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第3話 教えてよ、君のこと

「……あの人?」


 俺が聞くと、巫結は複雑な顔をする。気まずさと不愉快が混ざったような、少し不思議な表情だった。


「そ、あの人。私が勇心以外で会ったことがある唯一の人間で、私に巫結って名前を付けた人。……勇心も会ったことあるんじゃないかな」


 それって、それを尋ねるより先に巫結が口をひらく。あの人の話はもうしたくない、暗にそう言われたということはなんとなく伝わった。

 口に出さずに意思を伝える、いかにも人間らしい。その姿が仮に俺と同じ普通の人間であれば、彼女が匣庭に閉じ込められていなければ、普通の人間と区別はつかないと、それだけで確信できた。


「それより、次は勇心の番だよ。君はどうしてここに来て、どうやってここに入ったの?」


 パッと一瞬で、その表情が切り替わる。そういうところはなるほど、確かに少し人間とは違うのかもしれない。そうはいっても、珍しいだけで人間にもいないわけではない程度のものではあるが。


「あんまり面白い話じゃないぞ」

「私の話も別に面白くはなかったよ?」


 スッとそれを言われてしまえば返せる言葉はない。俺の最後の抵抗は虚しく散っていった。元々初対面の人に話すことではないというだけで、大した抵抗でもなかったが。


「いいじゃん。こわーい雷雨の夜くらい、ちょっとは心を曝け出そうよ。どうせ相手は人間じゃないんだからさ」

「そうは思えないから躊躇ためらってるんだろうが……」


 いきなり重い自虐を入れてくる巫結にため息をつきながら反論する。

 確かに少し違和感があるとはいえ目に見える体を持ち、こうして俺と会話ができる。死を恐れて神に祈り、涙を流す。

 人間なんてものが何なのかを説明することはできないが、彼女が人ではないと言い切れるのは血も涙もないロボットだけだろう。


「……ふーん」

「…………何だよ」


 大きな目でじっと俺を見つめる巫結。そこには驚きの色が浮かんでいた。キラキラと輝く純粋な瞳に力負けし、彼女から目をそらす。


「ん、気にしないで。いいと思う、勇心のそういうとこ」

「……そう。お気に召したなら何よりだな」


 何やら生暖かい視線に変わった気がするが、気にしたら負けということにしておこう。本人もそう言っているのだから、何が出てくるかも分からない薮は突かないに限る。


「素直じゃないね」

「うるさい。これで二十年以上やってきてるんだよ」

「偏屈おじさんだ」

「誰がおじさんだ? 巫結と数年しか違わないだろ」

「知らないの? 人間は二十を超えたら急激に老けていくんだよ?」


 そして私はまだ二十歳、ドヤ顔の巫結が何やら言っている。胡乱げに彼女を見つめると、コテッと小首を傾げられた。自分の可愛さに自信がある人の、嫌な笑顔だ。


「それ、誰からの情報?」

「もちろん、インターネット」


 思わずため息が漏れる。心配して損した。


 ……いや別に心配なんてしていないが。別に最近揚げ物が食べれなくなってきたとかでもないが。


「……人間も大変なんだね」

「そこ、同情しない」

「はーい」


 ふふっという清楚な笑い声は聞かなかったことにしておこう。主に自分のために。

 その笑い声の主は体育座りの膝に片耳を当て、見上げるように流し目で俺を見ている。絹のように上品な指が、俺と彼女を隔てるガラスにそっと触れた。


「ほら、勇心。教えてよ、君のこと」

「……分かったよ」


 別に大した理由もないから、期待させて申し訳ないくらいではあるのだが。


「卒論のテーマが決まらないんだよ、何にも興味がないから。それで教授に急かされて。どれだけ考えても思いつかないから気分転換でもしようと思ったら土砂降りで、せめてもの抵抗でここに来たんだよ」

