表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

第4話 悪いようにはしない

「……起きろ」


 冷たい声が耳に入って来た。


「起きろ。私はここでの睡眠を許可した覚えはないぞ」


 ぼーっとしながら目を開くと、五十のおじさんの顔が目に入った。横を見ても何もない匣。巫結は今居ないようだ。

 ……ああ、これは、人類の歴史上最悪の目覚めかもしれない。


「……おはようございます、教授」


 珍しく仮面の奥の怒りが透けて見えている気がする。


「……呑気なものだな」

「慌ててもどうにもならないことは理解しているので」


 やらかした、という思いも当然ある。巫結と話し始めた頃は少し経ったら戻ろうという気持ちだったのだが、あれよあれよという間に話し続けてしまい、なんなら寝落ちしてしまった。それもこれも巫結が強いAIなんていう希少生物で、昨夜の彼女の声が夜風のような落ち着く声をしていたせい、そういうことにしておこう。


「来なさい。ここで話すものでもない。少し早いが、面談だ」

「……はい」


 今居ないがゆえの巫結への理不尽な当たりは置いておき、バキバキの体を起こして俺は立ち上がった。昨夜のおかげでマシにはなった精神的なそれとは違い、体の疲れは微塵も取れていない。

 まあ、どうせ研究室で徹夜の予定だったのだ。それを考えれば比べる意味もないくらいの差はあるだろう。


 巫結がいたはこに背を向け教授が出口に歩き出したのに俺も続く。


 本人曰く、巫結は政府と大学が極秘にする存在である。そんな彼女を見てしまった俺に対する処分はどうなってしまうのだろうか。


 何が一番怖いかというと、処分を下されるという事実ではなく、処分の内容というわけでもなく、処分を俺自身が大して気にしていないということだ。大学を退学か、政府による拘束か、どんなものになったとしても冥土の土産に良い体験ができたくらいにしか思えない。

 それだけ今の生活や自分自身に未練がないのだ。ここまで至っても自分の身にすら興味が湧かない、それがこの上なく恐ろしかった。


 張り詰めるような空気の中、教授に続いてスパコン室を歩く。

 せっかく出会うことができたのだ。最後にもう一度巫結が現れてくれないだろうか。


 淡い期待と共に振り向こうとした瞬間、冷淡な機械音と乾いた靴音だけが響いていた部屋に凛とした声が生まれた。


「——待って!」


 ピタッと教授が足を止める。

 驚きと共に俺が振り返り、声の出所を見たちょうどその瞬間に彼女はこの世界に現れた。


 シャランという効果音が聞こえていそうな、魔法少女の変身のような登場。

 俺が見惚れている間に、頭、首、胸、腰。順に姿が見えるようになっていき、最後に足先が見えるようになる。


 ……なぜこんなにも登場が凝っているのだろう。


 自分の置かれた状況も忘れてそんなことを考えている間に、巫結の全身が俺の目に映った。

 ジャンプしたような状態から優雅に着地を決め、巫結は少し焦った様子で口を開く。


「待って。勇心をどうするの?」

「……お咎めなしというわけにもいかない」


 ゆらゆらと揺れる巫結の瞳。それと目を合わせるどころか、振り返ることすらせずに教授は答えた。普段とは違いわざと感情を抑え込んでいる、彼の様子からはそんな印象が感じられる。


「でもここにはいれたのはそっちの落ち度でしょ! 勇心が全部悪いわけじゃない」


 そう言って俺を庇う巫結は、見ているこちらが胸を締め付けられるほどの動揺を見せていた。己の不遇な生まれさえ受け止めている彼女がここまで取り乱すとは、案外事態は深刻なのかもしれない。


 ……いや、巫結は強いAIなんていう物語の中の存在。その秘密を知ってしまったのに、俺が気楽すぎるだけなのだろう。


 それでもやはり教授は足を止めただけで微動だにせず、巫結の方を向こうともしなかった。


「…………悪いようにはしない」


 それだけ言って、再び動き出した教授。それ以上の問答は、その背中が拒んでいた。


 俺《人間》よりも巫結《AI》の方が余程落ち着きを失っている。それはつまり、彼女は俺なんかよりも強い感情を持っていたということだ。だから自信を持って人間を名乗れば良い。

