると、前を行く巫結が振り返って俺を見た。その視線に湿り気が感じられるのは、まさか俺の思考を読んだせいではないだろう。
「なんか失礼なこと考えてない?」
「……気のせいだよ」
わざわざ戻ってきてまでそんなことを言ってきた巫結はもしかすると自覚があるのかもしれない、とか思っているとその視線の湿度がますます高まってきた。
痛い。巫結に物理的な攻撃力は備わっていないはずなのに、ペチペチと叩かれる腕がなぜか痛い。心因性に違いない。
「私もう二十歳なんだけど! お酒も飲めるんですけど! 子供じゃないんですけど!」
もしや最先端人工知能の強いAIである巫結にかかれば人間の心を読むなど造作もないとでもいうのか。慄き畏れながら巫結を見ると、むすっとしたジト目と目が合った。
「読んではないけど、自覚あるから」
その言葉が返ってくるということはすなわち心を読んでいるということだ、というのはさておき巫結には自身の言動が子供っぽい自覚があったらしい。もしかすると目の前の少し膨れた頬には俺への不満と共に、そんな自分への不満も詰まっているのかもしれない。
「まあ、いいんじゃないか。そっちの方が話してて楽しいし」
「……そうだけど、そうじゃない」
ぺちっと最後に俺の腕をひと叩きした巫結の横に並んで、俺も水槽へ歩き始めた。