「……せめてもの抵抗にしては、ちょっと大胆すぎるんじゃない?」

「……出来心だったんだよ」


 正直、明日のことを考えたくはない。目の前の存在がバレたら政府に消されるとかがあり得るレベルの機密事項であることは目に見えている。


「まぁ、勇心がいいならいいんだけど。私はおしゃべり相手が出来て気が紛れるし」


 そこまで言って巫結は座ったまま伸びをする。んーっという言葉と共にサラサラと黒い長髪が揺れ動き、まるで水面みなものように輝きを撒き散らした。


「勇心、何にも興味ないんだ」

「ああ。自慢じゃないが、生まれてこの方大抵のことは苦労せずにある程度までは上達できたんだよ。だからこそ、一つのことに努力なんてしたことがないし、極めたこともない。多分そのせいで何にも心を動かされなくなってしまったんだろうな」

「…………私にも?」


 ぼそっと呟かれた言葉に、なぜか俺は面食らった。

 変な質問ではないはずなのに、自分が動揺していることが手に取るように理解できる。何か、今まで見逃していた事実に気づきかけているような、それとも、目を逸らしていたことを突然眼前に持ってこられたような、妙な胸騒ぎがした。


「勇心は、私にも興味ない?」

「…………なくはない、な。流石に」


 巫結は柔らかく微笑む。


「流石に、ね。私、自慢じゃないけど、生まれてこの方希少性で苦労したことはないんだよ」

「……だろうな」


 俺の言葉を真似て小生意気こなまいきな顔をする巫結の顔をこづいてやりたくなるが、俺は彼女に触れられない。


「あるじゃん、興味。私に」

「巫結にあっても意味ないだろ。自分の生態でも研究して欲しいのか?」

「んー、ちょっともう間に合ってるかな。それに、私についての研究なんて多分発表できないよ?」

「なら卒業できないから駄目だな」

「物事には犠牲がつきものなんだよ」

「巫結を研究して、俺は何を得るんだよ」

「……んー」


 首をひねる巫結はしばらくしてハッとした顔に変わった。


「私のプライバシー!」

「そんなものより卒論の単位をくれ」


 そんなものって何さー、と不貞腐れている巫結を見ていると、自然と微笑みが漏れてくる。

 こんなに自然に笑ったのはいつぶりだろうか。人と話すことですら事務的なものを除けばかなり久しぶりな気がする。一人暮らしでサークルにも入っていない大学生なんてそんなものである。


 もしかすると、巫結も俺と同じなのかもしれない。二十歳だという彼女の年齢にしては少し言動が幼く見えるのは、初めての客人にはしゃいでいるのだろう。


 しばらく巫結の拗ねている様子を観察し続けていると、ムッとした顔で睨まれる。どうやら俺の態度がお気に召さなかったらしい。ベッと舌を出す姿は彼女が着る巫女装束とはあまりにもアンバランスだった。




 どれだけの時間が経ったのだろうか、眠気に負けそうになりそろそろ戻ろうかと思い始めた頃、巫結がふと口を開いた。


「……天才とは、一パーセントのひらめきと九十九パーセントの努力である」


 顎を両膝の間に挟み、少し下に俯いた巫結の表情から、彼女の感情は読み取れない。


「百年くらい前の、トーマス・エジソンの言葉」

「……そうだな。一パーセントのひらめきを持っていても、九十九パーセントの努力をする才能がなければ、天才は凡人に及ばない。結局、努力できる奴が強いんだよ」


 そして俺は、できなかった。その才能がなかった、ただそれだけだ。

 目だけで巫結の方を見ると、暖かな光を帯びる黒い瞳と目が合った。


「でも、私は勇心にそれができないとは思わないよ」


 落ち着いた声色に優しげな表情。蓄積した精神的な疲労も相まって、俺の意識はもう限界に達しようとしていた。

 ガラスの俺の髪が触れている部分を反対側から突きながら、彼女は言った。


「少なくとも、勇心は好奇心を持ってるみたいだからね」


 言葉だけのはずなのに、それは包み込むような暖かさを持っていた。


 おやすみ、そんな声が俺の耳に届いた、ような気がした。

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