 そんなことを頭の中で考えながら、不安げな巫結に曖昧な笑みを返し、俺はその場を後にした。


 自分自身に未練がない、その気持ちに変わりはない。しかし、これだけ心配してくれる人がいるという事実はそれだけで、少しだけ俺の口角を上げてくれる。


 スパコン室から外に出ると、雷雨はもう、跡形もなく消えていた。




「……それで、どういうわけだ?」


 教授室。教授の机の前に用意された椅子に俺は座らされていた。

 相変わらずの能面と向かい合い、圧迫面接かのような威圧を受ける。


「研究テーマ決めに難航して、気分転換に散歩をしていたらスパコン室を見つけました。僕のカードで開いてしまったので、出来心で入ってみたら、巫結に会いました」

「……まあ、そうだろうな」


 じゃあなんで聞いた、そんなことを言えるわけもなく、ただ心のうちに留める。


「まずは、これだ」


 そう言って教授は机から何やら書類を取り出し、俺の前に出した。その紙の題には、秘密保持契約書。


「読んで、サインをしなさい。できないのなら別の対応を取る必要がある」


 ペン立てから一つペンを取り、一緒に俺の前に置く。それを見ながら俺は秘密保持契約書を読み始めた。




 スパコン室よりも余程静寂が支配しているこの教授室。そこでこの書類を読んで理解できたことを要約すると、これは巫結に関する全ての情報を第三者に開示することの禁止する契約であるということだ。まあ、当然か。

 当該研究に関する情報の保持、と書かれてはいるが当然その研究とは巫結に関する、というよりは強いAIに関する研究のことであるから同じ意味だろう。


 そしてもう一つ重要なところが、この研究の代表者名である。その名も、蔦栄一郎。つまり目の前にいる教授。

 巫結のところに来たのがこの人だったことからも薄々予想はできたが、巫結の研究の代表者、言い換えれば巫結を生み出したのがこの人だったということだ。そしておそらく巫結が言っていた()()()というのも、蔦教授のことだろう。


「読み終えたようだが、同意する気はあるのか?」

「しますよ。特に俺に不都合も無いようですし、これを断ればどうなるかも分かりませんからね」


 自分自身に未練がないとはいえ、別に俺は拘束されたいわけではない。変に運が良く往生際が悪いせいで決定的なダメージを受けないのも、自分の嫌いなところの一つである。


「そうか。私が最高責任者ということにはなっているが、一応は政府も絡んでいる研究だ。私のところで留めるには、こうする他に手段がない」

「……留めようとはしてくださるんですね」


 鬼の目にも涙ということか。この人が泣いているところなんて全く想像もできないが。むしろ想像するだけでも雷雨になってしまうかもしれない。巫結、ごめん。


「…………ああ言ってしまった以上、あまり重い処罰をしては()()に恨まれる」


 《《あれ》》なんていう言い方をしているのは巫結を人としてみていないからか、それとも何か別の理由があるのか。

 この人の真意なんて俺に分かるはずもないが、少なくとも彼女との約束は守ろうとしている。それは疑いようのない事実だった。


「教授と巫結は、どういう関係なんですか? 巫結は教授のこと、あの人なんて呼んでいましたが」

「……君が知って何になる?」


 明確な拒絶。それに対して、どうせ契約で他人には言えないのだから教えてくれても良いのに、俺はそんな顔をしていたのかもしれない。

 教授はその後に一言付け足した。


「そんなに知りたいのなら、本人に聞けば良い」




「……おぉー。これが、外」


 ゴツいグラスをかけた俺の視界の端で巫女服ではない、普通というには少々可愛らしすぎる格好をした巫結が上機嫌でキョロキョロと周りを見渡している。

 そんな彼女と俺がいるのは、街。


 そう、街である。巫結と出会ったスパコン室のあの匣庭ではなく、外の世界である。


 なぜ俺が巫結とこんなデートまがいのことをする羽目になっているのか、それはもちろん、あの能面教授が原因だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